FC2ブログ

ワタシはカラダをテツガクする

病気が集まってくるカラダを自慢している。 生きてる以上テツガクするしかないね。めんどくさいけどね。

Vol.438 理由は、どこかに、ある



絶対何か起きてる


この夏は節目でした。

死の淵の一件から丁度1年。

最後の胸腺腫の放射線治療からは半年。

・・・何事もなければ、いよいよステロイド減量にチャレンジ、ということになっていました。


ところがどすこい、

精巣腫瘍、

ジベル薔薇~、

そして何故か「抗アセチルコリンレセプター抗体の陰性化」、それに伴いまた何かワタシの身体について転機がありそうな気がしている、、、


何かワタシの身体に変化が起きています、絶対。

病気にそもそもなったこと含め、ワタシのカラダのこれまでの変化にはいかなる理由があるのでしょうか?


病気になった当初は、いろいろ理由を考えたものです。

1年前の心臓の時もCCUで寝ながら色々なことを考えたものです。


でも分かるはずの無いものをグダグダと考えるよりも、今出来ることをしなければ、という思いで最近は心を落ち着けていました。

しかし、こういう色々考えさせられるタイミングで、色々起こると、どうしても考えてしまうもので。

はぁ~・・・



「・・・自然は飛躍しない・・・」

っていうのはダーウィン先輩のテツガクであります。

人間がもはや自然と言えるかどうかは微妙だし、趣旨は少し違うかもしれませんが、ワタシの病気や、ここ最近のカラダの変化には必ず理由があるはずです。

それこそ進化論ではないのですが、元を辿り、突き詰めていくと、たった一つの理由に行きあたる気がするんです。


それがワタシの精神や生活習慣に起因するものなのか、周りの環境の影響なのか、ワタシの先祖に原因がある等の遺伝的なものなのか?

それとも、そういったものとはまったく違う、例えば神様的な何かの力が突発的にワタシに変化をもたらしたのか?

・・・

まったくもって分かりません。

でも、何か必ず一つの原因、そしてその原因には何かしらの理由があるはずです。


かと言ってワタシにはどうにも出来ないし、ワタシが生きて居る間にそれが分かることは無いでしょう。

結局、理由や原因をあれこれ考えるよりも、自分本来の「今とこれからの」人生に集中すべき、という、これまで思ってきたことは正しいと思うし、そうすべきなんです。

でも気になります・・・

はぁ~・・・



「・・・我々が知っていることは、ほんの一部に過ぎない・・・」

ダーウィン先輩はそのようなことも繰り返し言っていました。


知ることは出来ないだろうけど、必ずそこに何かがある、、、

「もどかしい」、という気もしますが、

とうてい我々が辿りつくことは出来ないだろう、という意味で宇宙にも似た恍惚な「ロマン」も感じますし、

決して知ってはいけない、という、何かスピリチュアル的な「何か」も感じます。


不思議であります。

カオスです。


自分でも意味不明ですが・・・

とりあえず今思ったことを書き殴っておいた、ってことで。笑。


おわり

 ブログランキング・にほんブログ村へ   
スポンサーサイト



Vol.226 不安と登山


いつでも不安


昨日のブログにちらっと書いたけど、ワタシが先の7月、死の淵へ行っている時の医師との面談メモの内容は実に壮絶、恐怖を覚えます。


でも今ワタシはこうして生きている。


よかった、という気持ちは正直な感想だけれども、全開全力ガッツポーズで「よかったぜー!」と言いきれない不思議な感情もあります。


つまりは今、ワタシは「不安」なんです。


倒れてから目覚めた後、当然ワタシのカラダは悪い状況なので、当然ワタシもその瞬間の治療をこなしたり、その日その日を我慢して過ごすことで気持ちも一杯でありました。

「不安」どころじゃなく、早くこの状況をなんとかしたい、と精一杯でした。


簡単に言うと、谷底にいる時には上しか見るモノは無いのです。



しかし今はどうか?

