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ワタシはカラダをテツガクする

病気が集まってくるカラダを自慢している。 生きてる以上テツガクするしかないね。めんどくさいけどね。

Vol.361 がん治療と仕事(会社員)の両立は不可能である(可能とする為には?)



人類補完せずに


最近、会社を辞めたのですが、その旨を先日書きました。

→ Vol.352 がん治療と仕事(会社員)の両立は不可能である(その理由)

ちょっと間が空いちまったんですけど、「じゃあどうしたらいいかなー」ってことをクドクド書いてみようと思います。



今現在、例えば、傷病手当金など収入を保障したりするものは制度としてあるものの、今のワタシのように、
「完全休養までは必要ないが、かといってフルタイムの完全勤務は治療と両立するには少し無理がある・・・」
というような、中間的病人(と仮に呼ぶことにして。)みたいな人間が、少しでも働き続けられる制度があればよかったと思います。


ワタシもしてもらっていたような時短措置もそうだけど、時短だけでは無く例えば週休3~4日とかにして時間的な柔軟性がもっとあればいいと思います。

そして何よりこれが大事だと思うのですが、そのシフトでこなせるような業務内容(対外的な仕事を減らして、アシスタント的な作業になると思うけど。)を工夫する必要があります。(※ワタシにはこれが無く、時短になっても仕事の量と内容は変わらなかった)

それに伴って柔軟な雇用形態(もちろん報酬も連動)も必要となるでしょう。

また、ITがこれだけ発展した昨今、在宅勤務をそこに絡ませることも難しくないはずです。


一方、前にも書いたんですけど、(→Vol.334 難病助成拡大と病人へのセーフティネット)
「そもそも病人が無理に働かなくてもいいようにする」為に、収入保障など行政の支援を手厚くする方向性もあるのかもしれません。

しかし今のご時世で社会保障の拡大は難しいし、少しでも働ける人には、やはり働いてもらった方が、その人にとっても、社会にとっても、そりゃ有益な訳で・・・(もちろん、少しも仕事をすることが困難である病人への支援は手厚くなることを望むけど。)

そういった「多様な制度」を実現するに当たって、ワタシは労働関係の法規は知らないけど、ここ数年、雇用に関する規制緩和というのが、かなり世間でも議論に登っているように、企業が柔軟な雇用形態を企画出来るようなフォローが進めばいいと思います。

この雇用に関する規制緩和は、「解雇しやすく」、みたいな形も含まれているはずだけど、多くの企業が柔軟で多様な雇用形態を持っていれば、再就職もし易くなるはずなので、全体的に見て雇用の流動化の促進に繋がればいいと思います。

こういった雇用を促進する規制緩和や政策は何より明るい将来に繋がる投資のはずですからね、社会保障費が大変なのは分かるが、将来の社会全体の成長の為にも、規制緩和と併せて行政には積極的な投資もしてもらいたいものです。



はたまた、

そういった制度があったとしても、それを運用する為には当然人は増やさないといけないでしょう。
(人を増やすなら雇用形態や制度を多様化しなければならないだろうし、逆にそれが多様化されれば人は増えると思うけど。)

また、例えば一部の会社では実施されているらしいんだけど、育児中などフルタイムで働けない社員が2人でチームを組んで仕事を行い、1人に何かあっても、もう1人がフォロー出来る、というようなリスク分散の制度があれば、フルタイムで働けない人も気兼ねなく働き易いと思います。

ワタシのが居た会社でも見られたけど、一人のマンパワーに依存している業務はいくらでもありました。

その人しか、その業務を知っている人がおらず、その人が抜けた途端業務が止まってしまう、というような場面はいくらでもありました。

その人がいつでも仕事を優先できる人間で、病気もしなければ大丈夫、ということなんですが、そうはいかない場合も当然あります。

企業からしてみてもリスクヘッジになって良いと思います。



そして、

何より一番大事なこと、こういった制度を実現して、そしてその運用を担保する為には、何よりも「多様な境遇の他者を理解し合う」というマインドを皆に醸成することが必要だと思います。(壮大な話になっちまいましたが。)


日本はこれまで製造業をメインに、戦後から急速な高度成長を果たしてきました。

豊富な若い労働力を新卒一括で大量採用し、終身雇用を前提に、欧米の仕組みも参考にしながら、一から教育して、その社員とともに企業も、そして日本も、揃って成長をしてきました。

社員も当然、朝から晩までフルタイムで働ける人間が前提でした。

企業もフルタイムで働いてくれて、ずっと貢献をしてくれることが約束された人間で無ければ、一から教育する、という大きなコストをかけられなかったと思います。

男は仕事を第一として企業戦士となり、女は専業主婦となり家庭を守りました。
(ワタシの両親も、団塊世代よりも少し若いけど、まあそんな感じです。)


今はもうこのような時代では無いのですが、まだまだ日本の社会には、こういう「男=フルタイムでバリバリ仕事、女=家庭第一」みたいな価値観は深く残っているし、システムもまだまだこのような価値観を元に構成されたものが残っています。

この価値観が社会を支配する限りは雇用の多様化は進まないと思います。

今はもう産業の構造も変わって高度成長の時代とは違い、先進国に限っては労働者の人口は減るばかりです。

古い価値観が悪い、ということではなくて、今の時代には馴染まないのでは?ということです。

これまでの価値観が支配する「新卒一括 → 男中心 → 終身雇用」というようなシステムでは、企業も社会のニーズにあった価値を生み出せなくなって成長しないだろうし、それは当然、雇用の多様化どころか、逆に雇用の減少となり、個人も生活出来無くなってしまうでしょう。


といっても、それを悲観しても仕方ないので、こういった多様な境遇の他者を理解し合うという価値観を、企業も個人も自ら積極的に自家培養して、今までとは違う発想をして、雇用の多様化を含めた社会のニーズを捉える新しい価値を生み出す努力をしていくしか無いと思います。

論理は逆転してしまいますが、多様な境遇の人を企業が有意義に活用する為には、当然、雇用形態も多様化していないといけません。


ではどのようにして、「多様な境遇の他者を理解し合う」のか?

これは分かりません。

ワタシは病人になって、フルタイムで働けない、いろいろな制約が出来たので、同じような境遇の人を理解することが出来たと思います。

でも、病気にならなかったら、おそらく理解出来なかったかもしれません。


人と人とが完全に理解し合うことは不可能だし、その必要も無いのかもしれませんが、理解を出来なくとも、「否定はしない」ことが大事なのかもしれません。

お互い尊重し合う、歩みよる、妥協する、そんなイメージですかね?

やるべきことは大体皆わかっているはずですから、あとはやればいいだけなんですけどね。



企業や、健康な人に、こういった病人としての境遇をもう少し理解をしてもらいたい、という欲求はワタシにもあったりしますが、かと言って我儘を言うことは出来ません。

確かに、ダイバーシティというものを実現し、出来る限り多くの雇用を生み出すことは企業が果たすべき最大の社会的役割であるし、それなりのメリットもあると思うのですが、企業の本質はあくまでビジネスであり、それは常にライバルとの競争です。

我々病人も、病人だからと言ってダイバーシティのスローガンのもと実現される制度に対して、甘えていてはいけません。

我々も我々なりに、ただ企業や社会のお荷物となって甘えるだけでなく、当然、出来る範囲での貢献をして、何らかの価値を生み出すよう頑張らなければなりませんね。

それだけは忘れないようにしたいとワタシも思います。


ってか、この記事もなんだか社会への文句になってる気がするがw

まいっか。

残念ながら、これが今のワタシのクオリティだ。

これからも、こういった問題は考え続けることになるでしょうから、また何かいいことを思いついたら書いていきたいと思います。


おわり

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Vol.357 情報に流されないように



川の流れのように


今日の日経の記事で、

「~~今後、選挙活動でのネット使用解禁~~」

「~~安倍首相はフェイスブックをよくUPしている~~」

から始まり、かくかく、しかじか、

「~~情報の扱い方が重要になる~~」

といったような趣旨の記事がありました。


現在はまさに情報の洪水状態。

「誰でも(匿名・実名問わず)」

「どんなことでも(嘘・本当問わず)」

発信出来てしまいます。

(ちなみに、このブログに嘘は書いていない!と誓います。逆に書いていない本当のことももちろんありますが。・・・あ、書いていることでも大袈裟に盛っている場合はある。笑。)


今日の日経の記事の中でも、とある学者さんが、「~~ネット世論は極端な意見が多い~~」とコメントしていますが、ワタシも本当にそう思います。

情報の戦争が起きている中で目立とうとしたり、世論を誘導したい、などと思ったら、結局、

「ウケ狙いの極端な珍説」

で耳目を集めるしかないんだ、ということじゃないでしょうか?

