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ワタシはカラダをテツガクする

病気が集まってくるカラダを自慢している。 生きてる以上テツガクするしかないね。めんどくさいけどね。

Vol.517 死への、良い憂鬱




(´д`)


・・・・・・・・・・


今日はブログデー、

更新2回目です。(笑)


先日も書いたのですが、

退院してからやることリストを、ガシガシ作っております。

たくさんある、、、


なんか、やること多過ぎて、憂うつになってきました。(笑)。

でもまぁ、

良い憂鬱、

であります。


この憂鬱を、

一つ一つこなしていく度、

ワタシの人生は満足いく死に繋がるのだろう、


今はなんとなーく、

そんな、気がする。


がんばって、こなしていかなければ。

やんねーと。



まずは、退院!

リハビリがんばって、筋肉つけないと、退院は見えません。

いや、その他も悪い所山ほどあるけど、ワタシにコントロール出来る部分ではない。


ぶっちゃけ、今のリハビリをして、これ以上伸びしろがあるのか、、、?

実はわからないのです。


今が限界かもしれないし、もっと落ちていくかもしれない。

ステロイドミオパチーの影響なのですが、これはステロイドを止めればいい話です。

しかし、もうステロイド減らすのが限界に来ているワタシなので、これからどうなるやら。


でもやるしかないのです。

未来はわからん。


今を積み重ねるしかない。

それだけしか、できないから、やるしかない。


人生今。

今でしょ、今。

とりあえずスクワットがんばる。笑。


おわり

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Vol.515 機械的に、ただ、潰していく




でっ、

出たい。


早く、

ここから。(´д`)


・・・・・・・・・・・・・・・


退院してから、

いつ死んでも、なるべく周りに、手間を掛けないよう、身辺整理としてのやるべきことリスト・・・

みたいなのを、iPhoneのリマインダーってやつや、Evernoteに打ったりしてます。


リビングウィルや、遺書のアップデートとかですね。

その他、物理的な作業も含めて。


to doリスト、ってやつですかね?

サラリーマン時代もそんなのありましたわね。。。(笑)。

1つのto doをやっつけてる間に、3つto doが増えたり、とか、常にアセアセしてましたわね~

社蓄からは、自動的に脱出できた訳ですが。(笑)。


そんな、身辺整理としての、

やるべきこと、

をやったら、

やりたいこと、

をやっつけていくわけです。


人生はそれが全てなんでしょうね。

やるべきこと、

やりたいこと、

それを自分でテツガクして、リスト化して、

それを淡々と、

機械的に、

潰していけば良い。


出来なかったなら、

また明日やるしかない。

出来たら、

また新しいやるべきことが出てくるのでしょう。

その繰り返し。


ワタシはまだまだ、

やるべきこと、

やりたいこと、

いくべきとこ、

いきたいとこ、

会うべき人、

会いたい人、

・・・

たくさんあるな~

大変だな~。。。笑。

めんどくせーなー(笑)

どないやねん!(笑)


そんなことを考えていると、

やはり焦りが出てくるのです。


早く退院したい。。。

しなければ!!

アセアセ。。。(T.T)



でも今のワタシがすべきこと、

これは今に集中して、

治療や、

リハビリをすること。

それだけ。


うむ。

焦らず焦らず。

淡々と。

機械的にー。


おわり

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Vol.513 流して、いや、もう流されていこう




穏やかに、

生きたい。(笑)。

うむ。


・・・・・・・・・・・・


最近特に、イライラさせられることばっかなんすよ。

体調悪いのも相まってイライラ、

イライラ、

イライラ。


嫌みをタラタラ、

完全にモンスターDQNペイシェントになってます。(笑)

それでどんな状況か察して下さい。(笑)


まぁ半年も入院して、一進一退、

先が見えない中では仕方ないと、

自分をフォローしてみますが、疲れましたわ。。。( -_-)


客観的に判断して、どう考えても、ワタシが間違っているとは思えないことばかりなのでストレスFULLmaxです。


細かくあげるとキリないので、辞めておきますけど。。。

あ、

Twitterでは結構吐いてますが。(^^;)



そこで、

ワタシ決意しました!


もう気にしないことにする、

これが、当たり前だと!


全てを受け流していく、

いや、

というか、

もう諦めて、

呆れて、

流されてしまえー、

って感じで入院生活を送りたいと思います。(笑)


自分だけなんかストレス貯めてバカバカしくなった。

性格は簡単に変わらんけれどね。

うーん、

皆さんどうしてますか、こういう時?(笑)

って答えようないか。f^_^;


とにかく、

穏やかに、、、


はぁ、

穏やかに、

穏やかに、

淡々と、、、


意味不明記事すんません。m(_ _)m

自分の決意表明ってことでー。





ヒマワリ、

出てきました。

病室が明るくなった。

・・・

あっという間に夏になっちまうやん。。。(´д`)



おわり

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Vol.509 死へ、向かうのか、待つのか?




大袈裟なこといっているが、大した話しではありませぬ。笑。


死へ、

向かうのか?

待つのか?


・・・・・・・・・・・・・


死ぬの、怖いですか?

皆さんは?


答え、

出ないですし、その必要は無いかもだし。


ワタシは、死にかけたこと、あるんですけど、

というか、

周りの人が言うには、一度死んだんですけど、※死の淵シリーズ参照。

怖い、

って感情は、無かった気がします。


ただ、

苦しい、

痛い、

のが、すげー嫌だった。


死にかけたとき、呼吸できなくて、苦しくて、

本気で、

死んでいい!

