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ワタシはカラダをテツガクする

病気が集まってくるカラダを自慢している。 生きてる以上テツガクするしかないね。めんどくさいけどね。

Vol.512 健康になる!という不健康




好きにするのが、

一番、

良い。


・・・・・・・・・・・


カラダは不思議です。

コントロール出来ない部分のが圧倒的に多いのです。



病気になった当時から、ワタシもご多分に洩れず、健康に興味をもったものです。

ガン患者に勧められている健康法の本や、
食事療法、メンタルの本など読みあさり、
野菜ジュースを毎日作って大量に飲んだり、玄米と野菜のみの生活にしたり、しました。。。笑。

かといって、カラダは思う通りには反応してくれないのです。


元々、ジャンクな食べものが大好きですが、玄米や野菜も、好きなので、健康の為、というよりは、好きなので、カラダによいものを食べてることもありますけどね。

入院中は別として玄米と野菜はよく食べます。

それと、肉より、魚を食ってるし。

好きなものとして、食べます。


それで、

いいのだと思います。



世の中には、食事なんて気にせず、好きなものを好きなだけ、飲み食いして、ブクブク太って、長生きしている人は沢山いる訳です。

反面、健康に気を使っているのにも関わらず、病気になって早死にする人もいる訳です。


それが不公平だ、なんて言う気はさらさら無くて、結局、好き勝手生きてる方がストレスが少なくて、良いのだ、ということなのでしょうね。笑。


思えば、ワタシが、いわゆる、ガンの人が一度は通るであろう、玄米食や、大量野菜ジュース療法をしていた頃、、、

ネットやスーパーで有機野菜を買い漁って、ジューサーにかけて、、、

一日の時間を、ほぼそれで消費している感じで、かなりの重労働でした。

金も使いました。


母親にも、泥付きニンジンを、冷たい水で洗ってもらったりして、それはかなりストレスだったんですね。

そりゃ、いくらカラダに良いから、といって、精神的ストレスが増えてしまっては、良くなかった訳です。。。

家族にも、気を遣わした。

実際、ワタシはその間で腫瘍大きくなって、MG発症したりしましたから。



入院中の今、ワタシは、食べ物や、酒のことばっかり頭から離れませんわ。

暴飲暴食したくて、仕方ない。
※といっても、いざ退院すると、そうでもなくなるんですけどね。


ラーメンや、ジャンクなものばかり毎日食べて、酒も散々飲み歩いている人のブログとか見て、涎垂らしてます。

そんな人々は、皆健康ですよ。

健康だから、そんなことできる、ってこともあるけど。


そういう人は、

健康になろう!と、

してないから健康なんです。

うらやましいです。


ワタシは今は、カラダに気を使っていないことはなく、まだまだ人一倍気を使っている方だと思います。

食材や栄養やカラダの知識も人より富だと思います。


でも、あくまで、それは、好きなこととしてやりたいと思うし、好きです。

最近、東洋医学や漢方に興味が出てきた。笑。


でも、それに飽きたら、

ストレスを感じたら、

ラーメン食って、アイス食って、ポテチ食って、昼から焼酎飲んで、マックで生○ミのようなハンバーガー食うんです。笑。


そんな風でいいのかな~と。

後悔しない、

生活をしたいです。



あと、

傍若無人な食生活をしてる人に言いたいのですが、笑、

やはり、病気には、いずれなりますよ?笑。


ワタシは、病気になった当初は、人にも、

気をつけなよ、

健康大事よ、

病気大変よ!

と、布教のようなことを、言ってきたものです。


今はそんなことは人に言いません。

勝手にするのが、一番だと。。。


どうせ、人間最後には、酒も飲めなくなるし、好きなものも食べれなくなるんだから、今は好きにしとけばいいよ!、ははは!

って言います。笑。


会社を辞める時、当時の先輩方や上司に、それまで何も考えていなかったのに、近年の健康ブームに乗って、最近ウォーキングやダイエットはじめた!なんて人いましたが、そんな人に、

そんなことしても、どうせ最後に病気になりますから、今は好き勝手した方がいいですよ?