(少数政党が、少しでも目立つ為に、政権を取れない、ということを自ら自覚しつつ、出来もしない極端な公約を掲げる、というのと同じかな?いや、違うか?笑。反対に政権を取るかもしれない政党は出来ないと困るので、その公約を曖昧に濁しておく、というのも困ったものだが、って脱線した。)


がん治療に限らず、病気・健康一般に関しても、まさに情報の洪水状態であります。

(※あ~、前にも同じようなことを書いてるな・・・ →Vol.111 ガンは巨大ビジネスだ

命がかかっている、というネタがネタだけに、我々患者も必死ですから、ついつい冷静さを失って情報に目を眩まされることはどうしてもありますよね。

特に病人を相手に「情報」を使って「ビジネス」をする連中は、その相手は命がかかる故に冷静さを失っている病人や、その家族だったりしますから、ビジネスしやすいんですよ。

情報でビジネスをしようと思ったら、多数派の人が知っているそれまでの常識では有り得なかった「極端な説」を掲げるしか無いのです。

誰もが知っている情報ではビジネスになりませんから。

そのビジネスになっている、エビデンスの無い情報には気を付けないといけませんね。

(例えば、肉を食え!いや、食うな!といったような、共に極端な珍説。笑。)


それが良い、悪い、と言ってもしょうがないです。

我々はそいう連中に真偽の判断を下し、裁くことが目的ではないから、こちらもある意味開き直って、自分で情報を交通整理して、うまく使っていくしかないのです。


ワタシはがんや健康関連の情報に限らず、情報に対して批判的な精神を持って接することを目標にしています。

・・・って偉そうに言いましたが、やはりこれだけの情報が溢れる世の中、ついつい自分でも無意識のうちに一方に流されいる時はいくらだってあります。

たまたま違った意見に触れた時に、「あ、そういう視点もあるな~」と気づくことが沢山あります。

・・・・

やだやだ。


かと言って、目と耳を塞いでいたら何も入ってこなくなっちゃうからね。(口は少し塞いだ方がいいかもw)

あらやだ。


そんなことを思った小雨ぱらつく寒空の日曜の朝でした。

寒いけどこれから今日はお出かけしまーす。

着るモノに困るぜー。


おわり

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Vol.352 がん治療と仕事(会社員)の両立は不可能である(その理由)



両立とは二つの物事が同時に支障なく成り立つことだそうです。


前々回の記事にて内閣府による「がん対策に関する世論調査」に触れたんですが、今回は仕事との両立について思ったことを書いておこうと。(ここでは仕事=会社勤め、ってことで。)

(↓ソースは内閣府HP)
http://www8.cao.go.jp/survey/h24/h24-gantaisaku/index.html

上記アンケート内、

・・・・・・・
がん治療などのため2週間に1度程度通院しながら働く環境が日本社会で整っているか尋ねたところ、仕事との両立は不可能、どちらかというと不可能=計68.9%
・・・・・・・

逆にワタシは2週に一度、休暇を取るレベルで済むなら「可能」だと思いますけど・・・?

しかし、定期的に通院して、写真撮ったり、採血して検査だけで済んで、ってそれだけで済まないことも多く、諸々の事情を考えると、アンケートの多数派と同様、ワタシは端的に「がん治療と仕事の両立は不可能」と思います。

(※もちろん病気の内容や仕事の内容により事情は変わるので、単純に「可能」「不可能」どちらかの結論を言い切ることは無理ですが、ワタシにおいては両立は不可能だったし、どちらかと言えばやはり「不可能」だと思う。)

実際にワタシはこの春、勤めていた会社を辞めることになりました。

休職をしていたのですが、労務規定に定められた休職期限の日に復職しなかった為、退職となりました。


以下、ワタシの実体験に即して、がん治療と仕事との両立が不可能だと思う理由を、これまた前々回に引き続き、クドクド述べたいと思います。

理由としては、

・アンケート主旨と被りますが、がんに限らず病人が働き易い環境(制度)が社会に整備されていない、

ということと、

・そのような環境(制度)が存在していたとしても、その運用が困難で制度が形骸化している、

という2点に集約できると思います。

(※最終的には全て、「自分と違う境遇の他者を理解し合う」というテツガク的な問題に行きついてしまうと思うが。)


●がん患者が働き易い環境(制度)が整備されていないことについて


がん患者はいろいろ忙しいです。

病院に通って検査・治療を定期的に受けなければなりません。

定期的、で済めばいいのですが、定期的にこなしている期間に、何らかの異常があれば、すぐにイレギュラーな事態に発展します。

(※しかも、定期的に通院する、以外でも、「がん」という病気の性質上、例えば食事を改善したり、民間療法を受けたり、だとか、日常の情報収集なども含めて生活スタイルや人生観そのものをガラリと変えなくてはいけない、という患者も居たりするので、それを含めるとがん患者は生きる為に相当忙しい、と言えるのではなかろうか?・・・しかもこの部分は健康な人に最も理解し得ない部分であるから難しい。未だに、医者の言うことを信じて、頑張ってればいい!・・・という、有り難いアドバイスをくれる人はいくらでもいるのだ。)

そのようながん患者が、患者としての多忙な生活を送りながら、かつ会社で仕事を続けられる為の環境(制度)が果たして整備されているか、というと・・・

アンケートで7割弱の人が整備されていない、と感じているのが現状でしょう。

しかも、このアンケートはがん患者限定のアンケートではありませんからね、普通の健康な人ですら、そう感じているのですから、逆にがん患者という当事者に限ってアンケートすれば、ワタシは限りなくこの「不可能」の回答は100%に近づくのでは?・・・と思っています。


まあまあ、これは致し方ない部分があります。

病気は、その病気の数だけ肉体的・時間的・精神的な制約がバラバラです。

「がん」だけに限っても、その種類が多いし、症状や経過、治療内容なども病気ごとで、そして同じがんでも患者ごとで千差万別なものになってしまいます。

そして、ワタシはこれが一番の課題だと思ってますが、病人は、「いつ、どのように症状が悪化するか分からない」という、「見通し不明」なことが多々あります。

今日元気に仕事が出来ても、明日は出来るとは限りません。


例えば、出産、育児、介護などを抱える社員の肉体的・時間的・精神的な制約というのは、皆の経験則の積み重ねもあるし、社会一般と比較をして、その大体を類型化することが出来ます。

出産、育児、介護を支援する制度はウチの会社にももちろんあったし、一般にも広く普及しているようです。

しかしそれら出産・育児などと違い、上記のような病気を抱える千差万別の社員をいくつかのパターンに類型化し、仕事との両立を可能にするような制度を整備する、というのは、なかなか難しいと思われます。


●制度が存在していた場合の、その運用の問題について(ワタシの実体験に即して)


ワタシは病気発覚の2009年春から2011年秋までは仕事と治療を両立しておりましたが、(結局、両立していた、とは言い難いが。)2011年春頃からは、身体をよりセーブしたいということで会社と相談し、時短措置を採ってもらいました。

これは基本労働時間を短くする、(もちろん勤務時間が減った分は給料は減る)というものでしたが、実はワタシの会社には育児介護を抱える社員の時短措置はありましたが、病気療養との両立の為の時短措置という制度は存在しなかったのです。

最終的にワタシの所属する部門の上長と人事部とが紳士協定的に約束を交わす、超法規的措置みたいな感じでした。
(ゆえに、これに至るまでもワタシが自身で自分の上長と、人事の部長との間の調整などを行ったり来たりして、、、気を遣う羽目になった。笑。)


しかし、結局、この時短措置は効果を発揮することなく、ワタシの勤務時間は大して減りませんでした。(ゆえに給料は減らなかったが・・・)

理由として、ワタシが本当であればより効率的な仕事をしなければならなかったのですが、ワタシにその能力が足りなかったこと、また、会社(上司)のマネジメントも機能していなかったこと、などが考えられると思いますが、結局それは理由ではありませんでした。


ワタシは取り決めにより、一日2時間の時短を与えられていましたが、理論的にそれを実現させる為には、その分、他の社員が多く仕事をするか、新たに2時間分の労働力を追加するか、もしくは、ワタシの2時間分の仕事を会社が減らすか、そうするしかないのです。

ワタシがこれまでと同等の仕事量を2時間少ない時間でこなせば、これが理想だったのですが、そもそも、これが出来るなら、何故初めからそうしてないの?全力で仕事してなかったの?ということにもなります。

社員1人の労働時間が減る、しかし会社の仕事量は減らない、(当たり前だが)これでは理論的に時短措置の制度は成り立たないのです。


結局、時短にしたものの、

「せっかく時短にしてもらったのだから、早く(しかし仕事の精度は落とせない)仕事を終わらせなければならない。」

という、プレッシャーに負けて、ワタシは時短を運用しきれず、ストレスは逆に増えてしまいました。


理論的な問題のみならず、他の社員に気を遣う、という、見えない精神的問題もあります。

時短社員分の業務が他の社員に回れば当然他の社員は負担が増します。

それで残業手当などの報酬が増えれば、それを良しとする社員も居るかもしれませんが、それを不満に思う社員も居ますし、結局あまりいいことは無く、病人も他の社員も共にストレスを増やすことになります。


育児中の女性からも同じような話はいくらでも聞きます。

育児しながら仕事をしている人は、仕事が終っても終わらなくても、強制的に子供の元へ帰らなくてはいけません。

結局それでは仕事も進まず、場合によっては他の社員がこなさなければなりませんから、それはその当人にとっても、会社の他の社員にとってもストレスの源となってしまいます。


時短措置や特別休暇の付与といったような制度が形式的に整っていたとしても、それを運用できる下地がそもそも存在しない、ということです。

ワタシも時短措置こそ採用してもらっていましたが、逆にその影響か、仕事も、そして闘病生活もどちらも中途半端になってしまっていることを感じ、思い切って完全休養の休職を選択する、という結末になったのです。


以上、

ワタシが、治療と仕事との両立を不可能と思う理由をクドクド述べましたが、これで終わってもただの文句で終わってしまうので、

「じゃあ、どうすれば治療と仕事との両立が出来るか? どうすればワタシはずっと会社で仕事が出来ていたか?」

ということも考えてみたいと思います。

長くなったので、また次回以降に書くとしますかね。


さ、

桜見に散歩にでも行きますかなー。

しかし東京地方はなんか天気悪くて肌寒いであります。

雨ふんのかな。


おわり

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Vol.350 がん検診はノーリスクの投資です



がん検診

受診の前に

がん保険 




数日前、各メディアに内閣府の「~がん対策に関する世論調査~」・・・云々の話題が。

(産経ニュース↓)
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130316/trd13031617480010-n1.htm

病人と仕事との関係については、今まさに会社を辞めることになったワタシはタイムリーに色々思うことがあるので別途書くとして、今日はがん検診に関するアンケート結果について思ったことを。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ワタシは声を大にして、自分の時間を必要以上に割いてまで、がん検診を世の中に啓蒙するような気持ちは無いんです。

