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ワタシはカラダをテツガクする

病気が集まってくるカラダを自慢している。 生きてる以上テツガクするしかないね。めんどくさいけどね。

Vol.194 死の淵シリーズ (あとがき) 「真相は闇の中」


結局、これまで通りに生きるしかなく・・・


今回、ワタシは何故倒れたのか?


当初ワタシは、既往症である胸腺腫および多発性筋炎と関連した「心筋炎」という見立ての下、ステロイドパルス治療を行いました。

※もっと詳しく言うと、急激に症状が悪化するタイプの危険なモノ →「激症型心筋炎」との見立てだったそうです。



結果、ステロイド投与初日に心臓の機能が回復し始めました。

驚くべき回復であったとのこと。



ところが、

ところがです。

この胸腺腫、多発性筋炎と関連する心筋炎というのは、とても予後が悪いらしく、ステロイド投与初日で回復してしまう、というのは、有り得なくは無いらしいのですが、どうやら考えにくいそうなのです、こんなすぐ回復するのが。


はて?


(´・ω・`)・・・


ということで、この時点で「心筋炎」ではない可能性が出てきた訳です。


心筋炎との予測で治療を始めて、結果それが奏功してワタシは生き延びました。

「結果オーライ」ではあったのですが、皮肉なことに、余りにもワタシの回復が早かったので、胸腺腫や多発性筋炎に関連する心筋炎では無い可能性が出てきたらしいのです。


つまり、ワタシがあまりにも劇的に早く回復したことによって、逆に原因が分からなくなってしまった、ということらしいのです・・・


なんとまぁ・・・


倒れた日に人工心肺補助装置をつける際に、カテーテルで心臓の組織を採取しました。

そこからは心筋の炎症反応(つまりは心筋炎)は出たことは出たらしいのですが、ワタシの症状やその後の経過、その他諸々の状況を勘案すると、その他、例えばウイルス性の心筋炎や、別な「心筋症」(心筋症といっても実に多様なモノがある)の可能性も否定が出来ないそうなのです。。。


参りました・・・


結局、倒れてから約2ケ月経った今に至っても、決定的な原因、確定診断はついていないのです。


依然から続いていた頻脈との関連性も分からずじまい・・・


継続して循環器の先生にはフォローを御願いしている所ではあるのですが、今後何かが明らかになるようなことも、あまり期待が出来ません。


困りものです。


本当に困ります・・・( >_<)



そうなると結局、治療も予防も具体的にやりようが無いわけで、ワタシは常に、あの日の悪夢が蘇る再発の恐怖にさらされている訳です・・・


仕方ない・・・


いや、仕方ない、で片付けたくないのですが、


・・・仕方ないです。



とりあえず循環器の医師に話を聞いたり、自分でも情報を集めたりして、出来ることはやっております。

なかなか決定打は無いんですけど・・・(´д`)


やはり自分の感覚として、今回の心臓の事故は、胸腺腫および、それに伴う多発性筋炎と全く無関係ではないと思っているので、やはりそれを治療するしかワタシにはやりようがありません。

今やっている放射線治療をこなすしかないのです。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



この死の淵シリーズにて書いた通り、今回の出来事はワタシを散々悩ませました。


今回の出来事はどんな意味があるのだろう?


結局答えなんて考えても出ないし、もともと意味なんて無いのです。



家族や周りの方々は、ワタシを励ます為に今回の出来事をプラスに、ポジティブに捉えます。

「ワタシはまだ死なない、と神様が言っているんだよ!」

などと・・・


それはそれでありがたいことです。

とにかく皆がワタシの命を喜んでくれているのだから、それでいいのです。

ワタシは幸せ者だ。



しかし、

今回の出来事の意味、神様の意図(神様が居るとして)などなど、、、


それはワタシにはどうでも良いことです。

気にしません。

それが本来のワタシのスタンスだったはず・・・



また、前の記事でも散々書きなぐったネガティブな「辛さ」「無念さ」「虚しさ」「情けなさ」といった感情も今後消えることなく、事あるごとに再びワタシに襲いかかってくるでしょう。

それもまた仕方ないことです。



今回のことにどんな意味があろうが無かろうが、

ワタシがどれだけネガティブになろうが、

ワタシが「出来ること」は何も変わらないのですね。



結局今まで通り生きていくしかありません。



だって死ななかったんだもの。


生きてんだもの。


くだものだもの。


とるねーどはのも。



これからも、淡々と、今を生きていきたいと思います。



頑張れワタシ!

むぉぉぉぉ〜 \(`д´)ゝ



※心臓のことでまた何か動きがあれば、それは適宜書いていきます。


死の淵シリーズを最後まで読んで頂きありがとうございました。m(_ _)m


皆さんも心臓に優しい生活を心がけましょう。笑。

とりあえずは減塩ですかね?(笑)

って、今さっき昼飯で大好物のしょっぱい梅干しを食べましたがね。。。

へへへ。


おわり

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Vol.193 死の淵シリーズ 8(最終回) 「涙の理由」



やっぱり


人生って


楽しいんだよ




今回の出来事を一言で表現すれば、それは間違いなく、

「涙」

です。


ワタシが眠っている間も、目覚めてからも、沢山の「涙」の場面がありました。


ワタシの前では決して泣かなかった両親とジョカノもワタシが眠っている間はというと・・・まさに修羅場だったらしく・・・


母親は泣きすぎて涙も枯れ果てて、

「泣くと疲れるからもう辞めたのよ。」

と目覚めた後のワタシに疲れながらも笑顔を見せ、


ジョカノも同じく、

「人って、泣き過ぎて脱水症状になるんだよ。笑。」

と笑っていました。


そんな二人の不安やイライラを一身に背負い、一人孤独にただただワタシの復活を祈り、時間を耐え続けた父親は心の中では泣いていたでしょう。


それにワタシが奇跡的に助かったことを「涙」で喜んでくれた親戚や病院スタッフの方も居ました。

もしかしたらワタシの知らない所で「涙」を流してくれた人も居ることでしょう。


ワタシは、というと、

特にCCUに居る時のワタシは泣いてばかりいました。

自分が引くくらい、

こんな泣き虫だったのかと自分でも驚く程、

まるで赤ちゃんのように、

恐らく一生分、

約数日間の間に、ワタシがこれまでの人生で流した涙の量を軽く凌駕する程、泣きまくりました。


痛みで泣き、

不安で泣き、

眠れなくて泣き、

幻覚が壊くて泣き、

イライラして泣き、

オムツを変えてもらって泣き、

家族や周りの人に優しくされて泣き、

・・・・

本当に赤ん坊でした・・・



当時のワタシは意識も朦朧としており、感情が不安定でしたが、涙の理由を必死にテツガクしました。

一般病棟に移った後も、当時の自分の涙の訳をテツガクし続けました。

人生でこれほど泣けた出来事はなかったので、しっかりと自分の感情を整理したいと思ったからです。



涙の理由は色々あったのですが、涙を流すワタシを支配していた感情はやはり、

「辛い」とか、「無念」とか、「虚しい」とか、「申し訳ない」とか、「情けない」とか・・・

そういうネガティブな感情でした。



単純に治療自体の「辛さ」・・・

これまで積み重ねた、ワタシだけではなく、家族の皆で積み重ねた苦労が水の泡となり、胸腺腫の治療がまたしてもリセットされてしまったことの「無念さ」・・・

こんなに大変な目にあってもなお続く闘病生活への「虚しさ」・・・


そして、

また、ワタシと同じく、そんな「無念さ」「虚しさ」を心に抱えながらも、必死にワタシを笑顔で支えて生かそうとする家族への「申し訳なさ」もありました。

いや、これが一番大きかったのかもしれない。。。


涙の理由としてはもちろん、助かって「嬉しい」、多くの人の愛情に触れて「幸せだ」、という感動もありました。

家族や周りの人達の愛情に触れると、心は実に温かくなり、「幸せ」を感じて、感動することが出来ました。


しかし、

そういう「幸せ」を感じれば感じるほど、その裏にある「辛い現実」が、よりくっきりと鮮明に、まるでその幸せを壊すように、ネガティブな感情を浮かび上がらせるんです。

家族に優しくされればされるほど、その愛情がなんだか「痛かった」んです。


ネガティブな感情に支配されてしまっていたワタシは、家族や周りの人達が望むように、これからも強く生き続ける意欲も自信も失っていました。


家族の前で決して口には出せませんが、倒れたあの日、あのまま安らかに死ねたのなら、それでも良かった、と本気で思っている自分は当時も今も居るんです。


そんな自分がなんだか「情けなく」、優しくしてくれる家族や周りの人達をどこか裏切ってしまっているようで、「申し訳ない」と、泣けました。



こういう様々なネガティブな感情が、色々な出来事をきっかけに心から溢れだし、、、

ワタシは涙せずにいられなかったんです。



・・・・・・・・・・・・・・・・・



でも、

どうして今回、こんなにも「辛い」とか「無念」とか「虚しい」とか思ったのでしょう?