そう思ったものです。


だから、死ぬのが、怖い、っていうのは、あまり今も思わなくて、

ただ、死ぬときは、苦しまず、

楽に逝きたい、って思います。

贅沢なんですけどね、それって。


別途また書きますが、

腎臓、肝臓はじめ、貧血で血液の状態が、最悪であったり、今ワタシはこんなブログを書く余裕はありながらも、なかなか弱っております。


改めて、

自分の死を意識出来ている気がします。


それが、怖い、とかは思いません。

もちろん、だからといって、今死ぬのはまだ嫌なので、

やるべきこと、

やりたいこと、

これらをどんどん片づけていくしか、ないと思われます。


死を、

怖い、

怖い、

嫌だ、

嫌だ、

と、目を背けて、

背中を向けていても、

時間によって強制的に前に流されるのが人生であります。

だとしたら、死ぬことを当たり前と捉えて、それまでにどう生きるかをテツガクせないかんと思われます。


死を待つのではなく、

死に向かって、生きる。

死ぬために、生きる。

・・・言うなれば、そんな感じ。

そんな表現しか、今のワタシには出来ない。。。(*_*)


病院に居ては、出来ないことばかりだから、

まずはワタシは退院するために、できることを、日々淡々とこなすだけ。


やるっきゃないねぇ。

とりあえずはリハビリなんです、やれることは。

内臓や、血液のことは、先生方に任せるしかない。


無理はせず、

焦らず、

淡々と。。。


・・・・・・・・・・・


っていう感じで。

前回の記事では、モチベ0と、書いたけど、今は、2くらいになったかな。笑。

ふぅ~


おわり

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Vol.507 寝てる時は幸せである


夜が長いわ。



寝てる時は幸せである。

・・・


寝てる時は無意識なので、幸せを感じる、云々の話は本末転倒かと思う。

でも、寝てる時の、無、の感じが心地よくて仕方ないと、起きている今感じます



ってことは、

起きている今この時間のワタシが、その反対、つまり、『幸せではない』と感じているのでしょう。


もちろん、起きている時間に幸せを感じることも沢山あるわけです。

そうあるべきで。

その為に生きている、というべきで。


ただ、

今ワタシは辛いんでしょう。

疲れました。。。


いや、体調相当悪い時期も長くあって、多少元気になってきた今、自分が幸せになれそうなことを沢山想像できる余裕が出てきたんですね。

だからこそ、その反動で不安なども同じくらいでてくるわけです。


10の感情を持つには、

常にマイナス10の感情を抱えるリスクを負う、

というのが、ワタシの今のところの持論であります。



幸せになりたい、

でも無理かもしれない、


その2つの感情が入り混じって、疲れるんです、多分。

だからこそ、何も考えることはない、寝ている時間が幸せなんだ、と思うのでしょう。


沢山ねたいのです。

沢山寝て、心をやすませたいです。


例のごとく、皮膚が破壊されてるワタシは、痒くて痒くてね、あと前立腺弱く頻尿もあるので、今は、大体1時間~2時間で目覚めてしまうのです。

それでも以前、不眠で悩んで睡眠薬を片っ端から飲んでいた時期よりは、トータルで寝れているし、昼寝もしてるので、体力はなんとか、大丈夫ではあります。


でも如何せん、そうなると、夜が長くてね、、、

ああ、よく寝たな、と思ってもう4時くらいかな?

と思っても、

げ、まだ1時かいー(´Д`)

とか、そんなんばっか。笑。


目覚めると、将来への期待と、このまま退院できないのでは、という不安が心の片隅に湧いてくるので、嫌なんです。。。(;´Д`


いっそのこと、

目覚めなければ、

それはそれで幸せかもな。


そんなことすら思います。


なんか、ビジュアル系バンドの人の歌詞みたい記事になったな。(笑)



明けなくて良い夜があればあったで良いのですけど。


いやいや。


うむ。



頑張って、

起きている時間を、

幸せにしよう。



それにしても、

寝てる時は幸せである。



おわり

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Vol.502 常作病想




こないだ、喰った。

ふつうのレトルトカレーでした。(笑)


タイトルの言葉は、

「ビョウソウヲ、ナス」

貝原益軒の養生訓の中で紹介されてる古語です。


意味するところは、

「健康な時ほど、病の時を想って、節制しろ。」

みたいな話。


先日も書いたんですけどこれはとても難しいです。

死にかけたワタシでも、たった1年、元気を保ったくらいで病の時を忘れた部分があります。

元気であれば、欲望は尽きませんね。


儒教の解くような完全な優等生になろうとはさらさら思いませんが、今回入院して苦しかったことを生かして、退院できたら自分なりの養生道をこれからも追及したいと思います。


元気な時こそ病の時を想うとして、じゃあ病の時はどうか?

同じく養生訓には、

「病になったら、焦らずもう自然に任せろ。」

みたいに書いてあります。


そうですね。

要するに、

「今」出来ることに集中しろ。

ってことだと解釈してます。


少し元気に回復してくると、油断することがあります。

欲も出て焦って無理したがる気持ちも出てきてしまいます。

・・・

そこをなんとか抑えて、日々出来ることをやっていきたいと思います。

淡々と、自然に任せて・・・


リハビリを頑張ります。

それが「今」出来ること。

ふぅ~



おわり

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Vol.500 500回 & 5年、生きること、死なないこと




これ、ちょーうまい。。。炭酸水。。。

1日2本はいっとるな、、、(^。^;)


ワタシの始めの病気であり、今に至るまでの全ての根元たる胸腺腫ステージ4Aの確定診断を受けたのが、2009年の春でした。

この春で、5年経ちます。


よく腫瘍の世界では5年生存率という言葉を使いますね。

当時の胸腺腫ステージ4Aの5年生存率の一般論は3~4割らしかったので、ワタシはよく生き残った方なのでしょう。

まぁ、この生存率はあんま当てにならんし、気にもしてなかったですけどね。


でもまぁ5年、よく闘病したと思います。

家族にも、本当に面倒かけてきました。

語りつくせない事が多すぎます。


5年生き延びた、

やったー!

