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ワタシはカラダをテツガクする

病気が集まってくるカラダを自慢している。 生きてる以上テツガクするしかないね。めんどくさいけどね。

Vol.56 過去の扉(19)2010年1月~2月「あっという間の退院、そして復帰」

抜いてください!!!


一般病棟に移ってからも、ワタシはほぼ動かず過ごしていました。

傷の痛みとオシッコ管による苦痛は続きます。


しかし、看護師や先生や家族と話す時間が増える分、気も紛れます。


看護師と病棟を歩く練習をします。


オペ2日後の水曜日でしたか、朝、夕と、歩く練習をしますが、段々とカラダも動くようになります。


目下の急務はオシッコの管をどうするか、です。

この病棟には男性の看護師が一人居たんです。


これは助かりました~


チ○コの不快感は男性にしかわかりません。


オシッコの管いつ抜けるの?


ワタシは男性看護師に聞きます。


自力でトイレまで歩けます~?


看護師が聞き返します。



歩きます!さっきも病棟内一周したし、っていうか歩くとも!この管を抜く為なら!

抜いて下さい!頼むから!!


じゃあ抜きましょうか?先生に聞いてきますよ!!



やった・・・男性看護師ナイスな動き!!



地獄の2日間が終わる・・・



程無くして男性看護師が抜きに来てくれます。

これも男性看護師にやってもらってワタシはよかった・・・

経験の浅い小娘看護師にワタシの大事なムスコは任せられまへん。

せめて同じ痛みを理解してくれそうな男性でよかったw


じゃあ抜きますね~


は、はい・・・


緊張します。



ブチッ!



オゥッ・・・(;゜0゜)



ワタシのムスコの先っちょに一瞬激痛が!



抜けました・・・



ふぅ~



この後しばらくは抜けた衝撃の痛みがありましたが、程無くして収まりました。


っていうか、オシッコ管ネタで引っ張り過ぎだろ、って思うでしょうが、それだけワタシには大きなコトだったのです・・・

この管が抜けてようやくワタシの手術が終わった、と言っても過言じゃありません。

ワタシにとって、

手術=オシッコの管

なんです!!



この後、傷口から出ているドレーンや、背中に刺さってる麻酔も抜けます。


食欲も一気に出て、点滴も取れました。


いや~、このカラダの管や線が全部取れてからのワタシの回復っぷりは凄まじかったです。


それだけ苦痛だったんですね・・・


その後はすぐにシャワーも浴びれましたし・・・



そして月曜日オペをして、その週の金曜には外泊をしました。

一度家に帰り、週明け月曜日にまた来てレントゲンやら検査をしましたが、問題無く退院しました。

傷の痛みと、それに伴う微熱は続いてましたが、退院で良し、とのことです。

あっという間ですね。

脇腹を真っ二つに切られる手術を月曜日にして、金曜日には帰れちゃうんですから・・・

技術はすごい・・・



実際にキツかったのはオペの後からオシッコ管が抜ける2日間くらいです。

もちろん、傷の痛みとはその後闘うことになりますが、それも日を追うごとに回復を実感出来ます。


ワタシ的には抗がん剤治療より遥かに楽でした。


家に帰ってから、翌月2月の末に仕事に復帰するまでは自宅静養です。

当時は一人暮らしでしたが、実家の世話になります。



傷は痛みました。

横になりカラダが圧迫されると、やはり痛いです。

夜間、寝ても痛くて2、3時間ごとに目が覚める生活が一週間は続きましたかね??・・・

ロキソニン的な痛み止めはあまり効きませんでしたが、なんとかこの時期は凌ぎました。

家に居ましたから大分違います。


痛みと、それに伴う微熱が落ちついた頃からは、日中リハビリを兼ねて母親と近所のショッピングモールに片道20分程歩いて行ってご飯を食べたりして過ごしました。


この時期に、新しく猫を買ったりしました。

過去の扉の初めの方で書きましたが、あのスピリチュアルな激痛をもたらしてくれた可能性のある先代猫が2008年末に死にまして、そんでこのタイミングで2代目猫購入です。

