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ワタシはカラダをテツガクする

病気が集まってくるカラダを自慢している。 生きてる以上テツガクするしかないね。めんどくさいけどね。

Vol.370 医療の進化は退化なのか?



放置プレイですか・・・


本を買う時は、たまにブックオフに行って105円の文庫小説を物色する他は、もっぱらアマゾンなどで欲しい本をピンポイントで買います。

でも、たまに目的も無く本屋に行くのもいいものであります。

自分が普段、あまり興味を示さない分野の本なども目に留まりますからね、新たな発見や、教養が広がる、、的な。

つまり、衝動買いをしてしまう、ということであります。笑。

そんな中で最近本屋に行って衝動買いしてしまった中の一冊。
※この日は5000円くらい使っちまった・・・無職のくせに・・・(>。<)



医者に殺されない47の心得 医療と薬を遠ざけて、元気に、長生きする方法

まあ普段から興味ある分野といえばそうですけどね、これはw

タイトルに吊られて買ってしまいましたわ・・・売れてるらしい。


著者はいわゆる現代の医療のあり方に否定的な意見を持っているようで、ガンに関しても今の標準治療とされるものには否定的なようです。

そしてその他の代替療法や食事療法などにも否定的で、結局ガンに限らず病気は全て放っておけ、的な意見を持っているようですね。

まあ他にも見かけますね、この手のタイプの医者を。


ここで本の内容は詳しく書きませんが、書かれていることは、「まあ、そうなんだろうけど。」って感じです。

だからと言って、じゃあワタシも病気を放置するか、というと、それはまた別な話。

特定の患者に対して、じゃあどうするべきか?という、その答えを与えてくれるような本では決してありませんけど。


似たような話になるかは分かりませんが、先日、NHKスペシャルにて、在宅での死(看取り)を取り上げていました。 
→家で親を看取(みと)る その時あなたは 


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


科学や医療の進歩は目覚ましいものがあります。


でも、それが果たして本当に我々の幸福に繋がるのでしょうか?


抗がん剤も進歩すれば寿命が1年延びるかもしれない。

抗がん剤をしなければ、寿命は2年延びるかもしれないし、半年になるかもしれません。


1日のほとんどを、常に鈍く続く吐き気に襲われながら、諸々の副作用に苦しみながら、病院で1年生きるのか?

好きなモノ食べて、そこそこ元気に自宅で半年を生きるのか?


いったいいかにすべきか?

答えを確かめる術など有りはしません。


がしかし、そういった「寿命を延ばす」といったような医療の進歩が、本当は我々の人間らしさや、本来あるべきはずの幸せを、知らず知らずのうちに奪っているものだとしたら・・・


それはまさに医療の、というか、人類の退化と言えるのではなかろうか?

文明が進歩しすぎたラピュタが滅びた、みたいな話ですよ。


例えば人間が200歳まで生きられるほどに科学と医療が進化したのなら?

それは人間の幸せと言えるのか?

人間の発展とは、一人の人間がより長く生きること、そしてその個体の数を増やすことなのでしょうか・・・?

知らず知らず、我々は退化の道をひたすら進んでるのかもしれません。


上の本の著者は、直接は書いていませんが、
「ガンは治らない、ガンになったら死を覚悟して、それまでの間をより人間らしく生活すべき」
というような考えを持っているように見受けられました。

概ね、そういった考え方にはワタシは賛同です。
(※しかし実際にガンになってみると、その覚悟を持つことは非常に難しいことだと分かるのですが。)


これは一つ、ガンに限った話では無いでしょうが、我々が病気と関わる上で、この著者のような考え方は今後のスタンダードになる可能性は十分にあると思います。

著者が主張する「がん放置療法」が、今後の標準治療になるかもしれませんし、逆にガンを完全に完治させる技術がそれより早く開発されるかもしれないし・・・

どちらにしても、数十年、百年単位の未来の話でしょう。

ワタシはこの世に居ないでしょうけどね。

いろいろ考えさせられます。



・・・いやいや、

そんなことより、、

この人は慶応の先生なんですねえ。


医療も学問ですからね、研究やその発表には自由が与えられて然るべき、という大原則は分からなくは無いのです。

ワタシのようなアカデミックな世界に縁遠い人間が思うに、こういう活動をするのならせめて有名大学病院の医師という肩書は捨てるべきと思ってしまうんですけどね・・・?

だって、著者が批判する医療について、それに信念を持って取り組んで研究を日々している仲間の医者も慶応には沢山居るのだろうし、それを信頼して慶応を訪れる患者だって沢山居るはずですよ?

著者が批判する医療の更なる進化を願っている患者や国民も居れば、私立とはいえ、少なからずそれに対して税金も投入されているはずで、そしてその慶応の財布から著者も給料を得ているはずで・・・


大体こういう「アンチ現代医療」的な活動する医者って、大病院を去って自分で開業してたり、自由の利く地方の小さな病院に居たりするイメージなのだが・・・

日本の医学をリードしていくべき天下の慶應に居ながらにして、これほどのことを書いてしまうなんてね。

おそらく、著者的には、自分の主張に少しでも説得力をつけるために、慶応の名前を利用している、だとか、そういった「あえてこれを慶応で」という意図があるのでしょうけどね。


慶応っていうのは寛大なんですね。

大学が全てそういうものなのだとしたら、それはそれで良いことなのかな?学問の自由、ということを鑑みると?