もう大丈夫!!とか、

そういう感覚は無いです。


今現在入院中、ということもあるとは思うけど、確実に死が近づいてきている感覚のが強いです。

入院中に5年の節目を意識したことが、逆に終わりを意識する良いキッカケになっているかもしれません。


このブログでも何回か書いた気がしますが、死を意識することは、やはり必要だと思います。


今は入院中ながらも、多少元気になってきて、あれこれと、やりたいことの欲求も出て来ました。

でも、命がいつまでも続くとは決して思ってはいけないですね。


2012年の夏に死にかけて、というか、一度死んだ後、かなり強く死を意識して、エンディングノートなどを作りました。

家族に、なるべく面倒かけないよう、出来る限り身辺を纏めたりもしました。


しかし、その後1年程は体調もよくて、そうなると、どうしても死を意識しなくなり、そういった作業のアップデートをサボっていた部分があります。

慣れちゃうんですね、あれだけ壮絶な経験をしたのに、それでも元に戻れば、忘れてしまう。。。

自分の命が、さもこのまま永遠に続く、というか、死を意識出来なくなります。


それで今回、また体調崩して入院して、弱っていく自分を感じる中で、改めて死を意識出来ている気がします。


退院したら、再度、自分に残された時間で何をしたいか?

するべきか?

改めてテツガクをアップデートしていきたいと思っています。


「死なない時間」をいたずらに過ごすのではなく、
しっかりと終わりまで「生きよう」というのが、理想であります。


といいつつ、

まぁ、まずは退院してからですけどね、入院中にアタマに負荷かけるのも面倒ですからねぇ (笑)

退院できたら、しばらくはボケーッとするだろうけど。(笑)


まぁまぁ、

さてさて、

500記事書いたのも、少なからずこんなブログを見てくれている方がいるからです。

本当にありがとうございます。

1000回目指して頑張りますから、これからも御贔屓に~


明日から4月、新年度、ってことで少し頑張って真面目に書きました!

タイミングよく500回目になったし!


おわり

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Vol.450 キツい夏でした



死 → 生 っていう方向 


いやいや~、

今年の夏は色々キツかったな~。

もちろん、

断片的に楽しいことも沢山あったんですけどね、全体の印象だと、どうしてもキツイと言わざるを得なかった。

暑かったし。


去年の夏に死にかけて、なんとかこの1年、生き延びて、

「今年こそは夏を満喫したい!」

と息巻いていたら・・・カラダに色んなことが起きてしまい・・・


合間には母親の手術があったり・・・

そして極めつけ、

先日母方の祖母が死にました・・・

ありゃりゃ・・・


ワタシ、というよりも、母親にとって非常に大変な夏になっちゃいました・・・><

・・・ちょっと可哀想です。

夏も終わるし、もうこれ以上大変なことは何も無ければ良いのだが・・・



祖母が死んで、周りの色んな人が、色んなことを言っている中で、

ワタシも死について色々考えたりしています。


「生きたように、死んでいく。」

・・・誰が言ったか知らないけど、良く聞かれるセリフです。

「死ぬために、生きる。」

とも言えるでしょうか。



・・・・・・・・

「生きるために、死ぬ。」

逆説的になりますが、今はこういう言い方がワタシにはしっくりくる。



死ぬことは絶対に必要なんです、絶対。

自分でもそう思った理由をまだ分かっていないけど、祖母が死んだというのを聞いた時、なんかそう思った。


死を覚悟して、受け入れるからこそ、

今この瞬間を生きられるのだと・・・

今はそう思います。


はあ~

カラダが痒い・・・


おわり

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Vol.430 精巣腫瘍になった、ということで気持ちを整理



またしても無です、む。


先月、あっさりと精巣腫瘍となり、あっという間に手術まで終わりました。

来週に手術で摘出した病理の結果を告げられるので、以後、治療や見通しなどが決まってくると思います。

・・・ここまで、かなり早い展開でバタバタと来てしまったので、一旦気持ちを整理したいと思いました。


・・・整理したい、と思ったはいいのですが・・・

なんか・・・気持ちが何も無い、無なんですよ、無。

それなのに、何故、整理したい、と思ったのか、それも良く分からず・・・

(※考えてみると、今までも幾度となくこういう状態になっている気がする・・・このブログにも書いた気もするけど・・・たまにこの、無がやって来ます・・・)


精巣腫瘍、と分かってから、この1ヶ月はずっとそうなんですが、特に怖い、とか不安、さえも感じないんです。

といっても、もちろん嬉しいとか、期待している、とか、プラスの感情も特に無く、本当に無です。

精巣腫瘍は寛解することも多いが、転移しやすい腫瘍ということで、いずれ死に至ることもある、それなりに厄介な病気なのでしょうが、特に今、不安とか恐怖だ、ということが無いんですよね・・・


不安を感じないように、本当は怖いので、逃げているのかな?・・・

・・・とも思ったんですが、そういう感じでも無いんです。


なんてことを考えているうちに、思い出した名言があります。

「恐れは無知から生ずる」

っていう、アメリカ人哲学者、エマーソン先輩の言葉です。


ワタシはそれは本当だと思います。

知らないことや、分からないことがあるからこそ、それが恐れに繋がる、

・・・思えばそんな経験をしたことはワタシにもいくらでもあります。


逆に、それが正しいならば、「知れば恐れは無くなる」ってことも言えると思います。

(無くならずとも、限りなく0に近づけることは出来ると思うのです。)


精巣腫瘍について、ワタシは「知った」から「恐れ」が無くなったのでしょうか?

・・・いやいや、

精巣腫瘍について多少はググりましたが、果たしてその程度で恐れをなくせるほど「知れた」訳では無いと思うのです。

逆に、こういった病気の類は知れば知るほど恐れが増す場合の方が多いのではとも思います。

でも、恐れも何も無いのです。


何故だろうか?

恐れや不安を感じない、この「無」は何なのか?

