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ワタシはカラダをテツガクする

病気が集まってくるカラダを自慢している。 生きてる以上テツガクするしかないね。めんどくさいけどね。

Vol.67 過去の扉(エピローグ)「仕方ない、の意味」


仕方ないよね・・・


一気に駆け足で過去を振り返りました。

病気が発覚して早3年・・・


イロイロ、と簡単に片付けられないくらいイロイロありました。


当初は頻発に、

病気じゃなかったら、こうしてたかなぁ?とか、

あんなことやってたかなぁ?とか、


逆に、

病気じゃなかったら、これは出来なかったかなぁ?


とかとか、

「病気じゃなかった場合のワタシ」

と、

「病気のワタシ」

を比較したモノです。



これまで幾度となく大喧嘩を重ねてきたジョカノともそういったコトで喧嘩したこともあります。


「病気じゃなかったらどうしてた?」

「病気に甘えてんじゃない?」


そういうジョカノに対し、


「病気じゃない俺は存在しないんだから、比べんじゃね~よ!」


とか言って・・・www




今となっては、病気じゃなかった場合を想像することは無意味であることにも気付き、タラ・レバを思うことも大分減って来ました。

たま~に、病気じゃない健康な、自分と同世代の、のほほんとしてる人々見ると、自分と比べちゃってなんだか悔しくなりますがねwww

ワタシもまだまだですかね。




仕方ない




これは決して悲観的に使っているつもりはありません。



目の前の事実は時には残酷で受け入れ難いモノだったりします。


でも事実は変わりません。



仕方ない、仕方ない、



と、事実を受け入れて、今を生きていくしかないです。



いや、でもそりゃ、感情的にそうも言ってらんないコトもありますよね、、、

震災で家族を失った人に、

仕方ない、

などとは言えません。


無免許少年の車に家族を引かれた人に、

仕方ない、

とは言えません。。。



ワタシの病気は、自分でなんとか、

仕方ない、

と言えるレベルです、今のところ。



過去の扉で振り返ったワタシは変えることは出来ません。

ワタシはこんな自分を予期してませんでしたし、望んでもいませんでした。



でも、病気じゃないワタシ、

はもう存在しないのです。



だったら、



仕方ない、仕方ない、



受け入れて、

「今」からを、

淡々と、

生きるしかないですね。




頑張りますかね、


淡々と、仕方ない、仕方ない。

おわり



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Vol.66 過去の扉(28・最終回)2012年4月「仕方ない」

手術は・・・出来ない・・・運命なんだね・・・


さあ、いよいよ!!