なんか、この本を見てて、内容云々よりも、そんなアカデミックな事情に興味が湧いてしまいましたw

本そのものは読み易いので、ご興味あれば是非チェケラッチョしてみて下さい。


おわり

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Vol.283 日本の中心は病院へ



病院から何かを

テツガクっていうかちょっと備忘録だな。

今日の日経の経済教室の記事(※有料会員しか見れないっぽいすいません)

「医療費膨張どうすんの?」についての一つの提案が書いてあります。

以前この人の書いた、新書「新自由主義の復権」
を読んだことがあるが、実務家の書いた本に比べて読みにくければ面白くも無く、かつ、画期的な提案も皆無であることが少なくない「学者の書いた本」にしては、とても刺激になったし、勉強になった記憶がある、という旨のメモがワタシの読書記録の中にありまして。
(まあ、今、その本自体はワタシの書棚に無いので、ブックオフに行ったか捨てられたのだと思うが。笑。)

なので、今日新聞でこの人の名前を見つけたので、最近もっぱら眺めているに等しい新聞を珍しく読んでみました。

テーマも最近、ワタシが気にしている時事ネタの一つだったし。


いや~、しかし・・・

2025年までの、あと10年ちょっとで、国の医療費の負担だけでも現状の1.5倍になり、実額19兆円も増えるんですって。

「お先まっくら」ですな、我が国は。

憂鬱になることばかりですな、しかし。

おわたよ、オワタ。

憂鬱ですよ。


今度の選挙でどこが勝つか、というレベルの話ではないですな。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


これから超高齢化社会になっていくなかで、日本の経済や文化など、全てはお年寄り中心になります。


このブログを見てくれている病人の皆さんはもちろん、そうでない人も最早気づいていると思うのですが、今、病院って、めちゃくちゃ人が沢山います。

ワタシもいつも外来に押し寄せる人波を見て考えるのですが、ビジネスチャンスが沢山転がっている気がします。


商売を成立させる為には結局、「立地」ってすげー重要、というかそれがすべてと言っても過言ではない。

ネットで、情報のみならず服や食べ物まで買える昨今、地方と都市の距離的物理的差は無くなったし、郊外のSCに押されて「都心」のデパートなどは魅力が薄れています。


そんな中で、実際に「どこかに足を運んで」買い物してもらおうと思えば、最早、ディズニーランド並の唯一無二な「人を集めるコンテンツ」が無いと無理なんです。

そんな中、今も既にそうですが、お年寄り中心の世の中になっている我が国は将来的に間違いなく「医療・介護」が最強の「人を集めるコンテンツ」になってしまうのです。〈働き手も含めて〉

ディズニーランドを作るとしたら、病院を利用し、医療・介護に便乗するしかない、ということです。


商売する上であれだけ人が集まってくる病院は「良い立地」に他なりません。

ワタシの通うのは都内の病院ですが、外来は日に数千人来るそうですし、入院には1000以上のベッドがあります。

入院患者が1000人居れば、家族が数千人出入りしている、ということです。

そして、病院で働く関係者や、出入りする業者まで考えたら、いったいどれだけの人が日にあそこに集まってくるのか・・・


実際に病院は、外来に行けばかなり待たされますし、入院すると退屈です。(ある程度元気ならば。)

今、病院にあるサービス機能といえば、喫茶・飲食店やコンビニ、理美容店、医療品の売店、しょぼい書店くらいじゃないですかね?・・・


もっともっといろいろな商売が成り立つと思うのです。


ワタシ的にはマッサージ屋は絶対に欲しいし、笑、温浴施設もいいと思う。

物販が成り立つにはアイテムは考えないといけないと思うが、例えばミュージアムやゲームセンター、占い施設などのカルチャーものであったり、など、時間消費型の店は、いくらでもやりようがあると思う。


本屋や図書館的なものや、TSUTAYA的なモノもあってもいいし、馬券売り場やカジノがあってもいい。笑。

人がいっぱい集まる、ということなので、病院自体を広告の媒体にしてしまって企業に売れば良いし。


病院がもっともっと楽しく、快適になればな~と。
(居心地の良い病院、というのも実は困るのだが。笑。)


手段は色々あれど、結局、病院に、

「診療行為以外の収益を上げる手段」

を沢山与える、ということが大事だと思うんです。


病院経営にゆとりが出れば、過剰検査、過剰投薬、そして必要ない患者をいつまででもベッドに居させることなども減るかもしれないし、医師にも余裕が出て、引いては新しい分野や、難病治療の研究などに時間と労力が回るかもしれない。

国の医療費給付抑制の一助にもなるでしょう。


医療・介護を一方的に「コスト」と認識するのでなく、その現場を経済活動の中心にして「創造の場」にしよう、という発想が必要なんではなかろうか?・・・

図らずとも、今後、医療・介護の現場が我が国の人間活動の中心になってしまうことは避けられないのだから・・・



まあ、実際にやろうとするといろいろ規制とかあってめんどくさいんでしょうね。

まあまあ、

ワタシには出来ないけど、ウチの会社でなら出来るかもしんない。


機会があればもっと突っ込んで勉強してみるかな。

せっかくワタシもここまで医療に関わりましたからね、生涯学習のネタの一つにしよ。

楽しいこと考えないとね、憂鬱な時代だからこそ、です。笑。




ということで、

病院にこんなモノあったらいい!