ワタシは常々、

例え自分が植物人間になって、ただ死ぬのを待つだけのカラダになったとしても、家族が生きて欲しいと望む限りはいつまででも生きてやろう、

そう思っていました。


今回、たまたまワタシは奇跡的に回復出来たものの、数日間はその植物人間に近い状態があった訳です。

実際体験してみて、本当に苦痛でした。

辛かった。。。


生きることがこんなにも「辛い」モノだとは思いませんでした。


前回の記事では冗談半分で書きましたが、痛みや、不安に耐え、人に世話をかけ、排泄で恥をかき、

「人生って辛いな・・・」

と感じたのは事実です。


でもなんで、こんなにも「辛い」という感情がワタシを支配し、涙を流させたのでしょうか?


ワタシはいつも、ワタシに訪れた事実を全て「自然の働き」として、ありのまま淡々と受け止めて、やるべきことをやって生きていきたい、、、

そう思っています。


ならぱ、今回起きたこの事実も、「自然の働き」だと、淡々と受け止める事が出来るなら、ワタシにこんなにも大きな「辛い」という感情は襲ってこないはずなんです。

その当時のワタシが、「自然」の状態ならば、こんなにも「辛い」とは思わないはずです。

実際、これまでの闘病生活でこんなにも辛く、涙をしたのは初めてでしたし。。。



つまり、

CCUでの毎日を「辛い」と感じたワタシは、

やはり、その反面で「辛くない」人生を望んでいるんだ、、、

CCUで味わった、植物人間に近い状態で生きるなんて、本当は嫌なんだ、、、


そう思いました。



「辛い」ことが当たり前ならば、

「辛い」と思わないはずなんです。



「辛い」の反対を「楽しい」としましょう。



人生を「辛い」と感じるならば、

それは「楽しい」人生を望んでいることの裏返しなんだと思います。



ワタシは辛くて沢山涙を流しました。


人生が「辛い」と感じました。



それはすなわち闘病によって失った人生が「楽しかった」からじゃないか・・・?



「楽しさ」を知ってるからこそ、


「辛い」という感情が存在するんだと思うんです。



人生は辛い、、、



やっぱりそれは間違いなんです。



今回ワタシが流した沢山の涙、その涙の訳をテツガクし続け、ワタシは気付きました。

結局、これまででも、なんとなくは分かっていたことで、同じ結論なのかもしれませんが、今回の経験でより確信を得ました。



このブログを見てくれている人達に大きな声で言いたい。


ワタシに関わる全ての人達にも大きな声で言いたい。


そして何より自分に大きな声で言い聞かせたい。



人生は辛い?


生きることは辛い?



辛いと感じる人生は、


本当は「楽しい」はずです。



・・・・・・・・・・・・・・・・・



じゃあ何をしましょう?



毎日が辛くても虚しくても無念でも・・・申し訳無くても、情けなくても、、、


どれだけネガティブな感情に支配されようとも、

皆さんやワタシが

「やるべきこと」

それは変えようがありません。




青島ぁ〜

「明日は今日より楽しい人生になる」

何より自分がそれを信じて、今やれることをやるしかないだろぅ〜?


・・・なんてなっ。。。


(和久さん風。笑。今日、放射線科の待合室で踊る大捜査線がついてましてね。笑。)


おわり

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Vol.192 死の淵シリーズ 7 「生きるって?」


生きること、

それは、

糞尿にまみれ、

恥をかくことだ



このシリーズもネガティブな話が続いてますので、今回は箸休め的に少しトーンを変えて、なるべく明るい感じでワタシのCCU生活のハイライトを書いてみたいと思ったのですが・・・

といっても、CCUでの生活は実に苦痛でありまして、、、

地獄というか・・・うん、地獄でしたね・・・

ただ耐え続ける、といった感じでしょうか・・・

結局暗い話になりそうです。。。


すんまへん (´・ω・`)



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



まず、口の呼吸器ですが、気管切開する前は管を咥えている状態ですから、喉は痛いし、渇くし、最悪でした。

歯もなんだか痛くなった記憶が・・・


気管切開の手術から目覚めた後、呼吸も楽になっている、、、と聞かされていたものの、目覚めた後からが本当の地獄でした。

術後、ワタシは相当痛がっていたようなのです。


ワタシは痛み止めに麻薬を使われていたようで、術後の記憶がありません。


痛みも相当な中、痰も大量に出るので、しょっちゅう窒息しそうになり、頻繁に痰を吸引してもらわないといけません。

口の中に加え、切開した喉からも管を入れて吸引してもらうのですが、これもこれで、ゲホゲホ、オエオエ〜っと咽せるし、相当な苦痛を伴います。。。


気管切開の手術直後数日は、もう一時間の間に何回も吸引してもらわないといけない位酷かったらしいです。。。

母親も、「あれは地獄だったね・・・」と言ってます。

ワタシはほとんど覚えてないのですが・・・


この吸引は結局、一般病棟に移って、切開した部分をスピーチ対応の喋れるモノに変えてもらうまで続きました。

まぁ段々と日を重ねるごとに痰の量も減り、吸引も減ってはいきましたが・・・

今では痰もほぼ無く、吸引は必要無くなっています。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



CCUに居る時は、特に便秘と幻覚〈・・・幻覚というには大袈裟かもですが・・・〉、それに伴う不眠に苦しみました。


便秘ですが、心臓が弱ったことでカラダの循環が止まったのでしょう、出なくなりました。

腎臓も一時機能してませんでしたから、腸もきっとお休みしてしまったのでしょう。

食事も、鼻からの栄養チューブで液体を入れられているだけでしたので、それも要因でしょう。

もちろんストレスも原因でしょう。


結局、ワタシの記憶ではCCUに居る2週間で、2回ほどしかウ○コは出てません。

しかもほぼ液体です・・・


そのためワタシはかなり強力に整腸剤を入れられていたようです。

そしてその反動でしょうか、一般病棟に移った後の一週間程は、カラダの循環が正常に回復するにつれ、今度は極度の腹痛と下痢に苦しみました。


・・・いずれにせよ、オムツの中でウ○コしなきゃならんのです。


これには物理的な苦痛と、精神的な苦痛がありまして・・・


まず、物理的にですが、そもそも横に寝ている状態ではお通じは相当出しにくく、思ったように出てくれません。

お腹に力も入れられないのです。


そして精神的な苦痛は、自分のウ○コの処理と、その後のお尻洗い、オムツ交換を看護師さんにやってもらわなきゃならないことです。

一番始めはかなり抵抗がありました。


他人にシモの世話をしてもらう無念さ、申し訳なさ、恥ずかしさ、、、


だって、ワタシよりも若い、嫁入り前の乙女さん達の前で、赤ちゃんみたいにならなきゃならんのです。

トイレ以外にも、オシッコの管が入っているワタシのムスコ、つまりワタシJr.を、その娘さん達にゴシゴシ洗ってもらわないかんのです。

感染予防の為、清潔にせなあきません。

恥ずかしいから、いいです、って断ることも出来ないのです。


CCU で目覚めた直後は意識も朦朧としており、ワタシも恥ずかしがる余裕がありませんでしたが、一般病棟に移れ、大分余裕も出てきた後は、ワタシもワタシJr.の反応を抑えるのに必死でした。笑。

だって、この病院の看護師ちゃん逹、普通にカワイイんです・・・

恥ずかしいったらありゃしない。。。

馴染みの可愛いいナースちゃん達が、ワタシのJr.を石鹸でヌルヌルいじくる訳です。。。


平静を装えば装う程、ワタシの理性とは裏腹にワタシJr.は・・・汗


変態です。


こっから先はご想像にお任せします。


ワタシは変態となりました。




がしかし、

人間なれてしまうもので・・・

一度恥をかけば、もう慣れてしまったもので、


ワタシも、

「ごめん、ウ○コ出た、、、拭いて!」

「は〜い、大丈夫ですよ〜、よかったです〜、お通じ出て〜」

赤ちゃん扱いです。笑。


ワタシの羞恥心は無くなりましたかね。。。


普段は友達のように接してくれている、若くてカワイイ看護師ちゃん達に、何を見られても恥ずかしくなくなりました。


今現在は自力でトイレにも行けて、そんな機会もなくなりましたが、脚の鼠径部の処置を外科の先生に週に3度してもらっています。

その時に、結局下半身丸出しにならなければならず、看護師ちゃん逹にも見られるのですが、もうなんとも感じません。


むしろ見せつけてやる!、、 、位の勢いでワタシは何の恥じらいもなく、作業のようにパンツを下げ、全てをさらけ出します。。。


へへへ・・


へへ・・・・


合法的公然ワイセツです。


完全に変態です・・・


いや、

そもそも彼女達はいつもの仕事の一つとしてやってますから、何も思っていませんし、ワタシが一人で恥ずかしがったり、興奮したりするのがそもそもバカバカしい訳でして。笑。