一部4月以降に書いた記事と内容重複しますが、再度簡単に整理して過去の扉シリーズの最終回とします。


3月末に入院し、カンファレンスにてその後の手術の調整まで見えてきたワタシでした。

4コース目の点滴は週明け月曜日からとなる為、そのカンファレンスを終えて必要な検査をした後は、週末外泊となりました。


ところがどっこい、、、


またしても外泊中、正確に言うと、外泊から病院に戻った日曜日の夜、まさに明日から4コース目点滴、という時に、高熱が出てきたのです・・・


そして腫瘍のある左胸に今までに無い痛みが・・・


熱以外の風邪の諸症状は無く、肺炎が疑われましたが、真相は闇の中で、抗生物質を点滴した後、この熱はまた数日で引きました・・・


またしても腫瘍熱ですかね・・・


あっけなく、月曜日開始予定の抗がん剤ADOC療法4コース目は延期となり、熱が下がってから再開しようとなりました。


しか~し、


またしても思いがけない事実が二つ、ワタシに立ちはだかりました。


一つは、なんと筋炎の症状が悪化してきてしまいました。

カラダの筋肉が弱まり、呼吸も日毎に苦しくなっていきます。

熱は下がっていましたが、抗がん剤どころではなくなってしまいました。


チ~ン・・・


1月に実施したグロブリンをまたやります。


そしてもう一つ、

やはり腫瘍が大きくなっていました。

しかも、ADOC療法が奏功し、これまで小さくなっていたモノが、それが全て帳消しになってしまうくらい大きくなっていました。。。

時間が戻された感じです。


今回はかなりの高熱と、腫瘍のある左胸の痛みがありましたから、その時に一気に大きくなったのだと、ワタシは思っています。

それで再度また筋炎の症状も勢いを増してしまったと・・・


結局、ADOC療法も、3コース目辺りにはもう効かなくなっており、今回、抗がん剤が抜けてきたタイミングで胸腺腫の威力が増してきた、とも考えられます。

主治医もそう言っていました。


ステロイドは今回、1ミリ減らしただけですから、それが影響している、とは思えません。。。


いずれにしてもADOC療法は中止となり、筋炎の症状をまずコントロールしてから、その後の対応を協議しよう、となりました。


4月半ばにA病院に手術の話をしに外来に行く予定でしたが、筋炎の為にそれどころでは無くなってしまいました。。。


またしても手術が見通せなくなりました。

これで3回目です。

3度目の正直でしたが、3度目の断念です・・・


どうも、手術に向かおうとすると、

熱が出て、

腫瘍が膨らみ、

筋炎や、MGが現れ、

手術が出来なくなる、


という負のスパイラルにハマってしまっています。

これにプレドニン減量もタイミングとして絡んでいるので、何かあるのかもしれません。

プレドニンにも腫瘍の腫れを抑える抗炎症作用がありますから、これを減量すると、それまで抑圧されていた腫瘍が元気になる、といったことがあるのかもしれません。

まぁでもどれも憶測の域を出ないですが。

でも何かしら関係あるはずです。

同じパターンで続いてますし。


今回はショックでした・・・

1月に筋炎になり、2回続けて手術のスケジュールが飛んだ時もショックでしたが、今回もまたショックでした・・・

それに、もう二度とやりたくないと思っていた抗がん剤に断腸の思いでチャレンジし、効果が一時的にはあったものの、結局また悪化してしまったことも、ワタシにショックを与えました。。。

マジで毛が抜けただけで終わった感じですわ・・・

ハゲ損です・・・

今もショックを引きずってます・・・


仕方ないですね・・・


なかなか手術ができません (>_<)


そういう運命なのでしょうかね・・・




「仕方ない」


よく、ワタシは口にします。

この過去の扉シリーズを書く中でも思い起こされましたが、闘病は、

「仕方ない」

の連続でした。


ワタシのこれまでの闘病を一言で表現するに最も相応しい言葉かもしれません・・・


これからはどうなるかな・・・




はぁ~・・・

「仕方ない」ですねw


それでも頑張っていかなあきまへん!




とりあえず再度グロブリンの点滴で筋炎を抑えて、今後はそれから、となりました。

1月の時とおんなじです・・・



そして、今現在ですが、

4月の初旬から中旬にかけてやったグロブリンの点滴、

および再び19ミリから30ミリに増やしたプレドニンの効果もあり、筋炎は沈静化しつつあります。



と、

熱が出てから筋炎の経過のことは4月以降の記事でこのブログにも書いていますのでよろしければご参照ください。


筋炎の症状も今週になってかなり沈静化してきた為、今後についてのカンファレンスを昨日、4月25日に主治医と行いました。

結論、また5月に入ったら違うメニューの抗がん剤をやることになったのですが、この事は詳しくまた記事にします。


その5月からの抗がん剤に備え、いったん明日外泊で家に帰ります!

一ヶ月ぶり!!

やったー!

やった、やった!!



ということで、ようやく過去の扉シリーズ終わりました・・・

長々すいませんでした m(_ _)m

また大事なことを思い出したら適宜追記します。


はぁ疲れたw






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Vol.65 過去の扉(27)2012年3月「3度目の正直」

今度こそ、A病院へ行くぞ・・・


さあ、現在に繋がりつつありますが、整理の意味も踏まえ続けます。

間もなく完結しますよー!!

もう少し!!