家に帰れるまで元気になって、心臓の不安や、体力にもの足りない点はまだあるものの、この一年の中ではかなり元気だ、と言えます。


だからこそ不安なんです。


あれだけのどん底を知ってしまった分、またここからあそこの谷底に転がり落ちるのでは?と不安になるのです。

病気になる前の日常は幸せで溢れていた(今が不幸だ、という意味では無いが。)ことに病気になって気付き、またその日常に近づくにつれて、また再びそれを失う不安に苛まれるのです。


前にも同じようなことを書いたのですが、結局闘病生活はそれの繰り返しでした。

体調が悪くなり、治療をしている時は確かに不安はあります。

この先、この山を登って行けるのだろうか?、一生登れないのではないだろうか?、という不安です。


しかし、治療が上手く行って元気なればなったで、また「質の違う不安」が押し寄せてくるものです。

いつでも不安なんですね、闘病ってやつは。



もうすぐ放射線治療も終わりになります。

体調も良いワタシは山の中腹に辿りつこうとしています。

しかし、同時に、そこから転がり落ちる不安との闘いをスタートさせなければなりません。


ワタシは命ある限りその不安と登山をするのでしょう。

その不安は消せるものではないし、今やその不安を消し去ろうとすら思わない。

そもそも山に登るという感覚からなんとか脱却しようと試みたこともありますが、それも結局出来ません。

モノゴトからの執着を外すことで心を解き放つ、ということを人生のテーマの一つとして目指していますが、唯一、命への執着を外すことは愛する家族の為にも不可能なのです。


山登りを止めることは不可能なのです。



どこが頂上かも分からない山です。

力んでも無駄、でも悲観しても無駄、出来るだけ上に登れるように、もしくは出来る限り下に落ちないように、一歩に集中することしか出来ない・・・



でも、なんだかんだで、

その不安のお陰でワタシは「今この瞬間の命」の有難味に気づけた気がするのです。

山のどこの位置にいようが、不安に苛まれていようが、そもそも山に登れている、という事実そのものが幸せなのだと。


山登りは楽しいのだと。

どん底の谷底を知ったからこそ、山登りの醍醐味に気付いた、とでも言いましょうか・・・


登山の醍醐味は、頂上にたどり着くことではなく、「今、その山に登れている」ということなんです。



ちなみにワタシは登山に興味は無く、例え元気になっても高尾山にすら行ってみようと思いませんねー。笑。

山は遠くから眺めるものですよ、みなさん。笑。


おわり
ブログランキング・にほんブログ村へ

Vol.178 焦らずに焦る


季節は巡り


8月31日・・・


まだまだ残暑は厳しく続いてますが8月も、そして夏ももう終わりですね。


日中、この日当たりの良い病室はカーテンを閉めないと、ビニールハウス状態になり、エアコンが効かなくなるくらい暑いです。

でも陽が傾く夕刻の空は高く、そして遠く、薄く細長い雲は秋の気配を僅かに感じさせてくれますね。

今日は満月が綺麗ですね。

夜空は完全に秋かな?



一年経ちます。

ワタシは去年の秋にMGになってからは、色々と面倒が続きました。

その直前に一大決心で仕事を休職したものの、なかなか思う通りの生活が出来ず、そうこうしてるうちに冬になり、そしてそれから今に至るまではほぼ入院生活です。。。

一年前の目標であった胸腺腫の手術も、度重なる多発性筋炎の悪化や、先月の心臓の事故によって未だに出来ず( >_<)


この一年、なんとか生き延びて来ましたが、カラダは相当ダメージを受け、弱り、ガッチリスレンダーセクシーナイスバディだったワタシはただのガリガリ君になりました。

コーンポタージュ味だって??

