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ワタシはカラダをテツガクする

病気が集まってくるカラダを自慢している。 生きてる以上テツガクするしかないね。めんどくさいけどね。

Vol.44 過去の扉(12)2009年7月~8月「効かない抗がん剤」

クスリを変えましょう。


さて、今入院中ですが、この入院も長引きそうなので過去の扉シリーズを少しづつでも書きます。

本当はガッツリと書きたいのでパソコンから更新したいのですが、早く過去と現在を繋げたいとも思いまして。

だから多少細切れでも入院中のスマホからコツコツ書いていくことにします。



さて、2009年6月、アムルビシンという肺がん用の抗がん剤単剤でスタートしたワタシの抗がん剤治療ですが、1コース目を入院でなんなくこなしたので、2コース目以降は、4週間ごとに外来で行うこととなりました。

都合8月まで3コース続けました。


外来の抗がん剤治療もこれはこれで楽なのか面倒なのか、良く分かりません。


まず朝病院に行って採血です。

それをもとに主治医Y医師の診察を受け、数値に問題無ければその日、
予定通り抗がん剤をやる、というモノです。


このあと、通院抗がん剤センターなる所に行くのですが、とても人が多いのですね。

抗がん剤をやっている人の多さに驚いたモノです。

世の中こんなにもガン患者がいるものかと・・・


なので、抗がん剤点滴始まるまで平気で2時間くらい待ちます。

待っている間は院内PHSみたいなモノを貸してくれるので、喫茶店やレストランで時間を潰せるのがまだマシです。

順番が来るとPHSが鳴って呼ばれますから、通院抗がん剤センターなる所にいって、ベッドに通され、点滴開始です。

これを3日連続でやります。


ワタシのアムルビシン点滴は30分位だったのでまだマシでしたが、人によっては8時間やったりするので、外来がいいのか、入院がいいのかは良く分かりませんね。

ワタシは家と病院も1時間程度の距離でしたから、外来点滴は良かったです。

ワタシは入院が嫌いです・・・_| ̄|○



このアムルビシンはワタシは副作用もたいして感じず、白血球は下がっていたのだろうと思いますが、それも実感することはなく、かなり普通の日常をエンジョイしていました。

変わったことといったらウイッグをかぶる、ということぐらいでしたから、8月の夏休みには旅行に行ったりしてました。

この旅行中には熱出して反省しましたが・・・


仕事も淡々とこなしていました。


そんなこんなで3クール終えた所で、主治医Y医師から思いがけない話を聞きます。

どうやら腫瘍が大きくなっているのでクスリ変えましょう、

とのことでした。



その当時のワタシといえば・・・

さほどショックも無く、淡々としていた記憶があります。

あぁ、そうなんだ~

って感じでしょうか・・・


これはおそらくまだワタシ自身、どこかで現実を受け止め切れておらず、治療をするんだ!といったような心構えになっていなかったからだと思います。

アムルビシンで治してやる!

という気持ちがあれば、相当ショックを受けたはずです。

どこかなんとなく、言われるがまま、ただ惰性で抗がん剤をやっている、という感じでしたから、たいして効かなかったことにショックも後悔も感じなかったのでしょう。


自分の置かれた状況をよく理解していなかった、というより、理解しようとしていなかった、という感じですかね・・・


これでは抗がん剤も効かない、そう今になっては思います。


でも当時、別に腫瘍も痛む訳では無かったですから無理もなかったかもしれません。

気持ちのどこかで軽く捉えていたのでしょう。

言われるがまま抗がん剤やってればそのうちなんとかなるさ、みたいな・・・



ということであれよあれよ、という間に、2ライン目の抗がん剤をやることになってしまうのでした。

アムルビシンと共に過ごした夏も終わりに近づき、9月になろうとしていました。


つづく。

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Vol.22 過去の扉(11)2009年6月②「初脱毛・初ウイッグ」