まぁ勢いですかね。



そんなこんなで、仕事に復帰する前には痛みもまぁ落ちついていましたから、ワタシは一人暮らしの住まいに戻り、復帰に備えます。


激しく動くとまだ痛みはあります。


左肺を半分取りましたから、肺活量が減ったのは実感させられました。

まぁでもスポーツ選手でもないワタシの日常にはほぼ影響は無いレベルです。


前年末までやってた抗がん剤の影響で、まだ髪の毛は生えていません。

またワタシは前と同じく、ヅラを被って会社に戻ります。



手術を乗り切りました・・・

仕事への復帰をもって終わりました・・・



ワタシを苦悩の中へと導いた、あのグレーの影もCTの画像から消えています。

日に日に傷の痛みが癒えるのと相まって健康になるのが実感出来ます。


これまで抗がん剤と手術と、決して能動的に立ち向かって治療する、という感じは無く、なんとなく医師の言うまま惰性でここまで来ましたが、ワタシの心は充実していました。


人生初の大きな手術を一つ乗り越えたことで、一段落、やり切った感はありましたかね・・・


また仕事に戻り、前と同じ日常です。

抗がん剤をやることは無く、病気発覚前の生活が取り戻せるはずです。


ワタシはワクワクしながら過去と同じだと期待する、戻れるはずの日常へ戻ったのでした。


つづく。

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Vol.55 過去の扉(18)2010年1月④「ICUで地獄のひと時」

大きくなるとしても、年単位の話でしょう。


オペが終わり、ICUでは面会が限られてしまうので、家族も夕方までには帰って行きました。

ワタシは身動き一つ取れませんし、頭もモヤモヤしてカラダを動かそう、という気力すらありません。

カラダに沢山の線や器具がついているのは分かるのですが、アタマを起こす気力も起きません。


ほどなくして、ワタシは圧倒的な不快感に気付きます。


原因はオシッコの管です。


これは苦痛でしたね~

残尿感、というより、今にもオシッコが出そう、という尿意が永久に続く感じです・・・

ワタシは特に体質的にこれが合わなかったのでしょうか??

すげ~苦痛でした。


看護師さんに言ってみても、

大丈夫ですよ、問題なくオシッコ出てきてるから、大丈夫、大丈夫。

としか言ってくれません。


カラダは動かないので、1時間ごとくらいでしたか、看護師さんが寝返りをさせてくれるんですけど、その度にオシッコの管に何やら圧がかかるのか、尿がチ○コに押し戻されてくる感覚がしてそれはまぁ苦痛でした。。。


仕方ないですね、我慢するしか。


オペの後、夕飯が普通に出てきました。

カラダ動かないし、頭もモヤモヤするし、ワタシは当然食べれません。

食欲は0どころか、マイナス50位です。

看護師さんに水くらい飲ませてもらいましたでしょうか・・・


ワタシは看護師さんに聞きました。


こんなオペ直後から飯を普通に食べれる人なんかいるの?? と。

どうやら、年配の人の中にはあまり痛みを感じないのか、普通に食べる人もいるようです。

結局ワタシはオペ後3日目くらいでようやく食欲が出てきて、食べ出した感じですから・・・



オペの日も夜になり、ICUも静かになってます。


ワタシの寝ている所の近くに時計がありましたから時間はわかります。


ワタシと同じタイミングでオペだった人が数人、部屋に居たのは気配で分かりますが、カラダを起こして辺りの様子を見回すことは出来ません。

ワタシは動けず、ただただ時間が過ぎるのを待っているだけです。

オシッコの管の苦痛に耐えるだけのこのICUはまさに地獄・・・

過ぎるのを待つだけの時間というのは長いし、苦痛なもんです・・・



そんな静かなICUの中、白衣の人が一人、ワタシに繋がっている計器やらをチラチラ見てるコトにふと気付きました。


執刀医のH医師でした。



あぁ、どうも、ワタシさん、気分はいかがです~?