うまい棒じゃないんだから・・・



今後、

実はこれからまた詳しく書きますが、放射線治療をやってみることになっております。

自分がこれからどうなるのか?、という不安に苛まれ、焦りまくっている自分を抑えつけることも出来ません。

当たり前です。




しかし、

周りの家族、医者、看護師さんなどは口を揃えて、

「少しづつ・・・ゆっくり・・・焦らず・・・」

などと言います。



分かってはいるんです。

それは正しい理屈です。


焦っても何も変わらない。


であれば、心穏やかに、無理せず、少しづつやって行けば良い。


ワタシが一番分かっていますし、実際そうしたい。



周りの人々もワタシを案じて言ってくれています。

ワタシは病人です。


立場の違う家族や医者や看護師の気持ちは分かりません。

だから「焦らずに・・・」と言われても、素直にありがたくその御言葉を頂戴するように心がけていました。



しかし、

先月、心臓の事故で倒れて死にかけて、というか一度死んで、
〈※ワタシにとって人生最大の出来事となったこの件は死の淵シリーズとして今後ネッコリと書いて行きます〉

全身に管が繋がれ、人工心肺や人工透析の機械に囲まれ、薬漬けとなり、筋肉が衰え動けなくなり、トイレも食事も会話も出来なくなる、という経験をしてしまったワタシは、

周りの人々の、

「焦らずに・・・」

という、正しい理屈を素直に聞けなくなりました。

無理も無いです。



特に医者や看護師さん達に、

「焦らず・・・」

って言われるのが・・・

なんとも苛立つようになっちまいました。



患者は結局、病院の都合で動かされるんですよ。

ワタシは特に、様々な診療科の世話になっちゃってます。

検査や処置、リハビリなど、色々スケジュールを調整してもらわなければなりません。

なので、これまで多々、病院が横の連動をしてくれないばっかりにWブッキングして1日延期になったり、時間がずれたり、過度に待たされたり・・・

そんなことは日常茶飯事です。



患者は、特に入院患者は治療が全てです。

「出来る限り、1日1刻でも早く」カラダの様々な管を抜いてスッキリしたいし、会話をしたいし、飯を食いたいし、動けるようになりたいし、元気になりたいし、退院したいと思っています。


病院からしてみたら、ワタシの治療はただの仕事の一つですし、ワタシはこの病院の外来含めた数千人の患者の一人に過ぎません。


仕方ないのです、それは分かっています。

特別扱いを無理強いしてる訳では決してありません。


ただ、病院側の事情でスケジュールを、言わば「ワタシの人生」をコントロールされているのに、そのことを、

「焦らず行きましょう」

というもっともらしい「言い訳」でごまかされるのが我慢ならなくなってきたのです。


1日1日が命がけです、ワタシ達患者は。

医療関係者にしてみたらルーティンな1日だとしても、その間にワタシの腫瘍は大きくなるかもしれないし、また心臓が事故を起こしゴートゥーヘヴンになるかもしれないんだ。


だから患者に

「焦らずに行きましょう」

と言うのであれば、それなりの覚悟を、患者の1日の価値に思いを寄せて言ってもらいたいのです。



・・・・・・・・・・


ってね、

う〜ん、

テツガクじゃなく、ただの文句になっちまったな (-_-;)

失敬。



今はワタシもなんとか回復しており、心の穏やかさも徐々に取り戻しつつあります。

まだまだ退院出来るレベルにはほど遠いのですが、

これからも、

焦らず、

慎重に、

やっていきます。笑。


このブログを見て頂いてる病人の方々、

「焦らず」

行きましょうね。笑。


ワタシの今の傷の痛みのように、時間が解決してくれるモノもあります。

焦っても時間のペースは変わりません。


でも焦るよね。笑。

特に今みたいな季節の変わり目に来ると、なんか焦りませんか?笑。


おわり
ブログランキング・にほんブログ村へ

Vol.131 医療に正解は無い?

じゃあ、ワタシの選択が正解ってことでいいのだな?


