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ワタシはカラダをテツガクする

病気が集まってくるカラダを自慢している。 生きてる以上テツガクするしかないね。めんどくさいけどね。

Vol.517 死への、良い憂鬱




(´д`)


・・・・・・・・・・


今日はブログデー、

更新2回目です。(笑)


先日も書いたのですが、

退院してからやることリストを、ガシガシ作っております。

たくさんある、、、


なんか、やること多過ぎて、憂うつになってきました。(笑)。

でもまぁ、

良い憂鬱、

であります。


この憂鬱を、

一つ一つこなしていく度、

ワタシの人生は満足いく死に繋がるのだろう、


今はなんとなーく、

そんな、気がする。


がんばって、こなしていかなければ。

やんねーと。



まずは、退院!

リハビリがんばって、筋肉つけないと、退院は見えません。

いや、その他も悪い所山ほどあるけど、ワタシにコントロール出来る部分ではない。


ぶっちゃけ、今のリハビリをして、これ以上伸びしろがあるのか、、、?

実はわからないのです。


今が限界かもしれないし、もっと落ちていくかもしれない。

ステロイドミオパチーの影響なのですが、これはステロイドを止めればいい話です。

しかし、もうステロイド減らすのが限界に来ているワタシなので、これからどうなるやら。


でもやるしかないのです。

未来はわからん。


今を積み重ねるしかない。

それだけしか、できないから、やるしかない。


人生今。

今でしょ、今。

とりあえずスクワットがんばる。笑。


おわり

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Vol.515 機械的に、ただ、潰していく




でっ、

出たい。


早く、

ここから。(´д`)


・・・・・・・・・・・・・・・


退院してから、

いつ死んでも、なるべく周りに、手間を掛けないよう、身辺整理としてのやるべきことリスト・・・

みたいなのを、iPhoneのリマインダーってやつや、Evernoteに打ったりしてます。


リビングウィルや、遺書のアップデートとかですね。

その他、物理的な作業も含めて。


to doリスト、ってやつですかね?

サラリーマン時代もそんなのありましたわね。。。(笑)。

1つのto doをやっつけてる間に、3つto doが増えたり、とか、常にアセアセしてましたわね~

社蓄からは、自動的に脱出できた訳ですが。(笑)。


そんな、身辺整理としての、

やるべきこと、

をやったら、

やりたいこと、

をやっつけていくわけです。


人生はそれが全てなんでしょうね。

やるべきこと、

やりたいこと、

それを自分でテツガクして、リスト化して、

それを淡々と、

機械的に、

潰していけば良い。


出来なかったなら、

また明日やるしかない。

出来たら、

また新しいやるべきことが出てくるのでしょう。

その繰り返し。


ワタシはまだまだ、

やるべきこと、

やりたいこと、

いくべきとこ、

いきたいとこ、

会うべき人、

会いたい人、

・・・

たくさんあるな~

大変だな~。。。笑。

めんどくせーなー(笑)

どないやねん!(笑)


そんなことを考えていると、

やはり焦りが出てくるのです。


早く退院したい。。。

しなければ!!

アセアセ。。。(T.T)



でも今のワタシがすべきこと、

これは今に集中して、

治療や、

リハビリをすること。

それだけ。


うむ。

焦らず焦らず。

淡々と。

機械的にー。


おわり

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Vol.513 流して、いや、もう流されていこう




穏やかに、

生きたい。(笑)。

うむ。


・・・・・・・・・・・・


最近特に、イライラさせられることばっかなんすよ。

体調悪いのも相まってイライラ、

イライラ、

イライラ。


嫌みをタラタラ、

完全にモンスターDQNペイシェントになってます。(笑)

それでどんな状況か察して下さい。(笑)


まぁ半年も入院して、一進一退、

先が見えない中では仕方ないと、

自分をフォローしてみますが、疲れましたわ。。。( -_-)


客観的に判断して、どう考えても、ワタシが間違っているとは思えないことばかりなのでストレスFULLmaxです。


細かくあげるとキリないので、辞めておきますけど。。。

あ、

Twitterでは結構吐いてますが。(^^;)



そこで、

ワタシ決意しました!


もう気にしないことにする、

これが、当たり前だと!


全てを受け流していく、

いや、

というか、

もう諦めて、

呆れて、

流されてしまえー、

って感じで入院生活を送りたいと思います。(笑)


自分だけなんかストレス貯めてバカバカしくなった。

性格は簡単に変わらんけれどね。

うーん、

皆さんどうしてますか、こういう時?(笑)

って答えようないか。f^_^;


とにかく、

穏やかに、、、


はぁ、

穏やかに、

穏やかに、

淡々と、、、


意味不明記事すんません。m(_ _)m

自分の決意表明ってことでー。





ヒマワリ、

出てきました。

病室が明るくなった。

・・・

あっという間に夏になっちまうやん。。。(´д`)



おわり

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Vol.512 健康になる!という不健康




好きにするのが、

一番、

良い。


・・・・・・・・・・・


カラダは不思議です。

コントロール出来ない部分のが圧倒的に多いのです。



病気になった当時から、ワタシもご多分に洩れず、健康に興味をもったものです。

ガン患者に勧められている健康法の本や、
食事療法、メンタルの本など読みあさり、
野菜ジュースを毎日作って大量に飲んだり、玄米と野菜のみの生活にしたり、しました。。。笑。