「検診とか、人間ドッグとか、した方がいいよ。」

と、自分を引き合いに色んな人に言っていた時期もあったりしたのですが、結局、こんだけ苦労しているワタシを見ながらも、自分には関係の無い世界の出来事だと思っているのか、なかなか検診を積極的にするような人に出会ったことはワタシはありません。

ワタシの伝え方が悪い、ということもあるのでしょうけどね・・・

だからと言って伝える為にそれ以上の努力をする気は湧いてきません。

結局、検診の必要性や健康の大切さ、というのは、実際に病気にならないと理解出来ない、という持論を持つに至ってしまったので、今は誰にも「とやかく」言いません、何も。


ただ、

検診を受けなくてもいいんじゃね?癌になっちまえばいいんじゃね?と思っている訳では決して無いのです。

一応、このブログも、働き盛りで病気になった人間の一人として情報発信することで、

「少しでも世の中に貢献したい」という目的も一つあります。

このブログを見て、自分のカラダを省みてくれる人が一人でも居ればワタシは嬉しいと思っています。
(逆に不健康なワタシと比較して、健康な自分に幸せを感じてくれても、それはそれで良いのですが。笑。)

なので、ワタシなりに、検診をお勧めする、その理由を以下述べたいと思います。

・・・

結論として、がん検診(に限らず、健康診断一般)は、自分への投資(しかもノーリスク)だと思います。

だから受けた方が良いに決まっているのです。


人生の計画を考える時に、その要素を大別するならば、まずは、

「仕事」 「家族」 「お金」 「その他(趣味など)」

くらいに大別ができ、そういった要素の中でも、最も基本となるべき重要な項目は、

「自分の身体(健康)」

なのです。


多くの人は、

「将来あんな仕事をして、あんな人間になりたいな~(仕事)」

「30歳までには結婚して子供欲しいな~、その後、親の介護はどうしよっかな~(家族)」

「あんな暮らしをして、あんなモノが欲しくて、子供も欲しい、そして老後も考えてこんくらいお金必要だよな~(お金)」

「あんな趣味も楽しみたいな~、(その他、趣味など)」

ってことを考えると思います。


しかし多くの人は、それは全て自分の身体に「健康」があって初めて成り立つ計画を立てているものです。
(50歳で癌になるだろう、とうことを見越して人生設計している人は居ないでしょう。)

つまり、自分の立てた人生計画を狂わせない為にも、人生計画を円滑に実現する為にも、「身体(健康)」をマネジメントすることはものすごく大切なことなのです。


「健康=幸せの前提条件」

とは決して思っていませんが、(※そうなると、不健康な人は不幸だ、ということになってしまうので。)健康であった方が人生の選択肢が広がるし、人生計画を達成しやすいことは間違いないのです。
(※もう既に大体の人生計画をこなしてしまった、という、ご老人はまた別な話。)


話は若干逸れますが誤解されない為に言っておくと、「健康が全てに勝る」とは言っていません。

そのように、健康をさも「生きる目的」にしているような人も見受けられますが、ワタシはそれには多くの疑問を感じるし、そういう人たちを通じて人類としての危機も感じています。(大袈裟だけどね。)

人は生きる為に生きているのでは無く、健康はあくまで人生計画の幅を広げ、円滑な人生計画の達成を支える一つの要素、手段、であると思っています。


「身体」をマネジメントする、ということで、例えばキャリアアップや収入を増やす為に仕事や資格の勉強をしたり、人脈作りに勤しんだり、家族が欲しいから婚活したり、人格を向上させたり、教養を深める為に読書思索をしたり・・・

それと同じように身体にも「投資」をするんです。

しかもそれらの活動より身体への投資は遥かに大事だし、重いのです。

必須科目です。

食生活の改善や運動をするのも良いでしょう。

そして、まずは検診で現状の自分を知って、これからどのように身体をマネジメントしていくか、それを知った方が良いのです。

実は心臓に疾患があるのにやみくもにマラソンを始めても仕方ないし、誰かみたいに重症筋無力症なのに筋トレをしても意味ないので、まずは自分がどんな状況か、知るべきです。


冒頭アンケートの回答、

・・・・・・「がんだと分かるのが怖いから」(36.2%)・・・・・・

とあるように、検診の必要性に気づいていながら、現実を直視するのは怖いものです。それはワタシにも理解出来ます。

きっと、「がん=不幸の始まり」というイメージが先行してしまっている為でしょう。

ここでそれを否定するのは本旨では無いので辞めておきますが、誰でもその可能性はあるのですから、これは腹をくくって検診するしかありません。

しっかりと、望む人生を達成するために、身体をマネジメントするのです。


・・・・・・「受ける時間がないから」(47.4%)・・・・・・

何がそんなに忙しいのですか?仕事ですか?遊びですか?

どうせ大したことしてないですよね?笑。

時間なんて、いくらでも作れるでしょう?笑。

どうせ病気になったら、そんなこと全て出来なくなるかもしれないし。笑。


検診のリスク、

癌と知ってしまって、凹まされることをリスクと思うかもしれません。

しかし、我々の知らない所で、音も立てずに癌は進行します。

残念ながらガンに限らず病気とされるもの、そのほとんどは、放っておいて状況が好転することはあまり無いと思います。

だとしたら、例えガンだと分かってしまって不幸が始まろうとも、より早くその事実を知ったことは「大きなリターン」です、絶対に。

不幸、と思うのは勝手ですが、その不幸を最小にする為には、最速で現実を直視することです。


・・・・・・「健康状態に自信があり、必要性を感じないから」(34.5%)・・・・・・

ソクラテス先輩のオコトバを借りてワタシは「無知の知」と言いたい・・・

このブログにも散々書いていますが、自分の身体ほど不可解なモノはないのです。

特にガンに関して言えば、健康状態に疑問を感じてからでは遅すぎます。


一番大事なのに、一番不可解で難しい「身体のマネジメント」、

でもやるしかないのです。

人生計画を達成する為に、です。


無知の知・・・

自分は何~にも知らないのだ、という自分の無知を知れば、それはつまり知ったも同然であります。

ソクラテス先輩のみならず、孔子のお兄様も老子師匠もそんなことを言っているのです。

これはもう検診するしかない。

いつする?

今でしょ?

・・・と言いたい所ですが、ガン保険に入ってからのがいいですよ。笑。

今すぐがん保険に入ってから、保険の待期を確認して、その後に検診しましょう。

大体3ヶ月くらいなんですかね?待期は?

よっぽどのことが無い限りは3か月で大きく癌が進行することは無いでしょうからね?

まあ恐ろしいタイプのガンもあるからそうとも言えないけど・・・


検診の結果、異状が無ければ、それからは安心して(油断・過信はならぬが。)自分の人生計画を進めればいいし、ガンだとわかったら、人生計画を修正するしかない。

トラブルは早めに見つければ修正も楽なのです。

逆にワタシのように見つかるのが遅ければ、目的地を変更しなければいけなくなるかもしれないのです。


・・・・・・「費用がかかり経済的にも負担になるから」(35.4%)・・・・・・

カネはかかるかもしれないが、これほど確実に大きなリターンが得られるノーリスク投資は無いのであります。

恐れる気持ちに負けて現実逃避して先送りしたい気持ちは分かりますよ、十分に・・・

でも、冷静に、機械のような心で、機械的に考えれば検診を先送りにする理由は見当たらないはずです。


それでも検診に足が伸びなければ、、、

「覚悟」をした方が良い。

いつ余命を宣告されてもいいように、覚悟して毎日を全力で悔いなく送って欲しい、、、明日死んでも良いように。

それはそれで一つの立派な生き方であります。

むしろそんな人のが理想ですけどね、本当は。

明日死んでも悔いなく生きる・・・が出来ればね。

でも大体の人はそうでは無い。

数年、数十年単位で人生を考えてるはず。

だったらそれをきちんと裏付けられるように、身体をマネジメントしていった方が良い、ということ。


ここで言いたかったことは、

「カラダは大事」

という、たった数文字のことです。

そう、誰もが言っていることです。

しかし、多くの人はそれを理解していない。


ここで書いたことは誰もが分かっていることのようで、分かっていないとワタシは思っています。

だからワタシなりに、自分のアタマを整理する為にも、一応、世の中へ貢献する為にも、「何故カラダが大事なのか?」

・・・それを理屈っぽく、クドクドと述べてみたのです。

疲れた・・・


おわり

検診に行くのが怖い、という人、ワタシが付いて行ってあげましょうか?、笑、やさしい・・・

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Vol.334 難病助成拡大と病人へのセーフティネット



カネは?


先月だったか、難病助成制度が拡大される方向だ、とのニュースが出たのは?

これについて、ここ数日、読売新聞の医療面に特集が組まれています。


新たな制度では、対象疾患を拡大する一方、助成を重症者に絞ったり、患者にも所得応分の医療費負担を求めたり、という、一見広く浅くと思われるが実質的には、狭く深く、という形になりそうです。

本当に必要な方に、必要なカネを回す、ということになってくれれば、この方向性は良いと思います。


ただ、今日の記事にて、線維筋痛症の女性の方が取材されていたのですが、

「・・・病名じゃなく、生活実態で助成対象を・・・」

これには、本当にそうだよな~、と気づかされました。

世の中には色々な難病が存在しますが、難病助成の対象決定にあたって、これをただ単に疫学的な基準、研究の進み具合(治療法・薬の種類、完成度など?)で決めるべきではなく、患者の事情から決めるべきですよね?

むしろ障害年金のような形にしたらいいのでしょうかね・・・?