こんな試みが出来るのでは?

という楽しいアイデアを募集します。笑。


採用者にはワタシオリジナルのスマートフォンカバーを差し上げます。笑。


おわり

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Vol.232 医療の未来は「町医者」にある


医者なら町医者になれ!


今日からまた外泊で家に帰って来ております。


今日は午前中にリハビリをこなし、午後からは木曜日に撮影したCTの画像を元に放射線治療の効果と今後の展開について主治医とカンファレンスをしました。

それはまた後日詳しく書きます。


ちょっと今日は別に思ったことがありまして。


今、ワタシの呼吸器の主治医はレジデントの先生含め4人の大所帯、それに加え神経内科の主治医も3人・・・

今日のカンファレンスで、改めてその4人の先生方を前にして思い知らされましたが、例の7月の死の淵に行った影響もあって、実にワタシは色々な診療科の、そして沢山の先生の世話になっているんです・・・

メインの呼吸器内科と神経内科に加え、循環器内科・心臓外科・耳鼻咽喉科・形成外科・放射線科、、、スポット的なモノも加えると、呼吸器外科、消化器内科(ステロイドや抗がん剤の副作用などで肝臓などが悪くなった時とか)、膠原病内科(多発性筋炎は膠原病内科が専門領域、普段は神経内科が診てくれてるが。)、リハビリ科・・・あと先日の歯科。笑。

あと、腎臓内科、ってのもあって、死の淵に行った時、心臓に加え、腎臓も止まって透析をしていたので、その後もしばらく何回か診られた記憶が・・・


人気者です・・・笑。

いや、笑えねー。


★☆★☆★


今は医者も分業制なのですね。

ゼネラリストよりもスペシャリスト志向なんですかね?・・・


でもそれが普通の会社みたいなセクショナリズムを誘発している感も否めませんよね。(※例えば、呼吸器内科は肺しか診ない、循環器科だから胸腺腫のことは呼吸器内科だけでやれよ! みたな・・)

患者であるワタシが各科の医師達に同じ話をしなければいけなかったり、科ごとに言われることが齟齬していたり・・・大病院に長く入院していると、そういったセクショナリズムを感じる部分は多々あります。


別にそれをワタシが指摘して攻め立てたことも無いし、これからもしないです。

ワタシも一応、世間的にそこそこ大きいとされている会社のサラリーマンなので(休職中だが)大きい組織なんてそんなもんだ、と理解しています。


ちなみにフォローじゃないですけど、ワタシはいろんな症状を持っていて、さぞメインの呼吸器内科と神経内科の先生方もメンドクサイでしょうが、すごく良く頑張ってくれています。(と感じています。)

上で挙げたような他科の先生方ともワタシについて頻繁に情報交換や議論をしてくれているようで、本当にワタシは助かっています。

ありがとうゥ~。


ただ、

少なからず病院内のセクショナリズムを実感する度にワタシは、一人ワタシの広報窓口になってくれるような、いろんな知識のある「ゼネラリストの医者」が担当でコンサルティングみたいなことしてくれたらすげ~いいのにな~、なんていつも思います。笑。


まあワタシの個人的な愚痴は本旨では無く・・・


医療は極めて特殊な世界だから、例えばワタシのような症例に乏しいレアな疾患なんかは、専門のスペシャリストに委ねないとならない分野も或る訳で・・・そういうレアな難病治療の為の「研究」をしてノーベル賞を取った教授も「医者」な訳で・・・そういう「医者」の中での特定の分野のスペシャリストも絶対に必要なことは間違いありません。

スペシャリストに委ねなければならない医療の事情も十分理解できるものです。


★☆★☆★


しかし、

今目の前で苦しんで痛がっている人はどうしましょうか?

昨今の世相を鑑みると、今はむしろ「ゼネラリストの医者」の方が必要なんでは無いでしょうか?


ワタシみたいな都市部に住んでいる、しかもまだ体力のある若者はいいのです。

何かあれば、まさに今のワタシのように、都市部の大病院に這ってでも行けば沢山のスペシャリストに助けてもらえます。

カラダの全部を隅々まで検査してくれて、沢山の病気を見つけてくれます。(それが良いか悪いかは別の話)


ただし地方で暮らす人々はどうなんでしょうか?

医者の不足・偏在が叫ばれて久しいですけど、そうなるとまさに、地方の「町医者=ゼネラリスト」の役割が大きくなるんじゃないでしょうか?