とか言うと、目を丸くしてました。笑。

病気のワタシが言うと説得力あるのでしょう。



他の人には、後悔しないようして欲しいですね。

好き勝手飲み食いして、タバコもプカプカ吸うのであれば、明日、ガンって言われても、堂々として欲しいですわ。


そこでクヨクヨ、

なんでガンになっちまうんだ~、

なんて嘆いているオッサンが一番ダサいんですよ。笑。



ふぅー

って、

結局なんか愚痴になってしまったなこの記事は。(^。^;)

ワタシはうらやましいんだわ、きっと、毎日マックとカレーとラーメンととんかつと酒で暮らしてる人が。笑。

油ギッシュでデブでも長生きしているオッサンが羨ましいんだわ。。。笑。

朝からすんません。。。



おわり

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Vol.315 相変わらず、ということを認識する、というブログの効能



ということです


今日は沢山寝ました。

木・金と病院で疲れたのと、また放射線を当て始めたことでカラダも少し疲れたかもしれません。

といっても体調は良好、筋肉、心臓問題無し。

相変わらずです。


この体調が良い状態も、昨年10月末の退院後、3か月キープ出来ています。
〈ステロイド30ミリに拠る所が大きいと思っている。)

この相変わらず、の状態も、まさしく常態化しつつあるのですが、このブログなどで毎日自分の体調・行動を振り返ったりすることで、

「ああ、自分は良い状態なのだ。」

と意識することが出来ます。

これは自分にとって、とても良いことだと思いました。


その状態が「普通」になると、どうしてもそれの尊さ、とか、大切さ、などを忘れてしまいがちになりますもんね。

失ってから気づくものが多い、みたいな話と一緒です。

逃した魚は大きい、みたいな?

隣の芝生は青い、は違うか?


なんとなく、頭の中で、

「ああ、この相変わらずが幸せなことなのだ。」

と思っているのみならず、ブログにこうして、文字で「相変わらず、良好」などと書くことで、日々カラダを意識することになります。

それはカラダの小さい変化をも意識することに繋がるだろうし、それを積み重ねていくことで、この「コントロール不能な部分の多い不可解なカラダ」というものを少しでもコントロール可能にしていくことが出来るのではなかろうか?・・・

そんなことを思っております。

まあでも、

意識しすぎ、なのも良くないこともあるんですけどね・・・難しいですね。


おわり

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Vol.289 鼠蹊部の傷は塞がったけれど悩むー



どちらに向かっているのでしょうか


死の淵を彷徨った時の名残である鼠蹊部の傷は、もうすっかり塞がって、昨日あたりからガーゼ無しで剥き出しにしております。

ようやく、夏以来数か月振りにガーゼを毎日張り替える作業から解放されました。

よく頑張ったものです。笑。

ガッツリとケロイド状の「跡」は残っていますが、ワタシが生きて居る限りはこれから長い年月をかけて、ある程度まではキレイになっていくでしょう。


しかし、人間のカラダは不思議であります。

あれだけ、大きく深く開いて、かつ、絶望的な痛みをワタシに与えたこの鼠蹊部の傷・・・数か月でここまで戻るんですね・・・最早痛みは全く無く・・・

その回復能力、自然治癒力には驚かされるばかりです。


最近、ここ一年は特にカラダ的にも特にいろいろな出来事がありました。

「人は簡単に死ぬんだな〜」

と思った反面、リハビリで今現在ここまで元気になれたことを始め、人間のその生命力にも驚かされることも沢山あって、

「人は簡単に死なないな〜」

とも思いました。



ワタシのカラダは一体どこへ向かっているのか?

病気になって以来、そんなことを考えてきました。


カラダの声に忠実に生きたい、と願ってはおりますが、考えれば考えるほど、ワタシのカラダの腫瘍や症状は、確実にワタシを死に誘っていると思えてきます。


病気が生きる為の試練だ、

これから健康になる為に必要なのだ、

という感情があった時期も確かにありましたが、これまで闘病を重ねる中で、すっかりそんな「信仰」は消えてしまいました。


ワタシのカラダが死に向かっているとしても、それはそうだとしても、こうして鼠蹊部の傷の治り具合や、夏に倒れて、復活してからのワタシの回復ぶりなど、まだまだワタシを生きさせようとしていることも事実だったりします。


一体どっちなのでしょうか?

死のうとしているのか?

生きようとしているのか?