今行っているCODE療法の抗がん剤も、残り2週で予定を消化することになります。

今後の治療について色々検討し、諸々の調整をしていますが、まだ決まっていません。


病状含めた詳しい状況はまた別途、タイミングが来た時に書きたいと思いますが、今回が大きな分岐点になることは間違い無いです。

ワタシ自身も、大枠の方向性についてはある程度自分の考えを決めており、最終的に関わって下さっている先生方の意見を全部聞いた上で決めていきたいと思っています。


実にいろいろな先生方が関わってくれており・・・・

そしてこれから更に新たな病院、あらたな医師との出会いの可能性もあります。

まあ、ワタシの状態がかなりレアケースということもあるのですが・・・


本当にありがたいです。



家族ですが、

ワタシは家族に「どうしたらいいと思う?」と、自ら積極的に聞くことはありません。

今までもありませんでしたし、これからも多分聞きません。

結局、選択のプレッシャーを家族に与えるのも嫌ですし、ワタシ自身の中で将来、「家族もこれを望んだんだから」などと、言い訳の材料を作り出してしまうことも嫌です。



ふう~

ぶっちゃけ、めんどくせ~っす。笑。


考えるのがめんどくさいんですよ、最近。


今日みたいに、何も考えずにのほほ~ん、とバイクにでも乗って、カレー食って帰って来て昼寝して。。。

こんなんがいつまででも続けばいいなあ~って感じなんですがね。



はあ、めんどくせ~、



マジ、めんどくせー! ← 池袋WGPの長瀬風に最近叫んでます。



でも、考えなければなりません。


仕方ない・・・


メンドクサイんですよ、人生は。笑。


今までの人生で最大級に覚悟を決めて「テツガク」しなきゃいけないタイミングに来てる感じがする。。。


メンドクサイのを乗り越えた所にしか望む人生は無いし、本当の「楽しさ」もその先にあることは分かっている。




「医療に正解は無いものでね~」


先日、ここにも書いたのですが、「Vol.125 明日からCODE療法7週目&今後のこと&憂鬱・・・」
外科の教授先生と話をさせてもらう機会をもらいました。

その時にポロっと教授先生は言ったのです。

結局、ワタシの今後の治療はかなり微妙なグレーゾ-ンでして、、、そういう状況もあってこんなことを仰ったのでしょう。

長年、医療の最前線で沢山の経験とテツガクをなさってきたであろう、偉い先生が言うのですから、これはおそらく真実なのでしょう。

そんなこと言われて、ますます悩むことにワタシはなるのですが、その裏で別の一つの感情がポッと、出てきたのも事実です。


それは、

「正解が無いなら、ワタシの選択が正解ってことでいいのだな?」

という、なんだか、「自信」のような感情が出てきました。


まあまあ、

自信がなかろうが、あろうが、選択の時点で大した問題ではないのです。

結局は選択をしたその後、「いかに頑張るか?」ですから。


「ワタシの選択が正解」

ではなく、

「ワタシの選択をワタシが正解にする」

ってことです。


そうするしかありません。



でも少し気持ちが楽になった部分はある・・・

という意味では、あの教授はやはり名医なのか?笑・・・



ふう~・・・

さっき、カレーを食って帰って来て、かなりお腹いっぱいです。

といいながら、近所のお惣菜屋で買ってきた「かりんとうまんじゅう」みたいな、甘くてマイウーなものをパクパクつまみながら・・・




さらにこの後すき焼き・・・

デブの生活ですよ、デブの。

今だけかな!?太ってもいいと思えるのは。

手術するならもう少し余力持っていたいしね・・・


おわり

以下の各サイトのランキングに参加しています。

ブログランキング・にほんブログ村へ   

Vol.115 検査し過ぎ、もどうかと

今はいいよ、知らなくて・・・


今日と明日は、水曜日からの抗がん剤に備え、また、今やっているCODE療法の中間評価の為の検査が続きます。

今日は頭のMRIと骨シンチをしました。


このB病院は1〜2ケ月毎に、全身の検査をします。

病院の方針なのか、一般常識なのか?・・・


正直、必要ないと思っています。笑。


ワタシの胸腺腫はそう頻繁に全身の転移状況を調べなきゃいけない程、悪性の強いタイプでは無いはずです。

前のA病院では頭のMRIや、骨シンチは病気発覚から2年以上、やったことなかったですし、この病院で何回もやってますが、何か見つかったことは無いのです。


まぁでも拒否はしませんけどね。

ワタシは扱い易い患者です。(笑)。



「大学の研究材料の為?」

「最新の状況に応じて治療を判断する為?」

それは「患者の為?」

それとも「患者の為」という大義名分に名前を借りた訴訟対策?

はたまた、病院の経営上の都合?(※これが一番濃厚であると思っている。)


検査の趣旨にも色々な事情があるのは分かっています。

ワタシの為にやってくれている、という部分もそれは本当にあるでしょうから、別に拒否はしません。


ただ、ここで愚痴ります。笑。



今、何か新たな病気が見つかっても困りますし、何か見つかった所でどうなるのでしょうか?

本音を言わしてもらえば、


大丈夫だろうけど、一応、全身の検査を、、、

というくらいなら、必要ないのです。


そう思えて仕方ない検査の頻度っぷりです、この病院は。

放射線にせよ、造影剤にせよ、検査もノーリスクではありません。

それにストレスもあるのです。


一応、という程度で果たして検査をして、もしワタシの頭と骨に転移が見つかったらどうするつもりでしょう?

ワタシが理解できる治療プランを直ちに提案してくれるでしょうか??

主治医先生がそこまで考えているなら良いのです。



一応検査してみました、

そしたら、、、、

頭と骨に転移が、、、

治療を再度検討し直さないと、、、


いや〜想定外でした、、、


少しこちらで検討しますので、今後のことはまた後日話しましょう、



こうなったら最悪ですよ。

いや、多分、何か見つかったらこうなるんですよ、どうせ?


検査結果によって今の治療が止まってしまうのは、それはそれで仕方ないでしょうが、ワタシの心は不安と恐怖でどうしようも無い状態になるでしょう。

それが一番嫌なのです。


人生の中でも、「物事」には、あえて知る必要の無いこともあれば、知るべきことについても、そのタイミング、というのがとても大事なのです。

物事の内容と同等、いや、それ以上にタイミングは大事なんだと思います。


何を知るか?

よりも、

それを、いつ知るか?