かといって、カラダは思う通りには反応してくれないのです。


元々、ジャンクな食べものが大好きですが、玄米や野菜も、好きなので、健康の為、というよりは、好きなので、カラダによいものを食べてることもありますけどね。

入院中は別として玄米と野菜はよく食べます。

それと、肉より、魚を食ってるし。

好きなものとして、食べます。


それで、

いいのだと思います。



世の中には、食事なんて気にせず、好きなものを好きなだけ、飲み食いして、ブクブク太って、長生きしている人は沢山いる訳です。

反面、健康に気を使っているのにも関わらず、病気になって早死にする人もいる訳です。


それが不公平だ、なんて言う気はさらさら無くて、結局、好き勝手生きてる方がストレスが少なくて、良いのだ、ということなのでしょうね。笑。


思えば、ワタシが、いわゆる、ガンの人が一度は通るであろう、玄米食や、大量野菜ジュース療法をしていた頃、、、

ネットやスーパーで有機野菜を買い漁って、ジューサーにかけて、、、

一日の時間を、ほぼそれで消費している感じで、かなりの重労働でした。

金も使いました。


母親にも、泥付きニンジンを、冷たい水で洗ってもらったりして、それはかなりストレスだったんですね。

そりゃ、いくらカラダに良いから、といって、精神的ストレスが増えてしまっては、良くなかった訳です。。。

家族にも、気を遣わした。

実際、ワタシはその間で腫瘍大きくなって、MG発症したりしましたから。



入院中の今、ワタシは、食べ物や、酒のことばっかり頭から離れませんわ。

暴飲暴食したくて、仕方ない。
※といっても、いざ退院すると、そうでもなくなるんですけどね。


ラーメンや、ジャンクなものばかり毎日食べて、酒も散々飲み歩いている人のブログとか見て、涎垂らしてます。

そんな人々は、皆健康ですよ。

健康だから、そんなことできる、ってこともあるけど。


そういう人は、

健康になろう!と、

してないから健康なんです。

うらやましいです。


ワタシは今は、カラダに気を使っていないことはなく、まだまだ人一倍気を使っている方だと思います。

食材や栄養やカラダの知識も人より富だと思います。


でも、あくまで、それは、好きなこととしてやりたいと思うし、好きです。

最近、東洋医学や漢方に興味が出てきた。笑。


でも、それに飽きたら、

ストレスを感じたら、

ラーメン食って、アイス食って、ポテチ食って、昼から焼酎飲んで、マックで生○ミのようなハンバーガー食うんです。笑。


そんな風でいいのかな~と。

後悔しない、

生活をしたいです。



あと、

傍若無人な食生活をしてる人に言いたいのですが、笑、

やはり、病気には、いずれなりますよ?笑。


ワタシは、病気になった当初は、人にも、

気をつけなよ、

健康大事よ、

病気大変よ!

と、布教のようなことを、言ってきたものです。


今はそんなことは人に言いません。

勝手にするのが、一番だと。。。


どうせ、人間最後には、酒も飲めなくなるし、好きなものも食べれなくなるんだから、今は好きにしとけばいいよ!、ははは!

って言います。笑。


会社を辞める時、当時の先輩方や上司に、それまで何も考えていなかったのに、近年の健康ブームに乗って、最近ウォーキングやダイエットはじめた!なんて人いましたが、そんな人に、

そんなことしても、どうせ最後に病気になりますから、今は好き勝手した方がいいですよ?

とか言うと、目を丸くしてました。笑。

病気のワタシが言うと説得力あるのでしょう。



他の人には、後悔しないようして欲しいですね。

好き勝手飲み食いして、タバコもプカプカ吸うのであれば、明日、ガンって言われても、堂々として欲しいですわ。


そこでクヨクヨ、

なんでガンになっちまうんだ~、

なんて嘆いているオッサンが一番ダサいんですよ。笑。



ふぅー

って、

結局なんか愚痴になってしまったなこの記事は。(^。^;)

ワタシはうらやましいんだわ、きっと、毎日マックとカレーとラーメンととんかつと酒で暮らしてる人が。笑。

油ギッシュでデブでも長生きしているオッサンが羨ましいんだわ。。。笑。

朝からすんません。。。



おわり

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Vol.509 死へ、向かうのか、待つのか?




大袈裟なこといっているが、大した話しではありませぬ。笑。


死へ、

向かうのか?

待つのか?


・・・・・・・・・・・・・


死ぬの、怖いですか?

皆さんは?


答え、

出ないですし、その必要は無いかもだし。


ワタシは、死にかけたこと、あるんですけど、

というか、

周りの人が言うには、一度死んだんですけど、※死の淵シリーズ参照。

怖い、

って感情は、無かった気がします。


ただ、

苦しい、

痛い、

のが、すげー嫌だった。


死にかけたとき、呼吸できなくて、苦しくて、

本気で、

死んでいい!

そう思ったものです。


だから、死ぬのが、怖い、っていうのは、あまり今も思わなくて、

ただ、死ぬときは、苦しまず、

楽に逝きたい、って思います。

贅沢なんですけどね、それって。


別途また書きますが、

腎臓、肝臓はじめ、貧血で血液の状態が、最悪であったり、今ワタシはこんなブログを書く余裕はありながらも、なかなか弱っております。


改めて、

自分の死を意識出来ている気がします。


それが、怖い、とかは思いません。

もちろん、だからといって、今死ぬのはまだ嫌なので、

やるべきこと、

やりたいこと、

これらをどんどん片づけていくしか、ないと思われます。


死を、

怖い、

怖い、

嫌だ、

嫌だ、

と、目を背けて、

背中を向けていても、

時間によって強制的に前に流されるのが人生であります。

だとしたら、死ぬことを当たり前と捉えて、それまでにどう生きるかをテツガクせないかんと思われます。


死を待つのではなく、

死に向かって、生きる。

死ぬために、生きる。

・・・言うなれば、そんな感じ。

そんな表現しか、今のワタシには出来ない。。。(*_*)


病院に居ては、出来ないことばかりだから、

まずはワタシは退院するために、できることを、日々淡々とこなすだけ。


やるっきゃないねぇ。

とりあえずはリハビリなんです、やれることは。

内臓や、血液のことは、先生方に任せるしかない。


無理はせず、

焦らず、

淡々と。。。


・・・・・・・・・・・


っていう感じで。

前回の記事では、モチベ0と、書いたけど、今は、2くらいになったかな。笑。

ふぅ~


おわり

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Vol.507 寝てる時は幸せである


夜が長いわ。



寝てる時は幸せである。

・・・


寝てる時は無意識なので、幸せを感じる、云々の話は本末転倒かと思う。

でも、寝てる時の、無、の感じが心地よくて仕方ないと、起きている今感じます



ってことは、

起きている今この時間のワタシが、その反対、つまり、『幸せではない』と感じているのでしょう。


もちろん、起きている時間に幸せを感じることも沢山あるわけです。

そうあるべきで。

その為に生きている、というべきで。


ただ、

今ワタシは辛いんでしょう。

疲れました。。。


いや、体調相当悪い時期も長くあって、多少元気になってきた今、自分が幸せになれそうなことを沢山想像できる余裕が出てきたんですね。

だからこそ、その反動で不安なども同じくらいでてくるわけです。


10の感情を持つには、

常にマイナス10の感情を抱えるリスクを負う、

というのが、ワタシの今のところの持論であります。



幸せになりたい、

でも無理かもしれない、


その2つの感情が入り混じって、疲れるんです、多分。

だからこそ、何も考えることはない、寝ている時間が幸せなんだ、と思うのでしょう。


沢山ねたいのです。

沢山寝て、心をやすませたいです。


例のごとく、皮膚が破壊されてるワタシは、痒くて痒くてね、あと前立腺弱く頻尿もあるので、今は、大体1時間~2時間で目覚めてしまうのです。

それでも以前、不眠で悩んで睡眠薬を片っ端から飲んでいた時期よりは、トータルで寝れているし、昼寝もしてるので、体力はなんとか、大丈夫ではあります。


でも如何せん、そうなると、夜が長くてね、、、

ああ、よく寝たな、と思ってもう4時くらいかな?