でもでも、

これが生きる、ということなんですね。



排泄は生きる為の基本・・・


シモの世話をしてもらって、恥をかきながら、それでも生きなきゃならんのです。

赤ちゃんは生まれたらオムツをし、数十年後、老人になってトイレが出来なくなり、オムツで死ぬんです。


人はオムツで始まり、オムツで終わる・・・


糞尿にまみれて生まれ、そして死ぬのです。



そんなこんなで精神的なトイレの苦痛には慣れましたが、オムツの中でトイレをするのは不快極まりないのです。


一般病棟に移った後、ワタシはリハビリを頑張りました。


自分でトイレに行って、自力でゆっくりウ○コがしたかったからです。

ジョカノも一緒に主治医に頼んでくれました。

「この人はウ○コすることが大好きなので、トイレをチャレンジさせて下さい!」と。笑。


ワタシにとってウ○コは大事です。

健康維持の為の最優先事項です。

排泄の為に食事をしている、といっても過言ではないくらい大事にしています。


リハビリが進み、なんとか自力でトイレに行けるようになり、オシッコのバルーンとオムツを卒業してからは、下痢も腹痛も治りました。

やはり自分のタイミングで自力にトイレに行けない、というストレスが一番の要因だったと思います。


自力で排泄が出来る、ってことは人間にとってこれほどまでに大きなことなんだと、改めて感じました。



・・・っていうか、ウ○コとかチ○コとか、シモの話ばかりで、すんませんでした。

でもこの死の淵シリーズを語る上で、この排泄事情は欠かせません。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



幻覚と、それによる不眠にも苦労しました。


ウトウトしてくると、何か例えようの無い胸騒ぎが襲ってきます。


赤と青のシマシマの顔をした、犬の顔のような怪物が多数、ワタシに迫ってくるような感覚・・・

赤いシマシマだったので、ワタシはその得体の知れない怪物を「ウォーリー」と名付けました。


寝ていたワタシですが、ベッドに埋まっていくような感覚がつづき、更にはそれを突き破り、地面に生き埋めにされてしまうような感覚・・・


手首の動脈に入っている点滴のラインが意志を持って動き始め、ワタシの手首を切ってしまうような感覚・・・


ウトウトしだすと、次々にこのような感覚に襲われ、ワタシは目を開けて起きるしかなくなります。

お陰でCCUに居る時は、まともに寝れた記憶がありません。


丸2日寝れなかった時もあります。

睡眠導入剤も効果無く・・・


眠れないし、起きていても身動きが取れません。

ただ、朝を待ち、ただ家族が面会に来てくれるのを待ちます。

ただただ時間が経つのを待つ、というのはなかなか苦痛でした。


結局これは、ワタシに使われていた、鎮静をかけて眠らせる際の薬や、痛み止めに麻薬が使われていたからですね。多分。。。


一般病棟に戻った後、痛み止めの薬を徐々に減らしていくに連れて、そういった感覚に苛まれることも無くなり、眠れるようにもなりました。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


その他、

家族や病院スタッフとのコミュニケーションは、しゃべれませんでしたので、ほとんどはクチパクや手振りでした。


あと、気管切開をする前、呼吸器をまだ口に咥えていた時は口パクも出来ないので、筆談や、ひらがなが書かれているボードを使ったりもしました。

しかし、ステロイド・パルスによって、ワタシは一時、MGの悪化による筋力低下と、複視〈目が霞み二重に見える〉が酷かった時期が数日ありました。

筆談するにも握力が無く、字がまともに書けなくなり、また、ボードを使うにも複視が酷かった為、よく指し示す文字を間違え、それをなんとか解読しようとしてくれた母親にも大分ストレスをかけました。


口パクは意外に伝わるものです。

しかし、必要最低限のことしか意志疎通出来ないので、ストレスには変わりありませんでした。


母親はそれでも、喋れず頷くだけのワタシに世間話や、家で飼っている猫の様子などをよく話してくれました。


「・・・ボルトが走って金メダル取ったんだよ・・・」


ワタシが倒れて、眠らされて、目覚めて、一番最初に母親と交わしたそんな雑談が印象的でした。


雑談が交わせる程の心の余裕が、ワタシにも、そして何より母親にも出てきたことが、とても嬉しかったのを覚えています。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



・・・沢山の地獄を味わいながらも回復の一途を辿ったワタシは再び呼吸器の一般病棟に移ったのでした。

一般病棟に移れた段階でも、人工呼吸器や、鼻の経管栄養チューブ、腕と首の点滴ライン、オシッコ管、オムツなどの管類はまだしていましたが、リハビリも開始し、また幻覚が抑まったことでなんとか睡眠も良く取れるようになり、さらに回復のスピードが上がりました。


呼吸器の病棟には顔馴染みの看護師さんやお医者さんも居るので、とても心も落ちつきました。

テレビを見る心の余裕も出てきたので、オリンピックを見て過ごしました。



そんなこんなで、なんとか死の淵から離れることに成功し、CCUも卒業し、一般病棟ではさらに回復が進み、いよいよ本丸の胸腺腫の治療に復帰したのでした。


結局今回は下ネタ中心にお送りしました。大変申し訳ない。笑。


つづく

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Vol.191 死の淵シリーズ 6 「もう何も頑張らなくていい」


嬉しくもなければ、悲しくもなく


木曜日に目覚めたワタシは、呼吸がある程度のレベルで安定していました。


早速、挿管し口に加えている人工呼吸器の管を抜管し、マスクタイプの呼吸器に変えよう、ということになりました。

マスクタイプの呼吸器は、自発呼吸がある程度ある患者向けのもので、あくまで呼吸を「アシストする」といったイメージのものです。

多発性筋炎や重症筋無力症の悪化により、呼吸筋が弱った際、ワタシは呼吸器を付けていましたが、これはこのアシストするタイプのヤツです。

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【2013/8/1追記】
これはバイパップやNIPネーザル、と呼ばれる器械です。
気管挿管や切開をせずに、口に当てるマスクで出来る陽圧式人工呼吸器。
優れものなんですよね、これが。また機会があれば詳しく書きますが、今後はこれらの世話にならないといいのだけど。
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目覚めたワタシはある程度の自発呼吸は出来ていましたから、人工呼吸器からは離脱出来るだろう、という判断でした。


また、口にいつまでも呼吸器を咥えているのも良くないそうなのです。

口が常に半開きになりますから、喉にも悪いし、感染症のリスクも増えるらしいのです。

実際ワタシも唇と喉の渇きに心も折れていました。。。



なんとかワタシは目覚めた木曜日のウチにマスクタイプの呼吸器に移行することに成功しました。

喋ることが可能となりました。



その日の夕方、久々に家族とも会話をしました。


「・・・もう一生分頑張った。もう何も頑張らなくていいからね。」


ジョカノがそう言ってくれたことが印象的でした。



もちろんワタシはまだまだ、これからも、今以上に頑張らなければならないでしょう。


一生頑張らなければなりません。


もちろんジョカノもそんなことは分かっていたはずです。



この発言の裏にジョカノは、これからも、二人支え合って、「頑張って」生きて行こう、ということが言いたかったに違いありません。


そんなジョカノの気持ちが良く分かったワタシは微笑みながら彼女の頭を撫でてあげたのを覚えています。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



しかしこの日の夜にかけて、ワタシはまた呼吸が苦しくなってしまいました。


動脈の採血で適宜、血液ガスを検査してもらってましたが、二酸化炭素がかなり溜まってしまっている状態でした。

かなり苦しく、マスクの中で全力で呼吸をしなければいけないような状態になりました。


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【2013/8/1追記】
医者と両親が行った当時の面談記録に書いてありましたが、この呼吸筋の悪化は、直近でやったステロイドパルス治療による重症筋無力症の一時的な悪化の可能性が高かったようです。
筋炎の兆候は治まりつつあったようなので。

確かに、木曜日に目覚めた直後は、普通に手など動いて筆談は問題なかったのですが、その後数日間でどんどん、筆談の字が書けなくなり、また目の視界も複視によってぼやけて、ほぼ見えなくなっていましたので、MGの悪化で間違いないでしょう。
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結局、また再度気管を挿管することになってしまいました。