って、すげ〜大事なんです。


とまぁ、愚痴はここまでで。笑。


まぁまぁ、ワタシはまだ若く、いかなる病気、病状になったとしても「積極的な治療」にチャレンジしなければならない年齢です。

何事も早期発見できれば、対応が可能なのは事実です。

ワタシもそれを疑ってはいません。

ワタシが事実を知るタイミングは大事ですが、それもワタシの心の中で調整出来ることです。


そこら辺も考慮して、なるべくマメに、ワタシの為に、検査をしてくれていると、それはそれで一つの真実でしょうから、検査してくれていることをありがたく思うようにしましょう。

何もなければ、無いで、一時の安心を得られますからね。


でも、なんか見つかったら嫌ですけどね・・・今は。今は、です。

これ以上の病気は今はもうお腹いっぱいだし。笑。



お腹いっぱい、といえば、今日の病院の晩飯の献立があまりワタシのお口に合いそうになかったので、お見舞いに来てくれた両親と病院内のお蕎麦屋さんに行きました。

カツ丼やら、天ぷら、もりそばやら、



カツ丼の肉が相当上手い・・・ソバもマイウーでした。

腹いっぱい、、、

病棟を歩いてカロリー消費せねば・・・


おわり

以下各サイトのランキングへ参加中です。
クリックして頂けると嬉しいです。



ブログランキング・にほんブログ村へ



Vol.95 レントゲン写真の絶大な力

悪くはなっていない、なら良いかぁ。


そういえば、レントゲンを、毎週一回、直近では一昨日に撮っているのですが、

腫瘍は大きくは状況は変わっていないものの、胸膜にへばりついている一部が小さくなって剥がれているようにも「見える」とのことでした。

主治医先生のみならず、ここの教授先生や、配置換えになってしまった前の呼吸器の主治医先生もワタシの画像は見てくれているようで、久々に病室にも来てくれて、良い状態ではある、と言ってくれました。

つまるところ、「悪くなっていないことは間違いない」ようです。



まぁ、、、レントゲンなんぞは撮影時のカラダの傾き加減でいくらでも見え方が変わるはずなので、ワタシは写真に一喜一憂はあまりしたくないんですね。

ガンも日々動いて生きていますから、状況によって大きさも日々多少は変わっているはずで、レントゲンはその「一瞬を切り取った」に過ぎません。



数年間、腫瘍と共に生きて来ました。


腫瘍のある胸にウズウズ感や違和感があってなんか体調が悪い時は、

「今日は暴れてるなぁ」とか感じるものです。

きっとそういう時に腫瘍が大きくなっているのでしょう。


それが無くて体調も良く、心身共に充実している時は、逆に小さくなっていると感ずるものですよ。



だから、一瞬を切り取ったに過ぎない写真に、大きく喜びもしないし、悲観もしないようにしています、まぁ正確には、そうしたい、になるけど。。。

だって、顔だって、カッコ良く写真写る時も、ブサイクに写る時もあるでしょ? (笑)

女子の方なら良く分かって頂けますよね・・・?(笑)



が、しかし、、、CTや、MRI含めて、

「一瞬の姿を切り取ったに過ぎない写真」が、

全ての治療方針を、ワタシの生活を、人生をも変える力を持ってしまっているのですね。。。

ワタシのみならず家族をも、、、ね。

たった一枚の胸のスケスケ写真が、ですよ?




・・・・・・仕方なし、ですが、なんか悔しいですね、写真に踊らされるのが。



だから、レントゲンやCTの写真を前にしたカンファレンスの時なんかはなるべく落ち着いて、ポーカーフェイスにするのです。

「レントゲンなんぞに踊らされねぇぜ!」

という、些細な反抗のつもりです。(笑)



レントゲンなどの写真ではなく、本当は今書いたみたいなカラダの声を大事にして治療をしたいですけどね・・・


そうもいかないんですね・・・

昨日書いたと同じく、「不自然な」レントゲンという現代科学に導かれるしかないのです、ワタシは・・・



はぁ、難しいでんなぁ・・・病気って・・・



まぁでも今回のレントゲンでもそうだし、直近のワタシの筋炎の回復の塩梅、胸の違和感などがあまり最近無い、ということから、少なくとも悪くはなっていない、ことは間違いなさそうです。