と思っても、

げ、まだ1時かいー(´Д`)

とか、そんなんばっか。笑。


目覚めると、将来への期待と、このまま退院できないのでは、という不安が心の片隅に湧いてくるので、嫌なんです。。。(;´Д`


いっそのこと、

目覚めなければ、

それはそれで幸せかもな。


そんなことすら思います。


なんか、ビジュアル系バンドの人の歌詞みたい記事になったな。(笑)



明けなくて良い夜があればあったで良いのですけど。


いやいや。


うむ。



頑張って、

起きている時間を、

幸せにしよう。



それにしても、

寝てる時は幸せである。



おわり

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Vol.502 常作病想




こないだ、喰った。

ふつうのレトルトカレーでした。(笑)


タイトルの言葉は、

「ビョウソウヲ、ナス」

貝原益軒の養生訓の中で紹介されてる古語です。


意味するところは、

「健康な時ほど、病の時を想って、節制しろ。」

みたいな話。


先日も書いたんですけどこれはとても難しいです。

死にかけたワタシでも、たった1年、元気を保ったくらいで病の時を忘れた部分があります。

元気であれば、欲望は尽きませんね。


儒教の解くような完全な優等生になろうとはさらさら思いませんが、今回入院して苦しかったことを生かして、退院できたら自分なりの養生道をこれからも追及したいと思います。


元気な時こそ病の時を想うとして、じゃあ病の時はどうか?

同じく養生訓には、

「病になったら、焦らずもう自然に任せろ。」

みたいに書いてあります。


そうですね。

要するに、

「今」出来ることに集中しろ。

ってことだと解釈してます。


少し元気に回復してくると、油断することがあります。

欲も出て焦って無理したがる気持ちも出てきてしまいます。

・・・

そこをなんとか抑えて、日々出来ることをやっていきたいと思います。

淡々と、自然に任せて・・・


リハビリを頑張ります。

それが「今」出来ること。

ふぅ~



おわり

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Vol.500 500回 & 5年、生きること、死なないこと




これ、ちょーうまい。。。炭酸水。。。

1日2本はいっとるな、、、(^。^;)


ワタシの始めの病気であり、今に至るまでの全ての根元たる胸腺腫ステージ4Aの確定診断を受けたのが、2009年の春でした。

この春で、5年経ちます。


よく腫瘍の世界では5年生存率という言葉を使いますね。

当時の胸腺腫ステージ4Aの5年生存率の一般論は3~4割らしかったので、ワタシはよく生き残った方なのでしょう。

まぁ、この生存率はあんま当てにならんし、気にもしてなかったですけどね。


でもまぁ5年、よく闘病したと思います。

家族にも、本当に面倒かけてきました。

語りつくせない事が多すぎます。


5年生き延びた、

やったー!

もう大丈夫!!とか、

そういう感覚は無いです。


今現在入院中、ということもあるとは思うけど、確実に死が近づいてきている感覚のが強いです。

入院中に5年の節目を意識したことが、逆に終わりを意識する良いキッカケになっているかもしれません。


このブログでも何回か書いた気がしますが、死を意識することは、やはり必要だと思います。


今は入院中ながらも、多少元気になってきて、あれこれと、やりたいことの欲求も出て来ました。

でも、命がいつまでも続くとは決して思ってはいけないですね。


2012年の夏に死にかけて、というか、一度死んだ後、かなり強く死を意識して、エンディングノートなどを作りました。

家族に、なるべく面倒かけないよう、出来る限り身辺を纏めたりもしました。


しかし、その後1年程は体調もよくて、そうなると、どうしても死を意識しなくなり、そういった作業のアップデートをサボっていた部分があります。

慣れちゃうんですね、あれだけ壮絶な経験をしたのに、それでも元に戻れば、忘れてしまう。。。

自分の命が、さもこのまま永遠に続く、というか、死を意識出来なくなります。


それで今回、また体調崩して入院して、弱っていく自分を感じる中で、改めて死を意識出来ている気がします。


退院したら、再度、自分に残された時間で何をしたいか?

するべきか?

改めてテツガクをアップデートしていきたいと思っています。


「死なない時間」をいたずらに過ごすのではなく、
しっかりと終わりまで「生きよう」というのが、理想であります。


といいつつ、

まぁ、まずは退院してからですけどね、入院中にアタマに負荷かけるのも面倒ですからねぇ (笑)

退院できたら、しばらくはボケーッとするだろうけど。(笑)


まぁまぁ、

さてさて、

500記事書いたのも、少なからずこんなブログを見てくれている方がいるからです。

本当にありがとうございます。

1000回目指して頑張りますから、これからも御贔屓に~


明日から4月、新年度、ってことで少し頑張って真面目に書きました!

タイミングよく500回目になったし!


おわり

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Vol.450 キツい夏でした



死 → 生 っていう方向 


いやいや~、

今年の夏は色々キツかったな~。

もちろん、

断片的に楽しいことも沢山あったんですけどね、全体の印象だと、どうしてもキツイと言わざるを得なかった。

暑かったし。


去年の夏に死にかけて、なんとかこの1年、生き延びて、

「今年こそは夏を満喫したい!」

と息巻いていたら・・・カラダに色んなことが起きてしまい・・・


合間には母親の手術があったり・・・

そして極めつけ、

先日母方の祖母が死にました・・・

ありゃりゃ・・・


ワタシ、というよりも、母親にとって非常に大変な夏になっちゃいました・・・><

・・・ちょっと可哀想です。

夏も終わるし、もうこれ以上大変なことは何も無ければ良いのだが・・・



祖母が死んで、周りの色んな人が、色んなことを言っている中で、

ワタシも死について色々考えたりしています。


「生きたように、死んでいく。」

・・・誰が言ったか知らないけど、良く聞かれるセリフです。

「死ぬために、生きる。」

とも言えるでしょうか。



・・・・・・・・

「生きるために、死ぬ。」

逆説的になりますが、今はこういう言い方がワタシにはしっくりくる。



死ぬことは絶対に必要なんです、絶対。

自分でもそう思った理由をまだ分かっていないけど、祖母が死んだというのを聞いた時、なんかそう思った。


死を覚悟して、受け入れるからこそ、

今この瞬間を生きられるのだと・・・

今はそう思います。


はあ~

カラダが痒い・・・


おわり

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Vol.438 理由は、どこかに、ある



絶対何か起きてる


この夏は節目でした。

死の淵の一件から丁度1年。

最後の胸腺腫の放射線治療からは半年。

・・・何事もなければ、いよいよステロイド減量にチャレンジ、ということになっていました。


ところがどすこい、

精巣腫瘍、

ジベル薔薇~、

そして何故か「抗アセチルコリンレセプター抗体の陰性化」、それに伴いまた何かワタシの身体について転機がありそうな気がしている、、、


何かワタシの身体に変化が起きています、絶対。

病気にそもそもなったこと含め、ワタシのカラダのこれまでの変化にはいかなる理由があるのでしょうか?