いまはその「町医者」の数も能力も足りないんだと思います。

ワタシが入院しているのは都心の大病院、この病院の外来はいっつもディズニーか?ってくらい混んでるんですよ。


ワタシは郊外の町医者を見て廻った訳じゃないけど、ここの病院の外来の日常のフィーバーぶりを見るだけで大体以下の察しがつきます。

・「町医者」が足りない、または能力が足りない

・紹介状を書いて都市の大病院に患者を転送するしかない

・そうすると大病院でも医者が足りなくなる
※ただでさえ高齢化で「医者になる人」よりも「医者に診てもらわないといけない人」の方が圧倒的に早く増える

・地方と都市で医者を奪い合う、という状況になる

・処遇が同条件ならキャリアが作れそうな都市の大病院を希望する医者のが多いに決まっている。医者も都市に居る方がプライベートも作り易いだろうし。

・ますます地方の医療は荒廃する一方、都市の医療もオーバーヒート状態。

・地方の市民も、「町医者」を信頼しなくなる、行かなくなる、という最悪の結末、「熱でた」というだけで大学病院の門をくぐる人続発、みたいな。

という悪循環なんですかね??


難しいですよね・・・これ、多分、フツウの経済におきかえると、「供給が制限されている中で需要が多すぎるんだから患者が払う治療費を青天井高くしまくれば一発解決!」

ってことになるんでしょうけどそうはいかない。


こう悪循環になると時間差の問題で助かる患者も助からなかったり、っていうケースは増えるんでしょうね。

救急車受け入れ拒否 ⇒ たらい回し ⇒ 死亡 がまさにそうなんじゃ・・・?


★☆★☆★


もっと「町医者」に優秀なゼネラリストの医者が沢山いれば・・・


町医者だけで解決できる病気も沢山あるだろうし、町医者で対応が出来なくても、的確な診断によって治療までの時間短縮になるかもしれない。

ゼネラリストでなくとも「町医者」が優秀なスペシャリストならば、「町医者」から「町医者」への患者の転送だって有り得る訳です。


ワタシの居る大病院にもありますが、都市の大病院には「総合科」みたいなのがあります。

症状がはっきりせず、「どこの科に行ったらいいのか?」というのをまずは診断する科なんです。


そもそも町医者がこの機能を担うべきです。


★☆★☆★


ワタシの家の近くに「遠藤医院」ってのがあります。

ワタシが子供の頃なんかは何かあるとまず「遠藤先生んとこ行こう」となりました。


寡黙な感じの、でも優しいお爺ちゃん先生でした。(※ちなみに遠藤先生は大分前に死んで今は息子が継いでいる。)

不思議とこのお爺ちゃん先生にお腹を触って聴診器を当ててもらうと心が落ち着いて安心したことをワタシは記憶しています。


ワタシ、小学校の時に遊んでて鉄柱に額を強打し、パッカ~割れて、大流血したことあるんです。

シャツとハンカチを血まみれにして大号泣しながらワタシはなんとか家に帰り、パニくった母は「遠藤先生」んとこへ。


しかし、遠藤先生のとこの看板は「内科」なんです。

遠藤先生はあわてること無く、ワタシのおでこに麻酔をすぐさま注射し、数針、あっという間に「外科的に」縫ってくれたことを記憶してます。


★☆★☆★


まあ、病気の性質にももちろんよるんでしょうけど、大病院の医者は外来で患者を触ることなどほとんどないんじゃないでしょうか?

パソコン画面に出ている、レントゲン写真と血液検査の数字で患者に触りもせずに診断と治療の決定を下してしまいます。

パソコンを診察してるんじゃね~か?という錯覚に陥ったこともワタシはあるくらい・・・


おでこ数針なんて、内科の医師でも、医師なら誰でも出来るのかもしれません。

しかし、普段パソコン相手に診察をしている、今ワタシが入院している大病院の内科医師に血を流れでているワタシのおでこを縫う技術と度胸があるでしょうか?・・・


遠藤先生のことをよ~く知っている訳では無いけど、患者に触れて安心感を与え、かつ、専門外であろうと、どのような患者が来ても決して逃げることの無かった「町医者・遠藤先生」は地域の住民を守るという使命を固く心に留めた「スペシャルなゼネラリスト医者」であったと思うのです。


今の日本には遠藤先生が沢山必要なんではなかろうか?


そうすれば、

・地方の住民も「町医者」を信頼できる。

・「町医者」にも患者が集まり地位も上がり医者も集まる。

・都市の大病院の負担が減り、教育や研究もますます進む。

・「未来」を担う大病院や大学病院と、「今」を担う町医者の役割分担が機能する。

という風になるんではないだろうか??


★☆★☆★


ノーベル賞を取った研究に税金を後付けで沢山投入するのは別に良いですよ。

夢があっていいんじゃないですか?


ただ、優秀な「ゼネラリストたる町医者」を、特に地方に増やす為に同じだけの税金と、新しい政策を投入すれば・・・

今まさにそこにある命を助けられるかもしれないのです。

それも大きな夢じゃないですか?