これはレントゲンの結果と、なにより最近のワタシの感覚が一致しています。

こういう時はいいんですけどね・・・


体調は良いのに、腫瘍はレントゲンでは膨らんでいる、その時が悩ましくなるんですわ・・・



今回は、母親も、

「悪くなってないならよかったわ。」

とポロッと言ってくれたので、それはなんか嬉しかったです。

母親はなかなか治療の効果があがらないことに大分ヤキモキしてましたから・・・

ほんの一時でも母親をホっとさせてあげれたので良かったんです。


だからワタシも少しは踊らされて嬉しくなっちゃいました。

だから喜びます、今回は。

良かった、良かった・・・


まだまだこれからですけどね。


おわり

以下各サイトのランキングへ参加中です。
クリックして頂けると嬉しいです。



ブログランキング・にほんブログ村へ



Vol.76 雨の日はテツガクする

手術終わったらさ〜・・・


昨日からよく雨、というか各地で大雨みたいですね。


ワタシは昔から雨を部屋から眺めるのが好きです。

好きだ、というとワタシが常に雨を望んでいるかのようですが、決してそんなことはなく、当然今この瞬間もこの雨に苦しんでいる方々もいるので、そういった方々を犠牲にしてまで雨よ降れ!とは思っていませんので、一応誤解されないために。。。

鬱陶しいには変わりないですよ、当然。

ワタシも出掛ける時の雨は嫌です、勿論。


ただ、部屋から眺める雨の景色が好きなんです。

水溜まりに広がる波紋や、人や車が雨を跳ねる音、屋根や地面に落ちるその音、風向きで変わる音、あの独特の匂い、、、


マイナスイオン効果ですかね・・・

なんかとても気持ちが落ち着くんです。

心も洗われる気がします。

イロイロなことを落ち着いて考えられる気がします。

子供の頃からそうでした。

雨の日に実家のベランダに出て物思いに耽ることが多い、気持ち悪い子供でした。笑。



今日も早朝から病室の外の雨の景色を眺めながら過ごし、雨の音を聞きながらこの記事を書いてます。



昨日、ジョカノがふと、

「・・・手術終わったらさ〜・・・」

と話し始めました。



ワタシはドキっ、としてしまいました。

自分でも衝撃でした。



手術を目標に昨日からワタシはまたケモを頑張っています。

手術に向かう為のケモです。

家族もそう思い、それを強く希望して、信じています。



じゃあ何故ワタシはドキッとしたのか??

手術が目標なのだから、手術後の話をして、その目標を強く信じることは正しいことのはずです。

何故ドキッとしたのでしょう?


ワタシは怖いのです、手術が出来なくなることが。

それを見透かされたようで、ドキッとしたのです、多分。

信じてないんじゃない?って試されたようで・・・


いや、そんなことはなく、ワタシは手術がしたいので、今やっているケモの効果を信じて、期待をこめてやっています。

だからこそ不安で怖いんですけどね・・・


ましてや、家族も期待をしています。

その期待を裏切り、また家族を悲しませてしまうかもしれない、という不安や恐怖もワタシは背負っています。

ジョカノがなんの深い意味もなく言った一言でワタシは改めてその不安と恐怖を実感させられました・・・



今のケモが効果なく、手術が出来ない可能性も勿論あるから、それが不安で怖いのだ、

それを家族には言えません。

家族を不安にさせることはワタシは出来ないですし、ワタシが期待している分、不安で怖くて仕方がないという部分をさらけ出すのもはばかられます。

だからドキッとしたのです。

不安で怖いのだ、ということが見透かされたようで・・・




・・・もう少し楽に考えてみることにしようかな?

手術をしたい、とは言っても、それもあくまでワタシが生きる手段に過ぎず目標では無いですからね。

手術が出来なくともワタシが生きる手段はまだあるはずですし・・・


いや、ワタシのいつものスタンスではこっちなんだよな〜・・・


いや、でも今やっているケモの効果を信じて、手術するんだ、って、やっぱりそれはワタシ自身が強く信じないといけません。

それはこれまでの抗がん剤治療でも学んだことでもあるし。

効果を自分が信じないとあかん!ってことはね。


不安や恐怖をうまくコントロールしながら信じないといけません。


「疑う」ことより「信じる」ことは難しいのです、やっぱり。

激ムズ、超ムズですよ〜、まったくもう・・・

いやだわ〜・・・


おわり

以下各サイトのランキングへ参加中です。
クリックして頂けると嬉しいです。



ブログランキング・にほんブログ村へ




Vol.37 精神論が聞きたいのだ

頑張りましょー!!