あぁ、先生・・・・

どうもありがとうございました・・・



事前にご説明した予定の通りオペできました。

左肺も半分残し、取れる腫瘍は全部取りましたよ。



あぁ、そうですか・・・

ありがとうございました・・・



ただ、やはり2、3ミリのレベルの小さいモノは沢山あります。これは取り切れないので残したままです。

でもそれが今後大きくなるのか、どうか?それはわからないし、大きくなったとしてもそれは年単位の話になるでしょう。





寝ているワタシの顔を覗き込んだH医師とそのような会話を交わしました。

どうやら当初の想定通りのオペが出来たようです。


よかった、よかった。


小さい播種の腫瘍は取りきれないだろう、というのも想定内です。





さぁ、地獄の夜もなんとか明けて翌日、朝飯はワタシは牛乳だけ飲めたのを覚えています。

この日の夕方でしたか、もう一般病棟に移るとのこと。

それに向けて午前中から立ち上がる練習をさせられます。

以外に立てるモノだ、と思いましたが、かなりフラフラしました。



夕方、手術前に着ていた浴衣に着替えさせられて一般病棟に帰ります。

あれ、ということは今まで何着てたの?

いつ着替えさせられたの?


そんな疑問も湧きつつ・・・


看護師さんが数人、ワタシを裸にし、管が刺さった恥ずかしい部分も含めて濡れたタオルでゴシゴシ汗を拭いてくれます。


あらいやだわ・・・♡♡♡


などという羞恥心や、

多数の女性に局部をぞんざいに拭かれる、というドM的な興奮、


・・・なんかは当然感じる余裕は無く、ワタシのオシッコの管による不快感と傷の痛みによる地獄は続いています。



なんとか車椅子に乗りのみ、手術前に居た病棟に帰ります。

家族とも再会です。

なんとか地獄のICUを脱出して、再び家族に会えたのはホッとしましたね、そんな記憶があります。


一般病棟といっても、この時はまだ一番ナースステーションに近い、観察室的なベッドです。


ワタシはまだICUも丸一日で済みましたが、人によっては数日とか一週間居るようですね・・・

多分ワタシは気が狂ってしまうと思います・・・(~_~;)

そう考えると、まだまだマシなワタシなのでした。


つづく。

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Vol.53 過去の扉(17)2010年1月③「手術はタイムスリップ」

ここに・・・いれば・・・いいよ


オペの朝になりました。

家族も朝早く集結してくれています。


ワタシはなんとも恥ずかしい、フンドシみたいなモノの上に、病院指定の、ビジネスホテルに備え付けのダサい浴衣のようなモノを着ます。

自分でそれに着替えるシチュエーションがまた虚しい・・・


一つ、やらなきゃいけない事がありました。


ウ○コを必ずして、それを看護師に確認してもらう、ということです。

オペ後しばらく動けないので、出来る限りカラダを空っぽにしなければ、ということでしょうかね。


でも・・・

排泄物を見てもらうなんて・・・

ねぇ・・・

どんなプレイだよ、と思いつつ。


所がワタシ、前の晩に下剤は飲んでたはずですが、当日なかなか出ませんでした。

緊張してたのでしょうか?


そうなると、さらに強力な下剤を飲まなきゃいけないらしいのですが、この日担当についた若い看護師が病棟でも一番忙しい月曜日の朝、ということもあり、ワタシに下剤を与えるタイミングが遅くなったみたいなんです。


すると、遠くの方で、その看護師がなんとオバハン副師長さんに何やら怒られてるじゃありませんか。



え、ワタシさんの下剤、これからなの?


はい・・・


遅いでしょー!!あなた!!オペ9時なんでしょ~!!