夜に循環器の医者が、父親に気管挿管をする旨の電話をしているのが聞こえました。


この時・・・

母親とジョカノは、ワタシのお見舞いの後、久々に病院の近くでビールを飲んでいたそうです。


約一週間、人生最悪の日と、人生最高の日を経験し、極度のストレス、緊張状態にあった彼女達・・・

無事にワタシも意識を戻し、呼吸器もマスクに移行が出来て、久々に会話も交わせたことで一気に安心して緊張が解けたのでしょう。


囁かながら、ワタシが生き延びたことのお祝いを二人でしていたそうです。



そんな中、母とジョカノはワタシの再挿管をうけて再び病院に戻ることになってしまいました。


ジョカノは後になって、

「私が調子こいてビールなんか飲んだからバチが当たったんだ、ごめん。」

なんて振り返っていました。



再び気管挿管をする為にまたワタシは眠らされたのでしょう、そこからの記憶はありません。

お祝いを中止し、20時位には既に病院に戻っていた母とジョカノですが、ワタシに再び面会出来たのは22時頃だったようです。


再び気管挿管されたワタシは薬で朦朧としており、苦しそうだった、とのことです。


結局、この後、ワタシは呼吸の安定のことも考えて、気管を一度切開してしまおう、ということになりました。

手術をして、喉に穴を開けることにはなりますが、これの方が呼吸も楽だし、口に呼吸器を咥えているよりも本人も楽だし、何せよ合併症などを踏まえると、こちらのが安全だ、とのことでした。


当初、気管切開の手術は土曜日の予定とワタシ含め家族は聞かされましたが、オペをする耳鼻科医師、およびオペ室の都合にて、なんと翌週金曜日まで待たなくてはならなくなりました。


いつまでも呼吸器を咥えてることが良くないので切開してしまおう、ということだったのに、6日間も待たされるのは本末転倒だ、と、どうやら、この件で母親とジョカノは医師に喰ってかかったようです。。。


結局どうにもならなかったのですが・・・


ワタシはというものの、薬の影響で朦朧としていたからか、あまりこの件は覚えていません。


ただ、

「あぁ、結局気管切開までされちゃうんだな・・・」

としか思っていませんでした。

一応、気管切開がいかなるものか、なんとなく分かってはいましたので。


結局、翌週金曜日に無事に気管切開の手術も終えて、人工呼吸器は付けていたものの、概ね順調に回復していたワタシは、都合倒れてから約2週間ちょいで一般病棟へ移るのでした。


浮腫が酷い有り様で、アンパンマン状態だったワタシも、透析などを行った結果、心臓の回復とともに腎臓も回復し、今度はオシッコが出過ぎる位、日に日にオシッコが出て、体重も元に戻っていきました。



倒れてから行ったステロイドパルス、およびその後のプレドニン30ミリの服用は、もちろん重症筋無力症と多発性筋炎にも効果を発揮し、一般病棟に移って全ての元凶〈と思われる〉胸腺腫の治療を再開することとなったのでした。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



目覚めてから時間が経つにつれ、徐々にではありますが、ワタシは確実に回復していきました。

しかしワタシは依然として不思議な感覚、というか、「無」に等しい感覚というか・・・


これだけの惨事を乗り切ったのに、まだまだ果てしなく続くキツイ闘病生活への絶望を感じていました。


このCCUでの辛い加療も、その後の本丸である胸腺腫の治療の為に行っていると思え、とても虚しくなります。


辛さの向こうにも辛さしかない・・・


治療の為に治療をしているにすぎない、、、と思えてしまい、虚しくて仕方ありませんでした。


相変わらず、

今回これだけの惨事に遭遇したこと、

にも関わらず生き伸びて、相変わらずの闘病生活を送らねばならないこと、

それぞれの「意味」を考えて迷ってしまっていました。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



CCUのワタシのベッドの柵には、沢山のお札や御守りがぶら下がっていました。

ワタシが眠っている間に駆けつけてくれた親戚が持ってきてくれたモノや、病院の近所のお寺を家族と親戚が皆で回って取って来てくれたモノです。


皆の祈りが、ワタシを助けたのかもしれません。


ワタシが助かったこと、ワタシの周りの人々は皆喜んでくれています。

ジョカノは人生で最高のことだった、とまで言ってくれています。


しかし、ワタシはその御守り達を眺めても手に取ってみても、どうしても、生きていることを嬉しいと思えませんでした。


かといって、死ねなかったことが悲しくもありませんでした。


日に日に回復しているワタシの姿に喜ぶ家族に、ワタシも笑顔を見せれることが増えていましたが、完全にワタシは苦悩の中に迷い込んでいました。


つづく

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Vol.188 死の淵シリーズ 5 「苦悩の始まり」


何故死ななかったんだ?


21日土曜日に倒れ、26日木曜日、ワタシはハッキリ意識を戻します。


気が付くとベッドのワタシの周りは明るく、朝、もしくは昼間だと思われました。

ワタシは

「朝倒れた後、一晩寝ちゃってたのかな?」

と思ってました。


つまり、日曜日の朝になっていた、と思っていたのですね。



CCU の循環器の医師がワタシのベッド脇に立っているのに気がつきます。


「ワタシさ〜ん、起きましたか〜?」


「ワタシさんが倒れたのが土曜日で、今日は5日経って木曜日ですよ?」



???????



((((;゚Д゚))))



も、も、も、、、もく、、、もく、、、、、、木曜日!!!???



口は挿管され呼吸器を咥えているワタシは喋れないので、微かな頷きと、顔の表情で応えます。

「そうですか・・・」


ビックリしましたね、これには。。。

そんな長らく意識が無かった、ということはワタシは脳に障害が残ってんじゃないか?

と心配しました。


母親もこのことを心配していたらしく、医師に、

「私達、家族のことも忘れちゃうのでしょうか?」

などと聞いていたらしいです。


もともと頭がトラブったり、血管が詰まって意識を失った訳では無く、わざと薬で眠らせたものであるし、速やかに人工心肺で血液の循環も確保していたので、大丈夫なんだ、ということだと思います。。。


母親も、水曜日にワタシがジョカノの手に、

「ココハ ドコ」

と書いた後に、

「ワタシハ ダレ」

と書かなくて本当に安心した、と、冗談ながら今では語っています。



目が覚めたワタシは、自分のカラダに実に色々な管が付いている違和感に気がつきます。

とても身動きが取れる状況ではありません。

というか、動かす気力も削がれる位にワタシのベッドは管や機械、また機械の音で物々しい雰囲気でした。



右手が普通に動くことに気づいたワタシは、自分の胸を触ってみました。

心臓マッサージをされた事を覚えてますから、肋骨がきっと折れてるだろう、と思ったのです。

触ってみると、痛くありませんし、直に素肌に触れ、特に処置もされてないようです。

肋骨は何事もありませんでした。



目覚めたこの日、特にもう一つ驚いたことが。

ベッドが体重を計れるようになっています。


看護師が体重をチェックしていくのですが、

85キロ・・・

と言っています。


何かの間違いでは?

だって倒れる前、数日前まで65キロ位だったんです。


これは事実でして、血液の循環を保つ為に大量の水分を点滴していたようです。

にもかかわらず、腎臓の機能は落ちてオシッコもあまり出ていなかった、ということで、カラダは浮腫放題になっていたようです。

この頃の少し後、だいぶオシッコも出て体重も戻った頃に撮影したCTの写真を後から見る機会がありましたが、肺の半分近くまで水が溜まっている有り様でした。

なのでこの木曜日の頃はカラダは相当の水膨れであったことが想像できます。


肺もほぼ水風船状態だったんじゃないでしょうか?