さあ、ADOC療法を2コース終えて、2ヶ月振りに退院した後、再び3コース目の為に入院します。

なんか病棟のフロアが前回と変わりました。


フロアによって看護師さんのやり方など、それぞれ文化があるらしく、なんか違和感でした・・

まぁまぁ・・・



3コース目は引き続きなんなくこなしました。

なんか、副作用はコースを重ねるごとに軽くなっていく感じです・・・

効いているのでしょうか・・・

まぁまぁ・・・


予定通り3コース目を終えて、また一度退院して、4コース目の前、3月末に再入院となります。

この3コース目を終えて、自宅に居る間にこのブログを始めたことになります。


いや~、ようやく時が繋がりました。。。


ついにドッキングですw



そして、この4コース目の入院の初日に、今後についてのカンファレンスをまたやることになりました。



そして、3月末、予定通り入院しカンファレンスです。

ポイントは手術のタイミングになります。


それに当たっては、まずB病院か、A病院か、どちらで手術をするか、という話が依然としてあります。


MGや筋炎といった胸腺腫以外の不安要素を抱えるワタシはB病院で一気通貫の治療をするに越したことはありません。

B病院の呼吸器外科の見解としては、やはりワタシの手術に否定的です。

手術をするとしても、左肺を全部取ることになり、それも癒着の状況によっては手を付けられず、すぐに閉じなければいけないかもしれないよ、とのことです。

いずれにせよ、積極的に手術をすることはオススメしてくれていません。


逆にA病院は、というと、やはり手術をするとしてもB病院の見解と同じく、左肺ごと拡大して摘出することが理想ではある、とのことです。

ただし、左肺を極力温存しながら、取れる部分だけ取る、縮小手術も有りではないか、ということです。



ワタシは左肺を全摘するのが嫌です。

それをしてはいけない気がするのです。

左肺は残念ながら腫瘍まみれですが、一応機能はしてくれています。

片肺はリスキーです。

この考え方は、初回の手術を受ける前の時と変わってはいません。


とりあえず、片肺を全摘するもしないも、ワタシはA病院で手術する道を選ぶしかないようです。


B病院に入院しているワタシでしたが、ここの呼吸器内科の先生方や、神経内科T医師が、色々とワタシの治療方針について、A病院のY医師やH医師と協議をしてくれています。


これはありがたいことです。

恵まれてますねワタシは。


感謝感激雨嵐です。


今回もA病院で手術を調整するに当たって、一度今行なっているADOC療法4コース目が終わった4月中旬の段階で、Y医師、H医師の外来に行くことにしました。

それぞれの先生と話をして、手術を具体的に決めようということになりました。

そのA病院の外来のスケジュールも、B病院T医師が調整をしてくれました・・・

そんなこともしてもらってます・・・

なんかお手数かけてすんません・・・

ほんと良くして頂いてます m(_ _)m


B病院の呼吸器内科の先生の意見としても、手術はもちろんワタシさんの納得する形でやるのがベターなので、A病院でやることに賛成してくれました。


実は、手術の実施数なんかは圧倒的にA病院のが多く、経験豊富です。

それに、いかんせん一度ワタシを切ってくれているH医師がやってくれるにこしたことはありません。

B病院の呼吸器内科の先生もそのようなアドバイスをくれました。


4コース目が終わり次第、A病院の外来に行きますが、そこで直ちに手術が出来る訳ではありません。

そのため、状況次第ではありますが、最大で6コース目までADOCをやろう、ということになりました。

その間にA病院とも調整し、抗がん剤治療から手術へのリレーを最適にしよう、というモノです。

幸い副作用も蓄積しておらず6コースは問題無いだろう、との判断でした。


もう一つ、手術に向けては常用しているプレドニンの量が気になります。

出来る限り減らしたいところです。


ワタシはこの時点においては、筋炎とMGの症状はかなり改善していました。

11月にMGに気付く前よりも良いくらいでした。


ADOC療法が今のところ効いており、腫瘍が小さくなっていることで、胸腺腫が勢いを無くしている、

また、1月に実施したグロブリンの効果が持続している、

などが理由として考えられますが、体調はすこぷる良好でした。


その為、1月に筋炎で倒れ30ミリにまで増やしたプレドニンも、この時点では再び20グラムにまで上手いこと減量していました。

手術に向けては可能な限り減らしたいので、ここから更に減量することとしました。


しかし、MGや筋炎を抑えるに、この20ミリのラインは微妙なラインらしく、T医師の判断で、ここは慎重を機して1ミリづつ減量することとし、手術には15ミリ程度で望めれば、ということにしました。