げっ・・・ぬ、ぬ、ぬけ・・・ヌケタ・・・


さて、初めての抗がん剤点滴を大した副作用もなく、なんなく切り抜けたワタシは、次回の2コース目の外来点滴の予定までは普通に仕事に戻ります。

入院期間の1週間含めて、当初は2週間休みをもらってましたが、副作用が無かったので、予定より2~3日早く仕事に復帰したのを覚えています。

迷惑は最小にしたいですから。


この、アムルビシンの最大の副作用は骨髄抑制で白血球が激減することなんですね。

でも、それって実感で分かりませんから、生もの食べない、とか、うがい、手洗いを入念にする、くらいしかワタシも実行していませんでした。


それと後、気になるのは脱毛です。


抗がん剤の点滴を実施して1~2週間は毛が抜ける気配はありません。抜けないで済むかな~なんて思っていました。

そのため、ワタシは退院してから仕事に戻る前に、髪を切りに、パーマをかけに行ったのです。

もしかすると、毛が抜けるとしたら、今の時期しか髪の毛で遊ぶことは出来ないと思っていたのです。


この日の出来は良かったんですよ。それまでで一番思い通りに仕上がったのです。

写真を残してますwきもいですね。


その後1週間くらいですかね~、史上最高の出来に仕上がったワタシの髪の毛を存分に堪能していたある日、その日は突然やってきました。

丁度仕事に戻ったばかりの時でしたかね。


仕事から帰り、家でシャワーを、シャンプーをしていました。

シャンプ―をゆすぎ終って、目を開けた時です。


げっ!!!!!!


目の前の風呂場の壁に、ワタシの髪の毛が大量にくっついていたのです。

自分で抜いてみると、


げげげっ!!!!!!!!


ごそっと抜けます。しかもあまり痛く無くするっ、と抜けてしまいます。


こんな急に来るのか~~~


そう思いました。

あくる日、そのまま髪をセットしましたが、まだ「抜け切ってしまう」といった程ではなかったので、全然人からは分かりません。

もともとボリュームのある髪型してましたから、すいて薄くなった的な感じになっていったのです。

極力抜けないように慎重にセットをして会社に行きました。

でも、それも2日くらいしかもちませんでしたね。

やがて頭皮がピリピリ痛みだしたと思ったら、抜けるペースが一気に加速しました。

枕にもごっそり抜けて落ちています。


観念したワタシは、理容店に行き、バリカンで坊主にしてもらったのです。

理容店のオバチャンは、「いいの?」と言うのですが、「一思いに行って下さい!」と、一気にやってもらいました。

坊主にすれば抜けた髪で部屋や風呂場がちらかりません。


折角、史上最高の出来栄えの髪型も僅か1週間足らずしか味わえず、あえなく坊主になりました・・・残念。


さて、そこからですが、実はワタシはこうなることに備え、ウイッグを3つ程手配していました。

一応、ワタシも仕事の関係上、坊主 (しかも抗がん剤で抜けた坊主はまだらな坊主なので、綺麗な坊主にはなりません。) では会社に行けません。

会社を背負って取引先と会ったりしますから、汚らしい頭をさらす訳にはいきませんし、また、それを周りにいちいち「いや~~抗がん剤で~実は~~」と説明しなきゃいけないのは大変な労力です。

周りにも気を遣わせます。


ジョカノさんにも手伝って頂き、ウイッグを装着し、なじませる練習は結構しました。

かなり運よく、ワタシの頭と顔にフィットするウイッグも見つかり、また装着のシミュレーションの甲斐もあり、会社にいざ行きましたが同じ会社の同僚ですら、「え、それウイッグなの?」と言うくらい自然に仕上がっていました。

これはラッキーでした。

周りにバレなかった為、病気であることも必要最小限の人に話せばよかったからです。


ワタシのウイッグを見抜く人はほぼいませんでした。

何人か見抜いた人はいましたが、美容師さんとかでした。


6月から始まったウイッグ生活は、いきなり真夏の時期を過ごすことになったので、結構大変でした・・・汗と、あと風ですね。

風が吹いたらすぐさま頭を押さえないと気になります。


その後抗がん剤治療が終わって、再び髪が生え揃った翌年の春まで約1年、ワタシはウイッグにて会社に行ってました。都合同じデザインのウイッグは3つほど買い替えましたかね?・・・・頑張りました。