そりゃ人工呼吸器無しではダメだった訳ですね。。。



家族は口を揃えてこの眠っている期間のワタシを、

「アンパンマンみたいだった」

と言います。


僅か数日で20キロ増えるなんて・・・ (´д`)

いかに非生理的な状況だったか・・・

恐ろしい・・・

愛と勇気だけが友達だ、なんて言えた状況じゃありませんね。


と共に、そんな状態からでも復活しちゃう人間の生命力と医療には驚きです。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



・・・このように、目覚めたワタシにはその後含めて驚きと苦痛の連続が次々に待ち受けており、次第に意識がハッキリとしていくに連れて不思議な感覚に囚われていきます。


「なんで死ななかったんだろう?」


正直言うと、この時、自分の中に、

「生きてて良かった」

という感覚はまるでありませんでした。



もう死んだ方がマシだ、

死なせてくれ!、

と本気で思えた21日のあの「苦しさ」からは解放されていましたが、管と機械に囲まれて動けない、話せない、食べれない、トイレも出来ない・・・という、あまりにこの時の悲惨な現実を受け止め切れなかったのです。


「何故、今回こんな目に逢うのか?・・・」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


ワタシは、「運命」とか、そういうモノを主宰したり、支配したり、という存在としての「神様」とか「見えない働き」というものを信じません。

いや、信じない、というよりも、信じても、信じていなくもない、と言った方がいいかもしれません。

現時点でワタシが目指す「人生観」に、そういった「見えない何か」を、「信じようとする心」は邪魔になるのでは?と思っているからです。



ワタシに訪れた「事実」・・・

それはどう足掻いても変えられないのだから、

それに「運命」とか「神様のイタズラ」とか、「何かしらの意味」を見いだしたとしても、

仮に、実際にそういうモノの働きが作用していたとしても、

ワタシが「やること」は変えようが無いからです。


これまでワタシに訪れた「事実」を、すべて「ごく自然の働き」と捉え、「淡々と」ワタシは自分の「やること」をやっていくのみ、

そういう人生観の確立を目指してきました。



しかし、CCUのベッドで自分の現実にショックを受け、また、21日のあの苦しさを思いだしながら、


「なんで?なんで?なんで?・・・なんでこんな目に合うの?・・・」


ワタシは今回の出来事の意味を、

こんな苦痛を与えられても、なお死なせてもらえない理由を、

神様や、見えない何かの働きであれば、それが

「誰の仕業か?」

「どんな理由で?」

そんなことを考え、迷い始めました。



今回、ワタシに訪れたこの「事実」は、「ごく自然の働き」として
「淡々と」ワタシが受け止めることの出来る範疇をあっさり越えました。



ワタシは自分をこんな悲惨な目に合わせるのは一体誰なんだ?何故なんだ?


そんなことを考えずにはいられませんでした。



胸腺腫が発覚してからの3年間、ワタシはそれなりに苦労を強いられました。

なのにもかかわらず、更にこんな悲惨な現実です。

胸腺腫の手術をしよう、とする度に多発性筋炎が悪化し振り出しに戻され、更には今回、なんとか手術に行けるかな?と思っていた矢先、こんなオチが待っているとは、、、、

いじめられているとしか思えませんでした。



これ以上、ワタシは何を求められているのでしょうか?



これ以上、ワタシに苦痛を通して何を学べ、と言うのでしょうか?



ワタシに何が足りないのでしょうか?



こんな辛い事実をワタシのみならず、ワタシの大切な家族にまで与えて、一体どうしようと言うのでしょうか?



ワタシは死ぬことになっているんなら、なぜ穏やかに死なせてもらえないのか?




・・・・そんなことを考えました。




3年前の春のあの日、胸腺腫ステージ4の確定診断を告げられた病院からの帰り道、母親が呟いた言葉をそのままワタシは頭の中で呟いていました。



「いったい俺はどんなバチの当たる悪いことをしたんだろうか?・・・」



つづく

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Vol.187 死の淵シリーズ 4「人生最高の日」



地獄の幕開け・・・


眠らされて人工心肺を付けられたワタシはその時点では「心筋炎」との見立てでした。

早速、ワタシが倒れた21日の夜からステロイド・パルス(大量投与)を実施したとのこと。


後からワタシも聞いたのですが、このステロイドパルス、ワタシが重症筋無力症の治療の為に、昨年末12月に受けたステロイドパルスと薬も量も全く同じモノだとのこと。。。

ステロイドって色んな病気に使うのですね・・・


21日にはワタシの親戚一同や、ジョカノの母親も駆けつけてくれました。

やや遠方の親戚の為のホテルを父親が手配し、父親はワタシが倒れた病室のベッドで、母とジョカノはCCUの控え室で毛布を借りて寝たとのことです。



・・・・・・・・・・・



眠れずに朝を迎えたジョカノは、ナースステーションの影から僅かに覗けるワタシのベッドを見つめていると、医師が少しの間だけワタシに近づくことを許してくれたらしいです。


・・・・・・・・・・・


この時点でワタシは全身を機械に囲まれ、管だらけとなり、ろくに近づくことすら気を使う状況だった、とのこと。


両方の脚の付け根、鼠蹊部からは人工心肺装置の機械が二つに加え、人工透析の機械も一つ、

首には2ヶ所、左右両腕に動脈、静脈の点滴ライン、

口には気管挿管して人工呼吸器を咥えさせられ、鼻から胃に栄養チューブ、

オシッコの管も・・・・フルコースですね・・・


それにカラダのあちこちに擦り傷や、内出血の跡もあったようです。

後から家族に聞くところによると、人工心肺をつける手術に当たっては、

「スタッフの人達は相当慌てていた」

らしいです。

なのでワタシを動かす時や、様々な針を刺す時などに、ワタシは傷を負ったのでしょう。

それだけ危険だった、ということ・・・


今でこそ機械や管はほぼ取れていますが、カラダには沢山の傷跡やあざ、テープのかぶれなどが残っており、激戦の跡が垣間見れます・・・



・・・・・・・・・・・・



もとい、

22日の朝、ジョカノがワタシのベッドに通された時には、既にワタシの心臓は動き始めていた、とのこと。

脈拍60台、血圧140台くらいだったようです。


ステロイドパルスは投与してからすぐに奏功したようで、22日の明け方には心臓は動きだしたらしく、ワタシはどうやら五分五分の賭けに勝ったようです。

透析のお陰でオシッコは少しだけですが出始めたようで、腎臓の循環も回復に向かっていたようです。


ビックリする程冷たかったワタシの手も暖かくなっていた、

とのこと。



さらに月曜日、火曜日とワタシの心臓は安定し、火曜日にはついに人工心肺からの脱却に成功したようです。

いつまでもこの機械に頼ることは出来ないみたいなので、これは本当によかった、とのこと。


ワタシは依然として眠ったままです。


心臓は自力で動き出したものの、ここでいきなりワタシの意識を戻すと、心臓に大きく負担がかかるようなのです。

なので、水曜日から鎮静の薬を弱め、水曜日の夜から木曜日に掛けてワタシの意識をゆっくり戻す、ということになったようです。


しかし、火曜日にはワタシは僅かながら意識が戻っていたらしく、帰ろうとするジョカノを引き止めるかのように、首を降ったり、脚をバタバタさせたりしたようです。


意識が徐々に戻る水曜日の夜には両親とジョカノはワタシの側でスタンバイしていてくれたようで、目覚めたワタシと少し会話を交わしました。

【2013/8/1追記・ワタシは倒れた当日、土曜日の夜だと思っていた。】


会話、といっても、ワタシは喋れませんので、ジョカノの手のひらに、ワタシはカタカナで文字を書いての会話です。


ジョカノの手のひらに、

「ココハ ドコ」

と書いたのを、ワタシははっきり記憶しています。これがまさか水曜日の夜だとは知りませんでしたが。



「病院のCCUだよ」


ジョカノが答えてくれたのははっきり覚えています。

《※2012/9/10 訂正・後から聞いた所、この手のひらでの筆談の相手はジョカノでは無く母親だったそうです。ワタシの記憶違いだったようです。》



ワタシはCCUがどのような場所か、知っていましたから、この時に自分がどういう状態にあるのか、なんとなく察しました。


ワタシの水曜日の記憶はこれしかありません。

この他にも少し、手のひらへの筆談で会話を交わしたそうなのですが、ワタシは覚えていません。



水曜日、ジョカノは帰り際、ワタシに


「ありがとう、生きててくれて、頑張ってくれてありがとう」

みたいなことをワタシに言ったそうです。



ワタシは涙を流しながら頷いていたそうです・・・・



ジョカノはこの、ワタシに「ありがとう」を言えた瞬間を、


「人生で最高に嬉しかった日」


と後から言ってくれました。



残念ながらワタシにこの時の記憶はありません。

ごめん・・・



・・・・・・・・・・・・




さて、明けて木曜日、ワタシは意識を戻します。


ワタシもこの木曜日からはハッキリとした記憶が沢山あります。


しかし、この目覚めと同時に、ワタシの地獄のCCU生活が幕を開けるのでした。。。


ツヅク

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Vol.184 死の淵シリーズ 3「人生最悪の日」



五分五分・・・


前回の記事で書きましたが、ワタシが朝、病室で倒れた7月21日、いつのまにか両親とジョカノが病院に来ていました。


ワタシにとっては「いつのまにか」でしたが、家族にとってはそれまでにもドラマがあった訳でして・・・


21日以後、数日間ワタシは眠っていたので、ここからは後日、ワタシがジョカノに聞いた話と、彼女がワタシが携帯を見れなかった約1カ月の間、毎日くれていたメールを元に書きます。