病気になった当初は、いろいろ理由を考えたものです。

1年前の心臓の時もCCUで寝ながら色々なことを考えたものです。


でも分かるはずの無いものをグダグダと考えるよりも、今出来ることをしなければ、という思いで最近は心を落ち着けていました。

しかし、こういう色々考えさせられるタイミングで、色々起こると、どうしても考えてしまうもので。

はぁ~・・・



「・・・自然は飛躍しない・・・」

っていうのはダーウィン先輩のテツガクであります。

人間がもはや自然と言えるかどうかは微妙だし、趣旨は少し違うかもしれませんが、ワタシの病気や、ここ最近のカラダの変化には必ず理由があるはずです。

それこそ進化論ではないのですが、元を辿り、突き詰めていくと、たった一つの理由に行きあたる気がするんです。


それがワタシの精神や生活習慣に起因するものなのか、周りの環境の影響なのか、ワタシの先祖に原因がある等の遺伝的なものなのか?

それとも、そういったものとはまったく違う、例えば神様的な何かの力が突発的にワタシに変化をもたらしたのか?

・・・

まったくもって分かりません。

でも、何か必ず一つの原因、そしてその原因には何かしらの理由があるはずです。


かと言ってワタシにはどうにも出来ないし、ワタシが生きて居る間にそれが分かることは無いでしょう。

結局、理由や原因をあれこれ考えるよりも、自分本来の「今とこれからの」人生に集中すべき、という、これまで思ってきたことは正しいと思うし、そうすべきなんです。

でも気になります・・・

はぁ~・・・



「・・・我々が知っていることは、ほんの一部に過ぎない・・・」

ダーウィン先輩はそのようなことも繰り返し言っていました。


知ることは出来ないだろうけど、必ずそこに何かがある、、、

「もどかしい」、という気もしますが、

とうてい我々が辿りつくことは出来ないだろう、という意味で宇宙にも似た恍惚な「ロマン」も感じますし、

決して知ってはいけない、という、何かスピリチュアル的な「何か」も感じます。


不思議であります。

カオスです。


自分でも意味不明ですが・・・

とりあえず今思ったことを書き殴っておいた、ってことで。笑。


おわり

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Vol.430 精巣腫瘍になった、ということで気持ちを整理



またしても無です、む。


先月、あっさりと精巣腫瘍となり、あっという間に手術まで終わりました。

来週に手術で摘出した病理の結果を告げられるので、以後、治療や見通しなどが決まってくると思います。

・・・ここまで、かなり早い展開でバタバタと来てしまったので、一旦気持ちを整理したいと思いました。


・・・整理したい、と思ったはいいのですが・・・

なんか・・・気持ちが何も無い、無なんですよ、無。

それなのに、何故、整理したい、と思ったのか、それも良く分からず・・・

(※考えてみると、今までも幾度となくこういう状態になっている気がする・・・このブログにも書いた気もするけど・・・たまにこの、無がやって来ます・・・)


精巣腫瘍、と分かってから、この1ヶ月はずっとそうなんですが、特に怖い、とか不安、さえも感じないんです。

といっても、もちろん嬉しいとか、期待している、とか、プラスの感情も特に無く、本当に無です。

精巣腫瘍は寛解することも多いが、転移しやすい腫瘍ということで、いずれ死に至ることもある、それなりに厄介な病気なのでしょうが、特に今、不安とか恐怖だ、ということが無いんですよね・・・


不安を感じないように、本当は怖いので、逃げているのかな?・・・

・・・とも思ったんですが、そういう感じでも無いんです。


なんてことを考えているうちに、思い出した名言があります。

「恐れは無知から生ずる」

っていう、アメリカ人哲学者、エマーソン先輩の言葉です。


ワタシはそれは本当だと思います。

知らないことや、分からないことがあるからこそ、それが恐れに繋がる、

・・・思えばそんな経験をしたことはワタシにもいくらでもあります。


逆に、それが正しいならば、「知れば恐れは無くなる」ってことも言えると思います。

(無くならずとも、限りなく0に近づけることは出来ると思うのです。)


精巣腫瘍について、ワタシは「知った」から「恐れ」が無くなったのでしょうか?

・・・いやいや、

精巣腫瘍について多少はググりましたが、果たしてその程度で恐れをなくせるほど「知れた」訳では無いと思うのです。

逆に、こういった病気の類は知れば知るほど恐れが増す場合の方が多いのではとも思います。

でも、恐れも何も無いのです。


何故だろうか?

恐れや不安を感じない、この「無」は何なのか?

・・・・・・

無、の理由も無、なのかもしれませんが(笑)、それでは終わってしまうので、ここは少し頑張って考えてみたいと思いまして。


・・・・・・・・・・

やはり、理由を求めるなら、これまでの闘病経験がもたらした、「死への意識」ということに鍵があるのだと思われるのです。

ちょっと前の記事でも書いたのですが、「死の受容」とも関係するのかもしれません。


精巣腫瘍も、他の病気も、そんなものは言わば、食材や調味料に過ぎないのだと思うのです。

人によっていろいろな食材や調味料を使って、完成する料理は人それぞれです。

しかし、料理の目的、というか、その行き着く先は、かならずどんな料理においても、それは「食べる為」つまり「消えて無くなる=死ぬ」ってことなのだと思うのです。
(強引かつ拙い例えで申し訳ないが・・・笑。)


精巣腫瘍になっても、ワタシの人生の終末は「死」であって、その人生の本質は何ら変わらないのです。

つまり、ワタシは、心の中で、無意識的に、精巣腫瘍の「正体」を、他の病気と同じく、「死」ということで結論付けて「知った」ことにしている・・・

いや、

それもあるとは思いますが、むしろ精巣腫瘍を知った所でワタシの人生に何ら変わりは無いと思っていて、故に、

「精巣腫瘍について知る必要がそもそもない」

っていう感じの方が近い気がします。


エマーソン先輩の言葉に戻るのですが、

「恐れは無知から生ずる」

のであれば、無知ということすら自分が認識していなければ、つまり、

「無知というモノが存在しなければ、そもそも恐れは存在し得ない」

ということになるのではなかろうか?・・・


例えば、赤ちゃんは、初めて見た刃物や火や動物を怖がらないでしょう。

また、生まれつき大病を患っている赤ちゃんも、それを怖がることは無いでしょう。

それって、それらについて「無知」「無知ではない」という以前の問題で、そもそも赤ちゃんには「恐れ」も「無知」も存在しない、ということなのです。

なんか、今のワタシも、そのように、「恐れ」も「無知」も存在しない、そんな「赤ちゃん」に近い気もするのです・・・



「恐れ」というのが、マイナスの感情であるとするならば、今のワタシは別にプラスの感情(希望、期待とかかな?)も湧いてきません。

結局、精巣腫瘍になったことで、マイナスの感情も、プラスの感情も、特に湧いてこなかった、ということなんですよね。


いや、めんどくせ~な~、とは思ってますから、笑、マイナスの感情が無いと言えば嘘になるかもしれません。

カラダにまた傷が増えて、タマも一つ失ったし、抗がん剤はやりたくないし。笑。

逆に、精巣腫瘍の経験を追加することで、またタフになれるし、何か新たなテツガクを得られるかもしれない、というプラスの感情も無くは無いですが。

でも、この両者、いずれにしても、それほど大きい感情ではなく、なんとなくそういうこともあるかな~、くらいで、消えて無くなりそうなレベルの感情ですね。


確かにこれから精巣腫瘍の治療が始まってしまえば、またやることが新たに増えて、回り道をしなきゃいけなくなりますが、ワタシの人生で「やるべきこと」をやって、そして「死ぬ」っていう本質は何ら変わっていません。

引き続き「淡々と」ってことに尽きますかね?