同じ特定疾患でも、症状は様々で、患者の生活実態も様々です。

今日の記事で紹介されていた方のように、ほぼ自宅で横になっていなくてはならない人や、人工呼吸器をつけなければならない人、
反面、ワタシのように、自力で呼吸も出来て、歩いて病院に通える難病患者も居るわけです。
(※ワタシは自分を決して軽症だ、とは思っていないのだが、こういうほぼ寝たきりを余儀なくされている難病患者の方を思えば、ワタシへの助成は無くなって然るべきだ、と思う。かなり痛いけれども。)

「難病患者の生活や治療をサポートする」

ということが制度趣旨のはずですので、それを実現すべく、色々な課題を乗り越えて、充実した制度になることを願います。



多少、視点は変わるのですが、やはり難病に限らず、ガンなど、病気を抱えている人間に対しての社会保障、というのはもう少し充実してもいいのではないか、と思う。

特に働く世代に対して。

傷病手当金という制度こそありますが、もっと何かあっても良いというか・・・(これも1年半、手当てを受け続けると切れますし。)

※働く世代、に限って言えば、本当は社会保障では無く、民間の企業にも病人への理解が深まって、様々な制度が個別企業レベルで自主的に普及すればいいな、と思っているが、かなり難しいと思っている。

ワタシのような場合は特に、制度の狭間で埋もれやすい、と思います。

ワタシのように、

今は症状が安定、薬が効いている、元気である、家での生活では問題ない、
でも会社で働けるかについては不安定な部分が多く、事実、治療のタイミングによって会社を辞めざるを得ない、
そしてそんな病気を抱えた人間が再就職先を見つけるのは実に困難、

というような人は沢山いるはずです。

現にワタシも今はお蔭様で元気ですが、昨年は約1年ほど入院生活を余儀なくされていたし、また明日はどうなるか分からないのです。


「やむを得ず仕事が出来ない人への保障」から更に拡大し、

「病人が治療に専念できる社会」

になったらいいと思います。

結局、そうでないと、

「病気でも、なんでも、治療が辛くても、働けるなら働け、働く意欲の無い人間に保障は無い!」

と言われている気がしてならないのです。

治療に専念したくても出来ない、会社に気を遣って休めない、解雇されるから勤め続けなければならない、結果、治る病気も治らない、これは最悪だと思うのです。

ワタシにも、抗がん剤でキツイ身体へ鞭打って会社に行っていた時期もあります。

ワタシは休もうと思えば休めたし(もちろん、有給休暇の限りで。)その後は休職することにもなったのですが、もっと社会や企業に、病人へのフォローの制度があったのなら、発病した時点から仕事との付き合い方はもっと選択肢を考えられたような、そんな気がします。



・・・・

今日の読売記事で紹介されていた線維筋痛症の方の思い、

「病を抱えた者同士が少ない椅子を奪い合うような、非人間的な『椅子取りゲーム』はいつまで続くのでしょうか」

本当にそうだ・・・

しかも同じ病人同士で・・・

残酷だ・・・


病人も生きて居る限りカネがかかる。

そしてカネには限りがある。

そう考えた時、椅子取りゲームは、まさしく事実になってしまう。


これからの日本の将来、世界も注目しているが、「社会保障」が最も重大なテーマになることは分かっている。

理屈は分かる。

でも、なんだか、いたたまれない、というか、世知辛い、というか・・・

こういった問題は今後バタバタと日本で湧いてくるのでしょうね。


全体の幸せ?


個人の幸せ?


「命の椅子取りゲーム」

残念ながらこれは真理ですね。


はてはて、

いろいろまた考えてみたいと思います。


おわり

結局、世の中、カネ、ですね~~、ってことでクリッククリックっ!

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Vol.310 健康ブームにちょっとだけ苦言を呈してみる



寝酒


ここ2日程、なんだか眠れず、寝酒を飲んでしまっています、といってもビール飲むくらいですが。

ほどほどの酒はリラックスして程よく楽しい気分になるし、(大量の酒は、楽しくなり過ぎて困る。)何しろ、良く寝れます。

まあまあ、人生最大の幸福の一つである「酒」を楽しむことによって、これまた人生最大の幸福の一つである「睡眠」が快適になるなら、いいものです。(快適な睡眠が得られる「酒量」の問題ですけどね。笑。)


飲み食いが好きな人は、「酒が飲めないなら死んだ方がいいぜー」

という人はいくらでもいます。

仕事も結局その為にしてるんだー的な人も居ます。


ワタシはそこまで極端なこと言わないけど、その気持ちはすごく理解できます。

「何の為に生きているのか?」

ということだと思います。


健康はブームです。

健康が趣味で、生き甲斐で、「健康の為なら病気になってもいい」っていうくらい、健康を突き詰めている人なら別に見てて気持ちいいのですが、なんだか中途半端な幻想に取りつかれ、

「健康じゃなければいけないんだ」

的な人には言ってあげたくなってしまうのです、

「何の為に健康になりたいの?」と。


確かに健康は大事です。

望む人生があるのなら、その為に「健康」は必要でしょう。


しかし、当たり前のように、

「健康は幸せの条件である」

といったような、昨今の健康ブームの根底にあるような先入観(長生き=善、的な)には違和感を感じます。

「条件」ということに間違いは無いとワタシも理解しますが、何に違和感を感じるか、というと、それをさも当たり前のように、自分で考えず、世間に流され、無思考のままそれに憑りつかれた、

「健康を目的化している人々」

です。


人は「生きる為に生きている」訳じゃないです。(自戒も込めて)

「健康」は、ただの条件の一つであって、手段の一つです。


健康を維持して・・・

長生きして・・・

それで?


この、「それで?」が大事なんです。


思いっきり好きな仕事をして、

思いっきりうまい酒を飲んで、

思いっきり楽しく遊んで、

思いっきり病気になって、

思いっきり死ぬ。


そんな太く短い、的な感じに憧れますけどね・・・


おわり

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Vol.303 0からスタート



謹賀新年


明けましておめでとうございます。

なんとかワタシも年を越せた・・・

前年の正月は大晦日の夕方からなんだか熱っぽくなり、
「いや・・・まさか・・・正月に熱が出るなんて、そんな訳ない!!絶対嫌だ!!認めね~!!」
と自分に言い聞かせ、現実逃避し、構わずガキ使みながらワインをガブガブ飲んでいたら見る間に体調が悪くなり、結局三が日くらいずーと寝てたんです・・・

毎年恒例、楽しみだった母のおせち料理は無残にもロキソニンへと変わり、なんとか3~4日くらいで一旦体調は戻るも、また7日~8日くらいからかな・・・?体調がどんどん悪くなり、筋力も落ちていってしまって、呼吸も悪化、結果その後死ぬ思いをして病院へ行き緊急入院でした。。。

結局、大晦日から出た熱は腫瘍熱で、さらに多発性筋炎悪化を招いていたので大変でした。

そんな前回のことがあったので、今回、無事にこうして正月を元気に迎えられたことはとても良かった、今の所体調も良い状態を保てています。

あ~よかった・・・


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


祝日の日って、新聞各紙の社説のテーマが横並びになるので興味深い一日であります。

正月なので、「今年の日本は?」みたいなことがどこの新聞も大々的に書いています。


別に今年に限らず近年は、日本の未来を語る時には必ず「再生」「復活」というようなキーワードが使われます。

先の選挙では自民党のテレビCMも、安倍さんの滑舌悪い感じで、「日本を、とどぅもどす!(取り戻す)」と言ってます。


失われた20年と言われてますが、今後の日本は60~80年代の「元気だった」とされる時代に、「戻る」ことが必要なのでしょうか?

その頃の日本を「再生」することが必要なのでしょうか?

「復活?」今の日本は本当に手負いの状態なのですか?

再生・・・

復活・・・

取り戻す・・・


若い世代が政治にリアリティを持てず、選挙にも行かない、ということは、こういうことに関係している気がします。


ワタシは80年生まれです。

若い世代に含まれますが、物心着いた時はちょうどバブルが弾けた、と言われる頃でした。

よく私たちは社会学的にも「不況しか知らない世代」などと言われますが、そもそも高度成長の時代からバブルを経験していないワタシ達は好況を知らないので、不況は不況ではなく、「当たり前」の世の中なんです。

好況に対しての不況ですから、そのうちの1つしか経験していないワタシ達にとって好況と不況の違いはピンと来ないのです。

今が当たり前なんですから。


それにワタシ達の世代は、物心ついた時には、すでに、衣食住は足りていました。

ワタシよりもっと若い世代は、物心ついた時にはインターネットや携帯、ゲームなどは当たり前です。

これから生まれてくる世代は、ますます便利な世の中が「当たり前」な状況下で生きていくのです。


だから、戦後以降80年代まで、衣食住が足りておらず、「まだまだ豊で便利になる」というモチベ―ションをもってして発展途上国から先進国へと頑張ったオジサマ達が、その頃の日本の雰囲気を若い世代に訴えて、

あのころはよかった、元気だった、夢と希望だらけだった、

今の若者は元気が無い、視野が狭い、

とか言われても、ムカつく、って言うよりも、「はぁ・・・?」って感じで、ピンと来ないんです。分からないんです。(※ワタシも会社のオジサマ達に散々言われましたが・・・)


じゃあどうすればよいか?

もう過去を忘れて、0ベースで考えていくしかないのじゃないでしょうか?

「再生」「復活」とか、「取り戻す」などと言うキーワードは捨てて、です。

それは昔を知っている人々にしか通用しないキーワードです。


全ての世代、老若男女が、同じ立場で、平等で、膝を突き合わせて、

「さあ、どんな未来がいいかね~?日本、ってどういう国にしていったらいいかね?」

という風に語るのが良いのではないか・・・?


過去に戻ることは無理だし、その必要も無いんです。

大事なのは今からの未来をどう描くか?ではなかろうか?