・・・・・・

無、の理由も無、なのかもしれませんが(笑)、それでは終わってしまうので、ここは少し頑張って考えてみたいと思いまして。


・・・・・・・・・・

やはり、理由を求めるなら、これまでの闘病経験がもたらした、「死への意識」ということに鍵があるのだと思われるのです。

ちょっと前の記事でも書いたのですが、「死の受容」とも関係するのかもしれません。


精巣腫瘍も、他の病気も、そんなものは言わば、食材や調味料に過ぎないのだと思うのです。

人によっていろいろな食材や調味料を使って、完成する料理は人それぞれです。

しかし、料理の目的、というか、その行き着く先は、かならずどんな料理においても、それは「食べる為」つまり「消えて無くなる=死ぬ」ってことなのだと思うのです。
(強引かつ拙い例えで申し訳ないが・・・笑。)


精巣腫瘍になっても、ワタシの人生の終末は「死」であって、その人生の本質は何ら変わらないのです。

つまり、ワタシは、心の中で、無意識的に、精巣腫瘍の「正体」を、他の病気と同じく、「死」ということで結論付けて「知った」ことにしている・・・

いや、

それもあるとは思いますが、むしろ精巣腫瘍を知った所でワタシの人生に何ら変わりは無いと思っていて、故に、

「精巣腫瘍について知る必要がそもそもない」

っていう感じの方が近い気がします。


エマーソン先輩の言葉に戻るのですが、

「恐れは無知から生ずる」

のであれば、無知ということすら自分が認識していなければ、つまり、

「無知というモノが存在しなければ、そもそも恐れは存在し得ない」

ということになるのではなかろうか?・・・


例えば、赤ちゃんは、初めて見た刃物や火や動物を怖がらないでしょう。

また、生まれつき大病を患っている赤ちゃんも、それを怖がることは無いでしょう。

それって、それらについて「無知」「無知ではない」という以前の問題で、そもそも赤ちゃんには「恐れ」も「無知」も存在しない、ということなのです。

なんか、今のワタシも、そのように、「恐れ」も「無知」も存在しない、そんな「赤ちゃん」に近い気もするのです・・・



「恐れ」というのが、マイナスの感情であるとするならば、今のワタシは別にプラスの感情(希望、期待とかかな?)も湧いてきません。

結局、精巣腫瘍になったことで、マイナスの感情も、プラスの感情も、特に湧いてこなかった、ということなんですよね。


いや、めんどくせ~な~、とは思ってますから、笑、マイナスの感情が無いと言えば嘘になるかもしれません。

カラダにまた傷が増えて、タマも一つ失ったし、抗がん剤はやりたくないし。笑。

逆に、精巣腫瘍の経験を追加することで、またタフになれるし、何か新たなテツガクを得られるかもしれない、というプラスの感情も無くは無いですが。

でも、この両者、いずれにしても、それほど大きい感情ではなく、なんとなくそういうこともあるかな~、くらいで、消えて無くなりそうなレベルの感情ですね。


確かにこれから精巣腫瘍の治療が始まってしまえば、またやることが新たに増えて、回り道をしなきゃいけなくなりますが、ワタシの人生で「やるべきこと」をやって、そして「死ぬ」っていう本質は何ら変わっていません。

引き続き「淡々と」ってことに尽きますかね?

毎日いつも通り暮らして、明日ラーメンが食べたいなら、食べればいいのです。

(なんじゃそれ。笑。・・・実は昨日夜中ラーメン行ってしまったのである。自己嫌悪に苛まれているのである。。。)



プラスもマイナスも無い状態・・・無、っていう、この感じ。

このブログの初回記事にて、ワタシは人生観を、大きく、しっかりした「樹」のように育て上げたい、みたいなことを書いたんです。

こないだラピュタやってましたが、ラピュタのあのブロッコリーみたいな大木ですね、根が凄くて、でっかい感じの、樹齢何万年、みたいな樹です。


でも、最近の、この無、って感じ・・・

これが人生観なのかどうかは分からないけど、なんだか、育ちつつあった樹が、消えて無くなって、辺りが砂漠のようになってしまった、って感じがします・・・


でも、

それが悪いことだ、とか、残念だ、っていう感じでは無いんですよ。

むしろ、なんか、すっきりした、というか、その砂漠に心地良い気分すら感じていて、むしろ、このまま砂漠にしておきたい・・・

なんか、そんな感じです。


上記、このブログの初回記事を書いた当初、ワタシは、ワタシを揺さぶる事実や感情の起伏を「風」に例えました。

そもそも「樹」が無ければ、風に折れられる心配など無いのです。

だから気分が良いのだと思います。


風が吹くことで、砂漠の砂がお互い更に細かく削られ、なめらかになって、ますます風と一体に舞うようになって、最終的には煙のように、本当に無に近い状態になる・・・

つまり、

人生観を無くしていく、それこそが人生観、

巧く表現できないんですが、そんな感じになっていくイメージが今あるんです。


この、プラスにも、マイナスでもでもない、このフラットな無になっていくこの感じ・・・

これが中庸だとかメソテスを実践出来ているっていう状態なのだろうか?

う~ん、なんか、それすらも無い、いわゆる「絶対無」とか、仏教の「空」って感じに近いのだろうか?・・・


・・・・・・

分からないけど、なんとなくそんなイメージに近づいている気がするのです。

自分でも良く分かってないので、なんとか引き続き、このワタシの「無」を解明する手がかりを見つけるべくテツガクを続けて行きたいと、そう思ったのであります。


おわり

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Vol.371 死の疑似体験 → 闘病記を「書く」行為と「読む」行為の意味は?