ワタシが倒れたのが21日の朝7時過ぎです。

その後、ワタシがCCU(主に心臓疾患を治療する集中治療室)に入ることになったので、この時点で病院から父親に連絡が入ったようです。


普段、両親も仕事をしていますが、この日は土曜日でしたので、自宅に居た両親は二人揃って病院に向かったそうです。

ジョカノには父親が連絡をしてくれたようで、ジョカノも仕事をキャンセルして病院に向かったようです。

《※2012/9/10 訂正・追記 この日父はゴルフに出かけていたそうです。ゴルフ場から母に連絡し、ジョカノには母親が連絡したそうです。》



この時点では、皆、まさかこんな大事になっているとは思わなかったようです。


ジョカノも、父親から連絡を受けたものの、「さほど深刻な感じではなかった」と当時の印象を述べています。


「入院中の病院から呼び出される」というのも初めてでしたから、それがどういう意味を持つのか?皆知らなかったのです。


ワタシの自宅よりも病院に近い所に住んでいるジョカノの方が、両親よりも早く病院に着いたらしいです。

詳しい状況を知らないジョカノは、病院について、ワタシの病室に向かったそうです。

病棟にて、例のベテラン看護師にたまたま出会うことの出来たジョカノは呼び止められ、


「ご両親は一緒じゃないの?」


「私のが家が近くて先につきました。」


「ちょっと大変なことになったから、ご両親が来てから一緒に話しさせて?」


「ワタシは部屋にいるんですか?」


「・・・・・・・・」


というような会話があったようです。


この時点でジョカノは事態の深刻さを予感し、その後、両親が到着するまで約30分、病棟のロビーで待ちながら、「生きた心地がしなかった」と言っていました。


両親が到着した後、3人はCCUに通されてワタシと対面することに。。。

時間はお昼前位になっていた、とのことです。




・・・・・・・・・・・・・・・




さて、いよいよワタシの事態は深刻です。

事実上、心不全状態になってしまったワタシは、結局、薬で鎮静状態に眠らされて、人工心肺装置を付けることに・・・

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【2013/8/1追記】
このブログでは常々、今に至るまで「人工心肺」と書いてしまっていますが、正式には違うんですよね。
めんどくさいし、分かりやすいかな~ってことで、「人工心肺」って書いてしまっていますが、本来、「人工心肺」と言うのであれば、心臓を一旦停止させる必要のある手術の際に装着するものを指すらしいです。

ワタシがされたものは、
・大動脈バルーンパンピング(IABP)と、
・経皮的心肺補助装置(PCPS)です。
このブログで「人工心肺」と書いてあるものはPCPSのこととご理解下さい。
このブログは素人の書いた単なる日記なのでクレームは受けつけません。笑。
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両方の脚の付け根の動脈に太い管を刺して血を抜いたり送ったりします。

心臓が機能を果たさなくなり、カラダの循環が止まり、腎臓も止まった為、人工透析も始めたようです。

【2013/8/1追記・正確には、PCPSを回す前に既に透析はやっていたようです。一度腎臓も回復しかけて人工透析を一度外したらしいのですが、その後また不安定になったりで、何度か透析はやったようです。】

・・・・・・・・・・・・・・・



家族はさぞかし慌てたようです。


事態のあまりの深刻さに、両親は親戚中に声をかけたようです。

都内近郊に住んでいるワタシの叔父さんや叔母さんも、父方、母方に限らず全員集合してくれてワタシの無事を祈ってくれたようです。

ジョカノの母親も来てくれたとのこと。



結局、ワタシの症状はこの時点では原因不明でした。


人工心肺を付ける手術をワタシは眠らされて行いましたが、その際にカテーテルにて心臓の組織を採取します。

それを病理にかけるのですが、その結果が分かるのが最短でも週明け火曜日になる、とのことだそうで。


結局、それを数日間、何もせずに待っている、ということも出来ないので、予測をして治療をしなければならない、という実に難しい状況にワタシはなっていました。



ワタシの症状や、既往症の胸腺腫、多発性筋炎から鑑みるに、考えられるのは
「心筋炎」とのことでした。

同じような症例の報告が僅かながらあるらしく。

【2013/8/1追記・胸腺腫・多発筋炎に合併するものとして知られているのが、組織分類上の巨細胞性心筋炎、というものだそうです。ここら辺はまた別途書きます。】


確かにワタシの場合、胸腺腫が悪い物質を発して全身の筋肉に悪さをしているだろう、と考えられてますので、心臓の筋肉に悪さをすることも考えられます。


この心筋炎、特に胸腺腫と多発性筋炎に絡む心筋炎は予後が悪いらしく、これは実際に後からワタシも循環器の先生に聞いたのですが、

「心筋炎自体、助からない事のが多い」

とのこと。。。


当時、ワタシに関係してくれてる神経内科の先生方に加え、呼吸器の先生方も総出で循環器の先生方と協議をしてくれて、


・ワタシは「おそらく」心筋炎だろう、

・心筋炎だとしたら、ステロイドパルス(大量投与)しかないだろう、


ということを決定してくれたようです。


これも後になって、この先生方にワタシは聞いたのですが、先生方も最悪の事態を、「覚悟していた」らしいです。




心筋炎、ならびにステロイドの大量投与の説明を受けたワタシの家族は、循環器の医師から、

「五分五分・・・」

と告げられたようです。


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【2013/8/1追記】
倒れたこの日はまさに修羅場、というかTVでしか見たことの無い光景であったようです。

ジョカノ曰はく、CCUでのワタシは意識を戻して目を開けたり、また眠ったり、それを繰り返していたようですが、意識を戻して目を開けると、とたんに不整脈が始まり、心マが始まり、家族は外に出され・・・

「外に出て!」とスタッフに言われた母親は「嫌です!!」と半狂乱であったりしたようです・・・

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母親とジョカノは口を揃えて、この日、この瞬間を、


「人生最悪の日」だった、


と言っています。



無理もありません。

今はこうして生きてますし、当時ワタシは眠っていたから分からないものの、逆の立場ならば、この日がワタシにとって人生最悪の日になっていたことは間違いありません・・・




この日、CCU では、治療の合間とワタシの状態が安定している僅か数分間づつくらいしか面会が許されなかったようです。


許された僅かな時間の間、ワタシの手を握っていたジョカノは、

ワタシの手が、

「ビックリする位冷たかった・・・」

と語っていました。


つづく

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Vol.182 死の淵シリーズ 2「疲れたよ・・・」



死なせてくれ・・・


7月21日土曜日

心臓がおかしくなり、死の淵へ歩み出したワタシは、断片的ながらもまだ意識が僅かにある状態でした。

※このシリーズ通してですが、記憶も曖昧なので、前後関係や、その内容は正しく無い可能性がありますが、覚えていることは全て書いて行きます。


朦朧とする意識の中、死を覚悟しだしたワタシですが、激痛に再び意識を戻されます。


馴染みのベテラン看護師がワタシに心臓マッサージをしています。

これは辛い・・・


意識があるのに心臓マッサージをされるのは地獄でした。


アバラ折れるって・・・・


「痛い痛いって!!!」


ワタシは力振り絞って叫んだような記憶があります。


「意識あるから辛いね・・・大丈夫、循環器の医者2人来たからさ」

心臓マッサージをしながらもベテラン看護師はワタシを優しく励ましてくれてました。


心電図モニターは相変わらず不規則な数字と波形とともに、異常を知らせる、あの緊張感を煽るアラームが鳴り続けています。


見知らぬ男女が複数ワタシを囲んでいます。

おそらく循環器のお医者さん達です。

【2013/8/1追記・これはすでにCCUに運ばれた後の出来事のようです。】

彼らはモニターとワタシを交互にチラチラみながら、

「なんだこれ!?」

と戸惑いの声を上げています。


「なんだこれ、って・・・分かんないのかい・・・」

ワタシは心の中でツッコミます。


なんだか、ワタシは数回に渡って注射を打たれているようでした。

多分ですが、不整脈を抑える注射でしょうか?・・・

結局、それをいくつか打っても効かなかったようなので、循環器の医者は「なんだこれ!?」と戸惑ったのでしょうか???