・・・・といっても、

それは特に、若い世代にとって難しいと思いますね~・・・


今も書きましたが、ワタシ達の世代以降は、特に恵まれています。

産まれた時から衣食足りているし、便利だし。

それにアメリカという大国が守ってくれてて、治安も良くて、モノも沢山あって物価も安定、住環境も良くて、選ばなければいくらでも仕事が出来て、医療も保険も充実、社会保障もそれなりに整備されてる、という国があるのでしょうか?


今の日本はやばい、なんとかしないと!と言っているのはオジサマ達中心でして、意外に若者は「現状に満足」していますよ、きっと。

少なくともワタシは日本のシステムに対して「何かもう我慢ならない不満や不便」を感じてはいません、だって、直ちに今の生活を脅かされる事情はそう無いのですから。


現状に事足りている以上、これ以上何をもって国を、国力を発展させるのか?

非常に難しいことだと思いますが、それは0から考えれば、今までとは違う方向性の議論が始まる気もしますが。。。


「取り戻す」と言われると、さも今が「マイナスの状況」のように思えますが、今は常に「0」です。

今からを積み上げていくべきです。


7月に倒れて寝たきりになった時には絶望してました。

それは過去の自分の姿と比べていた気持ちがあったからです。


でも、いろいろな人からもアドバイスを受けているうちに、

「うん、俺はもともと寝たきりなのだ!赤ちゃんなのだ!」

という極端な思考を心がけてみた所、リハビリへのモチベーションが少しずつ湧いてきたんです。

始めは1分立って居られただけで、家族や病院スタッフの方々も、「すごーーーい!立った立った!!」っと、本当に赤ちゃんか、もしくはクララ扱いされるのはこっぱずかしかったですが。笑。

でも、それはワタシにとっても非常に大事なことでした。

今の自分を過去との比較でマイナスと捉えるのではなく、「常に0なのだ」と認識することが大事でした。

そうすると、当然、歩けた時に嬉しくなります。

病棟を1周歩けるようになり、2周歩けるようになり、それが「嬉しい」と思えるようになったんです。


・・・そういうことだと思うのです、大事なのは。

日本にとっても、

ワタシにとっても、

今が0だと認識して、今から何をするか?・・・


まあ、日本のことは偉い人たちにお任せするとして、

ワタシはワタシの目標に向かって「機械的に」「当たり前の如く」頑張るだけです。

今が0、そして、また明日になったら、明日も0です。


さて、今日は日本酒デーかな。


おわり

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Vol.286 生と死の教科書をGETした



ありがとう


巷で話題の、流通ジャーナリスト・金子哲雄さんの本を読みました。


僕の死に方 エンディングダイアリー500日


ワタシはこの人好きです。

とかく、「流通」を語るジャーナリストや評論家、アナリストだのと称される連中というのは、世界の政治・経済動向や、それが数値化されたデータ、はたまた過去の歴史や社会学的な背景・心理などなど、主にマクロな情報・数値からトップダウンし、さも美しくそれらを「机の上で組み合わせて」最もらしくトレンドだの、予想だのを語る連中が多い・・・と思って実に辟易していたが、この人は違う。

「そこのスーパーでペットボトルがいくらで売っているか?」

「深夜の居酒屋で、若者が何を飲み食いし、何を語っているか?」

というようなことを自分の足で泥臭く調査し体験し、本当に起きている事実を元にして、ありものの言葉の組み合わせではなく、自分のオリジナルの言葉で流通を語る事の出来る、正真正銘の「ジャーナリスト」でありました。


そんな感じで注目していた人が、自分の葬儀まで完璧に手配をして亡くなった、と報道されていたので、それにあたって具体的に何を考え、何を準備したのか、彼の死に方にとても興味があり、是非参考にしたい、と思ったので、手に取った次第、というか、アマゾンからいつのまにか届いていた次第。笑。



とにかくよかった・・・・

彼の仕事に関することが多く書かれており、実際には病気のことや、生死に関するテツガクについては、さほど深い内容まで突っ込んで書かれてはいないのかな~、というのが、パッと一読しての感想でした。


しかし、その仕事に関する記録の中には、実は彼の壮大なテツガクが含まれていたんです。

そのことは、奥さんが書いたあとがきを読めば気づかされます。


そのあとがきは実によく金子さんのテツガクを解説しているとワタシは感じたし、そして夫婦の、また、愛する人を先に失ってしまうということがどういうことか?、という、奥さん自身の実に深遠なテツガクが表現されており、圧倒されました。


ワタシが言うのはおこがましいが、ワタシは金子さんの苦悩や絶望がなんとなく分かりました。

「共感」できました。

だから、ワタシはこの金子さんや奥さんのメッセージに触れて、自分の思いをより強くしたし、ワタシの中でモヤモヤ、っとしていたものに光が当たって輪郭が見えた気がしました。



生きることは「今」を積み重ねることです。

彼にとっての「今」は、まぎれも無く「大好きな仕事」であり、生きて居る限り仕事を続けた、ということは、様々な葛藤があったはずなのだが、たぶんそれは彼にとっては「当たり前」のことであったはずです。


そして、「死」ということを、「仕事」と「今」と同様に関連づけて捉えていた彼にとって、自分の死の準備を完全にすることは、ごく自然の行動だったのです。

この行動は、彼の強さだとか、プロとしてのプライド、責任感の強さ、奥さんや他人への愛情・・・などでも説明がつくかもしれないが、もっと深い彼のテツガクがその行動を引き起こしていたと思うのです。

おそらく彼は死ぬまで苦悩し続けたけれども、自分ではそのテツガクに気が付かなかったのでは?とワタシは推測します。


しかし、その彼のテツガクには奥さんが気づいていたのです。

奥さんの書かれた「あとがき」を見てワタシはそう感じました。


最愛の人に先立たれる・・・

そんな体験をした奥さんだからこそ、最愛の人のテツガクを自分の中に取り込み、それをワタシたちに本という形で伝えてくれたのです。


とにかく素晴らしい本・・・

「生」と「死」の教科書ですな。


参考になった、どころじゃなく、ワタシは、

「是非こう生きて、こう死にたい」

とすら思いました。


あと、これも話題の尊厳死や、在宅介護というキーワード含めた「エンディング」についても、ワタシ達にヒントを与えてくれることも間違い無いです。


しかし、

奥さんのあとがき、やべ~っす・・・

これは金子さんの本、というより、奥さんの本、と言っても過言ではない。笑。


本を読んでこんだけ泣けたことなんてあったかな~・・・笑

泣けたけど元気は間違い無く出る。


年末、感動の涙でストレス解消したい!!って方にもおすすめですよ~。


おわり

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Vol.267 リビングウイルの運用は?



書いたはいいけど


先日書いた記事 ⇒ Vol.247 「終の信託」みた ~ワタシは遺書を書く~ いわゆる、尊厳死だの終末医療だのに関連するリビングウイル(意思表示書)を、ワタシは自分なりに作成しています。

そして同じく、財産や保険についてまとめたものや、家族へのメッセージ含めた「遺書的なもの」とともに、引き出しに封印されてしまっています・・・


結局、作ったはいいものの、これをどうやって「運用」しようか、実に頭を悩ませております・・・


例えばワタシとジョカノが老夫婦だとしたら、このリビングウイルも実にリアルですので、ジョカノや、家族に渡して話が出来ると思うのですが、今のワタシが例えば両親にこれの話をした所で、こんな辛い話を両親が受け入れてくれるとは思えません。

最近、どこの新聞だかメディアだか忘れてしまいましたが、還暦を超えた人でも、遺書のようなものを準備しているか、検討している人はわずか2割弱だ、という記事を見かけました・・・

いかに現代人が死を意識していないか物語っています。


ウチの両親は当然自分達の死は意識しておらず、当然、それより残酷な最愛の子であるワタシの死は夢物語です。

実際に原本は記名捺印して封筒に封緘しているのですが、ワタシが寝たきりになって、両親がこれを見た時に、内容を執行してくれない可能性があります。


今の所、ジョカノにこのコピーを渡すとともに、原本がワタシの机に入っている、何かあったらすぐに開封して両親や病院に渡して、ということにしようと思っています。

ジョカノも、ワタシが、

「遺書を書いたんだよね~」

と言ったら、

「見せてよね?」

と言ってくれました。


先日、「終の信託」を二人で見に行った時にもいろいろとジョカノと語ったりもしたし、これまで幾度となく人生観や死生観をぶつけあったりもしてきましたので、彼女はまだワタシのテツガクを受け入れてくれる「可能性」はあります。

いや、まだ見せてないので、これをジョカノが見たら多分少なからずショックを受けるだろうし、いざワタシに有事があって、ジョカノ経由で両親の手元に渡った時に、やはり無きものにされてしまう可能性もある訳で。

そして、そんな大役をジョカノ一人に押し付けるのもなんか気が引けます。

だから、まだ見せるのですら躊躇しているんです・・・


一応、両親がこれを見て取り乱すこと、そして内容に反対するであろうことも想定して、リビングウイルや遺言には、両親へのメッセージは十分に盛り込んでみたのですが・・・

結局、家族皆の理解がなければ成立しませんよね。



思ったんですけど、これ、病院が預かってくれるシステムとか無いですかね?・・・

・・・でも家族が反対したらそれまでか・・・

う~ん・・・


ワタシが言うのはおこがましいけど、死ぬのも楽じゃないですな。笑。

人が死ぬ、ということは、死ぬ人間よりも家族の問題なのだと、改めて気づかされます。


とにかく、今の元気なワタシがこういう話を両親にしても両親は受け入れられないのは当たり前です。

ワタシが死に近づいた時、タイミングを見てこういう話を直接するしかありませんかね。

でも、それはワタシが7月に体験してしまったように、何の前触れも無く、突然やってくることもあるんですよね~・・・・


う~ん、、、


悩む・・・(>_<)ゞ

良きアイデア募集中です。

採用された方にはワタシオリジナルのエコバッグをプレゼントします。 笑。


おわり
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Vol.259 他人の死と自分の死


さよなら


昨日は一日中、遊び呆けてまして、気づいたら解散やらのニュースが・・・

もう一つ、今日も朝から、森光子さんのニュースがどのテレビでもやっていました。


大げさじゃね~か・・・とも思いましたが、国民栄誉賞まで受けた大女優ですから、まあそれなりのニュースなのでしょうね。


にしても、92歳、直前まで仕事を続け、国民にまさに模範を示す「大往生」ではないでしょうか?