結局、カラダというものは、その脳みそや心といった精神も含めて実に統一性を欠いております。

例えば、鍛えれば筋肉が増えたり、無茶すると体調を崩したり、など、自分の「行為」でコントロール出来る部分もあれば、そうで無い部分も多くあることがそれを物語っています。


つまり、カラダの声に忠実に生きようとしても、そのカラダの声というものがあるとしたら、それは決して一つでは無いことに気づきました。

精神・心含めて、カラダの中のそれぞれの内臓、筋肉、骨、神経、細胞、ガン細胞に至るまで、それは「何か一つの意思」で統治されているのではなく、結局それぞれが何の意思も計らいもなく、勝手に活動しているのだと思います。

自分の精神含めた、「何かの力」でカラダを「完全に」コントロールすることは不可能なのですね。


そういったことを考えていると、結局、カラダというものは「自然」の千変万化と何ら変わらないものであるような気がしてきます。

病気になって、健康になる、という変化も、ただ花が咲き、散って、また咲き、というような変化と同じモノかもしれません。

そこに何らの「理由」などありません。


目を閉じて、自分のカラダに、心臓の鼓動に、呼吸に集中していると、実にハッキリと自分のカラダの輪郭がイメージ出来て、外物を排除しカラダに集中できるのですが、同時に次の瞬間、ワタシのカラダが何か砂のようなモノになって、風に飛ばされて消えて無くなってしまうような感覚にもなったりします。

「自然」に溶け出してしまう、といったような感じです・・・


カラダも自然・・・

例えば大地震を予知できないのと同じように、ワタシたちは自然の存在である「カラダ」を完全にコントロールすることは出来ないのでしょう。


そういうことになんとなく気づいていながら、

しかし、まだまだ生きることを望み続けるワタシの精神は・・・

ワタシのカラダの他の部分とは無関係にこれからも悩み続けるのでしょう・・・

そして、その悩みすらも、自然の変化の一端に過ぎず、ワタシのカラダの精神以外の部分とは何ら関係が無いのかもしれませんね。


しかし、

ワタシはこの不可解なカラダについて悩まずにはいられないのです・・・


今日も雑多な感じでお送りしました~・・・笑。


おわり

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Vol.287 息を吐きたいんです、ワタシ



息を吐いてっ


今日はワタシが少年時代から敬愛している、大好きなテツガク超人の一人、貴乃花師匠の本がアマゾンから届きました~。

⇒ 生きざま 私と相撲、激闘四十年のすべて

師匠もこの中で言っているんですが、「息を吐く」ことは大事なのですね・・・

姿勢を正す、ことが大事で、それは呼吸の為で、力を出す時ほど呼吸をしないとカラダが壊れるのだ、呼吸は吐くことが大事なのだと・・・

そんなことが書かれている箇所がありまして・・・


ワタシ、呼吸が実に下手くそであります。

左肺を半分切ったし、肺の周りには癌があるので、ここ数年、呼吸を意識することが多かったお蔭で気づいたのですが、おそらく病気になる前から呼吸が下手くそだったんでしょう。


何か一つのことに集中していると、ワタシは息が止まってしまう瞬間が多々あるんです・・・

呼吸が大事だということで、特にそれは「吐き出すこと」が大事なんだと、ストレスの多い現代人は息を吐けていない、余計なものを出せていない、ただ惰性で息を吸って、惰性で食事もしている、それを吐き切る前に惰性で吸っているのだ!・・・

というような、実に深いテツガクをも含んだことを本の中で師匠も言っています。


確かに、ワタシも何かに集中していたり、緊張していたり、そういう時に、「あ、息が止まっているな」と気づいた時にはリラックスして、わざと大きく、声を出しながら、

「あああ~~~」

っと、ため息をついたりすると、結構リラックス出来たりするんですよね。

やっぱ息吐くのは大事なんですね。

不思議です・・・

呼吸がすべてに繋がっている、というのもあながちウソでは無いですよね、ほんと。


ワタシも結局、死の淵に行った時なんですが、吸う方の筋肉よりも、どうやら呼気の方がヤバくなったらしく、それだと酸素をいくら流しても、結局二酸化炭素を吐けなくなってしまうので、結果、血中の二酸化炭素が増えて苦しくなり、気管を挿管・切開・人工呼吸器装着となったんです。

ってまあ、そん時は肉体的物理的に肺も呼吸筋も弱ってたからストレス云々は別なんだけれども。

吸えなければ酸素送ればいいかもしれないけど、吐けなきゃもっと大変、ということでしょうか?