「リアルDr.コト―」が沢山生まれてくれる・・・これも素晴らしい夢です。


逆説になるけれども、ワタシはなんだか「医療の未来」って、

「IPS細胞」

よりも、みんなの家の近くの

「駅前○○○内科クリニック」

が握っているのだと思います。


おわり
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Vol.197 心のリハビリは?


モチベーションが大事なんです


病院にはリハビリ室があります。


そこに何人かのPTさん[理学療法士]が常駐していまして、ワタシはその中で筋トレしたり、自転車こいだり、歩いたり、バランスボール的なモノに乗ったりしてカラダを鍛えております。


ワタシ以外にもいろんな患者さんがリハビリをしていますが、もちろんお年寄りが多いんです。


ワタシはまだ若いし、もともと筋トレは好きだし、そして何より、

「早く元気になって家に帰りたいんだぜぇ〜」

という、

「強いモチベーション」

があるので真面目にリハビリをせっせと頑張っております。



まずはベッドから起きて、座ることから始めたリハビリも早1カ月以上が過ぎました。

お陰で今や自宅での生活は大丈夫だろう、という自信も自分の中でついてきました。

今家に帰っても何も問題ないと思います。



しかし、そんなワタシとは逆で、リハビリルームで一緒にリハビリをしているお年寄りの患者さんの中には、明らかに、

「モチベーションが無い人」

も居る訳です。


リハビリ室では、大体同じメンバーの患者さんと時間が被ることが多いのですが、1カ月以上、殆ど進歩が見られず、毎日同じメニューをただこなしているような方も沢山います。

中には全くといってやる気が見られず、ただ惰性でリハビリをこなしている感じで、PTさんも手を焼いているような患者さんも居る訳です。



・・・でも無理もないと思います。

なんだか、かわいそうです。

(人生の大先輩方に「可哀相」とは大変失礼なのを承知で・・・すいません。)



リハビリのモチベーションが持てない理由、事情は色々あると思われます。

個人個人の問題ではありますが、これは今後、益々の高齢化社会を迎えていく「社会全体の問題」でもあると思います。



まず、患者さん本人の問題として、お年寄りになってから一度寝た切りになってしまうような大病を患った場合、なかなか元通りに回復すること自体が難しい場合がありますよね?

そういう方は、例え自宅に戻れたとしても、活発に元通り動き回ることなど出来ないでしょうし、ご本人がもうそれを察して諦めてしまっているようなケースもあるでしょう。


年老いてから大病を患ってしまった場合、積極的に、その後の人生のモチベーションを見い出せないのは、無理も無いことかもしれません。



患者さん本人のみならず、家族全体の問題もあります。


やはり家族としては病院に居てもらった方が遥かに「楽」な訳です。

患者さんが自宅に戻っても、家族は介護をしなければならないし、経済的にも、病院に居る方が、治療費の負担だけで済んでしまう訳なんです。


患者本人も、家族に気を遣いたくないし、迷惑もかけたくないし、きっと病院に居る方が気が楽なんだと思います。

家族に煙たがられる程、辛いことはないんじゃないでしょうか?

それを避けたい、という気持ちはごもっともです。



病院は3食昼寝付き、

何か不自由があればボタン一つでナースが来て優しくしてくれます。


自宅で家族に気を遣って肩身の狭い思いをするよりも、病院の方が遥かに気楽でしょう。


ワタシも実際、病院のスタッフの方と色々世間話をするんですけど、やはりお年寄りの患者の中には、退院や転院を嫌がる人はいくらでも居るそうです・・・

さらに、患者本人は退院して家に帰りたがっているのに、家族がそれを嫌がるようなケースも沢山あるらしいのです・・・


う〜ん・・・


なんだか・・・ねぇ・・・(-_-;)


そんな話を聞くとやりきれないですね・・・



社会の課題として、病院には益々積極的な治療を必ずしも要しない患者さんが溜まる一方、国の医療費負担も増大の一途ですね・・・

それを気に病んで、国も制度として、積極的なリハビリを推奨するような診療報酬体系に切り変えたり、などの施策はしているそうなんです。
[※この話はPTさんに聞いたのですが、詳しい内容は忘れちゃいました。]

今は例えば心筋梗塞で倒れた人なんかも、翌日からのリハビリが推奨されているようです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


結局は、

患者本人が残りの人生をどう過ごすか?

またそれを家族がどうサポートするか?

ということを、家族皆でテツガクをして、方向性を出すべき問題ではあります。


でも、それをするに当たって、心のケアというか、患者およびその家族が、お年寄り患者の残りの人生を前向きに歩めるようサポートするような、そういう制度をより充実させることが必要では?

と思うんです・・・


いくら理学療法士が頑張って、カラダを元に戻そう、と、孤軍奮闘頑張っても、本人のモチベーション、および家族のサポートがなければ、リハビリは患者にとってただの苦役でしかありません。

理学療法士さんは心のケアは専門外です。




病気で倒れてしまった・・・


まずは患者本人がその事実を受け止めること。

そして病気を克服するモチベーションをまずは持つこと。


リハビリをする前にまずはそれをしなければならないはずです。



診療報酬をいくら工夫して、倒れた翌日からのリハビリを推奨した所で、本人の気持ちが付いてこなければ無意味なんです。


心筋梗塞なんて、死んでしまうこともある危険な大病です。

そんな大病で倒れてしまったショックを精神的に克服し、リハビリを前向きに開始出来るまで、普通はある程度時間は必要でしょう?