毎日いつも通り暮らして、明日ラーメンが食べたいなら、食べればいいのです。

(なんじゃそれ。笑。・・・実は昨日夜中ラーメン行ってしまったのである。自己嫌悪に苛まれているのである。。。)



プラスもマイナスも無い状態・・・無、っていう、この感じ。

このブログの初回記事にて、ワタシは人生観を、大きく、しっかりした「樹」のように育て上げたい、みたいなことを書いたんです。

こないだラピュタやってましたが、ラピュタのあのブロッコリーみたいな大木ですね、根が凄くて、でっかい感じの、樹齢何万年、みたいな樹です。


でも、最近の、この無、って感じ・・・

これが人生観なのかどうかは分からないけど、なんだか、育ちつつあった樹が、消えて無くなって、辺りが砂漠のようになってしまった、って感じがします・・・


でも、

それが悪いことだ、とか、残念だ、っていう感じでは無いんですよ。

むしろ、なんか、すっきりした、というか、その砂漠に心地良い気分すら感じていて、むしろ、このまま砂漠にしておきたい・・・

なんか、そんな感じです。


上記、このブログの初回記事を書いた当初、ワタシは、ワタシを揺さぶる事実や感情の起伏を「風」に例えました。

そもそも「樹」が無ければ、風に折れられる心配など無いのです。

だから気分が良いのだと思います。


風が吹くことで、砂漠の砂がお互い更に細かく削られ、なめらかになって、ますます風と一体に舞うようになって、最終的には煙のように、本当に無に近い状態になる・・・

つまり、

人生観を無くしていく、それこそが人生観、

巧く表現できないんですが、そんな感じになっていくイメージが今あるんです。


この、プラスにも、マイナスでもでもない、このフラットな無になっていくこの感じ・・・

これが中庸だとかメソテスを実践出来ているっていう状態なのだろうか?

う~ん、なんか、それすらも無い、いわゆる「絶対無」とか、仏教の「空」って感じに近いのだろうか?・・・


・・・・・・

分からないけど、なんとなくそんなイメージに近づいている気がするのです。

自分でも良く分かってないので、なんとか引き続き、このワタシの「無」を解明する手がかりを見つけるべくテツガクを続けて行きたいと、そう思ったのであります。


おわり

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Vol.371 死の疑似体験 → 闘病記を「書く」行為と「読む」行為の意味は?



死の道程・・・


このブログは書き始めて1年。

それより前、病気を宣告されてからは人の書いた闘病記(今は書籍よりブログのが多い)を読んで来ました。

この闘病記を「書く」ということと、他人のそれを「読む」という行為に関して、自分が果たして「何故そうしているのか?」・・・これについてワタシは以前より「何か心にモヤモヤしたもの」を感じておりました。


ブログの初回記事(→Vol.1 ブログの必要性をテツガク。)にて、ブログを「書く」行為の趣旨として「自分のアタマの整理」と「色んな方との情報交換(励まし合いや傷舐めあい含む。)」と述べましたが、その2つの気持ちは今ももちろん変わってはいません。

しかし、その2つだけでは説明できない、何か混沌としたそれ以外の気持ちがワタシの中に存在することには当初から気づいており、その混沌としたモヤモヤは、今に至るまで日増しに大きくなって来ている気がするのです。

そして同様、人の書いた闘病記を「読む」という行為についても、病気それ自体の情報収集、情報交換、病人としての心構えなどを学ぶ為、などという明確な目的は一つあるのですが、それ以外の目的、というか、何か自分の中で求めるモノが他にも何かあるような気がしていたんです。


このように、闘病記を「書く」と「読む」といった行為について、自分で理解している目的の他に、何か自分でも釈然としない、言語化できない、モヤモヤした気持ちがあって、それをいつしかはハッキリさせたい、と思っていました。

まあ別にそのモヤモヤはモヤモヤのままでも良いのですが、そのモヤモヤの正体を少しでも解明出来るのならば、それこそワタシの「読み・書き」の幅も広げられるかもしれないし、それはまたワタシの人生の更なる充実に繋がるかもしれない・・・なんて、そう思っています。


そんな中・・・

前回記事で何気なく書店に行って本を数冊衝動買いした、と書いたんですが、こんな本も。


闘病記専門書店の店主が、がんになって考えたこと

タイトルが目に留まり、パラパラ立ち読みして見ると、著者の男性は奥様に乳がんで先立たれ、自身も近年、大腸がん(ステージ4)に冒される、という経験をされております。

そしてさらに、奥様を失くされて以後、自身が大腸がんになる以前から今現在に至るまで、がんに限らず闘病記を専門に扱う書店をやっている、とのことです。

なるほど、かなりのタフなご経験をもとに、数千冊の闘病記を集めて目を通し、自身のがん闘病記を今まさにここに書く、という「読み・書き」をされているとのことですから、上に書いたワタシのこのモヤモヤを、この方であればきっと言語化してワタシに対してヒントを与えてくれるに違いない!・・・と期待してこの本を手に取りました。


こういった活動をされている方が居たんだ・・・という驚きと共に、随所に表現された著者のテツガクにはやはり圧倒されました。

最愛の人に先立たれる、という、もっとも恐ろしいと思われる体験をしてもなお、奥様と、今まさに自分を冒している「がん」から目を背けず、その体験を更に世間の人々の役に立てようとされている姿勢には、ただただ敬服するしかありませんでした。

期待した通り、ワタシのモヤモヤをまさに言語化してくれていた箇所もいくつかありました。

◇◆◇◆

まず、著者が大きく影響を受けた、としている柳田邦男の本の一文が紹介されていました。

(以下引用)
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
作家・柳田邦男氏は~中略~「闘病者が書くという行為には次のような意味がある」と分析~
1、苦悩の癒し
2、肉親や友人へのメッセージ
3、死の受容への道程としての自分史への旅
4、自分が生きたことの証の確認
5、同じ闘病者への助言と医療界への要望
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