それで実際に呼吸器に繋がれている間も、呼吸器の先生や看護師さんなどにも、もっとリラックスして、吐いて、吐いて、と言われたり。

いや、ワタシ的に別にフツーに息しているだけなんですけど?って感じで。

リハビリしてる時も、理学療法士Aちゃんは良く、息吸って、とは言わず、やはり、吐いて、吐いて、と言っていた・・・


そんな、ワタシの「息の吐けなさっぷり」が、ストレスを吐き出せずに溜め込み、ひいては、それが癌体質に繋がっているのだろうか、とも思うんですよね~。

でも、日常無意識でしている呼吸、って、なかなか意識しても変えられるものではないようで・・・どうなんでしょう?

ワタシの悩みだったりしますです。

どうすればいいのか...


病気になって、いろいろな人から、呼吸が大事だよ、とか、呼吸法、気功、太極拳、ヨガなど、いろいろ勧められはするんですけどね~。

なかなかきっかけもなく・・・


まあまあ、出来る限り、

「息吐いて」

がんばりたいとオモイマス・・・



しかし、この貴乃花師匠の本は良かったです。

万物斉同、一芸は百芸に通ず、全ての真理はただ一つ、一事が万事、、、

とにかく、笑、

一つの「道」を極めた人のテツガクは、それはそのままあらゆる処世の教えになりますなぁ。

おわり

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Vol.256 カラダに集中する 


カラダから逃げずに


今日は若干、肺および呼吸筋の調子が悪い気がする。

少しだけ息苦しい気がする。


天気の悪さ、気圧などの影響か・・・?


でも、悪かったとしても、どちらかというと筋炎よりもMGっぽい症状なので大丈夫だと思う。

※これが筋炎だと、また心筋炎につながる可能性もある、とワタシは思っている。


まあ、日々の誤差の範囲かな~と、カラダは常に動いて居るので一瞬として同じ瞬間などないはず。

MGという病気も結構ワタシの場合、日毎変動はある。


でも決して、「大丈夫、大丈夫!」と盲目的に自分のカラダから目を逸らしてはいけない。

体の中で起きている変化に、多少悲観的な目を向けるくらいが多分ワタシには丁度良い。



カラダに集中する。

細かいカラダの声を「気のせいだ、大丈夫だ、」と、「いわゆる楽観的・プラス思考的」なBGMとして聞き流して現実逃避をする余裕はワタシに最早無い。


しかし、

カラダの声はよく聞き取れないものだ。


しかも、

聞き取れたとしても、聞こえなかったフリをして耳を塞ぎたくなるものだ。


あぁ、矛盾・・・


おわり
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Vol.253 病気に理由はあるのか?


何か変わる必要があるのか、ないのか


【①自然と中庸(バランスを取る)になろうとする機能】

一昨日、刺身や鯖寿司を沢山食べたのですが、魚の脂で口が満たされればお茶が飲みたい、という感じになり、食べ過ぎて胃もたれして翌朝目覚めれば、それが回復するまで食欲を落として胃腸を守ろうとします。


カラダは正直です。


暑ければ汗をかき、寒ければ震えて体温を守ろうとする。

蚊に刺されると腫れるし、埃を吸えばくしゃみを出す。

しょっぱいマックには甘いコーラが合う。笑。


常にカラダはそのバランスを保って、「自然と中庸になろうとする」ようです。


大昔の東洋のテツガクの大先輩達は、ひたすらに「中庸」或いは「中正」と言って、用はバランスが大事だと言っておられます。

もともと人間の体には「自然とその中庸になろうとする機能」が備わっているのだと思います。


ワタシはそのカラダの「自然と中庸になろうとする機能」を大事に、「自然と中庸になろうとするカラダの声を聞き分ける能力」を高めていく・・・

そういった養生道を追求していきたいと思っています。



【②快楽と苦痛をコントロールする節制は必要】


がしかし、、、

「カラダの声を聞き分ける」とはいいつつも・・・これとても難しいです。。。


東洋の大先輩達が「中庸・中正」と言っているのと同じく、西洋においても、例えば伝説のテツガク巨人・アリストテレス先輩も「快楽と苦痛をコントロールする節制が必要」というようなことを言っておられ、同じくバランスが大事なのだ、と。

つまり、

いくら自分のカラダに、「自然と中庸になろうとする機能」があるからと言って、それに頼って傍若無人な振る舞いをしてはいけない、「自然」に対して「人為的」な「節制」が必要、「自然と中庸になろうとする機能」にも限界はあるのだ、ということでしょうか?