モニターを見ていた循環器の医者が、ふと、

「心マして、心マ!」

と言いました。


気付くと、白衣を着た女性、多分循環器の医者だと思うのですが、ワタシのベッドに乗り上がり、彼女の全体重を乗せてワタシの心臓を激しくマッサージしているじゃありませんか。。。

【2013/8/1追記・ワタシに心マをしていたのは女医では無く看護師さんだったようです。その後、何度かCCUに遊びに行ったりする中でその看護師さんとも会いました。】

(x_x)

その激しさ、痛さは、先ほどのベテラン看護師の心臓マッサージの比ではありません。

全くもってテレビでしか見たことのない光景でした。

救命密着24時の世界です。


ワタシは自分が如何に危険か分かっていたので、力を抜いて、その心臓マッサージに身を預けるべき、と思いましたが、意識がある以上、その痛みに耐えられません。

次の瞬間にも、バキッ、バキッ、と音を立ててアバラが折れそうです。


ワタシは心臓マッサージをしている女医の腕を右手で掴み、心臓マッサージを強引に止め、彼女を突き飛ばしていました。

死にかけてはいるものの、一応ワタシも男、片手で女医を吹っ飛ばします。

【2013/8/1追記・女医では無く看護師さん】

その後どうなったかは分かりません。

また意識が飛んだのでしょう。



また、

タイミング、および誰が言ったかは不明ですが、

「ソウカン、ソウカン」

という声が聞こえます。


ソウカンって気管挿管のことだ、と察したワタシは、

「ソウカンは嫌だ!」

などと叫びました・・・

話せなくなるのが嫌だったのでしょう。。。

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【2013/8/1追記】
この挿管を嫌がったことはCCUに運ばれる前の病室での出来事でした。
特にこの2012/7/21から数日間の件は色々ありすぎて、また、ワタシも意識を失ったり戻したり、眠らされたりと、散々だったので記憶も曖昧です。
また、家族にも色々なことが有り過ぎたので、聞いてみても覚えていなかったり曖昧だったりします。
1年経って改めて見ると話の前後関係がずれちゃってる点が多いのですが、これは、この記事を書いた当時のまま残しておきます。】
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


・・・・・・・・・・・・・・



呼吸がやたら苦しくてワタシは「苦しいー!」と叫びます。


意識を戻すとそこはエレベーターでした。


酸素のマスクを口に当てがわれていましたが苦しい・・・


色んな医者が交代でワタシの酸素マスクを抑えて、ポンプを動かしています。。。

その中には神経内科の主治医もいました。



ワタシはあまりの苦しさにアタマが混乱していたのでしょう、

「もう死んだ方がマシだ・・・」

そういう思いに駆られたのをハッキリ記憶しています。


しかし苦しければ苦しいほど意識は鮮明になるのです。


心臓マッサージを受けて激痛で意識が戻ってしまうのも同様です。



ワタシのカラダはまだまだ死から逃げようとしているようでした。


「もういいよ、、、、死なせてくれよ、、、、、」


「許してくれよ、、、、なんなんだよ、、、これは、、、、」




・・・・・・・・・・・・・・・・・・




エレベーターでワタシは、CCUという、いわゆる心臓のトラブルで危険な状態にある患者の為の集中治療室に運ばれることになります。

もちろん当時のワタシはエレベーターでどこに連れて行かれるかなんて分かっていませんでした。



・・・・・・・・・・・・・



次に気がつくと、神経内科の主治医先生がワタシに話しかけています。

そこはもうCCUだったんだと思います。

「沢山点滴しなきゃいけないから、首に点滴の針刺しますね?」


次にですが、ふとチ○コに激痛が走り意識が戻ります。

オシッコの管を入れられる所でした。

「ちょっと痛いけど頑張って!」

誰の声かは分かりません。


おふっっ(x_x)


ちょっと所ではない、意識あるのにオシッコの管を入れられるなんて、拷問です。


残尿感、というか、猛烈な下腹部の不快感にワタシは、

「オシッコ、オシッコ、気持ち悪いよー!!!」

と叫んだ記憶があります。


看護師がワタシの下腹部を押しながら、

「ちゃんとオシッコ出てますから平気ですよ?」

淡々と、妙に落ち着いて言います。


苛立ったワタシは、

「だから気持ち悪いんだってさ!!」

と叫びます。


困った看護師は多分医者を呼びにいったのでしょうか・・・

ワタシは、

「くそっ、、動き悪いんだよ、チンたらやりやがってさ!」

呼吸器のマスク越しに叫びます。



「こらっ!みんな一生懸命やってくれてるんだから我慢しなさい!」


????


母親の声です。

いつ来たのでしょうか?




程なくして、また神経内科の主治医先生の声が聞こえます。

「ワタシさん、、、オシッコの管、気持ち悪いけど我慢してね?頑張りましょー」

馴染みの先生が優しく声を掛けてくれてワタシは大人しくなります。



むむ、

しかし呼吸が苦しい・・・

「苦しいよ・・・呼吸器もっと圧を上げてくれ!!!」

ワタシはマスク越しにまたしても叫びます。


「苦しい?これ今最大だし、呼吸は大丈夫ですよ?」


腕を後ろで組んでワタシの前に突っ立っている、見たことのない医者が妙に落ち着いて、まるでワタシを子供のように諭します。

ワタシはその姿にかなり苛立ったのを覚えています。

なんでコイツはこんな余裕なんだ?俺はこんな苦しがっているのに・・・くそっ!


このやり取りは母親も記憶しており、聞くとこの医者はこれから大変御世話になることになった循環器の主治医先生でした。



女性の声がします。

CCUの看護師だと思います。

「・・・・・これ切っても宜しいでしょうか?」

どうやら、ワタシが着ていたシャツや、腕や首に付けていたアクセサリーを切ろうとしているようでした。

ワタシはこの後カラダに色んな管を付けられることになるので、邪魔になったのでしょう。


「・・・・はい、お願いします・・・・」


????


ジョカノの声です。


この時既に両親とジョカノはワタシの元に来ていたようです。


ジョカノが居ることに気づいたワタシは妙に落ち着いて、ジョカノに、

「仕事は大丈夫なの?」

などと聞いたようです。



ジョカノが手を握ってくれていることに安心したのか、

「疲れた・・・・」

と、ワタシはつぶやきます。


「うん、疲れたね・・・・」

ジョカノもつぶやきます。



・・・・・・・・・・・・・・



ワタシが記憶している21日の出来事はこれで全てです。





ジョカノと出逢った頃に買ったお揃いのネックレスには、これまたお揃いのチャームが2つついていました。

ワタシのカラダから外され、ジョカノに預けられた時には、小さい方のチャームは無くなっていたようです。

ドタバタの中で落ちて無くなったのでしょう。

小さいチャームでしたから仕方ありません。

ワタシもジョカノも残念に思っています。



ワタシの命を救い、その役目を終えてどこかに行ってしまったのかもしれませんね。

それとも、これから始まる壮絶な時間の幕開けを暗示したのでしょうか??



お揃いで付けていたミサンガも切られてしまいました。

それを切られる時のサクッという音は今でも覚えています。




ということで、この21日土曜日以降、次にワタシの記憶があるのは26日木曜日となります。

しかし、ワタシが眠っている間には壮絶な出来事が沢山あったようで、まさにワタシが眠り始めたと同時に家族にとっては最大の悪夢が幕を開けたのでした。


つづく
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Vol.181 死の淵シリーズ 1「嫌な予感はあった・・・」



連れていかれるんだな・・・


7月21日の午前7時過ぎ、

病室で目覚めたワタシは洗面所で顔を洗ったり、髭を剃ったりしていました。


すると、また「いつも」のように、急に動悸、というか、不整脈、、、脈が180位にバクバクしだしました。

【※2013/8/1追記・これは「発作性上室性頻拍」である、とワタシは言われております。】

・・・そう、

「いつも」のようにです。



実は、脈が180回/分 位の頻拍が急に始まる現象は丁度胸腺腫が発覚した3年前位から続いていました。

続いていた、といっても、3年前位の段階では月に1回、その現象があるか無いか位でした。


しかし、今年に入るにつれてその頻度は高まり、2〜3日に一度は起き、この7月になる頃には1日3回起きることもありました。。。


そのほとんどが、立ち上がったり、歩いたりなど、カラダの動作を変える瞬間に連動して起きていました。

少し前ではジムで筋トレやプールで泳いでいるときに急になることもありました。


筋トレの動きを止めた瞬間や、プールで泳ぎを止めた瞬間に起こることが多かったので、要するに交感神経と副交感神経が切り替わる瞬間にこれが起こるのだと思われます。


具体的な症状としては、上半身が心臓の拍動と連動して揺れる位の強い動悸が、決まって180回/分ペースで続き、酷い時は立ち眩みのような現象が起こることもありました。

血圧が下がっているのだと思われます。


しかし、この現象が起きても、普通に行動も出来るし、意識が飛ぶこともありませんでした。

呼吸も会話も普通に、歩くことも普通に出来ていました。


これを収める為にじっとしていたり、横になって呼吸を整えたりしていれば、酷い時は30分以上続く時もありましたが、ほとんどが5分以内位で元通りの脈に戻っていました。

その為、以前まではワタシもさほど気にしていませんでした。


しかし、直近、今年の春以降では1日数回起こることもあったので、ワタシもいよいよこれは自分の心臓は何か持病があるのでは?と疑うようになっていました。


抗がん剤治療をしている間も、このことは呼吸器や神経科の主治医に相談したりしており、心電図や心エコー、24時間ホルター心電図などの検査をしてもらったりしていました。


抗がん剤の大量水分点滴や、抗がん剤自体の影響、胸腺腫および多発性筋炎との関係ももちろんワタシは疑いました。


しかし、心エコーで若干心臓の周りに水が少し溜まってる、とか言われたことはあったものの、何か特段の異常も見つからず・・・


7月に入った頃には、このまま心臓に不安を感じたまま、8月予定の手術に望んで良いものかどうか、という心配がありましたが、呼吸器の先生の見解も、

「検査で異常を拾えなかった以上、今の段階では循環器科でも何もしようが無いと思うし、ワタシさんの話を聞く限りでは手術の大きなリスクとはならないと思う・・・」

みたいな話でした。。。


ワタシ自身も、

最大目標である手術を今度こそは!