最後は肺炎⇒心不全、眠るように静かに亡くなった、と言ってましたから、まさに、「寿命を全うされた」と言って差し支えないのではないでしょうかね?

かっこいいじゃないですか。

偉大な人物は死に方もカッコいいのですね。

(いや、詳しくは知りませんけど。)

羨ましいなぁ〜


むしろ、笑顔で、「ありがとうございました!お疲れ様でした!!」と頭を下げてお別れするのが良いんじゃないですか?

「あっぱれ!」なのだと思うんですけど・・・


・・・って、ワタシはそう思うんですが・・・


しかし、

今日の朝のテレビに出ていた森さんと親しい女優だかコメンテーターだかは、皆ものものしい表情で、黒い服を身に纏い、悲痛な表情を浮かべて居ました。


「残念だ・・・」


「突然の訃報でびっくりしている・・・」


「事実を受け止められない・・・」


・・・・って、92歳ですよ?

もう、いつ亡くなられてもなんの不思議も無いのです。

いつ亡くなられても大往生なんですよ。


森さんをサイボーグだと思っていたんでしょうね、きっと。死なない、と。


「いつまででも、私達にその背中を見せてくれ続けると思っていたが、そうじゃなかったんだ、と・・・」

みたいなことを言っていた人もいました。

どうやら本当にサイボーグだと思っていたようですね、この方は。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


同じ人間である他人の死を直視することは、即ち自分の死を意識することになります。

「生=良い・楽しい」

「死=悪い・悲しい」

という強大な先入観が人間を支配している以上、死を意識することは怖いことですから、皆、逃げたいのです。


森さんが90歳を超え、いつ亡くなられても何の不思議も無いということは、皆わかっていたはずなのです。

しかし逃げていた。

森さんを不死のサイボーグ化することで、

「自分が死ぬこと」

からも逃げているのです。


・・・まあそれは仕方ないことなのかもしれないですけど、これをきっかけに皆が他人の「生」を、そして自分の「生」をもっと大切に出来るきっかけにでもなればいいのではないでしょうか?


話は単純なのだと思います。

「大切な人も必ず死ぬんだから、それまでにしてあげたいことはやっておこう。」

「自分も死ぬんだから、それまでにやることはやっておこう。」

ということです。


森さんは最期にそれを皆に教えてくれたのです。



あ~、今日は寒いですね~~~。

今、バイクで病院から帰ってきましたが、限界かもしれん。。。


でも冬の空気って澄んでいるから結構バイクも爽快なんですよね~・・・

まあでも風邪ひいたら意味ね〜からな・・・


おわり
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Vol.247 「終の信託」みた ~ワタシは遺書を書く~


責任・・・


昨日映画見に行った、って先ほど書いたんですけど、「終の信託」ってヤツを見ました。

尊厳死がテーマの映画でした。


ワタシもこのブログで尊厳死について何度か触れました。

⇒ Vol.3 生きる意味は他人の為 ~尊厳死を少しだけテツガク~

⇒ Vol.119 そこにテツガクはあるのか? 

この映画を見て思ったこともあったので、またここで書いておこうと思います。



今、世間では尊厳死を積極的に認めて、法制化していこう、という動きに対して、反対論もかなりあるようです。

ワタシは尊厳死の法制化には賛成ですが、反対論もやはり理解できます。
〈※すべての反対論を確認している訳ではありませんが。〉


法制化した所で、患者に関わる周りの人間が、それを自身の立場に都合の良いように利用し、患者の命の処分を決定してしまう、という危険はあると思います。

特に寝たきりの患者を抱えることによる、家族、病院側、そして社会全体の負担は大きく、最悪の場合、精神的負担のみならず、主に治療費負担などの経済的事情〈医療費増大という社会的な経済事情も含む〉のみによって、尊厳死が行われてしまう、という危険だってそこにはあると思います。



・・・人間は都合がいいです。(自戒も込めて・・・)

ルールに無いことであれば自身の都合の良いように解釈し、平然とグレーなものをすべて白、と言い切る倫理もデリカシーも無い人はいくらでもいます。

また、ルールがあっても、そこに起きたトラブルはあくまでルールの欠陥であり、自身のモラルやデリカシーを棚上し、ルールの作り手である政治や、ルールを管理する行政の責任を声高らかに叫ぶ人もいくらでもいます。


だから、尊厳死の反対論の一つである、「逆に法制化してしまうことで悪用される危険性」は大いに理解できます。


法制化することで、関わる人々はそれぞれの責任を「法律の責任」に転嫁出来てしまいます。

尊厳死を法制化してしまうことで、患者の命を決定する「責任」を、医者も病院も、そして家族も逃れることが出来てしまう危険です。


法律の趣旨を逸脱し、そこに明示しきれなかった行間のグレーゾーンの部分を都合よく白と解釈悪用されてしまう危険は想像しただけで恐ろしいモノです。



でも、やはり尊厳死はあっていいと思います。


この映画みて、その思いを更に強くしました。


あるべきだと思います。


ワタシは患者の立場でモノを言っています。

映画だと役所こうじ目線になります。




ワタシは夏に全身管だらけで意識も失い、プチ植物状態になりました。

意識を戻した後も、実に苦痛でした・・・

実際ワタシも本気で「死んだ方がいい」と思った瞬間があったんです。


一生これが続くなら、出来る限り早くそれを終わりにしたい、、、、

患者としてこう思うのは当たり前です。


あとは家族が、家族の死を覚悟できるか?

医者が患者の死を覚悟できるか?

社会がそれを受け入れられるか?


試されているんだと思います。

ルールを作るのは難しいと思いますが、病院も医者も家族も、そして患者も、「命」についての「責任」から逃げずにルールを作り、それを真摯に運用すれば、越えられない壁では無いと思うんです・・・



ワタシ実はリビングウイルの作成に着手しております。

病気になって以後、遺書含めてやらなければ、と思っていたのですが、どうも踏み切れなくて・・・


でも、7月に倒れてから、早くやらなければ、と強く思ったんです。


退院したら一番やりたかったこと、

実はこの遺書作成であります。


いや、誤解しないでほしいんですけど、ワタシは今まだ死ぬつもりはさらさらありません。笑。

でも、

何よりワタシは自分の心と向き合うためにも、自分の命に対する「自分の責任」を考える為にも、リビングウイルを盛り込んだ遺書を作りあげたいと思っています。

家族の為でもあると思います。


先日亡くなった流通ジャーナリストの金子さんは、自分で葬儀や墓の手配までされたと、、、

かっこいいと思います。

ワタシもそこまでやりたいと思っています。


そうやって死ぬことへの意識を高めることで、死ぬ準備を意識することで、逆に「今生きること」に専念できる気がするのです。

死の恐怖がそれで消えることは無いでしょうが、人生は目的を達しようが達しまいが死ぬ時が強制的なゴールであります。

であれば、そのゴールが少しでもはっきり見えた方が、「今、生きること」について、全力疾走できる気がするのです。


尊厳死も遺書も「死」がテーマですが、それを深く考えることは何より「生」を考えることなんです。


※ちなみに、リビングウイルは具体的であればあるほどいいはずです。
なかなか素人には医療のことが分かりづらいので、ワタシも悩んでましたが、これについては、中村仁一さんというお医者さんの本がとても参考になりましたので一応お勧めしときます。


大往生したけりゃ医療とかかわるな (幻冬舎新書)


「命に対する責任」はこの映画のテーマの一つにもなっています。

映画の感想・評論を述べる趣旨では無いのでこれ以上映画の内容を詳しく書きませんが、社会への問題提起になる良い映画だと思いました。

是非見てみて下さい。



っていうか、見たい映画結構あります、最近・・・

のぼうの城もみたいし、北のカナリアもみたいし、あと伊藤英明のやつ面白そうですしね。

そしてエヴァですよ~。楽しみじゃー。笑。


お金もまだ使いたいし遺書書いてる暇ねーぜ!・・・なんちって。笑。

ちゃんと書きます。。。


おわり
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Vol.189 2つの「選択」


もっと、未来を、テツガクしませんか?


死の淵から生還し、本格的にリハビリを始めてから約1ヶ月経ちました。


ご飯も食べれるようになり、体力も付いてきたワタシは、最近ようやく世間に関心を寄せる「心の体力」も戻ってきたようです。

朝起きて新聞やテレビやネットのニュースを眺めることも増えてきました。

良かった、良かった。


そんな中、最近、

「選択」

というテーマで気になることが2つばかしあって、本日も新聞やテレビにて、そんな話題に触れたので、ここに書いておこうと思います。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



一つ目の「選択」は「日本の未来の選択」です。


民主党と自民党の代表選挙があるそうですね。


何が気になるかと言うと、マスコミの報道の仕方が気になるんです。

※ワタシが質の悪い報道にしか触れていない、ということだと思いたいのですが。

遅くとも来年の夏までには衆議院選挙と、参議院も半分選挙があるでしょうから、それと絡めて次の総理大臣が誰か?ということに報道のポイントが置かれてますね。


マスコミは、

どこの派閥と派閥がくっつく、とか、

分裂する、とか、

どこの党が連立する、とか、

維新の会とくっつくのはどこか?とかとか・・・


なんだか、

「結果、誰が総理になるの?」

という政局ばかりにフォーカスしているようです。


誰が、どこの党が、どんな政策を謳っているか、が大事なはずですが、それもあくまで政局を読む為の材料程度にしか報道されていないような気がします。


マスコミはきっと、最近こそは領土問題や防衛などの話題で大分関心が高まってはいるものの、国民は政治の中身まではそこまで関心も知識もないだろう、

それよりも派閥争いとか、政局にフォーカスした方が国民は面白がるだろう、と思っているんじゃないでしょうか?