体にストレスや何かしらの悪い影響があると(苦痛)、そこからカラダは自然に逃れようとします。(自然と中庸になろうとする機能)

しかし、その「自然と中庸になろうとする機能」も、使い方を間違えると(快楽)、また苦痛がやってくる・・・


例えば、ストレス(苦痛)を発散する為に酒を飲み過ぎたり、浮気に走ったりすると(快楽)と、結局また二日酔いになったり、奥さんにバレたり会社から干されたりして同じストレス(苦痛)を抱える・・・

終わりなき「快楽」と「苦痛」の連鎖から解放される為にも「節制」が必要だと。。。


アリストテレス先輩の思いはそういうことなのでしょうか・・・?


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


という話を前提に・・・

では、ワタシのカラダの中に起きている「病気」は一体どういう現象なのでしょうか?


①ワタシの病気は、「ワタシが中庸になろうとする機能」の発現としての病気なのか?


②ワタシの病気は、それまでの人生で味わってきた「快楽」の結果としての「苦痛」なのか?


う~ん・・・

どっちも当てはまらない気がするんです・・・


ワタシの病気が①の「中庸を守ろうとする機能」であれば、発病までの人生でやはりワタシのカラダに変化が起きていて、それを自然の中庸の状態に戻す為に病気になったのだと・・・そうなります。

そうすると、ワタシはごく自然にしていれば、病気の反応に従順でいれば、そう、風邪引いたときに、熱を出して、ウイルスを退治しようとするように・・・そうしておけば、徐々に元気になるはずですが、今やステロイドという「不自然なものの助け」が無いとワタシは命すら保てなくなっております。


それよりも、若干は、②の方が正しいような気もします・・・

がしかし、②だと、ワタシは一体どのような「節制」をすればいいのでしょうか?

治療、は、アリストテレス先輩の言う「節制」になっているのでしょうか・・・?

しかも、それまでの人生で身を滅ぼす程の快楽を得てきた記憶もありませんし。

「食欲に溺れて胃癌になる」という類いの病気ではありませんで・・・


確かに、ワタシもこれまでの闘病生活で、幾度となく、

「肉体的な生活習慣や、精神的な思考方法全て今までとは変えなければならない(=いわゆる節制?)」

と悩んできたり、実際に何かやってみたりもしました。


結局、何かうまくいったことも無かったのです。


やはりこれは、少し悲観的にならざるを得ないですが、①-A説として、

万物、命あるものの「生と死」は一体不可分、「生きている」ものは最終的に「死ぬ」ことで、最後の「中庸になろうとする機能」を発現させる。

つまり、生きているものは、死ぬことでバランスを取る、それすなわち「中庸」なのだと。

そういう考えを少しでも抱くに至ったワタシは「癌は人間が死ぬための手段だ・・・」それは十分にあり得ると思ってます。


がん細胞はその出生を辿ると、ほとんど正常細胞と一緒だ、といいます。

そのため、本当は抗がん剤などしないで癌は放っておけば、痛みなどなく、安らかに死ねるのだ、というような主張をしている医者の本もいくつか散見されます。

これが正しいとなると、ワタシは今の病気によって召されることになりますが、安らかに死ねるでしょうか・・・?

でも、実際に死ぬ際に痛みや苦しさが無いとは思えないのですが・・・

そのような本を書いている医者は癌になった上で言ってるのでしょうか・・・?