確かにこれまでプレドニン減量は、10月の時も、年末年始の時もことごとく失敗しています。


しかし今回は、1月に30ミリに上がってから、再度20ミリにするのに、10日間程度ごとに2.5ミリづつ減量して上手くいっていました。

さらにここからは慎重を機して1ミリづつです。

まぁ20ミリがポイントとなるライン、とはいえ、今回は大丈夫だろう、と思いました。


さあ、4コース目点滴の前に、その後のA病院の外来のスケジュールも見え、手術に向かう道のりがある程度見えて来ました。

プレドニンの減量プランも決まりました。


手術の調整は3度目の正直です。

なんとしても手術に、A病院に、再び戻るぞ!!

とワタシは決意も新たに4コース目の点滴を迎えるのでした・・・


つづく



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Vol.64 過去の扉(26)2012年2月「抗がん剤をまたやる」

やるしかないのね・・・


筋炎に倒れ、緊急入院したワタシはガンマグロブリンの点滴を受けました。

症状は悪化の一途でなかなか辛かったですが、グロブリンの点滴が終わった後から回復をし始めました。

最悪の症状の時期も一週間程度で脱したので、ギリギリ精神的にも大丈夫でした。


力も徐々に戻り、病室での生活は苦の無いレベルになって来ました。

1月の中旬に入る頃に緊急入院をしましたが、2月になる頃には呼吸器に頼らなくてもなんとか生活できるレベルにまで回復しました。


その間、プレドニンは結局30ミリにまで増量し、それの効果もあってか筋炎をなんとかコントロールしていました。


そうなると、次のステップとして、諸悪の根元たる胸腺腫をどうするか考えなければなりません。

ワタシは手術のスケジュールが2回も飛んでしまったことにそれなりに参っていました。。。


なのでなんとか手術をしたい、と思っていたのですが、当初手術をしよう、と決めたのは10月です。

すでに4ヶ月以上経過してしまいました。


腫瘍の状況も当時より悪く、依然としてこのB病院の呼吸器外科は手術に否定的です。


かといって、A病院に行こうにも、現状のステロイド30ミリの状態ではリスクもあり、またステロイド減量を待っていたのでは時間も空いてしまうし、その間にまた筋炎やMGが再燃してしまうリスクも過分にありました。

神経内科の機能が無いA病院では筋炎やMGのフォローアップも出来ません・・・

筋炎とMGがあるワタシは、全身麻酔の手術はリスクがつきまといます。


B病院の見解としては、抗がん剤を試し、腫瘍を少しでも縮小させて手術の道を探る、というモノです。

腫瘍が縮小すれば、その分、筋炎やMGの症状も改善が期待できる、ということで、その上で再度手術の道を探ろう、ということです。


迷いました。


抗がん剤が効いたためしが無いワタシにはトラウマです。


しかし、今の状態でワタシが望む手術が出来ないことはワタシも理解していました。

例え強引にB病院を出て、A病院に駆け込み、手術をお願いした所で、すぐに出来る訳もありませんし、その手術を待つ間にも腫瘍が悪化し、癒着が進み、手術が不可能になる可能性もあります。

それにその間にMGと筋炎が悪化したらもうA病院では対応できません。


結局、抗がん剤に賭けて、手術の調整をする時間を稼ぐしかありません。


ちなみに、放射線治療もワタシは難しい状況です。

播種しており、目立つ腫瘍だけでも複数ありますから、放射線当てるとしても左胸全体に放射しなければ治療にならず、またそれをやるとしても左肺が副作用でやられてしまうこととなり、それはリスキー過ぎる、とのこと。