死んでたかもしれないのに、

「はい、気持ち切り替えて明日からリハビリ!」

って、翌日から出来ますか〜?



もちろんリハビリは早ければ早いほど回復が早いのは分かります。

そんなの患者だって分かってます。



ワタシも実際、7月に倒れてしまって、CCUに入りました。


実はCCUで目覚めた数日後、何度かリハビリのスケジュールを組まれたんです。

あの、気管切開のオペを受けた翌日にもリハビリの予定が組まれてました。。。


実際にPTさんもCCUのワタシの所に来てくれていたのですが、結局ワタシはリハビリを断ってPTさんを追い帰していたんです。。。


もちろん肉体的にはリハビリをしても大丈夫だ、との判断でPTさんもやって来たのです。


でも、全身管だらけで動く気にもなれないし、何せよリハビリをやるような精神状態では無い訳なんですよ。笑。



「死んでいたかもしれない・・・」

自分が倒れた事実すら、まだ完全に受け止めて、気持ちの整理が出来ないのに、とてもリハビリをする気になんてなれなかったんです。


結局、ワタシがリハビリを頑張ろう!と思い始めたのは、一般病棟に移れてから、倒れて目覚めて2週間後ですよ。

まだまだ若いワタシでもそれだけかかったんです。


理学療法士さんを付けて、カラダのリハビリをするよりまず、

「心のリハビリ」

が必要なんだと思います。

リハビリの為のリハビリです。


ワタシは若いし、まだまだ社会に戻って色々やらなければならないこともありますから、前向きにリハビリをするモチベーションを持てました。

もちろん、家族の愛情や、病院スタッフの方のサポートのお陰もあります。


でも、お年寄りの方とかは、今書いたような様々な事情により、なかなか前向きにリハビリをするモチベーションを持てないのだと思います。

なので、まずは「心のリハビリ」をしてくれるような専門家が居ればいいのにな?って思ったんです。



心療内科?、カウンセラー?、ソーシャルワーカー?、患者サポートセンター?

良く知らないんですが、そういう所って、そういう「心のリハビリ」はしてくれるんですかね??

ちょっとワタシもまだまだ不勉強なままこんな事言っちゃってるんですが・・・



もちろん、心のリハビリ、と言っても、患者、およびその家族の「人生観」にまで踏み込んでサポートしないといけないので、かなり難易度は高いのだと思うのですが、、、


でも、きっと必要です。


なんかそういうの、あればいいと思いました。


どうなんすかねぇ〜・・・



なんだか、リハビリルームでただなんとなくリハビリを、

「やらされてる」

お年寄りの悲しそうな目をワタシはスクワットをしながら横目で見て、そんなことを思ったのでした・・・


おわり

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Vol.139 ワタシが思う医者と患者との関係の「理想」を述べます

結局は気持ちの問題なのだ


レジメン

エビデンス

論文、文献

統計上は

一般的には

他の施設でのデータ、実績


ガンの治療をしていると、医者とのカンファレンスでもそういったフレーズを良く聞きます。


ガンの治療のみならず、医療がそういったモノを中心に組み立てられていて、それが引いては「特定の患者個人の為」でもある、ということは、なんとなく、直感的には理解をしています。


しかし、個別の患者にとって大事なのは「その先」なんです。

「一般的には、統計上は、レジメンは、エビデンスは、○○なんだけれども、ワタシさんの場合は、○○で、○○だから、○○の治療をした方がいいと思う。」

という個人のワタシに向けた、個人の医者の意見がワタシは欲しいんですよ?


ワタシは大事な局面のカンファレンスでは、

「○○先生的には、どう思われますかね〜?」

と、医者の「個人の意見」を必ず聞くようにしています。


ワタシが今まで出会った先生方はみなさん素晴らしい先生方でして、そんなワタシの気持ちを察するかのように、

「私が、ワタシさんの立場なら、○○します。」

とまで言って下さる先生もいるんですよ。


これは医者からしてみたら、かなりリスキーなんです。

「あんたが○○って言ったんじゃないか!」

と、ワタシに後で訴えられるかもしれません。

ワタシが証拠にその時のカンファレンスを録音してるかもしれません。


でも、そんなことを乗り越えて、「個人の医者」と「個人の患者」として、真剣に意見を言い合えた時にしか、いわゆる、

「信頼関係」

は生まれ無いのではないでしょうか?


一般論〈統計だの、エビデンスだの、抗がん剤のレジメンだの、論文だの〉だけでは何も発展はしませんし、それだけで治療が進むなら、医者はいらない、ということになりませんか?


ワタシたち患者は皆それぞれ違うのです。

性別も年齢もそれまでの生活環境も、考え方も、カラダの特徴や持病やクセもバラバラなのです。

同じ抗がん剤のレジメンでも、効き方や、副作用が千差万別なんですから。


一般論は最大公約数みたいなモノですよね?