結局、これまでの闘病生活で、

「自然と中庸になろうとする機能」に任せてみても、そうでなくても、

「節制」を試みて何かを実行しても、実行しなくても、

結局何も変わっていないような気がします・・・


とは言っても、生き続けることを望むワタシは、こういったことを止めどなく頭の中でモヤモヤさせていると、結局第三の説である、

「以後のより良い人生を送る為に神が与えた試練」

その前提として、

「神は乗り越えられない試練は与えない」

などという思想に救いを求めるしか無くなります。笑。


結局、この第三の説も正しいかどうか、判断つきませんので、そう信じることも難しいことでして。


まあまあ、

理由がどうであれ、ワタシはまだ死にたくないですから、日々やることは変わらない訳なのです。


理由など、考えなければ、「理由など無い」ということになるのです。

先程の続きで、癌細胞は元を辿れば、無限にある正常細胞のほんの一つが「たまたま」突然変異したに過ぎない、らしいですし。

そんなことを聞くと理由はなさそうです。

宝くじに当たるか、当たらないか、みたいな感じでしょうか・・・



ワタシの悩みのみならず、世の中の全ての悩みを解決する方法が一つだけあります。

「悩まなきゃいい」

のです。



・・・でも、

「がん」という不可解な病気を・・・


不可解なこの「カラダ」を・・・


深くテツガクせずにはいられないのです・・・


おわり
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Vol.93 自然と人間

あーな〜ただ〜け 見つーめ〜てる〜


ワタシ 「はぁぁぁ〜・・・退屈だ・・・退屈なんだぜぇ・・・」


ジョカノ 「何がしたい?」


ワタシ 「う〜ん・・・そう言われると、、、特に・・・」


ワタシ 「・・・散歩かなぁ?・・・でも今は体力無いから疲れるなぁ・・・」


ジョカノ 「・・・おじいちゃんやね (笑)・・・」


ワタシ 「・・・・・・」



最近、退屈なのですが、かといって、何がしたい?と問われても、大したことは思い浮かばず・・・

いや、やりたいこととか、行きたい所、食べたいものなどは挙げればいくらでもあるんですが、どうしてもこれ!というものは特に、、、ないんです。


無、です。無。


そんで、やっぱり「散歩」ですかね? したいことは?

散歩、というか、自然に触れたいのだと思います、ワタシ。

森とかに行きたいから。

いや、別に普段アウトドア派ではないんですがね、むしろインドア引ッキー派で・・・だからこんな長い入院もなんとか耐えてます。笑。



病院にいるとやはり自然が恋しくなりますね。

そりゃ外に出ませんから。

ましてや今ワタシは「化学」療法、という自然の対極にカラダを委ねております。

自然に逆らっているので、カラダがバランスを取ろうとして、自然を欲しているのでしょう。



ワタシは食べ物は有機栽培のモノなど意識するようにして、自然の力を最大限吸収しようとしていますが、反面、自然ではない人工的に開発された農薬や添加物などにまみれたモノも好んで食べています。

それで育ってきてしまってますから、それを断つのは無理ですし。

ジャンクな食べ物やお菓子は大好きであります。(笑)

今もこれを書きながら、確実にカラダに悪いであろう、人工甘味料に溢れたコーラを飲んでいるのです。(笑)


今の世の中で添加物など全く無い食べ物だけで暮らしていくのは不可能ですし、それは食べ物だけじゃなく、普段の日常のあらゆる場面で人間はもはや自然の力だけで暮らしていくことはできません。


テレビやパソコン、街のネオンの光に目を刺され・・・

汚染された空気に肌や肺をさらし・・・

機械の雑音に耳を塞がれ・・・・

真偽の不明な情報や、欲望が産み出す刺激に脳を惑わされ (笑) ・・・


人間の五感はすべて人工的に作られたモノに支配されちまってます。。。


人間は自然の存在では無くなってしまっていますよね。

半分、人造人間、と言ってもいいくらいじゃないですか?


生活習慣病や、ワタシの病気もその反動なのでしょうかね?・・・



ちょっと言葉遊びになりますが、

もはや人間は「自然そのままの存在」では無い以上、こういった人工的で一見有害なモノともバランス良く付き合っていくことこそが、それこそ現代人にとっての「自然」なんではないかと思います。

無理に人工的なモノを排除することが、逆に「不自然」なのかもしれないです、もはや。


ワタシも去年、自然にこだわり、徹底的に人工的なモノを排除すべく、玄米菜食に取り組んだ時期がありました。

当然、人工的なモノを完全に排除することは出来ないですし、ワタシの場合は病状を改善する効果を上げることは出来ませんでした。


結局、「自然」にこだわり「過ぎた」為、それは「不自然」になっていたのでしょう。


まぁでも、一度でいいから、どこか田舎の空気と水の良い場所で、野菜や果物を育てて食べながら、毎日温泉に浸かったりして、自然のモノだけにカラダを委ねて過ごしてみたいですけどね。笑。