これは2009年の胸腺腫発覚当初からこれまで一貫してそう言われております。。。


ということで・・・


やるしかねぇ~っす・・・


抗がん剤を・・・


チ~ン・・・



まぁでもやるからには切り替えて、前向きにやらねばなりません。

過去にやった抗がん剤治療は、ワタシは惰性のままなんとなく行い、副作用の吐き気に心折れ、嫌々やっていました。

その反省を生かすべく、とにかく前向きにやらねばなりません。

腫瘍が縮めば、手術の道も開けます。


とにかく、

前向きに、

効果を信じて、

やるしかなかったのです。



ということで、B病院にてそのまま抗がん剤治療に進むことになりました。

丁度2月になろうとしていました。


やることになったのは、一般的に胸腺腫で採用されているADOC療法です。

これもご興味ある方はググッてくれれば出てきます。


4剤使いますが、前回、吐き気で悩まされたシスプラチンも入っております。

ワタシは吐き気に対して不安でした。

しかし、ワタシが以前やった2009年時からは、吐き気止めも進化しているとのことでした。

しかし、相当前回吐き気に苦しみましたから、それも半信半疑です。。。


いざ、初回の点滴に望みます。

イメンド、というその新しい吐き気止を飲み、抗がん剤に望みます。


初日にシスプラチンを入れるのですが、腎臓に悪いので水分を大量に点滴して薄めます。

そのため、初日の夜から早速、お腹が水分で膨れる感覚に襲われます。


抗がん剤の点滴は4日間続き、その後3日間、水分を点滴します。

計7日間の点滴を、骨髄へのダメージを見ながら3週間ごとに繰り返します。

4コースから6コースを予定します。


さあ、肝腎の吐き気ですが、初日にお腹がタプタプになりましたから、これは吐き気にまで発展するかな、と思いましたが、以外に大丈夫でした。

まぁ2009年にやった時とはシスプラチンの量も違いますし、吐き気止めの薬も違いますし、それにワタシの体質も変わってるのかもしれないし、

原因は良く分かりませんが、胃のムカムカには終始襲われつつも、吐いてしまうような不快感までには至りませんでした・・・

食欲はあったり、なかったり、しましたが、食べれなくなることもありませんでした。

よかった、よかった・・・

その他の副作用と言えば、便秘と、カラダのダルさくらいでした。


吐き気さえ無ければ、なんとか抗がん剤治療も乗り切れます。


1コース目が終わり、その他重篤な副作用も無く、骨髄抑制も想定内でしたから、予定通り3週後に2コース目を開始しました。


通常、抗がん剤のダメージは蓄積されていくイメージで、副作用もコースを重ねるごとに強くなる気がしますが、この2コース目は1コース目よりも胃のムカムカは軽くなっていました。

逆に抗がん剤の効果も無くなったのか?

との感覚にも襲われますが、これは効果を信じるしかありません。



2コース目を終えた後、ようやく退院の許可がおりました。

1コース目終了時では、初めて使う抗がん剤もあり、副作用が読めない為、大事をとって入院したままでした。



退院する前にCTを撮りましたが、なんと腫瘍がトータルで半分程小さくなっていたのです!!



よかったです。



とりあえず、出だしは好調、ということで、このまま更なる効果を狙って3、4コースと頑張っていくことにしました。

2コース目終了時には3月になろうとしていました。



1月に筋炎で倒れバタバタと緊急入院しましたから、約2ヶ月振りに家に帰ります。

また3コース目の為に、一週間後には病院に逆戻りですが、よかったです・・・


抗がん剤も効いている、とのことでしたので、あの命の危機を感じた1月のあの日と同じ服装ではありましたが、実に気分よくワタシは2ヶ月振りの自宅へと戻ったのでした・・・


つづく



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Vol.63 過去の扉(25)2012年1月「今度は多発性筋炎→胸腺腫の本性」

きゅ、救急車、呼ぶか?・・・


さあ、いよいよ2012年に突入です。

ラストスパートです。

ガシガシ書きますよ!!