という強い思いがありましたから、呼吸器の先生のその言葉を根拠に、心臓のことはあまり気にしないように、とにかく手術をなんとか迎えよう、と思っていました。


実際何か心臓の異常を指摘されて、またしても手術が飛ぶのも嫌でした。



そういう意味では自分の不安や、心臓への嫌な予感にとりあえずは蓋をして、言わば現実逃避をして、とにかく手術を迎えなければ、と必死でありました。

このブログにも心臓の不安のことを書こうと思っていたのですが、書けば書いたで自分の不安を煽ることになるので敢えて書きませんでした。


手術が無事済んで落ち着いた後、改めて循環器科への相談をお願いしよう、などと思っていました。




そんな中、ウチの両親とジョカノ曰わく、

「人生で最も最悪だった日」

と称された運命の7月21日を迎えました。


また「いつも」のように、180回/分ペース位の頻拍が洗面所に居るワタシを襲いました。

ワタシは

「あ、また来た」

と思いましたが、立ち眩みの程度がいつもと違いました。



むむ、


むむむ、、 、


ワタシは洗面所から戻り、尋常じゃない目眩に立っていられず、椅子に座ります。

「これはいつもの頻拍と違う・・・ヤバいかもしれない・・・」

椅子に座ると、一時、目眩が収まりました。

ふぅ〜・・・



頻脈は続いてましたが、特に動けなくなることも無いので、ワタシはいつものようにアイスコーヒーをカップに注ぎ、とにかく落ち着き、深呼吸をし、頻拍を収めようとしました。


しかし、そのアイスコーヒーに口をつける間もなく、またしても目眩が襲います。



そうこうしているウチに一人の看護師がワタシの部屋に入って来ます。

「ワタシさん、どうしました?」


ワタシはこの入院中、常に心電図と酸素モニターを胸につけさせられていました。

多発性筋炎の悪化による呼吸苦があったからです。

※結果、この心電図モニターをつけていたことと、この一番最初に声を掛けにきた看護師のお陰でワタシは今、これを書けています。

【2013/8/1追記・この看護師さんは、この年の新人さんであったようです。シカトされなくて良かった。笑。】


ワタシの脈拍がナースステーションでモニター出来るようになっています。

おそらく不整脈を捉え、イレギュラーな波形が出ていたのでしょう。


ワタシは目眩がするのを椅子に座りこらえていました。


やばいかも、とは思いつつも、いつもの頻拍のように、しばらくすれば収まると思っていたので、その看護師には、

「大丈夫、大丈夫だからさ・・・」

と言いました。


「・・・何かありましたら、仰って下さいね?」

看護師は去って行きました。



その後ワタシはいつものようにベッドに横たわり頻脈を収めようとしました。。。。



・・・・・



その直後です。


ワタシとの付き合いも長い、神経内科病棟の馴染みのベテラン看護師が、若手の看護師を数人連れて部屋に入って来ます。

ものすごい勢いにて、若手看護師は心電図を取る機械やモニターなどを2〜3台程ガチャガチャ引きずって来ます。

※後日談ですが、一番最初に声をかけに来た看護師は、ワタシが大丈夫と言うので、一度ワタシの前から下がったものの、ワタシが苦しそうだったので、そのことを先輩看護師に報告したようです。


馴染みのベテラン看護師は、冷静な口調で若手看護師に指示を出しますが、明らかに様子がいつもと違いました。



「○○先生を呼んで!」



「○○持ってきて!急いで!」



「○○は酸素の準備、急いで!」


「VFでるよ!!!」



ベテラン看護師は落ち着いた口調を心掛けて、ワタシにも、


「大丈夫だからね〜」


と、優しく声を掛けてくれてはいましたが、明らかに顔をひきつらせ、呼吸は荒く、動揺していたように見受けられました。


ワタシはこの時まだ意識はありました。

ベッドに横たわり、周りの雰囲気から自分が危険な状態にあることを察しながらも、呼吸を整え、なんとか不整脈を抑えようとしていました。

VF は確か心室細動??死ぬヤツじゃないか?

ワタシは知っていました・・・



ふと気付くと、ワタシの心臓はまるで何かに操られてるかのように、或いは壊れたオモチャのように不規則な動きをしているじゃありませんか。。。


そうこうしているウチにワタシの意識は朦朧としだしたのでしょう。

ここら辺から記憶は断片的です。


気づけばワタシのベッドの横に心電図モニターが置かれていました。


キンコーン、キンコーン、キンコーン、キンコーン、


明らかに異常を知らせるアラーム音が響いています。



心拍数を示していると思われる数字は250とかになっていました。


気付くと神経内科の当直当番の医師が2名やってきました。


ベテラン看護師が、

「どうする?」

「循環器科にコールするよね??」

と医師に聞いています。


「血圧60ね。」

ベテラン看護師の声が聞こえます。


60は酷い・・・


死ぬ・・・



医師は慌ただしく、PHS片手に部屋を一旦出ていきます。


ワタシは次第に自分が如何に危険な状態かを認識するのでした。


意識は朦朧とし、


呼吸は苦しくなる一方、




病室の隅に慌ただしく追いやられたテーブルの上には母親が買って来てくれたアイスコーヒーが注がれた、これまたジョカノが買って来てくれたコーヒーカップがただただ虚しく置かれていました。

朦朧とする意識の中、ワタシはそのコーヒーカップを横目でただ見つめながら心の中で呟きます。


「・・・・ワタシはどこに連れて行かれるのか?・・・誰の仕業だ?・・・・何故ワタシ?・・・何故今?・・・・・」



・・・・こうして死の淵への旅が始まってしまいました。


結局、9月の今の段階に至っても、この日の突発的なこの不整脈と、不安の原因であった、たまに起きていた頻拍との関連性はわかっていません。

しかし、心臓に不安が、嫌な予感があったワタシは、この日、その不安が現実のモノになってしまったことに驚き、朦朧とする意識の中、自分の最悪の事態を「覚悟」したのでした。


つづく

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Vol.180 死の淵シリーズ 序 「はじめに」


まだアタマを整理仕切れないが忘れる前に書けることを書いておこう


話は7月21日から始まります。

あまりにワタシにとっては重要な出来事となったし、過去の出来事ともなるので、混乱しない為にも「死の淵シリーズ」としてカテゴリを設けて書きます。


お盆の頃に予定していた手術にむけて、ステロイドを減らしながらも重症筋無力症と多発性筋炎をコントロールすべく、ワタシはガンマグロブリン治療をしていました。


ガンマグロブリンは効いてくるまでに一週間程かかります。


そのタイムラグの間に多発性筋炎が悪化してしまったワタシは緊急入院し、グロブリンが効いてくるまで待とう、ということになっていました。


そして、

いよいよグロブリンが効いてくるだろう、と思われた7月21日に事件は起きました。


この日の朝に倒れ、約1ヶ月携帯をいじれない日が続きました。


意識が無い時も数日あり、集中治療室では様々な薬を打たれていた関係で、ワタシの意識は常に朦朧としており、記憶もあることはあるのですが、不確か、かつ断片的です。


なので、これからワタシが覚えていることを中心に、この死の淵シリーズを書いて行きますが、ワタシが携帯を見れない期間中も、ジョカノは毎日の出来事や、彼女の気持ち、家族の様子、医者とのカンファレンスの内容、ワタシへのメッセージなどを、毎日ワタシの携帯にメールをしてくれていました。

そのメールの他、後からジョカノ含め、親に聞いたこと、医師や看護師に聞いたことなどを元になんとかこのシリーズを書いて行きたいと思います。



この体験はワタシに大きなテツガクのネタを与えてくれましたが、更なる迷いをも与えてもくれました。


文章にしながら、アタマと心を整理していきたいと思います。


つづく
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