全体としてみたら唯一の正しい答えになるのですが、それを個別の患者に当てはめたところで最適になるはずがないのです。


お医者さんも皆それぞれ違うはずです。

お医者さんも、これまでの経験で培ってきたオリジナルの知識や、思い、治療に対するテツガクもあるはずですし、何より患者を受け持って、ワタシと出会って、思ったことがあるはずです。


一般的な医者と、一般的な患者では無く、

あなたと、ワタシ、なんです。


一般論は、一般論として理解をしつつも、それをお互いの信頼関係でもって、ワタシにとって最適の治療となるように「カスタマイズ」していきたいのです。


医者の目的は、

「一般的な、レジメン通りのメニューを消化する」

ことではありませんよね?

それだったら、ぶっちゃけインターネットで薬を調べて、点滴を入れてくれる看護師さん一人と、たまにCTをとってくれる技師さんが居れば成り立ちますよ。


医者の目的は、

「患者を治す」

ことですよね?


一般論しか語れない医者は考えるコトを放棄してる、ってことです。


ガン治療の現場ではよくある光景でしょうが、一般論をいくつか提示した挙げ句、

「あとは患者さんが、ご家族と、よく相談して、患者さんが決めて下さい・・・」

と、自分の意見を言わない・・・これは医者失格じゃないですか?


普通のビジネスの場でも通用しませんよ、こんなの。

ワタシも昔、会社でよく、資料を作って会議でプレゼンなんかして、前段で「一般論」とか、「べき論」を述べた所で、

上司に、

「もういいよ、、、それで?、そんでどうすんの?、お前はどう思うの?、何がしたいの?」

って詰められて、チーンって、終わりですよ。笑。マジで。笑。

泣いて机に帰るだけです。笑。



別に医者に全てを押しつけて、ワタシは楽になりたい訳では無い。


全責任を医者になすりつけて、

「先生に全てお任せしますだ〜、なんとか助けてくんなまし〜、神様仏様お医者様〜」

って、一昔前のドラマみたいなことはありません。


ワタシは頭から血が出る程考え、悩んでいるのです。


同じだけ医者も悩め!考えろ!

とはいいませんが、一般論をただワタシに当てはめるのでは無く、ほんの少しでも、ワタシ個人の事情に思いを巡らすべきです。


それに、医者が医者の個人的な意見を言ってくれた所で、それが正解かどうかなんて分からない、そんなコトはワタシも一番良く理解をしています。



選択の全責任は、ワタシにあるのですし、


ワタシが全ての責任を負いますし、


・・・・・すし、


寿司くいたい。


トリ貝。



だから、医者には思い切ってワタシに意見を、お医者さん個人の意見をぶつけて欲しい。

別にそれが正しいか、正しく無いかは問題ではないのです。

責任をなすりつけて、後で騒ぎ立てることなんてありません。



要は、

一緒に頑張って欲しい、

のです。


一般論だけ提示して、極力責任を被らないように、リスク回避だけをして、後は知らん顔っていう仕事じゃなくて、もっとガチに、患者の成り行きに患者と一緒にハラハラ・ドキドキして欲しいんですよ。


お医者さん個人は、こう言ってくれた、

そう思えれば、頑張れることが多いのです。


気持ちの問題です。


そういう、目に見え無い、理屈ではない、科学では無い部分が一番大切だったりするんです。


一緒に闘って欲しいんですね。

だって目的は同じはずですよね?

仲間ですよね?

ワンピースですよね?

ワンピース読んだことは無いけど?


医者は患者のコンサルタントではありませんよね?


逆にワタシも、医者に全てを任せる、などと思ってはいけないです。

治すのはワタシ自身です。

わかってますよ。

ワタシも全力で考え、頑張らなければ、そんな素晴らしい先生方に失礼ですからね!


疲れるけどね、頑張るよ。

面倒だけどね。


だから、これからも宜しくたのんますぜ〜、先生方〜!

頼りにしてまっせ!

っていうか助けてね、マジで (。・・。)


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Vol.30 家族にこそ言えないコト

今日の日経に、

都内でのピアサポート広がる云々、と言う記事


が書かれていました。


ピアサポートという言葉は知りませんでしたが、こういったことは益々広がれば良いです。

自分はまだ、ネットの世界は別として、リアルに他の方に面と向かって病気のことをシリアスに相談したことはなく、今の所は一人でなんとかなっていますが、きっとこういったモノを利用したくなる時は来ると思います。