結局、報道の面白さとか、大衆の興味を引くために、マスコミが政治家に対して政局に関する質問ばかりを誘導し、その結果、

「政治家は政局ばかりでなく政策論争をしろっ!」

って結論づけます。


さも「政治家はアホですよ!我々マスコミは国民の皆さんを代弁してますよ〜。」

と、政治家をバカにして国民の支持を取り付けているような・・・

そんな、すげー違和感を感じます。


まさにマスコミの自作自演、そりゃ政治家もスネちゃいますよ。

それでスネちゃう政治家をマスコミは徹底的に叩く。



報道の受け手であるワタシ達国民は馬鹿にされ、置き去りにされてるようです。


今日の朝、フジテレビに町村さんと石破さんが出ていましたが、まさにそんな感じでしたね。

ワタシは閉口しました。

途中でよく二人とも机をひっくり返して出て行かなかったと、尊敬してしまうくらい、フジテレビの報道はお粗末でした。笑。

視聴者が求めていることを勘違いしていませんかね??



最近、これまたポピュリズム、という言葉も良く聞きます。

「大衆への迎合」

といったような意味だそうです。


こないだテレビで、ナベツネさんが、政治、およびメディアのポピュリズム姿勢を批判してました。

※メディアのボスとも言えるこの人が堂々とメディア批判をしているのがとてもリアルですが。


最近のメディアはまさにここで言うポピュリズムに走っているというか、いや、大衆を間違って捉えている気がしてなりません。

ポピュリズムにすらなっていない気がします。


まさに一人相撲、マスターベーション、

滑稽です。マジで。

うふふ。

うふふガールズ。


マスコミにはもっと、大衆がきちんと選択出来るように、どの政治家が、どんな風な日本を作ろうとしているのか、ちゃんと報道してもらいたいものです。


・・・・というのはワタシのワガママですね。

うん、これはただの文句ですかね?


まぁマスコミにもポピュリズムや商業主義に走ろうが、立派なテツガクを持とうが、それはマスコミの自由ですからね。


うがった見方をすれば、

マスコミの目的は「情報を売る」ことであって、日本の将来云々は二の次なんでしょうかね・・・?

そもそも、事実を淡々と報道するのではなくて、マスコミ自身が望むストーリー〈つまり、売れるストーリー〉を予め作っておいて、それに当てはまる事実だけを自分達に都合の良いように取捨選択して、強引に当てはめて報道している気がします。

多分そうです。


であれば、その情報の受け手であるワタシ達がきちんと、情報をまさに「選択」すれば良いことですね。

フジテレビの報道がしょうもない、と思うなら見なければいいだけのことですし、反面教師だと思っとけば良い、ということです。


いずれにしても、政治家、国民、その間に立つマスコミ、立場や役割は違えど、より良い国を作る、という点では目指す所は同じだったはずですよね?

そうあるべきですよね?


ワタシも、

どんな国が望ましいのか?

日本の未来は?

そんなことをきちんと意識して、政治家の言うことを聞こうと思うし、マスコミの報道にも批判的な目線を失わないようにしたいなぁ、と思います。


闘病も一緒です。

いろんな人が色々なことを言うし、巷は情報で溢れています。

情報や商品の流し手は、情報や商品を売ることまでが目的だと思った方が良いとワタシは考えています。


自分の考えをきちんともっていないと情報に溺れます。

気をつけたいですね。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



もう一つの「選択」は、「命の選択」です。

こりゃ〜更に難しい。

胎児がダウン症かどうかが99%判る、っていうヤツです。


数日前の東京新聞、今日も読売新聞が社説で同じような意見を述べてました。


この検査の「表向き」の趣旨は、

もし産まれて来る子供がダウン症であると判った場合に、より早い段階から様々な準備を出来るように、

ということのようですね。

あくまで「表向き」です。


しかし、ダウン症と判った場合、

「人工中絶が出来る」

というように解釈されてしまっているようですし、実際ワタシもそう思いましたし、そのような運用を目指しているのでは?と疑ってもしまいました。



障害があるよりも、無い方が良い、

これは明らかにそうだと思います。皆、そう思うと思います。



しかし、障害がある子供は産まれ無い方が良い!

産みたく無い!

というと、それはまた別の問題です。


確かに、親や社会の経済的、精神的負担は増えるのだと思います。

かといって障害者を排除することは違うと思うし、そこは社会全体で障害者と、その家族の幸せな暮らしをサポートしていかなくてはいけないのだと思います。


ダウン症協会、なる組織があるようで、今回のこの検査に対して意見を表明する文書を公開していました。

この協会は、〈あえてそういう主張をしているのだと思うのですが〉
今生きておられるダウン症の方々の人権や立場を守りたい、という意図が、やや感情的に表現されており、ワタシは少し論点がズレて冷静さを欠いているような印象を受けました。


ただ、メインの主張である、

「命の選別に繋がるような運用は好ましくない」

という趣旨の主張には納得出来ましたし、賛成も出来ました。


ダウン症だと判った場合の中絶を認めてしまうと、人類にとって後々取り返しのつかない問題が沢山出てくる気がしてなりません。

じゃあ他の障害や病気が判った場合は??とか・・・


でも、ワタシは親になったことは無いし、妊婦さんの気持ちも分かりません。

自分に子供が出来たとして、産まれる前の検査を望むだろうか?

ダウン症と判った場合、どうするだろうか?

想像出来ないのであまり大きな声で勝手は言えないですけどね・・・


東京新聞や読売新聞も概ね同じような社説を書いてました。



前にもこのブログで書いたのですが、こういった科学や医療の発展には必ず倫理の問題が付いてきます。

しかも、必ず倫理の問題は後からしか付いて来ず、いつも科学や医療が先走って〈いわば暴走して〉いる気がします。


テーマはかなり大きいのですが、人類のあるべき姿、未来を真剣に考えないといけないのだと思います。

それをまずは決めた上で、その中で科学や医療を「利用」していく、という形が理想では無いのでしょうか?


といってもそれを決める作業は容易ではありません。

でもそれにチャレンジしないと、ワタシ達人間は、皮肉なことに自分達が生み出した科学や医療をコントロール出来なくなり、魂を奪われ、踊らされ、操られるしかなくなってしまうのでは?と思います。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



以上、2つの「選択」

形や内容は全く違えど、ワタシには同じ問題を突きつけられているように感じました。


すなわち、

「自分達の未来を真剣に考える」

ということです。



日本の未来、



人類の未来、



そんな大それたテーマを考えるのは確かに億劫です。

自分の未来を考えるだけでも大変なのに・・・


でもでも、

みんなが自分の未来の幸せを考えるついででも良いので、少しづつ、日本の未来や人類の未来を考えるようになるといいんじゃないかと思います。

いや、考えなきゃいけない時期に来ているんじゃないでしょうか?


ワタシはテツガクし続けようと思います。


おわり
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Vol.143 傍観してちゃダメだよね →自戒


政治の話です。

って堂々と言える程政治に詳しくないのですが、今日は誤解と批判を恐れずに書いてみます。

昨日国会で起きたことはワタシでもなんとなく分かる訳でして。


とにかく決まりました、いや、まだ参院が残っているので、まだ決まる、というのは先の話ですかね?

しかし、ここに至るまでの政治の国民置き去りの混迷振りには辟易です。


そしてそれ以上に、

ワタシは何より揚げ足とりのマスコミに踊らされ、文句や愚痴ばかり言っている一般人に対して閉口しています。


民主党を選んだのは我々自身だっ、ってことを忘れてるんですかね?

〈いや、だって民主党には投票してない、っていう言い訳はガキの言い訳だ。〉


もち、ワタシの自戒も込めています。


2009年のあの暑い夏の総選挙、抗がん剤中でヅラの中に汗をダラダラ流しながら会社に行っていたワタシは地元では無く、仕事の都合で別の場所で一人暮らしをしていました。

その地域では、自民党の現職有力議員を破って民主党の30歳代の若手が初当選を果たしていました。

その議員の応援演説に、鳩山さんや枝野さんも来ていまして、その地域はまさに政権交代を期待する、当事の世相を象徴するかのような地域でした。

ワタシもその民主党の選挙活動を通勤の駅などで聞いていて、当選して、政権交代が起こればいいな、と思っていたのは事実です。


ただ、どうでしょう?


「なんか変えて欲しいねぇ〜」


という、漠然としたモノでしかなかったですね。

自民党がだらしないから、という、民主党が積極的に良い、というモノではなかったです。


きっと、それではダメなんです。


我々一般人には専門的に政治や政策を勉強する能力や時間も無いのが現実ではありますが、少なくとも今のままではダメなんだ、と、ここしばらくの国会の混迷と国民の反応についての報道を見て感じました。


政治と自分の生活との関わりにリアリティが持てず、どうしても日本人は、

「政治を傍観しがち」「後付けで揚げ足ばかり取りがち」

というのは政治家の責任でもありますが、我々も悪いのです。


少なくとも今以上にはもっと政治に興味を持ち、批判的な気持ちを持たなければいけないのではないでしょうか?


3年前の民主党の甘いマニフェストに惑わされたのは何より我々です。

詐欺だ!