・・・・・

あの~、それ俺に聞こえてんだけど・・・


結局下剤を飲んで、なんかワタシも気を使って、早くウ○コしないと、と頑張ってしたのを覚えてます・・・


やれやれ・・・



そんなこんなでストレッチャーに乗せられオペに向かいます。

実はオペ室に行くまでの間、すでにこの状態で予備麻酔的なモノを注射されるんですね。

そんでもってこれ以降の記憶があまり無いです。


家族がどんな様子だったか、

どんな会話を交わしたか、


覚えてません。


意識朦朧とした中で、オペ室に入る前に、ワタシと同じようにストレッチャーに寝させられている人が結構沢山並んでいたのを覚えてます。

同時にオペする人が沢山いたみたいです。

後で家族に聞きました。


家族はワタシのオペ中は、これまた院内PHSを持たされて、オペが終わってICUで面会が可能になったら連絡が来る、という仕組みだったようです。



さて、ワタシはオペ室に入ります。


手術の器具を準備する、

カチャカチャ、キンキン、と、

冷たく乾いた金属音が響いています。

緊張を煽る嫌な音です。



見知らぬスタッフが沢山います。

ワタシは照明で照らされ眩しいです。



H医師はまだ姿がありません。

H医師の元についている助手のM医師が居たので少し安心したのを覚えてます。


あぁ、始まる・・・

と感じたのは覚えてます。



ほどなく麻酔担当のおじさんが近づいて来て、ワタシの口にマスクを装着し、


はい、ワタシさん、じゃあ深呼吸をしましょうねぇ~、


吸って~・・・・



ここで完全に記憶が切れました。



・・・・・・・



・・・・・・・



・・・・・・・




ワタシさん、

ワタシさん、

女性の、おそらく看護師さんの声です。


ワタシ、

ワタシ?

それに交じって家族の声もします。



あぁ、終わったんだ・・・


午後1時位に終わったそうです。都合3、4時間ですね。


麻酔医の、吸って~、

から、ここまでは、ワタシにとっては一瞬の出来事でタイムスリップ感覚でした。

しかし、家族に至ってはとんでもなく緊張の、長い時間だったようです。

ジョカノに後で聞いた所、母親はイライラし、父もタバコばっかり吸いに行き、、、

そんなかなり気まずい空気の数時間だったようです。

そりゃそうですよね。





手術直後、やたら眩しく、目があきません。

手術中は、目をテープで留められているようで、そのテープの粘着剤が目に染みているような感じもして、本当に目があきません。


眩しい・・・

目があかねぇ・・・


ワタシはそればっか言っていたそうです。


ワタシは目を閉じたまま、手を延ばします。


ジョカノ・・・


ジョカノが手を取ってくれます。


ここはICUなので、少しの時間しか面会出来ず、早々に家族は引き揚げねばならなかったそうですが、ワタシは嫌でした。


ジョカノに対して、


ジョカノはここに、いれば、いいの

と言いました。


看護師さんも、ジョカノにある程度長居を許してくれたようです。


依然と眩しさで目を閉じたままでしたが、それに紛れ、それを理由に誤魔化してワタシは泣いていました。

家族の前でオイオイ泣けはしませんから、眩しい、と喚きながら泣いたのです。


一つ、大きなポイントを乗り越えた安堵感があったのです。

家族皆で乗り越えた感がありました。

嬉しかった。

何故かわからないけど安心したんですね。


これで胸腺腫とオサラバでは無いのは分かっていましたが、安心したのです。

無事にまた家族のもとに帰れてよかった。

家族を安心させれてよかった・・・



誰に対して、

何に対してでもなく、


ありがとう


と思いながらワタシは泣いていました。


つづく

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Vol.51 過去の扉(16)2010年1月②「術式の選択」

理論的には腫瘍は全部取れます。


手術の為いよいよA病院に入院します。

抗がん剤をやっていた時と同じ病棟でしたので、慣れっこです。

看護師さんらとは、

あら今度はオペなのね~、

なんて話してた記憶がありますね。


初日に早速主治医と打ち合わせをしましたかね。


ここで登場するは、今現在も世話になっているA病院の外科医H医師です。


あれ?・・・

例の名医N医師が切ってくれるんじゃないの??・・・

とワタシ一家は思いましたが、まぁこういうものなのかな?

確かに年明け外来の時に、

先生に執刀して頂けるのか?

は確認してなかったし・・・


はたまた、N医師は著名なので、実弾を渡さないと切ってもらえないのかな?

などと考えましたが、ワタシはあまり気にしませんでした。


H医師は比較的若い先生でしたが、しっかりとしている感じでしたので、不安はありませんでした。


H医師からオペの段取りの説明です。


胸腺腫のオペは、胸の肋骨を一度切ってしまい、正面からアタックする方法と、

脇腹を割いて、胸腔鏡、いわゆる内視鏡を突っ込んでやる方法とあるようです。

これはそれぞれメリット、デメリットがあり、どちらを採用するかは、患者の状態云々もあるのでしょうが、病院の考え方に拠る部分が大きいみたいですね。


前者の方法は腫瘍の取りこぼしを限りなく防ぎ再発防止を重視し、

後者の方法は手術の負担を限り無く少なくすることを重視、

ということでしょうかね。


ワタシは後者、脇腹から胸腔鏡でやるとのことでした。


この当時は特にどちらの方法が良いか、ワタシは予備知識があまりありませんでしたし、別に今となっても良く分かりません。

A病院のやり方に従ったまでです。



それとは別に一つ、今度はH医師から選択を迫られました。


それは片方の肺を全部取ってしまうか、どうするか?です。


ワタシの場合、左肺に播種してはいるが、CTによると、今の所左肺にしか腫瘍は見られないため、左肺ごと全部取ってしまえば理論的には腫瘍は全部取れる、ということでした。