それと、緩やかに時間をかけてですが、頭以外の体毛もかなり抜けました。

すね毛も、わき毛も、ひげも、腕の毛も、チ○毛も抜けました。

ひげを剃らなくて良くなったのは楽でしたね。

眉毛と、まつ毛がある程度残ってくれたことは幸いでした。

これが抜けるとかなり人相が変わってしまうからです。


一応、ジョカノさんは、ワタシの眉毛が抜けた場合は、毎日書いてくれる想定をしてくれていたようですw ありがたや。

そうならなくてホントよかった


抗がん剤の効果を実感しましたね。

たった一日10分足らずの量の点滴を3日間入れたくらいで、一気にこの脱毛です。

恐ろしくなりましたね。

その分腫瘍も小さくなればいいんですが。



さて、2回目以降の抗がん剤は外来で実施することとなってまして、2コース目のタイミングがやってきました。1コース目開始日から丁度3週間後となります。

当日、抗がん剤を点滴する前は、採血をするのですが、その時点でなんと白血球が900しかなかったのです。

常時4000とか5000レベルであるものなので、今思うとかなり低く危ないです。

よくこれで普通に会社に行って普通に生活をしていましたね。

夏場だしマスクもしてませんでした。

すぐに感染症にかかっておかしくないレベルです。


これだと抗がん剤は無理なので、1週ずらして、ワタシは4週間ごとにやっていこう、という形になりました。


外来の点滴の際は4日間ほど連続で仕事を休ましてもらっていました。

その後、3コース目までこのアムルビシンを外来でやることになるのでした。


つづく

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Vol.20 過去の扉(10)2009年6月①「初抗がん剤⇒悲劇のヒーロー誕生」

ワタシが皆の代わりに神様に選ばれたのだ!


今日は病院から一時外泊にて家に戻っております。

外は少しずつ桜が咲き始めましたね。


ウチのマンションの敷地内にある桜も大分つぼみが膨らんできています。

来週、抗がん剤4コース目が終わり退院するころには咲いて居るでしょう。

楽しみです。


なんとかお花見にはいけそうかな。体調次第ですが。

熱燗をポットに入れて寿司を持っていきたいですね。



過去の扉シリーズの続きを書きます。



前回、胸腺腫ステージⅣの確定診断を受け、結局現実を受け止めきれないまま、抗がん剤治療をスタートすることになります。


時は2009年6月です。


抗がん剤のイメージというと、テレビなどでしか情報が当時は無かったですが、激しい吐き気で食事が取れなくなり、髪の毛が抜けてニット帽子を被らなければいけない、そんな程度でした。


とにかく辛い治療、というイメージはありました。


現実を受け止め切れていなかったであろうワタシは、「もうやるしかない」と、現実を受け止め、前向きに、計画的に治療に立ち向かう、というよりは、

目と耳を塞いで「うお~」っと、何も考えずに突進すると表現した方が近い感じでした。

ただただ主治医の言うとおりやれば良い、と思っていました。


6月の頭から入院です。


会社とは部署や人事にも調整をしてもらい、手厚いフォローをしてもらいました。

会社とのことは別途書くとして。


ワタシがまずやる抗がん剤は「塩酸アムルビシン」という薬を単剤でやる、というものでした。

4コース予定です。

塩酸って・・・・実験じゃね~んだから・・・みたいに思った記憶があります。


胸腺腫はレアな疾患ですし、これ専用の抗がん剤はもちろんありません。

(こまりました・・・今もこまってますが)


アムルビシンは肺がん治療の為に開発された薬です。

基本的に肺がんの抗がん剤を類推してやる、という説明をA病院Y医師から受けました。


このA病院では、過去に胸腺腫の患者に対してアムルビシンで実績がある、というようなことをY医師は言っていました。


実は後になってから分かったのですが、この1ライン目でアムルビシン単剤でいく、というのはかなり特殊な、A病院オリジナルのやり方らしいです。


結果、このアムルビシンは効かなかったのですが、このアムルビシンで行く、というのが一般的では無いということをこの時点で知っていれば、何故このアムルビシンで行くのか?、