先程、この3月までワタシを見ていてくれた呼吸器の先生が病室に来てくれました。

担当替えにはなったものの、ワタシの状況は逐一気にしてくれているようです。


「また振り出しだけど、絶対効く、
ベストな治療法を我々も練っているから・・・ワタシさんは体力だけつけて・・・頑張りましょう!!」

みたいな事を言って去っていきました。

嬉しいですね。



ワタシは今までは良い先生に恵まれてきました。


なぜそう思うか、というと、それは自分の考えや、意見を言ってくれる先生で、最後には頑張りましょう、と言ってくれる先生達だからです。


ワタシも会話の中で上手く先生個人の考えや意見を引き出すよう、努力をしています。



絶対効く薬なんて無いのは分かるんです。

抗がん剤なんて効かないことのが多い、

個人の患者にベストな治療法なんてやってみないと分からない、


ワタシもそんなこと分かっているのです。



エビデンスとか、論文上とか、統計、抗がん剤のレジメン・・・

医者はそれをもとに考えるのですが、そんなことワタシにはどうでも良いのです。


大事なことは、

主治医の先生が、

「何故その治療法をワタシに採用するか?」

ということを、

「主治医の先生の言葉」

で聞きたいのです。



嘘でもパフォーマンスでもいいのです。


気持ちの問題です。




医者は曖昧なことしかいいません。

個人がリスクを負うような、独自の意見をハッキリ言うのは嫌でしょう。


医者じゃなくてもどの世界でもそれは当たり前です。


でもその壁を一つ越えた所にしか信頼関係は無いんじゃないかと思います。


医者と患者の関係に限ったことでは無いですね、これは。

おわり

★ランキング参加中です。1日1クリック 頂けると嬉しいです m(_ _)m★
↓ ↓ ↓
にほんブログ村
ブログランキング・にほんブログ村へ
人気ブログランキング

FC2ブログランキング

Vol.15 ワタシは病気と闘っていません。

悪いヤツとは思えないんだよな・・・


過去の扉シリーズはまだ今の時点においついておらず・・・・

まだ大分時間がかかりそうなので・・・・早めに書いておきたい、ワタシの病気と身体についてのテツガクを一つ、ここで書いておこうと思います。


ワタシは、今、病気と「闘う」ことはしていないつもりです。

どっちかというと「共生」派です。


結構、病気を抱える他の方でもこういう価値観の方多いですよね?こういうスタンスをススメる本もあります。

ワタシは明らかに「共生」の心構えの方が自分に合っていますので、そのスタンスでいることが結果長生き出来ると踏んでいます。



一般的に、人間は病気になると、「その病気と<闘って>治す」というような表現を普通は使います。

ワタシももちろんこれまでその表現を使ってきました。

これからも多分使います。


しかし、ワタシの本心としてはその表現はあくまで今のワタシの状態を分かり易く示す「記号」のような意味しか無いです。

ワタシのような状態は「闘っている」という表現がどうやら言語として一般的なようなので、他の方に伝わり易い為、という理由です。

これからも使うと思います。


会社の人なんかに、「頑張って、闘ってこいよ!」なんて言われると、普通に「はい!頑張って闘ってきます!」って言います。

そこで、ワタシが「いや~、いいんですよ、癌と一緒に生きられればいいんですよ・・・」なんて人生観振りかざしても仕方ないですからね。



ワタシが何故そうなのか、というのには大きな理由がありまして、ワタシは「今のところ」胸腺腫によって、これが痛んだり、日常生活へ支障を来たしたことがあまりないからです。ちょっと前の記事でも触れた「痛みなき病」だからです。

いや、たまに腫瘍がある辺りが、ウズウズ、ズキズキしたりすることはあることはあるのですが、(気のせいの場合もあるでしょうが)それによってどうにかなったことはありません。

いわゆる腫瘍熱!?が出て何日か寝込んだこともありますが、それも発覚後数回、数日くらいの話ですし、実際のところただの風邪だったかもしれませんです、はい・・・

もちろん、この先、ワタシの腫瘍がスクスク育って、骨などに行ってしまい、猛烈な痛みを発し、苦しさを覚え、今の暮らしが大きく制限されたら、その時ワタシは「何としても闘って治してやる!」と思うかもしれません。