もう一方の方法はCTで見える、大きく見えている腫瘍だけを取る、というものでした。

左肺を出来る限り残す方法です。

一つの播種層が大きい為、左肺は半分はいずれにせよ取らなきゃならないだろうけど、半分は残せるのでは?

とのことでした。


これは難しい選択だと思います。


しかしワタシはさほど迷わず後者の左肺を極力残すよう、H医師にお願いしました。


これはそれ以前の段階で内科医Y医師とイロイロ話をしていたからすんなり決められましたね。


片肺を失うと、QOLは著しく低下します。


理論的には全部キレいに腫瘍が取れたとしても、他の場所にまたガンが出来たり、他の病気になった時には片肺のそれはかなりのリスクになるでしょう。

単純に考えてエンジンが片方になるのはリスキーです。

この当時のワタシの感情も今と同じく、完治を目指す、というより上手くコントロールして永い付き合いが出来れば良い、というモノでした。

まぁ病気発覚当時、すでに末期でしたから、こういう考え方になるのは必然でしょうかね。


Y医師ともイロイロ話す中でワタシはこう考えるに至りました。

Y医師は当然、どっちにすべき、とは立場上言えませんが、口振りや雰囲気ではワタシの考えに賛成してくれているようでした。



こうしてワタシは腫瘍をある程度カラダに残すことを覚悟して手術に望みます。

この胸腔鏡手術は負担も軽く、術後一週間程度で退院出来るだろう、とのことでした。

左肺全摘の方法の場合は、負担も大きく2週間以上はかかるだろう、とのことでした。



脇腹からカラダを切って、肋骨の合間を通してよくも心臓近くの腫瘍が取れるモノですね。

不思議に思いました。

録画して、後で見てみたい気もしました。



オペ当日までの間は検査をしたり、麻酔やら何やら、諸々の段取りを聞きます。

輸血や麻酔の同意書やら、やたらサインを迫られた記憶が・・・


浴衣など、必要なモノを揃えたりして手術に備えます。

前日の夜からでしたかね?絶食をして下剤を飲んで寝ます。


ここの数日は何を思ってましたかね?・・・

あまり覚えていません。

ってことはたいして何も無く、落ち着けていたのでしょう。

眠れなかった、という記憶もありません。


という訳でオペ当日の朝になります。

ワタシのオペは朝9時からです。

月曜日でした。

一月末は一年で最も寒い時期です。


つづく

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Vol.49 過去の扉(15)2010年1月①「手術をお願いします。」

若いんだねぇ~


激動の2009年が終わり新年の幕開けです。

1月末の予定の手術を受けるに当たって、年明け早々に外科医の外来を受診しました。


登場したのはA病院の呼吸器外科部長N医師です。


ワタシを見るなり、カルテと見比べ、

あれ、若いんだねぇ~

なんて言います。


え、今始めてカルテ見てんのか・・・?大丈夫か・・・?

と一抹の不安・・・


かなり年配で、教師のような語り口です。

百戦錬磨なのでしょう、かなりオーラはあり、とっつきにくそうな感じでしたが、話は分かりやすく、的確だったのを記憶しています。


話のポイントとしては、

・原発の胸腺腫も大きく、心臓に近く、播種層含めて癒着も心配だが、なんとか腫瘍のみ剥がせると踏んでいる。だから手術をしよう、となった。

・手術が上手くいき、10年でも15年でも生きられれば、例え再発してもその間に薬が開発されてるかもしれない。

・若いし大丈夫だよ


そんな感じでしたかね?