ワタシもこれを見て「むむーなるほど~」と唸ってしまいました。

この柳田邦男の本は今まさに注文している所で、この5つの詳細をワタシは述べられないのですが、特に「3、死の受容への道程としての自分史への旅」という言葉にワタシは引っかかりました。


ワタシはまだ死の受容とは程遠い位置にいるのかもしれないけれども、それに少しでも近づきたいと日々考えています。

何故かというと、このブログでも何度か書いた気がしますが、「死を受け入れること、それは何より生きることを充実させることに繋がるだろう」という「直観ではあるけれども確信」がワタシにはあるからです。
(※今はまだ直観でしかないけど、死を受容することが何故生の充実に繋がるのか?、その論理関係もいずれ言語化したいが・・・)


1年前のブログの初回記事に「・・・アタマを整理して・・・人生観を確立したい・・・」と書いたのですが、それは柳田邦男さんの言葉を借りて言うと、
「生を充実させる為の一つの手段としての『死の受容』を実現すべくアタマを整理し、その整理の為にも、その道程を文章に表現しておきたい・・」
というような欲求がワタシにある、ということになるのでしょう。

この「死の受容」こそ、ワタシが「書く」ことで追い求めようとしている「人生観」の理想形なのかもしれません・・・

◇◆◇◆

また、人の闘病記を「読む」ことの意味について。

これについても、ワタシのモヤモヤと混沌した気持ちをとても絶妙に言語化してくれている部分がありました。

(以下引用)
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
死が忌むべきものとして神経質に排除されてきた世の中だからこそ、死がもてあそばれるのではないだろうか。
私は、「闘病記は人間の死を正しく疑似体験するツール」でもあると考えている。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

闘病記、特にがんの闘病記は、書いた人間の死生観が表現されていることが多い、ということで、著者は大量の闘病記を集めるうちに、同時に死生観に関する本の収集もするようになった、ということです。

ワタシも病人の方のTwitterをフォローしたり、ブログを読んだりしていますが、その中で亡くなっていく方が多くいらっしゃいます。

ワタシもがんや、闘病に関して、決して無知では無いので、読んでいれば当然、「ああ~、この方は間もなく亡くなってしまうのだろうな・・・」と、分かるものです。

決してその方々の死を望んでいる訳では無いのですが、人は遅かれ早かれ死ぬ、という意味合いにおいて、その方がいずれ死ぬことは分かります。


そんな闘病記を書いておられる人には、命尽きるまでそれを記録してもらいたいな、という勝手な気持ちがワタシにはあります。
(※当然ワタシも頭と指が働く限りはこのブログを続けたい。)

その勝手な気持ちこそ、モヤモヤした混沌とした気持ちの正体だと思うのですが、これは一体どういうことなのだろう・・・?


これも「死の受容の実現」への欲求と同じなのだと思いました。

亡くなってしまった方の闘病記はまさに「死への道程」です。

ワタシはきっと、闘病記を書いておられる方の「死んでいく有様」を見て、「その人も死ぬ=ワタシも死ぬ」ということを、自分で理解しようとしているのだと思います。

◇◆◇◆

ワタシはこのブログを「書く」ことで死の受容を目指していて、人の闘病記を「読む」ことでもまた、自分の死を受容しようとしているのかもしれません。

ワタシのこのブログも、ワタシが読んでいる人の書いた闘病記も、ワタシにとっては共に「死を疑似体験するツール」なんだと思います。

誤解されると怖いので再度言わせて頂くのですが、決してワタシがネット上で絡ませてもらっている病人の方々の死を望んでいる訳では決してありませんから、笑。

生きて欲しい、死んで欲しい、というよりも、その方々それぞれが「望む人生」を、それぞれの形で全うしてくれれば良いなと、そう思っているだけであります。


ってな訳で、

そもそも柳田邦男さんに言わせる所の「死の受容」と言っても、それが果たして必要なのかどうなのか?・・・

ワタシは何故、死の受容は生の充実に繋がると思っているのだろうか?

何故それを解明したいのだろうか?・・・


そんなもの考えない方がラクなのは分かっているのだけど・・・

葛藤の中でテツガクはまだまだ続きますどこまでも・・・

モヤモヤは次から次へと現れる・・・

疲れるね、まったくめんどい。笑。


今回上に挙げた本も前回のモノ同様読み易いので是非チェケラしてみて下さい。


おわり

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Vol.370 医療の進化は退化なのか?



放置プレイですか・・・


本を買う時は、たまにブックオフに行って105円の文庫小説を物色する他は、もっぱらアマゾンなどで欲しい本をピンポイントで買います。

でも、たまに目的も無く本屋に行くのもいいものであります。

自分が普段、あまり興味を示さない分野の本なども目に留まりますからね、新たな発見や、教養が広がる、、的な。

つまり、衝動買いをしてしまう、ということであります。笑。

そんな中で最近本屋に行って衝動買いしてしまった中の一冊。
※この日は5000円くらい使っちまった・・・無職のくせに・・・(>。<)



医者に殺されない47の心得 医療と薬を遠ざけて、元気に、長生きする方法

まあ普段から興味ある分野といえばそうですけどね、これはw

タイトルに吊られて買ってしまいましたわ・・・売れてるらしい。


著者はいわゆる現代の医療のあり方に否定的な意見を持っているようで、ガンに関しても今の標準治療とされるものには否定的なようです。

そしてその他の代替療法や食事療法などにも否定的で、結局ガンに限らず病気は全て放っておけ、的な意見を持っているようですね。

まあ他にも見かけますね、この手のタイプの医者を。


ここで本の内容は詳しく書きませんが、書かれていることは、「まあ、そうなんだろうけど。」って感じです。

だからと言って、じゃあワタシも病気を放置するか、というと、それはまた別な話。

特定の患者に対して、じゃあどうするべきか?という、その答えを与えてくれるような本では決してありませんけど。


似たような話になるかは分かりませんが、先日、NHKスペシャルにて、在宅での死(看取り)を取り上げていました。 
→家で親を看取(みと)る その時あなたは 


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


科学や医療の進歩は目覚ましいものがあります。


でも、それが果たして本当に我々の幸福に繋がるのでしょうか?


抗がん剤も進歩すれば寿命が1年延びるかもしれない。

抗がん剤をしなければ、寿命は2年延びるかもしれないし、半年になるかもしれません。


1日のほとんどを、常に鈍く続く吐き気に襲われながら、諸々の副作用に苦しみながら、病院で1年生きるのか?

好きなモノ食べて、そこそこ元気に自宅で半年を生きるのか?


いったいいかにすべきか?

答えを確かめる術など有りはしません。


がしかし、そういった「寿命を延ばす」といったような医療の進歩が、本当は我々の人間らしさや、本来あるべきはずの幸せを、知らず知らずのうちに奪っているものだとしたら・・・


それはまさに医療の、というか、人類の退化と言えるのではなかろうか?