でも、今は、例えば酸素ボンベを引かないといけなくなり、QOLが大きく下がったとしても、ワタシの中に病気への闘争本能が芽生える、とも思えないんです。



病気になり、それまで何となく過ぎていってしまっていたワタシの人生のモノトーンの時間が、急にカラフルに色付き始めたのです。

絶望のグレーや黒にもなりましたし、幸せの黄色やオレンジにもなりましたし、さわやかな緑や青にもなりました。

一切なにも考えられない「無」の感情の透明や白にもなりました。

これも前の記事で書いたのですが、初めて「ガン宣告」を受けた日、史上最悪の不気味なグレーを見ると同時に、史上最高のピンクとブルーも見たのです。

良くも悪くもワタシの人生は鮮やかになりました。

感情の振れ幅が大きくなり、心乱れて困ることもありますが、それは「豊かに」なったとも言えます。


失ったモノ、コト・・・・沢山あります。


得たモノ、気づけたコト・・・・これも沢山あります。


だから病気が今のところ悪いヤツ<=敵>とは思えないのです。



人は必ず死にます。

おそらくワタシは今侵されている病気によって死に至るでしょう。


でもそれがいつかはわかりません。

もしかすると病気によって、その時期が本来あった寿命より早まるのかもしれません。

いや、多分そうでしょう。


しかし、その分、病気によって、病気にならなかった場合の何倍ものドラマがあるとしたら、幸せがあって、ワタシの夢が達成できるのなら・・・

病気はありがたいもの、むしろ「味方」になってしまいます。

なんとなくそうなるような気がしているのです。


いや、そうするように頑張るしかない、というのが適切な表現かもしれません。


まぁ、「味方」と言ってしまうと、後あと裏切られた時に痛手が大きいですから、「少なくとも敵ではない」ということにしておきます、今のところは。

うまく距離をとって様子伺う、感じですかね。


限りなく白に近い所のグレーゾーンに居る感じですかね?(また出ました三ツ矢雄二)


はっきりと「敵」とは思えない相手とは闘えません。

「末永く=(長生き)」お付き合い(共生)をしたいです。



ワタシは性格上、これは小さいころから、「相手のある勝負事・競争」などが苦手です。

負けるのが怖いのか?多分そうです。

でも不思議と「勝ちたい」という感情も湧いてきません。


「病気に勝つ」ことは、人生の「手段」だとしても「目的」ではありません。

ワタシは「病気と共生」して人生の「目的」を達せられれば良いと思います。



今はその「病気と共生する」という感覚を大事にしたいのです。


闘いたくなる感情がもし湧いてきたら、その時はその感情を大事にしたいのです。



「病気に対して強い気持ちを持って、闘って、治した!」という体験談が巷に沢山あります。

病気に対する一般的な、常識的な感覚はこっちの「闘う派」かもしれませんね。

だからと言って無理やりワタシも「闘わなければいけない」と無理やりなモチベーションを自分の中に生み出し、「闘って、絶対、治す!」という目標に半ば強制的に執着させられるようなことはしたくないのです。

それは自分の自然な感情を抑えつけることです。

必ず破裂します。

破裂した時の心の乱れようはおそらく大きいものになるでしょう。

それは避けなければなりません。


自分の心から湧き上がったものでは無いモチベーションは絶対に長続きしません。

人からやされているコトがあったとしても、それが心底自分の心から湧き上がっているモチベーションじゃなければ良い結果が出ないのは当たり前です。

仕事なんかも特にそうです。


ワタシは今の自然な感情を大事にし、病気と「末永く共生」していく道を進んでいきたいと思っています。

おわり

★ランキング参加中です。1日1回 クリック頂けると嬉しいですm(_ _)m★
↓ ↓ ↓
にほんブログ村
ブログランキング・にほんブログ村へ
人気ブログランキング

FC2ブログランキング

 | HOME | 

文字サイズの変更

プロフィール

ワタシ(@tachyon516)

Author: ワタシ(@tachyon516)
⇒ ワタシのスペック ・ 病気の経緯

最新記事

ツイッター

全ての記事&月別アーカイブ

2015年 05月 【1件】
2014年 10月 【1件】
2014年 06月 【3件】
2014年 05月 【12件】
2014年 04月 【15件】
2014年 03月 【9件】
2014年 02月 【2件】
2014年 01月 【4件】
2013年 12月 【5件】
2013年 11月 【7件】
2013年 10月 【14件】
2013年 09月 【16件】
2013年 08月 【19件】
2013年 07月 【18件】
2013年 06月 【22件】
2013年 05月 【14件】
2013年 04月 【13件】
2013年 03月 【15件】
2013年 02月 【18件】
2013年 01月 【22件】
2012年 12月 【30件】
2012年 11月 【28件】
2012年 10月 【32件】
2012年 09月 【34件】
2012年 08月 【7件】
2012年 07月 【23件】
2012年 06月 【37件】
2012年 05月 【39件】
2012年 04月 【50件】
2012年 03月 【23件】

カレンダー

<< 05
2021
>>
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -

記事のカテゴリ

カウンター 2013/1/20 ~

Template by たけやん