人工的な現代の文明が様々な病気をも生み出した、とするなら、こうすれば病気は治ることになりますが・・・どうでしょうね?・・・


結局、バランスですよね。

カッコ良く言うと、中正だの、中庸だの、そんなんが大事なんです。


完全な自然に回帰するのはもはや不可能です。

山に籠もって、文明を遠ざけ、農作業と思想に耽って生きていくことは出来ませんし、それは現代社会人には許されません。


自然と不自然をうまく使いながら生きていくしかないのですね。


でも人間はそんな中でも、たくましく生き伸びていく生命力が本来備わっているのでしょう。

ある意味、不自然にまみれた現代にも適応するように進化しているのですかね・・・


カラダがそれを教えてくれます。

病院に居て、現代の不自然な化学にまみれてるワタシは生き伸びています。

しかし、「散歩」がしたいのです。


木々や草、土の臭いが恋しいですね。


カラダがバランスを求めている証拠です。

「不自然」に浸りすぎているカラダが、元気を取り戻そうとして「自然」を求めています・・・


大切なのは、自分オリジナルの「自然」なんですね。





さて、ワタシの病室で、唯一「自然」の役割を果たしてくれているヒマワリです。

母親がいつもワタシの病室に花を飾ってくれてます。


いいですよね、ヒマワリって、黄色がめちゃくちゃ綺麗です。

元気になりますね、見ているだけで、部屋がパカッと、明るくなるですよ!

匂いもいいです、草の匂いがプンプンします。。。

見ているだけで、なんだか、無、になりますね、いい意味での、無、です。

頭をカラに出来てリフレッシュします。


花言葉は色々あるようですね・・・「憧れ」「熱愛」「崇拝」などあるみたいです。

国によって、とか、宗教の違いからなんですかね?

花言葉って誰が決めてんですかね?

国際花言葉協議委員会でもあるんですかね?


「あなただけ見つめてる」


もヒマワリの花言葉の一つ、ちょっと怖くないですか? (笑)

確かにジッとヒマワリ見てると、人の目にも思えてきます・・・

浮気したらとんでもないことをされそうです (笑)


大黒摩季的でもあります。

スラムダンク世代なのです、ワタシは。


おわり

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Vol.38 検査しなくて良い?

っていうかMRIは無理ですよ。


昨日と今日、連日でMRI検査が入っていたのですが、とても呼吸が苦しく、あんな中に10分も20分も平らに寝そべって、じっとしている、なんて不可能なので拒否しました。

ただでさえ、ワタシはあれが大嫌いです。


いやいや、無理でしょう、

看護師さんに言ってやりましたよ。

先生にも。

この状況みたら無理なの分かるだろ?くらいのノリで。



そもそも今週やったCTと、骨シンチも相当キツかったし。

CTはその二日前にも撮ったんですよ??

大体今のタイミングでやる必要性が理解出来ないのです。

診療報酬稼ぎと思えてしまいます。



主治医に言わせると、もう一度治療が仕切り直しになるので、それに当たって全身を再評価する必要がある、らしいのです。

一ヶ月前にも頭から骨まで全身同じことやったばかりなのに、です。

ワタシの胸腺腫がそんな頻繁に全身チェックしないといけないような転移が早いモノとは思えません。

検査もノーリスクでは無いはずです。




検査し過ぎ、もどうですかね?

ワタシは病院にいるので、半ば強制されてますけど、健康な人もあんま神経質に検査し過ぎは良く無いと思います。


検査したが為に病気を見つけられ、あれよあれよと死んでしまった、なんて話しもあるはずです。

だから検査しない、っていう考え方の人も沢山いるようです。

そういう人は覚悟が出来ているのでしょうかね?



ワタシのジョカノさんにも、ワタシは常々、

「たまには健康診断でも行ったら?」

と言うのですが、

「今、病気を見つけられても困る」

と言います。


ワタシは妙に納得してしまいます。



いずれにしても、悪くなっても早めに病院に行って、検査すれば治せるんだ、っていう考え方では駄目なんでしょうね。


検査しまくりの人もしない人も、常日頃から自分のカラダは自分で責任を持つ、という意識が真の養生の道なのでしょうかね・・・

また改めてじっくりテツガクしてみますかね。


おわり

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Vol.35 アタマとカラダは一致しない?

それならカラダの本音を頭が聞け!!