記事にも書かれていますが、

家族だからこそ言えないコト、

これはありますよね・・・


ワタシも、家族などには絶対に言わないであろうことを、あまりワタシの病気のコトを知らない会社の人などにポロッと愚痴をこぼしてしまったりすることは稀にあります。

全然ワタシの素性も何も知らない人に不安をぶちまけてやりたい(決して文章では書けないくらいグロテスクで汚い言葉も含めw)時だってあります。



そういった時に、同じ悩みを共有してくれる病気の先輩がいればかなり安心しますよね。


ワタシがこれまでかかってきた病院にも、

患者支援センター

なるものはあるようですが、そこに居るのは病院側の人だったりします。


ワタシ含め、インターネットで情報を取れる環境に居る人間は幾分、それで他の患者さんと繋がれたりしますが、ある程度高齢の夫婦の方とかはそうもいかないでしょう。

そういった意味でもこういった病院と連携されての取り組みが増えれば良いコトですね。



きっと同じことは病人の家族にも言えます。

家族も病人と同じかそれ以上の苦しみを抱えているはずで、病気の本人には言えないコトなんて沢山抱えているはずです。

そちらも含めて支援を受けれる環境が益々増えれば良いと思います。


おわり

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Vol.3 生きる意味は他人の為 ~尊厳死を少しだけテツガク~

人は他人の為に生きている。


23日付 日経に「尊厳死」について記事がありました。
http://s.nikkei.com/GQu4Gk


少し「尊厳死」でググってみると、賛否両論、いろんな団体がいろんな主張を展開しているようですね。


ちょっと前にも有名政治家が「胃ろう」について、発言の揚げ足を取られて叩かれていました。

これも尊厳死について考えるキッカケになりました。

超党派の議連は提出しようという法案に、尊厳死が認められる為には「患者本人の書面による意思表示が必要」とする、とのことです。


延命治療を望まない人にとって選択肢が増える、ということはワタシも良いと思います。

本人の書面同意がなければ行われないのですからこれを見る限りには良い制度と思います。


もちろん趣旨から外れた使われ方をされてしまう、という制度につきものの欠陥はあるのでしょうが、一歩踏み出すことは大事ではないでしょうか?


個々人の尊厳よりも、天下国家を大局から考えているだろう政治家達は医療費の削減とか、欧米との比較とか、そういうことを言っているだろうと思いますが、それはさておき、この制度は良いと思えます。


尊厳「死」の議論ではありますが、これはすなわち「生」の問題に他ならないと思います。

「生」をどう捉えるか、ということです。


科学や医療の発展による、新薬だとか、なんちゃら細胞などの発見・発明は、これは人間がより「生きる」為の発展に見えますが、実は「死」をどう捉えるか、という問題を含んでいると思います。

最近は、というか昔からかもしれませんが、こっちの「死」の話題ばかりです。


そういった意味では「生」を考える議論が盛んになるのは良いことだと思います。

ワタシも生と死については難しすぎて理解に苦しんでいますが、もっともっと人間は「死」を恐れるばかりではなく、「生」を考えた方が良いと思います。


「どう生きたいか?」それを考えて選択をできる幅が広がることはいいことではないでしょうか?


ただ、おおかたは本人もそれを考えて、決断をする前にきっと病状が悪化し、意思表示が出来ない寝た切り状態になってしまうと思われます。

この議論をきっかけに皆が元気なうちに、「生」についてテツガクすることが大事だと思います。



ワタシも冗談のうちに留まってしまってますが、母親とついい先日、植物人間になったらどうする?みたいな話をしました。

お互い「そしたら殺してくれていいよ~」なんて簡単に言ってましたが、これはもっと深くテツガクしていかなければならない課題です。


国民がこの問題を身近に考えられるよう、関係機関はもっと情報を発信してもらいたいし、メディアももっと盛り上げて、情報や主張が沢山出てくることを望みます。



ワタシも経験上、これまでの入院生活の中で、寝たきりでほぼ意思表示が出来ない人を見ました。

Aさんです。

結構そういう方に限ってあまり家族の方は見舞いに来ないモノです。

ワタシは10日くらいの入院生活でしたがAさんの家族を見たことはありません。


一月後、また10日ほど入院した際にまだAさんはいましたが、家族は見ませんでした。

もちろん入院が非常に長期で、月に数回も家族が見舞いに来ない、ただ単にワタシが見なかった、ということなのでしょうか??

そんなものでしょうか?



「人は他人の為に生きている。」


極論ですが、これはワタシの人生観の一つです。



そのAさんのご家族ですが、Aさんに「回復を信じて生きて居て欲しい!」と強く思っているのでしょうか?


そうであれば、ワタシはAさんが生かされている意味は十分にあると思うのです。



愛する家族は自分以上の存在です。



その家族が生きて居て欲しいと思う以上は、Aさんも頑張れるのではないでしょうか?

逆にその家族も本当はもうAさんを休ませてあげたい、と心のどこかで思っているのかもしれません。


お見舞いに来ない家族がどう思っているかは当然ワタシも察することが出来ず、それもあってか、Aさんは深い悩みの奥に閉じ込められてしまっているように感じたのです。


生きることも死ぬことも許されない、といったような哀しい雰囲気を寝た切りで動かないAさんに感じてしまいました。



愛する人が尊厳死を望んだら?ワタシはどうするでしょうか?


ワタシは尊厳死を望むでしょうか?


今はわかりません。



答えは簡単には出ないでしょうが、自分は延命治療を望むか?



人は他人の為に生きている。


「他人」の中で一番はもちろん家族です。



ワタシも含め、これは是非とも家族や大切な人と一緒にテツガクしたいと思います。


おわり
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