死の道程・・・


このブログは書き始めて1年。

それより前、病気を宣告されてからは人の書いた闘病記(今は書籍よりブログのが多い)を読んで来ました。

この闘病記を「書く」ということと、他人のそれを「読む」という行為に関して、自分が果たして「何故そうしているのか?」・・・これについてワタシは以前より「何か心にモヤモヤしたもの」を感じておりました。


ブログの初回記事(→Vol.1 ブログの必要性をテツガク。)にて、ブログを「書く」行為の趣旨として「自分のアタマの整理」と「色んな方との情報交換(励まし合いや傷舐めあい含む。)」と述べましたが、その2つの気持ちは今ももちろん変わってはいません。

しかし、その2つだけでは説明できない、何か混沌としたそれ以外の気持ちがワタシの中に存在することには当初から気づいており、その混沌としたモヤモヤは、今に至るまで日増しに大きくなって来ている気がするのです。

そして同様、人の書いた闘病記を「読む」という行為についても、病気それ自体の情報収集、情報交換、病人としての心構えなどを学ぶ為、などという明確な目的は一つあるのですが、それ以外の目的、というか、何か自分の中で求めるモノが他にも何かあるような気がしていたんです。


このように、闘病記を「書く」と「読む」といった行為について、自分で理解している目的の他に、何か自分でも釈然としない、言語化できない、モヤモヤした気持ちがあって、それをいつしかはハッキリさせたい、と思っていました。

まあ別にそのモヤモヤはモヤモヤのままでも良いのですが、そのモヤモヤの正体を少しでも解明出来るのならば、それこそワタシの「読み・書き」の幅も広げられるかもしれないし、それはまたワタシの人生の更なる充実に繋がるかもしれない・・・なんて、そう思っています。


そんな中・・・

前回記事で何気なく書店に行って本を数冊衝動買いした、と書いたんですが、こんな本も。


闘病記専門書店の店主が、がんになって考えたこと

タイトルが目に留まり、パラパラ立ち読みして見ると、著者の男性は奥様に乳がんで先立たれ、自身も近年、大腸がん(ステージ4)に冒される、という経験をされております。

そしてさらに、奥様を失くされて以後、自身が大腸がんになる以前から今現在に至るまで、がんに限らず闘病記を専門に扱う書店をやっている、とのことです。

なるほど、かなりのタフなご経験をもとに、数千冊の闘病記を集めて目を通し、自身のがん闘病記を今まさにここに書く、という「読み・書き」をされているとのことですから、上に書いたワタシのこのモヤモヤを、この方であればきっと言語化してワタシに対してヒントを与えてくれるに違いない!・・・と期待してこの本を手に取りました。


こういった活動をされている方が居たんだ・・・という驚きと共に、随所に表現された著者のテツガクにはやはり圧倒されました。

最愛の人に先立たれる、という、もっとも恐ろしいと思われる体験をしてもなお、奥様と、今まさに自分を冒している「がん」から目を背けず、その体験を更に世間の人々の役に立てようとされている姿勢には、ただただ敬服するしかありませんでした。

期待した通り、ワタシのモヤモヤをまさに言語化してくれていた箇所もいくつかありました。

◇◆◇◆

まず、著者が大きく影響を受けた、としている柳田邦男の本の一文が紹介されていました。

(以下引用)
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
作家・柳田邦男氏は~中略~「闘病者が書くという行為には次のような意味がある」と分析~
1、苦悩の癒し
2、肉親や友人へのメッセージ
3、死の受容への道程としての自分史への旅
4、自分が生きたことの証の確認
5、同じ闘病者への助言と医療界への要望
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

ワタシもこれを見て「むむーなるほど~」と唸ってしまいました。

この柳田邦男の本は今まさに注文している所で、この5つの詳細をワタシは述べられないのですが、特に「3、死の受容への道程としての自分史への旅」という言葉にワタシは引っかかりました。


ワタシはまだ死の受容とは程遠い位置にいるのかもしれないけれども、それに少しでも近づきたいと日々考えています。

何故かというと、このブログでも何度か書いた気がしますが、「死を受け入れること、それは何より生きることを充実させることに繋がるだろう」という「直観ではあるけれども確信」がワタシにはあるからです。
(※今はまだ直観でしかないけど、死を受容することが何故生の充実に繋がるのか?、その論理関係もいずれ言語化したいが・・・)


1年前のブログの初回記事に「・・・アタマを整理して・・・人生観を確立したい・・・」と書いたのですが、それは柳田邦男さんの言葉を借りて言うと、
「生を充実させる為の一つの手段としての『死の受容』を実現すべくアタマを整理し、その整理の為にも、その道程を文章に表現しておきたい・・」
というような欲求がワタシにある、ということになるのでしょう。

この「死の受容」こそ、ワタシが「書く」ことで追い求めようとしている「人生観」の理想形なのかもしれません・・・

◇◆◇◆

また、人の闘病記を「読む」ことの意味について。

これについても、ワタシのモヤモヤと混沌した気持ちをとても絶妙に言語化してくれている部分がありました。

(以下引用)
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
死が忌むべきものとして神経質に排除されてきた世の中だからこそ、死がもてあそばれるのではないだろうか。
私は、「闘病記は人間の死を正しく疑似体験するツール」でもあると考えている。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

闘病記、特にがんの闘病記は、書いた人間の死生観が表現されていることが多い、ということで、著者は大量の闘病記を集めるうちに、同時に死生観に関する本の収集もするようになった、ということです。

ワタシも病人の方のTwitterをフォローしたり、ブログを読んだりしていますが、その中で亡くなっていく方が多くいらっしゃいます。

ワタシもがんや、闘病に関して、決して無知では無いので、読んでいれば当然、「ああ~、この方は間もなく亡くなってしまうのだろうな・・・」と、分かるものです。

決してその方々の死を望んでいる訳では無いのですが、人は遅かれ早かれ死ぬ、という意味合いにおいて、その方がいずれ死ぬことは分かります。


そんな闘病記を書いておられる人には、命尽きるまでそれを記録してもらいたいな、という勝手な気持ちがワタシにはあります。
(※当然ワタシも頭と指が働く限りはこのブログを続けたい。)

その勝手な気持ちこそ、モヤモヤした混沌とした気持ちの正体だと思うのですが、これは一体どういうことなのだろう・・・?