もっとY医師に質問することができ、その結果、ワタシも自信をもってこの治療に臨めた可能性があったのでは?と反省しています。


でも、このアムルビシンが効か無かったことについて、A病院やY医師を恨むような気持ちは一切ありません。


彼等もワタシへの効果を期待し、またワタシの生活も考慮し、まずは副作用の強くないこの療法を選んだのだと思います。

別に今になっても何故この時アムルビシンを使ったのか?それを聞くつもりもありません。

無意味だからです。

ワタシが何か疑いを持っている、と思われるのも嫌ですし。


ただ、前回の過去の扉の記事でも書いた通り、ワタシがもっと早くに現実と向き合う努力をして、この治療に入る前の段階でいろいろな情報を集めていればまた違った決意を持ってワタシ自身がこの治療と向き合えたかもしれない、

というだけです。

そしたら結果も変わっていたかもしれません。


抗がん剤は「効いている」という気持ちを持つことが大事なのではないかと、今はワタシは思っています。


この当時は「嫌だけど、しょうがいない、やるしかない」というような、「我慢する」という感覚でしたから。

前向きな感じでは無かったのです。これがいけなかったと思っています。



入院初日は、諸々検査をし、Y医師から説明を受け、抗がん剤同意書にサインをします。

1~2%の確率で、間質性肺炎などを併発し死ぬ場合があります、的なこと言われましたが、今さらじゃあ辞めます、とは言えません。

数字上はこうなってるので、一応言わないといけないので言うけど多分大丈夫、みたいなフォローがY医師からあった記憶があります。


副作用の説明も受けます。

当時の説明の際に渡されたプリントが手元に残っていますが、副作用が列挙されています。

一般的な抗がん剤の副作用と呼ばれるものが、とりあえず可能性があるものを全部挙げておけ的にずら~と書かれています。

当時のワタシも相当怯えた記憶があります。


あと、もう一つ、このプリントには「治療の目的」として、2つ書かれています。


「症状の進行を抑える」と「症状を軽くする」と書かれています。緩和ケア、とも書いてあります。



「治す」とは書かれていません。



今思っても、これは当時のワタシには酷だったろうな、と思います・・・



さあ、2日目からいよいよ抗がん剤の点滴です。


このアムルビシンというのが、まるで毒を持つ花ほど色鮮やかなのと同じような感じで、オレンジのいかにも化学的な色を感じさせる薬で、毒のある花と同じようだ、とはいいつつも自然とは程遠い色です。