結構あっけらかんと大丈夫だよ、みたいに言われたので、意外に拍子抜けしましたが、安心もした記憶があります。


後になって知ったのですが、このN医師は呼吸器界隈では著名な外科医のようで、雑誌のそれっぽい特集では度々名医として挙げられている先生のようでした。


どうりで大御所感丸出しだった訳です。

事前にこのことを知っていればもっとイロイロ話聞いて見ても良かったと思いますね。

名医だそうですから。


そして手術を受けることを正式に決めました。


というか、抗がん剤が効かない以上、手術をしない、という選択は無かったんですけど。

この日に入院の予約をして帰りました。


手術は一月末で、その数日前に入院です。

ワタシは入院する1日前から休暇を取りました。


それまでは引き継ぎに追われました・・・


それに抗がん剤から開放された、ということと、オペ後はしばらくは不自由になるだろう、ということからか、仕事をしながらも、結構酒を飲んだり、遊んだりしていた記憶があります。


とても手術に向けて大人しく体調整える、という感じでは無かったですね・・・


こうしてバタバタと仕事も休暇に入り、入院初日を迎えるのでした。


ツズク

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Vol.47 過去の扉(14)2009年12月「手術に向けてガムシャラに」

長期休暇だ・・・


抗がん剤が効かなかったものの、腫瘍も限定されているため、手術をすることとなったワタシ。

通常、ワタシのようなステージ4の胸膜播種の場合はオペを適用しないのが通常です。

しかし、A病院Y医師によると、胸腺腫の場合は進行スピードが肺がんなどと比べて早くないことから、オペを数回重ねて延命を図る患者もいるらしいのです。

あとワタシが若い、ということもオぺの理由としてありました。



こうなるなら初めから抗がん剤をせずに手術もあり得たのですが、それは結果論です。

ワタシはあくまで全身転移が疑わしいステージ4ですから、まずは抗がん剤を、というのが常識なのでしょう。



この時期のワタシと言えば、あれだけ苦しんだ抗がん剤が効かなかったショックもあったはずですが、それを悔やんだり、というよりも手術に向けての期待や不安が強かったように思います。

人生始めての手術は怖いですが、上手くいけば、もう抗がん剤をしなくて良くなる訳です。

それは期待をせずにはいられません。

なんかフワフワ、浮ついてましたかね・・・


とりあえず手術を終える、という目先の目標に、浮つきながらもガムシャラに向かっていたように記憶してます。


それもこれも仕事をしていたからだと思います。


手術に向けては一ヶ月の休暇を調整してもらいました。

それまでも抗がん剤治療の為、かなり仕事には穴を開けてきて、なおかつここで手術で一ヶ月休暇です。


手術を控えるこの時期も、とりあえず仕事の段取りをつけなきゃいけない、周りに気まずい、ということがありました。

あまりセンチメンタルに自分のカラダのことを悩む余裕はありませんでした。


抗がん剤治療をしていた時から仕事も並行していましたから、ガッツリ治療に専念する、という環境ではありませんでした。

これがおそらくワタシのカラダが置かれた状況を、ワタシ自身があまり理解し切れていなかった理由だと思います。



時間も無い中で、仕事も治療も機械的に、淡々とやるしかありませんでしたから。

立ち止まってゆっくり現実と向き合い、考える時間も無かったということだと思います。

良くも悪くも、あまりイロイロな事を考え、テツガクする時間はありませんでした。

良くも、悪くも、です。


仕事で気が紛れ、余計なことを考えずに済んだ、というのも事実ですし、

もっとじっくりカラダをテツガクすべきだった、

といえばそうなのでしょう。


だから、良くも、悪くも、です。



とにかくこの時期も手術に行けるように仕事を片付けて、とにかくバタバタしていました。

あまり何かを深く考えてはいませんでした。

抗がん剤治療に引き続き惰性、といえば惰性でしたね。



12月の初旬から中旬にかけてEP療法の4クール目を終えて、年明け1月末に手術の仮押さえです。

1月に入ってから、外科医の外来に行き、詳しい手術プランを聞いた後、手術を受けるか否かを決めることとなりました。



そんなこんなで、


ワタシと、ワタシを取り巻く人々にとってかなり激動の、
忘れもしない2009年が暮れていくのでした・・・

疲れましたね、この年は(笑)

ターニング・ポイントってやつ?


過去の扉シリーズは、ここで時期的にも、内容的にも、ようやく前半終了って感じ、かねぇ・・・

続く

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