文明が進歩しすぎたラピュタが滅びた、みたいな話ですよ。


例えば人間が200歳まで生きられるほどに科学と医療が進化したのなら?

それは人間の幸せと言えるのか?

人間の発展とは、一人の人間がより長く生きること、そしてその個体の数を増やすことなのでしょうか・・・?

知らず知らず、我々は退化の道をひたすら進んでるのかもしれません。


上の本の著者は、直接は書いていませんが、
「ガンは治らない、ガンになったら死を覚悟して、それまでの間をより人間らしく生活すべき」
というような考えを持っているように見受けられました。

概ね、そういった考え方にはワタシは賛同です。
(※しかし実際にガンになってみると、その覚悟を持つことは非常に難しいことだと分かるのですが。)


これは一つ、ガンに限った話では無いでしょうが、我々が病気と関わる上で、この著者のような考え方は今後のスタンダードになる可能性は十分にあると思います。

著者が主張する「がん放置療法」が、今後の標準治療になるかもしれませんし、逆にガンを完全に完治させる技術がそれより早く開発されるかもしれないし・・・

どちらにしても、数十年、百年単位の未来の話でしょう。

ワタシはこの世に居ないでしょうけどね。

いろいろ考えさせられます。



・・・いやいや、

そんなことより、、

この人は慶応の先生なんですねえ。


医療も学問ですからね、研究やその発表には自由が与えられて然るべき、という大原則は分からなくは無いのです。

ワタシのようなアカデミックな世界に縁遠い人間が思うに、こういう活動をするのならせめて有名大学病院の医師という肩書は捨てるべきと思ってしまうんですけどね・・・?

だって、著者が批判する医療について、それに信念を持って取り組んで研究を日々している仲間の医者も慶応には沢山居るのだろうし、それを信頼して慶応を訪れる患者だって沢山居るはずですよ?

著者が批判する医療の更なる進化を願っている患者や国民も居れば、私立とはいえ、少なからずそれに対して税金も投入されているはずで、そしてその慶応の財布から著者も給料を得ているはずで・・・


大体こういう「アンチ現代医療」的な活動する医者って、大病院を去って自分で開業してたり、自由の利く地方の小さな病院に居たりするイメージなのだが・・・

日本の医学をリードしていくべき天下の慶應に居ながらにして、これほどのことを書いてしまうなんてね。

おそらく、著者的には、自分の主張に少しでも説得力をつけるために、慶応の名前を利用している、だとか、そういった「あえてこれを慶応で」という意図があるのでしょうけどね。


慶応っていうのは寛大なんですね。

大学が全てそういうものなのだとしたら、それはそれで良いことなのかな?学問の自由、ということを鑑みると?

なんか、この本を見てて、内容云々よりも、そんなアカデミックな事情に興味が湧いてしまいましたw

本そのものは読み易いので、ご興味あれば是非チェケラッチョしてみて下さい。


おわり

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Vol.361 がん治療と仕事(会社員)の両立は不可能である(可能とする為には?)



人類補完せずに


最近、会社を辞めたのですが、その旨を先日書きました。

→ Vol.352 がん治療と仕事(会社員)の両立は不可能である(その理由)

ちょっと間が空いちまったんですけど、「じゃあどうしたらいいかなー」ってことをクドクド書いてみようと思います。



今現在、例えば、傷病手当金など収入を保障したりするものは制度としてあるものの、今のワタシのように、
「完全休養までは必要ないが、かといってフルタイムの完全勤務は治療と両立するには少し無理がある・・・」
というような、中間的病人(と仮に呼ぶことにして。)みたいな人間が、少しでも働き続けられる制度があればよかったと思います。


ワタシもしてもらっていたような時短措置もそうだけど、時短だけでは無く例えば週休3~4日とかにして時間的な柔軟性がもっとあればいいと思います。

そして何よりこれが大事だと思うのですが、そのシフトでこなせるような業務内容(対外的な仕事を減らして、アシスタント的な作業になると思うけど。)を工夫する必要があります。(※ワタシにはこれが無く、時短になっても仕事の量と内容は変わらなかった)

それに伴って柔軟な雇用形態(もちろん報酬も連動)も必要となるでしょう。

また、ITがこれだけ発展した昨今、在宅勤務をそこに絡ませることも難しくないはずです。


一方、前にも書いたんですけど、(→Vol.334 難病助成拡大と病人へのセーフティネット)
「そもそも病人が無理に働かなくてもいいようにする」為に、収入保障など行政の支援を手厚くする方向性もあるのかもしれません。

しかし今のご時世で社会保障の拡大は難しいし、少しでも働ける人には、やはり働いてもらった方が、その人にとっても、社会にとっても、そりゃ有益な訳で・・・(もちろん、少しも仕事をすることが困難である病人への支援は手厚くなることを望むけど。)

そういった「多様な制度」を実現するに当たって、ワタシは労働関係の法規は知らないけど、ここ数年、雇用に関する規制緩和というのが、かなり世間でも議論に登っているように、企業が柔軟な雇用形態を企画出来るようなフォローが進めばいいと思います。

この雇用に関する規制緩和は、「解雇しやすく」、みたいな形も含まれているはずだけど、多くの企業が柔軟で多様な雇用形態を持っていれば、再就職もし易くなるはずなので、全体的に見て雇用の流動化の促進に繋がればいいと思います。

こういった雇用を促進する規制緩和や政策は何より明るい将来に繋がる投資のはずですからね、社会保障費が大変なのは分かるが、将来の社会全体の成長の為にも、規制緩和と併せて行政には積極的な投資もしてもらいたいものです。



はたまた、

そういった制度があったとしても、それを運用する為には当然人は増やさないといけないでしょう。
(人を増やすなら雇用形態や制度を多様化しなければならないだろうし、逆にそれが多様化されれば人は増えると思うけど。)

また、例えば一部の会社では実施されているらしいんだけど、育児中などフルタイムで働けない社員が2人でチームを組んで仕事を行い、1人に何かあっても、もう1人がフォロー出来る、というようなリスク分散の制度があれば、フルタイムで働けない人も気兼ねなく働き易いと思います。

ワタシのが居た会社でも見られたけど、一人のマンパワーに依存している業務はいくらでもありました。

その人しか、その業務を知っている人がおらず、その人が抜けた途端業務が止まってしまう、というような場面はいくらでもありました。

その人がいつでも仕事を優先できる人間で、病気もしなければ大丈夫、ということなんですが、そうはいかない場合も当然あります。

企業からしてみてもリスクヘッジになって良いと思います。



そして、

何より一番大事なこと、こういった制度を実現して、そしてその運用を担保する為には、何よりも「多様な境遇の他者を理解し合う」というマインドを皆に醸成することが必要だと思います。(壮大な話になっちまいましたが。)