とても気持ち悪いです。


チェリオをもっと毒々しくした感じでしたので、ワタシとジョカノはこの薬をチェリオを呼びました。



点滴も人生初めてでしたから、一層気持ち悪かったのを記憶しています。

吐き気止めや、生理食塩水の点滴の後、アムルビシンの投与が始まり、点滴のラインがオレンジに染まって行きます。

とても嫌な感じはしましたが、別に痛みなどある訳でもなく、このアムルビシンは10分程度で点滴が終わってしまう量しか入れません。


前後の吐き気止めや、洗浄の水を合わせても30分足らずでこの療法は点滴が済んでしまいます。

これを3日間連続でやりますが、今まさにやっている抗がん剤のADOC療法などと比べると格段に負担は軽いです。


その後、吐き気などは、多少胃や胸の違和感や味覚の違和感などはあったと記憶していますが、ほぼ無いに等しかったと記憶しています。

あれだけ列挙された副作用が全部襲ってくるのでは?という錯覚さえ覚えていたので、かなり意外でした。

肩すかしをくらった感じではありましたが、それはそれでよかったのです。


「こんなもんなのか、でもこんなんで、腫瘍に効くのか?」と思った位、楽だったというのが、このアムルビシンの感想です。


副作用で何か辛い、ということもなく、いたって元気に予定通りの点滴を終え、予定通り1週間で退院をしました。


今回1コース目をやってみて、重篤な副作用の発現も特になく、大丈夫そうなので、2クール目からは外来の点滴でやろう、ということになりました。

次は3週間後の予定です。


以外に「楽だ」というイメージをもった抗がん剤でしたが、とりあえずは一度乗り切った、という安堵感を覚えたのを記憶しています。



この初めての抗がん剤を経験したタイミングの時に、ワタシの心に一つの感情があったのを思い出します。


それは「大切な人がなるより俺が病気でよかったよ」という感情です。

一見、かなりカッコ良い、素敵な感情っぽいですが・・・


どのようなロジックで当時そんな感情が産まれたのか、頑張って思い返してみると、当時必死に考え、悩んでいた「病気の理由」に対する、当時のワタシの答えの一つから導かれたのだと思います。

あまりはっきり覚えていないのですが・・・


その答え、というのは、

「誰かがならなければいけない病気に、ワタシが選ばれたんだ、みんなの代わりにワタシが病気になったのだ!病気は辛いから神様は強靭な精神力を持ったワタシなら耐えられると、このワタシを選んだのだ!」

などという、いわゆる悲劇のヒーロー理論だったと思います。



しかも、その悲劇は、

脚本・演出・主演すべてワタシ、ここまでは別に良いのですが、

タチの悪いことに観客もワタシしか居ない、完全に自演乙の物語です。


今となってはこの考えはダメだと、理解・反省しています。


そう考えていた当時のワタシの行動がどんなものだったか、恐ろしいです。


自分でも思い出せない、ということは、かなり自分勝手に思うままに我が儘言ってたかもしれません・・・



この考えを持っていると、どうしても他の人(当時のワタシに言わせるところのワタシが病気になったお陰で病気を免れた人々)に対する「悪い甘え」に結びつきやすくなっていくからです。

当時のワタシもおそらくそうだったんだと思います。


「俺は末期ガンなんだっ! 若くして苦労してんだ! おめ~らヘラヘラしてる若者とは違え~んだよ! あ~っ!こらっ!」みたいなw


最悪です。


ワタシは、抗がん剤、という、かなり特殊な経験を一度したということで、どこか人に対して特別なんだ、ワタシは皆と違うのだ、格別の苦労を経験させられているのだ、と何か勘違いをしていたのだと思います。

大切な人を守る為に、つまり、大切な人が病気にならないように、ワタシが病気になったのだ、と、かなりナルシストで、マスターベーション的で、都合の良い、かなり勢い任せの、冷静さを欠いた、盲目的で強引な、結論だったと今は思います。


まあ当時は病気を宣告されて間もなかったですから、仕方ないとは思います。

当時のワタシでは無理もありません。



今は、「病気になった理由」は考えないことにしています。

※無意識のうちにぼんやり考えてしまうことも時にあるのですが、すぐ意識して切り替えるようにしてます。これも最近になってようやく出来るようになりました。

理由を考えても分かりませんし、それはいたずらに過去を振り返ることになるからです。

もし、ワタシの過去の生活習慣や性格に理由があったとしても、それを後悔しても仕方ありません。


ガンになりやすい人として、一般的に考えすぎる人とか、小さなことも気にしてクヨクヨする人とか、神経質な人とか、なんかそういう気弱というか、繊細な人が思い出されると思います。

そんなような情報も溢れてます。


実はワタシ、もろこんな人です。

だからなんかこういうのを目にすると頭にきます。


自分でもそんな性格を治したいと思っていましたが、その性格のお陰でここまで来れた、という自負というか、自信も持っているのです。



人間、短所と長所はイコールなんです。



過去の自分を後悔するのは一切の無駄でして、要は、今ある病気と、今からどう付き合っていくか?

これに集中しなければなりません。


それと悲劇のヒーローにも二度とならないように、気を付けなければなりません。


そんなこんなで、最後に話それてしまいましたが、当時はまだ悲劇のヒーローだったワタシの、その後約半年続く抗がん剤生活が幕を開けたのでした。


つづく

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