これも「死の受容の実現」への欲求と同じなのだと思いました。

亡くなってしまった方の闘病記はまさに「死への道程」です。

ワタシはきっと、闘病記を書いておられる方の「死んでいく有様」を見て、「その人も死ぬ=ワタシも死ぬ」ということを、自分で理解しようとしているのだと思います。

◇◆◇◆

ワタシはこのブログを「書く」ことで死の受容を目指していて、人の闘病記を「読む」ことでもまた、自分の死を受容しようとしているのかもしれません。

ワタシのこのブログも、ワタシが読んでいる人の書いた闘病記も、ワタシにとっては共に「死を疑似体験するツール」なんだと思います。

誤解されると怖いので再度言わせて頂くのですが、決してワタシがネット上で絡ませてもらっている病人の方々の死を望んでいる訳では決してありませんから、笑。

生きて欲しい、死んで欲しい、というよりも、その方々それぞれが「望む人生」を、それぞれの形で全うしてくれれば良いなと、そう思っているだけであります。


ってな訳で、

そもそも柳田邦男さんに言わせる所の「死の受容」と言っても、それが果たして必要なのかどうなのか?・・・

ワタシは何故、死の受容は生の充実に繋がると思っているのだろうか?

何故それを解明したいのだろうか?・・・


そんなもの考えない方がラクなのは分かっているのだけど・・・

葛藤の中でテツガクはまだまだ続きますどこまでも・・・

モヤモヤは次から次へと現れる・・・

疲れるね、まったくめんどい。笑。


今回上に挙げた本も前回のモノ同様読み易いので是非チェケラしてみて下さい。


おわり

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Vol.319 早期発見と「発見しない」覚悟



タイミングを見極めています


いつも14時くらいに昼飯を家で食べるのです、ミヤネ屋を見ながら。笑。

もう専業主婦です。

今日は飯食う時にTVをつけたら8チャンネルで、「・・・乳がん・・・早期発見なんちゃら・・・」という特集をやっていましたので、宮根はやめてそのまま飯食いがてらチラ見しました。

ちょっと思ったことがあったので、まだテツガクし切れていないけど備忘録的に書いておこうと。


乳がんになる女性の割合は、全女性の中で16人に1人だそうです。

統計の出元と方法は不明ですがこれが「事実だ」としたら、6.25%ですね。

う~ん・・・高い・・・かなりエグい確率・・・発覚していない潜在的な患者も居るはずなので、実際はもっと高率なのだろう・・・

聖路加のお医者さんが出演して解説してましたが、日本で近年乳がんが増えた背景には、食生活の欧米化、女性のライフスタイルの変化(晩婚化とか)とホルモンの関係などが挙げられるようで・・・

これも「事実だ」としたら、食生活含めたライフスタイルを欧米スタイルから昔の日本スタイルにすれば罹患する可能性は下げられることになるけど本当だろうか・・・?

まあまあ、

結論としては早期発見が大事だ!検診に行こう!とのことでした、ちゃんちゃん。



乳がんに限らず病気全般に言えると思うのですが、早期発見するに越したことは無いと思います。

この先10年20年は死ねない、病気になりたくない! という人はきっちりカラダをマネジメントした方がいい、ということは理解します。


でも、例えば高齢の方はどうなのでしょうかね?・・・(年齢での線引きは難しいし、それが適切かどうかも難しい所ですが。)


数か月前にこれもテレビで見たのですが、離島の医療特集、のようなモノがありました。

詳しい放映時期とか番組、チャンネルなどは忘れました。

この番組の中で取り上げられていた離島には診療所レベルしかなく、検診の機能なども無いため、年に1回、医療機関が大きい船でやって来て、島民に検診のサービスをする、というようなモノでした。

日本にはいくらでもこういう場所はあるのでしょう。


何名かの島民は異常(確か血圧高い、とか、心電図異常、とか、、、そんなん、高齢になれば何かしらガタがくるのなんて当たり前なのだが・・・)を指摘されるのですが、そうなると、島を離れて、本土の大病院へ精密検査を受けに行け、と言われるんです。

その島民のほとんどが、70代以上の老人だったように記憶してます。

今、島で、元気に、何不自由なく、のんびり暮らせているのに、です。

当然、皆、本土の病院行くのは嫌がります。


テレビでやっていたのは、こういう所まででしたが、きっと子供ら家族や、医療機関のスタッフが強引に本土の病院に連れていくのでしょう。

そこで病気が、例えばガンなんかが見つかったらどうするのでしょう?

ご老人方の残り僅かな人生、きっとガンの不安と闘いながらの人生になってしまうのでしょう。

見つけても見つからなくても、どのタイミングで見つけても寿命はほとんど変わらないかもしれないし、むしろ、「見つけてしまったが為の」病気の治療の為に寿命が減る「かも」しれない。

穏やかに死ねなくなるかもしれません。

そのような「最期」はどうなのでしょうか?・・・


病気の予防や、早期発見、治療の負担軽減を目指して健康診断を受けるのも良いでしょう。

ただ、

どこかのタイミングで覚悟、というか、線引きをすることは必要だとワタシは思うのです。

それが60歳か、70歳か、80歳かは、個人で決めなきゃなりませんが。


このブログでも複数回触れたけど、尊厳死だのとの問題とも関わってきますかね?