日本はこれまで製造業をメインに、戦後から急速な高度成長を果たしてきました。

豊富な若い労働力を新卒一括で大量採用し、終身雇用を前提に、欧米の仕組みも参考にしながら、一から教育して、その社員とともに企業も、そして日本も、揃って成長をしてきました。

社員も当然、朝から晩までフルタイムで働ける人間が前提でした。

企業もフルタイムで働いてくれて、ずっと貢献をしてくれることが約束された人間で無ければ、一から教育する、という大きなコストをかけられなかったと思います。

男は仕事を第一として企業戦士となり、女は専業主婦となり家庭を守りました。
(ワタシの両親も、団塊世代よりも少し若いけど、まあそんな感じです。)


今はもうこのような時代では無いのですが、まだまだ日本の社会には、こういう「男=フルタイムでバリバリ仕事、女=家庭第一」みたいな価値観は深く残っているし、システムもまだまだこのような価値観を元に構成されたものが残っています。

この価値観が社会を支配する限りは雇用の多様化は進まないと思います。

今はもう産業の構造も変わって高度成長の時代とは違い、先進国に限っては労働者の人口は減るばかりです。

古い価値観が悪い、ということではなくて、今の時代には馴染まないのでは?ということです。

これまでの価値観が支配する「新卒一括 → 男中心 → 終身雇用」というようなシステムでは、企業も社会のニーズにあった価値を生み出せなくなって成長しないだろうし、それは当然、雇用の多様化どころか、逆に雇用の減少となり、個人も生活出来無くなってしまうでしょう。


といっても、それを悲観しても仕方ないので、こういった多様な境遇の他者を理解し合うという価値観を、企業も個人も自ら積極的に自家培養して、今までとは違う発想をして、雇用の多様化を含めた社会のニーズを捉える新しい価値を生み出す努力をしていくしか無いと思います。

論理は逆転してしまいますが、多様な境遇の人を企業が有意義に活用する為には、当然、雇用形態も多様化していないといけません。


ではどのようにして、「多様な境遇の他者を理解し合う」のか?

これは分かりません。

ワタシは病人になって、フルタイムで働けない、いろいろな制約が出来たので、同じような境遇の人を理解することが出来たと思います。

でも、病気にならなかったら、おそらく理解出来なかったかもしれません。


人と人とが完全に理解し合うことは不可能だし、その必要も無いのかもしれませんが、理解を出来なくとも、「否定はしない」ことが大事なのかもしれません。

お互い尊重し合う、歩みよる、妥協する、そんなイメージですかね?

やるべきことは大体皆わかっているはずですから、あとはやればいいだけなんですけどね。



企業や、健康な人に、こういった病人としての境遇をもう少し理解をしてもらいたい、という欲求はワタシにもあったりしますが、かと言って我儘を言うことは出来ません。

確かに、ダイバーシティというものを実現し、出来る限り多くの雇用を生み出すことは企業が果たすべき最大の社会的役割であるし、それなりのメリットもあると思うのですが、企業の本質はあくまでビジネスであり、それは常にライバルとの競争です。

我々病人も、病人だからと言ってダイバーシティのスローガンのもと実現される制度に対して、甘えていてはいけません。

我々も我々なりに、ただ企業や社会のお荷物となって甘えるだけでなく、当然、出来る範囲での貢献をして、何らかの価値を生み出すよう頑張らなければなりませんね。

それだけは忘れないようにしたいとワタシも思います。


ってか、この記事もなんだか社会への文句になってる気がするがw

まいっか。

残念ながら、これが今のワタシのクオリティだ。

これからも、こういった問題は考え続けることになるでしょうから、また何かいいことを思いついたら書いていきたいと思います。


おわり

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Vol.357 情報に流されないように



川の流れのように


今日の日経の記事で、

「~~今後、選挙活動でのネット使用解禁~~」

「~~安倍首相はフェイスブックをよくUPしている~~」

から始まり、かくかく、しかじか、

「~~情報の扱い方が重要になる~~」

といったような趣旨の記事がありました。


現在はまさに情報の洪水状態。

「誰でも(匿名・実名問わず)」

「どんなことでも(嘘・本当問わず)」

発信出来てしまいます。

(ちなみに、このブログに嘘は書いていない!と誓います。逆に書いていない本当のことももちろんありますが。・・・あ、書いていることでも大袈裟に盛っている場合はある。笑。)


今日の日経の記事の中でも、とある学者さんが、「~~ネット世論は極端な意見が多い~~」とコメントしていますが、ワタシも本当にそう思います。

情報の戦争が起きている中で目立とうとしたり、世論を誘導したい、などと思ったら、結局、

「ウケ狙いの極端な珍説」

で耳目を集めるしかないんだ、ということじゃないでしょうか?

(少数政党が、少しでも目立つ為に、政権を取れない、ということを自ら自覚しつつ、出来もしない極端な公約を掲げる、というのと同じかな?いや、違うか?笑。反対に政権を取るかもしれない政党は出来ないと困るので、その公約を曖昧に濁しておく、というのも困ったものだが、って脱線した。)


がん治療に限らず、病気・健康一般に関しても、まさに情報の洪水状態であります。

(※あ~、前にも同じようなことを書いてるな・・・ →Vol.111 ガンは巨大ビジネスだ

命がかかっている、というネタがネタだけに、我々患者も必死ですから、ついつい冷静さを失って情報に目を眩まされることはどうしてもありますよね。

特に病人を相手に「情報」を使って「ビジネス」をする連中は、その相手は命がかかる故に冷静さを失っている病人や、その家族だったりしますから、ビジネスしやすいんですよ。

情報でビジネスをしようと思ったら、多数派の人が知っているそれまでの常識では有り得なかった「極端な説」を掲げるしか無いのです。

誰もが知っている情報ではビジネスになりませんから。

そのビジネスになっている、エビデンスの無い情報には気を付けないといけませんね。

(例えば、肉を食え!いや、食うな!といったような、共に極端な珍説。笑。)


それが良い、悪い、と言ってもしょうがないです。

我々はそいう連中に真偽の判断を下し、裁くことが目的ではないから、こちらもある意味開き直って、自分で情報を交通整理して、うまく使っていくしかないのです。


ワタシはがんや健康関連の情報に限らず、情報に対して批判的な精神を持って接することを目標にしています。

・・・って偉そうに言いましたが、やはりこれだけの情報が溢れる世の中、ついつい自分でも無意識のうちに一方に流されいる時はいくらだってあります。

たまたま違った意見に触れた時に、「あ、そういう視点もあるな~」と気づくことが沢山あります。

・・・・

やだやだ。


かと言って、目と耳を塞いでいたら何も入ってこなくなっちゃうからね。(口は少し塞いだ方がいいかもw)

あらやだ。


そんなことを思った小雨ぱらつく寒空の日曜の朝でした。

寒いけどこれから今日はお出かけしまーす。

着るモノに困るぜー。


おわり

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