と騒ぐのは「批判」として必要かどうかは判らないが、我々も今後の為に反省と自戒はせねばなりません。

それは確実です。

民主党をただ悪く言う、ということは、何より「我々が選ぶ時に無能だったね」って言ってる、ということですからね。



人種的に「個」よりも「和」を重んじ、全体のコンセンサスを何より大事にする日本人は、どうしても0スタートの減点主義になりがちです。

プラス面を積極的に評価しよう、というよりも、何かマイナスな要素を大袈裟に取り上げて、言わば他人をマイナスにすることで、自分の位置をより高い所に置こう、とする文化があります。

0から、プラスを目指すよりも、

「マイナス」に陥らないことを重視します。


ワタシもそうかも、というかそうです。


具体的には思い出せないけど失敗が怖いから、チャレンジせずに0を維持したことは多々あるかもしれない。


人の失敗を画策したり、喜んだりする悪趣味は無いが、

「・・・あぁ〜自分じゃなくてよかった・・・」

と、どこか傍観者となり、ただ安心をした自分はいた。



民主党を選んだ時にただ世の中の流れに乗って、大したことを考えもせず、今になってマスコミの、

「政治家の減点報道」

に同調するかのように政治家を馬鹿にする国民は何より自分が「無能だ」と言ってることになります。


ワタシはそれでは嫌です。


国民は永田町のご意見番ですか?

和田アッコさんのポジションですか?


それとも生意気なコンサルタントに成り下がったんですか?


我々は当事者ですよ?


彼らはワタシたちの代表者なんです。

彼らの言動は我々のそれとなるのです。

彼らを無能で馬鹿、というなら、我々も無能な馬鹿です。


傍観するのは辞めにして、次の選挙ではワタシはもっと政治を勉強せんといかんなぁ〜、と思いましたね。

政治家の失態を指摘するばかりではなく、失敗も成功も当事者意識をもって自分のことのように思えれば、また少し良い国になるのではなかろうか。。。



ってここまでは長〜い前置きでして。笑。

何を言いたいかと言いますと、笑、


これ、何より「闘病」も同じなんです。

国会議員たる医者が、ワタシのカラダを勝手に良くしてくれる訳では無いのです。

何よりワタシが当事者とならないといけないのです。


当事者にね、当事者に・・・


次の選挙は小沢さんは橋下さんを取り込むな、こりゃ、って思う人はクリック!
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Vol.89 原発、治療、1つの未来


何が正しいのか?


最近は「無」のワタシですが、いつまでも「無」だと、本当に「無」になりそうなので、今日は時事ネタを書こうと思います。笑。


連日のようにメディアを賑わせている原発再稼動の話です。


ワタシは、「結局、原発は動かすしかないんじゃね〜の?」って感じています。

当面は原発に頼らざるを得ないが、長期的には脱・原発が理想、っていう、民主党の言ってることは理解できる、って感じですかね?

今日も朝、テレビで前原さんがそう言ってましたね。


しかし、別にワタシが自身で積極的に勉強し、信念を持ってその結論に達した訳じゃなく、テレビやネットや新聞の情報に踊らされてる一般人たるワタシがなんとな〜くそう思うだけですので、偉そうに声高に叫ぶ資格も、そのつもりもありません。

だから、反対派の方から真面目に批判されても困りますし、結論はどちらでもいいと思っています。

いや、本当にどちらでも良いと思っています。



話は早速、脇に逸れるのですが、笑、

つい先日、GW中の何日だったか忘れましたが、ここ都心は原発反対のデモ行進がすごかったです。

いや、正直メチャクチャうるさかったです。

お昼前後の数時間は部屋の窓を締め切ってもシュプレヒコール?が耳障りで仕方なかったです。

まるでお祭りですよ。

なんか太鼓の音とかもして初めはサンバカーニバルでも始まったかと思いましたからね。


「げんぱ〜つ、はんた〜い♪ こどもをまもれ〜♪ 野菜がたべた〜い♪ 東電〜追及〜♪」


正直、普段の鬱憤を晴らすべく、「原発」という御神輿を無理やりに自己表現の手段に担ぎ出しているだろう、と疑わざるを得ないくらいに野蛮に見えましたよ?ワタシには?

本気で原発反対という信念を持っている訳じゃなく、これをなんか面白いイベントと捉えてGWの朗らかな1日の行楽を楽しんでいるだけに見えちゃったんですね。

権力に反抗する、ということ自体を面白がっている、というかね・・・


こういう反対派の野蛮な行動は目に余りますよ。

いや、だからといって、ワタシが賛成派、って訳じゃないのですが・・・


話は逸れちゃいましたが、

いろんな視点や、いろんな立場、いろんな思惑・利権から賛成、反対、の意見が出されているのでしょう。


国家、および国際的な視点、人類の行く末まで見据えた「大きい未来」の視点。

原発の付近に住む住民の生活、および、その他我々の現在の生活を含む「小さい今」の視点。

それこそ先日、このブログでも書きましたけど「全体幸福」と「個人の幸福」の話でもあります。

日本全体の幸福か? 原発に関わる人々のみの幸福か?

ここでいう「全体」って何なのか?

自分の幸福を考えている人の視点、全体幸福を真面目に考えている人の視点、

産業の視点、消費者の視点、

原子力ムラの利権、政治家のパフォーマンス・・・



何が正しいのか、もはやわかりませんね・・・

チ〜ン・・・ですよ。


というか、どれも正しいのだと思います。


だったら、これと決めた一つの決定に対して、覚悟決めて、腹くくって、皆で頑張るしかないでしょう?

決めたモノを後から後付けで揚げ足取って、批判を繰り返す減点主義の日本独特の文化にはもう辟易です。


例えば、脱・原発で行くなら、そう決めたことを後悔しないように、皆で脱・原発の日本が幸せな国になるように、国民が皆で頑張るんですよ。

原発を推進するならするで、安全に運用が出来るように、皆で知恵を絞って頑張るんですよ。

与党も、野党も、国民も差別なく、皆で一つの決定したものについて「頑張る」だけです。



未来は一つのパターンしか無いんですから、その一つが正しかったと言えるように頑張るしかないのです。



病気の治療もまったく一緒です。

治療法は沢山あり、選択を余儀なくされる場面が多々あります。


正解が無いなら、どの選択も正しいのです。


だったら、「選んだ一つの未来」を頑張るだけです。



先日、憲法記念日の日のブログにも書きましたが、とかく日本の今はネジレもあり、その「選択」をするのに時間がかかり過ぎます。

そっちのがよっぽど問題ですよ・・・

一つの選択に過分の時間もかかれば、責任の所在もどうも曖昧になる今の仕組みを変えないと、政治家も一般市民も、「一つの未来を頑張ろう!」という責任感は永遠に芽生えないと思います。


原発問題も、治療も、一つの選択、一つだけの未来です・・・



因みに、最後にまた話それますけど、

原発が全部止まっているこの状況でも、夏の電力足りると思います、ワタシは。

ワタシが勤めている会社は渋谷にあったのですが、あの震災の時、計画停電やら節電やらで渋谷の街は真っ暗でした。

でも全然大丈夫だと思いました。

いかに普段、電気を使い過ぎて、明るくし過ぎていたかを実感しましたね。


まぁ震災の時とこれからの夏の事情は違いますけど、原発を動かさないままで乗り切るやり方はいくらでもあるんでしょうね。

がしかし、乗り切れれば良し、って訳じゃないのは理解出来ます。

いろいろ問題があるんですよね・・・


んで、結局動かすしかないんでしょうね・・・そう思います。


おわり

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Vol.77 法律は命に関わるのだ

憲法記念日なのねー


雨の今日は憲法記念日ですね。

祝日の日は新聞ってその祝日に因んだコトを一斉に書くのでおもろいです。

ちなみに読売新聞の社説です。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20120502-OYT1T01303.htm


ワタシは参院の権限が強すぎるので工夫を、というのに大いに賛成です。

日経新聞も同じような主張してました。

乱暴かもしれないけど一院制でもいいとワタシは思います。


日本の政治はなかなか決まらんですね、何事も遅いですよね。

衆参ネジレを利用して政局にするのもその原因ですよね?

それを解決できる方法の一つではないでしょうか。



病気になって知ったことも多いのですが、特に稀な疾患で悩まれている人々は、(ワタシもそうですけど)地域の行政のサポートや、それが無理ならもっと強い法律を変えてまでサポートを受けないと命に関わる場面がありますよね・・・

新しい薬や医療機器、最新の治療技術などの研究開発や、それの承認、、、

法律レベルが動いてくれないとどうにもならない問題が沢山あるはずです。


しかもスピード感も必要な訳で。

先日、混合診療の解禁云々のニュースもありましたが、あれも結局来年度からの話です。

この間にも残念ながら命を落とす人もいるのではないでしょうか?


法律は命に関わっているんですね。



若者が選挙に行かないのは、リアリティが無いからだと思うんです。

政治が一体何をやってて、何が決まって、、、

そして何よりそれが自分の生活にどう関わっているのか?

永田町で起きてることがテレビやネットの中のバーチャルな出来事なんですわ。

小沢さんが無罪になって、我々にどう影響あるのか?

イメージ出来ます?

何が決まって、何が変わってるのか?

それがわからんのだと思います。




スピーディーに国会には、法律を作る、という本当の仕事をバシバシしてもらいたいです。

だから一院制でバシバシ決めればいいんです。



これに当たってはもちろん危険もあります。

その仕組みが出来る、ということは一人一人の議員の権限が危険な程に強まる、ということなので、若い世代も、リアリティ無いんだよね〜、なんて言っていてはダメですね。

もっと積極的に政治と、自分の生活との関わりに興味を持って勉強せねばならないと思うのです。

そしてこの国の国会議員を、リーダーを、国民はそれぞれ責任を自覚して選挙しないといけませんね。

特定の人の独裁になる危険は強まりますが、少なくとも今よりはマシじゃないでしょうか?

そんな風になれば国会も真剣に仕事をするだろうし、国民も危機感を持って政治に関わり始めると思うのです。



いや〜、でも憲法変わりますかね〜

相当手続きハードル高いですから、長い年月かかるんですかね?


おわり

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