「大往生したければ医療と関わるな」という本(※いや、この本を強く推している訳じゃないんですが、、、話のきっかけとして・・・)


大往生したけりゃ医療とかかわるな (幻冬舎新書)


を前にも挙げましたが、人生の「終末期」において、「自分の死生観をはっきりさせないまま」に、中途半端に「医療」と関わると、より過酷な状況に陥ることがあるよ、ということをこの本からワタシは学びました。

「医療」の目的は、極端な言い方をすれば、「安らかな死」ではなく、「どんな形だろうと心臓を動かす」ことなんです。


健康な人々は、

健康診断は「永遠の生」を与えてくれるものだ、

と誤解している方が多いようにお見受けしますね。(当人の自覚に関係なく)


むしろ、健康診断を、

「死ぬタイミングを覚悟する為の材料だ!」

くらいに思った方が良い、とワタシは思います。

そのくらい思っておけば、例えばガンが見つかっても、10のショックが9くらいにはなるでしょう。笑。

(※実際、死や病気など、遥か未来の出来事だ、と信じて止まなかったワタシが胸腺腫を告げられた時のショックはMAX10のところ、15くらいであった。笑。)


健康診断や医療を、

「死なないための手段」

と捉えていると、病気が見つかった時にパ二くると思います。


健康診断や医療を、

「自分の『生』を最大限楽しむ為の手段」

と捉えることが大事なのだと思います。

早期発見、それも目的ではなく手段です。


そう捉えることは簡単なことでは無いし、健康診断を受けなかったり、医療を使わなかったり、という線引きのタイミングも、それが必要か否かを含めて実に難解な問題ではあります。

でも、まだ頭も体も元気なうちから医療(というか自分のカラダ)について関心を持ち、それを自分の死生観と連動させることが出来れば、より良い「生の充実」に繋がるのだと思うのです。

そういった意味ではワタシはまだ頭がハッキリしているウチに深く医療と関われたことは良かったかな。


おしまい

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Vol.308 新たな治療を機械的にこなす



淡々と (しつこい)


明日は放射線治療3rdのシミュレーションCT、また治療が始まる。

体調が良好なお蔭だが、気分はとても安定している。


治療に対して「不安」は無い。


でも「期待」も無い。


ニュートラルな感じのこれ、非常に「良い状態」・・・これを過度に「良い状態」と意識し、維持しようとした時点で、それは即ちギアに手がかかってしまうので、あまり意識せずにいたいけど。。。


いずれまた、ワタシがコントロール出来ない「期待」や「不安」はワタシを襲うだろう。

それはもう防げないし、それらをもたらす事実から逃避することも出来ないから、もう諦める。


「当たり前」に訪れる「期待」や「不安」はコントロール不可だが、それを「当たり前」と受け止めてしまうことは、ワタシがコントロール出来ることだ。

ワタシのコントロール可能な心はワタシの「性」にフォーカスしよう、今、そして未来に。


治療はワタシの人生の目的にはならない。

目的は望む未来に少しでも近づくこと。


その為に出来ること、すべきことに心をコントロールして集中させよう・・・

機械のように・・・

淡々と。


ふむふむ。


おわり

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Vol.306 中正だの中庸だのといった道は険しい



足して2で割って0に


病気をきっかけに、「死」「生」「命」 といったようなものに興味を持つけれども、その分、俗世間的な外部への興味が削がれていくような感じがしている。

そういった、例えば「宗教や信仰」というような部分というのは、例えば「政治や経済」など、俗世間的な部分と対極にあるようだ。

「個人」と「全体」という相容れない部分だからだろうか?


水商売のお姉ちゃんが、「政治と宗教の話を客にしちゃダメ」と教育されているのはそういうことなのだろう。笑。

そういえば、前にワタシの所に来た何かの営業の人は、特にオジサマの客には政治と宗教に加え、野球の話もしちゃいけない、と言っていたな。。。


もとい。


自分のことだけ考えて生きていければ良いが、そうもいかないのが俗世間で生きるワタシ。

自分の内面のことも、俗世間の事も、しっかりと見つめながらうまく処世していかなければならないのだ。


俗世間の相対的な価値観、外部からの過剰な情報・欲望・刺激・誘惑といったようなものに流されずに、自然の己から出てくる内なる「性」といったようなモノを見つめて、それに従って「生きて」いく、

すなわち、

「性を養い生を養う」

的なテーマを追求しているが実に難しい。


ワタシは、山や寺に閉じこもり、坐して瞑想的なことをして悟りの境地に達するような超人ではなく、ただの凡人なのだから、自然の己の内なる「性」がどのようなものなのか?、

結局、それは俗世間に身を置きながら発見していくしかないのである。

一見対極にあるようだが、己の「性」も俗世間に身を置く自分から発見するしかないのである。


がしかし、宇宙人ジョ~ンズではないが、俗世間は疲れる。笑。

俗世間に身を置きつつ、たまには静謐に閉じこもり、それこそ「瞑想的な」ことをして、「生」だの「死」だのを考えてみたり、俗世間での己を省みてみたりして、そうやって自然の己の内なる「性」を発見していく、

そうするしかないと思う。


がしかししかし、

見つかったと思った己の「性」は、簡単に俗世間に打ち破られ、流され、「性」は見えなくなる・・・

そうするとまた静謐に閉じこもらなければいけない。

そしてまた「性」を確立してみたりする。

その繰り返し。


なんと言うか、己と、俗世間を、うまく調和していければいいのだろうが、ワタシにはまだまだ俗世間での体験も、静謐の中での自省も足りないようである。

うむ。

うむうむ。

めんどくさい。笑。

まぁしょうがねぇ。

今のワタシはそんなものだ。


いつも0で安定していたいが、しばしば10になっている時がある。

それに気づいて慌ててマイナス10にするのである。

結果0になっているので良いのだが、そんなのが今のワタシ、振れ幅が大きく無駄が多いと感じている。


まあまあ、

それも今の自然な自分、目指すべき所に向かって、「当たり前」のことを、「当たり前」にやっていくとしよう。

いずれ、10が8になり、5になり、1になり、、、振れ幅も小さくなってシンプルな自分になれるだろう。

まぁそれが15にならなければいいか。


おわり

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Vol.302 2013年、ワタシはキ貝になりたい



 当たり前 


大晦日ですね。

不安で心配なことの多い「未来」には背を向けて、
そして手元から逃げてしまった「過去」をまるで追いかけるかのように追憶や後悔に浸ることの方が多くなってしまいがちなのが人間というもの、

でも大晦日なんかになるとなんだか珍しく前向きに、というか、未来が楽しみで、というか、ここで言う未来というのは明日以降の数日間の正月休みのことなんですけれども、その近い未来が楽しみになるからなんかソワソワするんですね。

新しい年はどんな年になるだろう、きっといい年になる、

正月どんだけ酒飲んでやろうか、など、という明るい未来?