さて、

僅か一ヶ月で腫瘍が元のデカさに戻ってしまった形になりますが、案の定の結果でした・・・


3コース目が終わって自宅に居る時、
丁度、先月末ですが、一週間くらい胸や背中の軽い違和感や、ウズウズ感が続いており、睡眠不足も続いていました。

この違和感やウズウズ感はおそらく腫瘍が原因だと思うのですが、こういう痛み、とまではいかない違和感は、これまでも日常良くあったことです。


睡眠不足は重症筋無力症と多発性筋炎のコントロールの為飲んでいるステロイドのせいで、しばしばワタシは睡眠不足になります。

これも日常良くあることです。


つまり、いずれもワタシにとってはイレギュラーな事態ではなかったのです。



なのでワタシは「日常良くある異変」にさほど気にも止めず、それよりも4コース目に備え、今のウチに自由を満喫しておこう!としました。

自宅で本を読むなり、このブログを書くなり、外に散歩に行くなり、バイクに少し乗ったり、家族やジョカノさんと食事に出掛けたりしていました。

もちろん無理のない範囲です。


少し疲れはありましたが、その心地よい疲れも含め、カラダも反応して心と共に元気になっている、と思っていました。


こうして自由を満喫している間も、胸の違和感は続いていましたが、睡眠不足はだんだん解消していました。


なので万全の状態で1日の日曜日に病院に戻れた、と思いました。

ところが、その日の夜中から高熱が出て、違和感はいつのまにやら激痛に変わります・・・



これ、おそらく実態は逆で、この一週間で腫瘍は大きくなっていたんだと、熱が出た瞬間に思いました。

あぁ、そうだったんだ、と。

行動が裏目に出たな、と。


胸や背中の違和感やウズウズ感は腫瘍が大きくなっているから発生したはずです。



本当はもっと大人しくし、早く睡眠不足を解消していれば、胸の違和感も早めに消えたかもしれません。


「日常良くある異変」

という固まったワタシの頭の認識がブラインドとなり、ワタシのカラダの本音を今回聞き逃したかもしれません。

頭の中の認識や欲望とカラダはしばしば一致してくれません。

ワタシも病気と関わる中で痛い程味わいました。


まぁ今更後悔しても仕方ないですからね、前向きになるしかないです。

でも反省せねばなりません。


認識と一致しないからこそ、カラダの本音を聞き分ける能力を養わなければならないと思うのです。

それこそ養生の道のはずです。


いや~、まだまだ先は長いですな・・・

オワリ

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Vol.24 明日からのケモは、淡々と。

よく寝れそうだ・・・


明日からケモということで、先ほど病院に戻りました。

毎度のこと、「お帰りなさい。」と優しく看護師。

お帰りなさい、って、いったいどちらが家なのか、といった感じですが、帰って来ちゃいました。


今日は一日、午前中からお出掛けや食事などしてよく食べ、よく歩きました。

疲れました。

良く寝れそうです。


たいして歩いてはいないのですが、今のワタシの体力では疲れます。

昔はこんなんじゃなかったのにな~・・・と、切なく過去の自分と今の自分を比べてはいけませんね。

早くジムに行けるようになると嬉しいですが、なかなか重症筋無力症などとの兼ね合いもあり、まだまだ先のこととなりそうです。


焦らず、淡々と今を過ごして行きます。

常に今の自分がスタートラインです。

明日以降、より体力がつくことを目指すだけです。

それでいいです。

過去の自分と比べて、過去の自分に戻そうとする必要なんかありません。

今より体力のある自分が未来に居る、と「信じる」だけですね。


この「信じる」ってこと、結局ワタシが出来るのはこれだけなんですが、実に難しいことなんだな、これが。

やんなっちゃうくらいに・・・



東京も桜がようやく花開きそうです。つぼみが開きピンクの花びらが覗いています。

併せて、年末に植えた我が家のチューリップも花開きそうです。


自然はとめどなく流れていきますね。

必ず一年経てば花が咲くし、花が散って、青い季節に移っていきます。

必ず、です。


実に淡々としています。

そんな風に過ごしたいですね~



家の近くの桜並木の中の一本。
入院中に咲いちゃうね。いや、咲くね。


我が家チューリップ、いい感じの背丈になりそうでよかった。これも退院した時には満開に咲いてワタシを迎えてくれるでしょう。



おしまい

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