別にまた何ら変わりない日常が始まるだけなんですけどね。

年が明けたら時間や空気の色が変わる訳ではありませんね。

まあまあ。

ってことでワタシも月並みですが、1年のシメらしく、来年のテーマなどを書いて締めたい。



2012年は体調が総じて悪かったです、、、と一言で片づけてしまいますが、2013年もおそらく何も無いことはないでしょう。

まあいいんですよ、死ぬことまで覚悟してます。(してるつもり、としておきましょう。)


前にも少し書いたのだけれども、自分の肉体は自分の意思でコントロールできる部分と出来ない部分があります。
(※正確に言うと自分の意思で影響を与えられる部分とそうで無い部分、かな?)

骨、筋肉、神経、五臓六腑、脳、がん細胞・・・などなどは、それぞれ、ただ単に自らの役割を果たす為に勝手に活動しているにすぎないと気づきました。


そしてそれはワタシの意思とは無関係な部分が多い、ということにも。

ましてや、神(という人格的な何かの主宰者が居るとして)などの意思とも当然のように無関係です。


ワタシの意思で、ワタシの全カラダを統一支配することは出来ないようです。


そしてそれは、自分の肉体のみならず「感情」をも含みます。


2012年もワタシに訪れた様々な出来事によって、ワタシの心には色々な「感情」が湧き上がって来ました。

言いようのない絶望・不安・恐怖・怒り・期待・希望・感謝・幸福・絶望(あえて2回言った)などなど。


結局、この「感情」も、ワタシの意思でコントロールすることは不可能でした。

それぞれの感情が去来した「理由」と、その感情の詳しい「内容」などを分析してテツガクすることは出来たけれども、それらの感情を消し去ったり、別な感情を発生させて打消したり、何らかの形で加工したり・・・と言ったことは不可能でした。


つまり、ワタシの「肉体」と「感情」は、ワタシのみならず、誰からも、何からも、

「何らかの計らい」

といったものを一切受けずに、それぞれ自然に機械的に活動しているようです。


そう、自然に。

あたかも「当たり前の如く」日が昇って沈むように。

時にそれは機械のように。

自然と機械は対極の言葉のようだけれど、一度スイッチを入れたら誰の、何の意思も計らいも受けずにただ壊れるまで淡々と動き続ける機械のように。


各細胞単位まで細かく見たときの「肉体」の活動、

そして人間の「感情」の去来、

そしてその「肉体」と「感情」との相互作用について、

これらは科学や医学で説明できたり、コントロールが可能な部分と、そうでは無い謎の部分があるということ。


この謎の部分について、これはもう、

「当たり前だ」と、

ある意味、あきらめてしまうことが良いのです。


これがワタシの「2012年末時点の養生の道」であります。笑。


2013年も、ワタシの肉体は「当たり前の如く」悪くもなり、良くもなるでしょう。

そしてワタシは「当たり前の如く」治療もするでしょう。

「当たり前の如く」治療を辞めるかもしれません。

それに伴い色々な感情が去来し、ワタシは「当たり前の如く」希望を持ち、絶望もするでしょう。


もう「それはそれ」、そうなるのは「当たり前」なのです。

ワタシの意思でコントロール出来ない「肉体」と「感情」が当たり前の如く存在するのであるから、それを当たり前の如く受け止め、逆にワタシのコントロール出来る部分、この部分についても当たり前の如くコントロールしていくだけです。

ワタシの出来るコントロール、

つまり、

「やりたいこと、とか、やるべきことを機械的にやっていく」

だけです。


命尽きるその時まで、淡々と、自然に、

「コントロールされた機械」のように。


マスィ~~ン、、

機械、、、

それ即ち、

「惑わされない」

という意味でも・・・


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


ってことで、

2012年、読んで頂いてありがとうございました。


日記を3日と続けられたことの無いワタシが300回も良く書けたものです。

(みなさん、褒めてくれませんか?)


すべて、

「どうやらこんなブログでも読んでくれている人が居るらしい」

ということに尽きます。


顔を知らない、見知らぬ皆様に心より感謝です。

これからもどうぞよろしくお願いします。


来年はもっと言語力とか、思考力といったものを高めて、そして「コントロール不能な部分」を出来る限りコントロールしたいんですけどね。笑。

終わりなき挑戦を続け、それをここに表現して行きたいと思います。

もちろん病気の症状や治療についても情報を残します。


まあ、何はともあれ、

2013年もブッ飛ばしていきましょーーー!


さぁ、今日はしゃぶしゃぶだ!

ガキ使をダラダラみるぞ!!

ワインのむぞ!!!

シメは蕎麦だ!!!!


おわり

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Vol.284 こだわっちゃってる



猫科だよ


あと20日ほどでお正月。

なんとか、今年は年末年始を家でゆっくり過ごしたい・・・

ってそんなことを最近強く意識している。


こだわっている。


拘泥している気がする・・・


お蔭で、心がそれに縛られているような感じになっちゃってる。

いかん。


希望が強ければ、その分心配も強くなる。

何かに「執着」すると、それに心が縛られる。


今日も、年末年始は何食べるか?飲むか?遊ぶか?

体調はもつだろうか?・・・

悪化しないだろうか?・・・

そんなことばっかり考えている自分が。


まあそんな「拘泥」はほどほどにしておかんと。


まあ結局、年が明けたら、またいつもの日常がスタートするだけなのだから。


一年の「節目」、として当然意識はすべき。

でも、あくまで一日は一日、

「フシ」があっても、そこで何かが「変わる」ということではない。


その日に「こだわって」今を疎かにするのダメだ、ということかな。


おわり

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