現在のワタシも今、過渡期におり、書かなきゃならんことが沢山発生しているので、早いとこ過去と現在を繋げちまいたいです。

そうした方が現在の記事も書き易いし、分かり易いので。



MGのステロイド・パルス療法を終え、クリスマス前に退院したワタシは、年末までにB病院T医師の外来に行き、プレドニンを20ミリから15ミリに減量しました。

体調も良く、MGの症状もかなり落ち着いていました。

目が霞む複視の症状は無くなり、カラダの筋力こそ昔には遠く及びませんが、日常には何不自由なく、徒歩と電車を使ってB病院に1時間程かけて行く程度は全く苦ではありませんでした。

呼吸も苦しいこともありませんでした。


経過良好なことを踏まえてステロイドは手術に向けて可能な限り減らしたい、ということもあり、15ミリにて1月末の手術に予定通り向かうこととしました。


ところが、丁度大晦日から元旦にかけて、また熱が出てしまったのです。。。

大晦日、ワインを飲みながら笑ってはいけない~、を見ている頃、熱に気付き、倒れ、箱根駅伝もほぼ見れませんでした・・・

せっかく年末年始を家で迎えれたのに、ガチの寝正月になっちまいました。。。


この熱は数日寝てたら治りましたが。

またしたも風邪か、原因不明です。

先の10月の時もそうだったのですが、どうもステロイド減量のタイミングでワタシは熱が出るみたいです。。。


さらに悪いことは重なり、なんとMGの症状が年明け、その熱が下がった位から悪化し始めたのです。

腕の力が弱くなっていることと、呼吸が少しづつ苦しくなっていることに気付きました。


T医師からは、もしMGが少しでも悪くなってるな、と感じたら、すぐにプレドニンを20ミリに戻すように、と指示を受けていました。

ワタシはその指示を受け、直ちに20ミリに戻し、様子を見ました。


ところがどっこい、日に日に悪くなっていくじゃありませんか・・・

呼吸もなかなか苦しくなり、夜も満足に寝れない日が二日程続きました。

これはいかんです。


そんな苦しい夜が2日程続いた翌日、ついにB病院T医師の外来にワタシは駆け込むことにしました。


当日朝電話して急遽スケジュールを取ってもらってB病院に一人向かいます。


ところがところが、その日の朝、更にカラダの筋肉が劇的に弱ってきており、呼吸も薄くなっており、B病院に向け家を出たはいいものの、なんと満足に歩くことすら出来ません。

途中、地面に座って休まないと呼吸が苦しいのです。

少し休むと回復しますが・・・


これは今までのMGの症状に比べて格段に悪いです。


ワタシはこれはかなりヤバイと考え、途中で救急車かな、とも考えましたが、救急車呼んだ所で、説明するのはかなり面倒です。。。

また、家に引き返してもなす術がありません。

自宅の最寄り駅までなんとか辿りつけば、都心にあるB病院は駅すぐ近くなので、電車に乗って座りさえすれば何とかなりそうな状況でした。

昼間でしたから電車も座れるはずです。

座っていれば呼吸が途中で出来なくなることはまずありません。

この時のワタシは、一刻も早くB病院T医師のもとに辿り着くことがベストと考えました。


家から最寄り駅まで本来10分強なのですが、ワタシは途中、ガードレールに腰掛けて休むなどしながら、なんと45分程かけて、なんとか地元の最寄り駅に着きました。

一瞬、命の危機を感じたワタシは電車に乗り、すぐに両親にメールを打ちました。

おそらくこのまま入院になるのでは?という予感もありましたし、もしそうならなくても、一人でB病院から帰れる自信はありませんでした。

なので両親に可能ならばB病院に来てくれ、とSOSのメールをしました。


ワタシは駅のエスカレーターや、エレベーターを駆使して、徒歩を極力減らしてなんとかかんとかT医師のもとに辿り着いたのです。。。

かなり苦しそうなワタシを見たT医師は驚きながらも、それで全てを察してくれて、すぐに緊急入院の手配をしてくれました。

呼吸がかなり苦しい状態なので、最悪これより悪化した場合は気管挿管の可能性もある、とのことでした。


緊急入院はあまりに痛い出来事ですが、なんとかT医師のもとに辿り着き、命は助かる安堵がありました・・・

ふぅ~・・・


ほどなくして父親が、夕方になり、病室には入院の着替えなどを母親が持って来てくれました。


早速、レントゲンやら採血、MRIをやりました。


すると、新たな展開が待っていました。


多発性筋炎の所見があったのです。


MGと症状は似ているので分かりにくいのですが、どうやらワタシはMGに加え、多発性筋炎も発症しているようだ、とのことです・・・

どうりで・・・

ここに至るまでの悪化ぶりは、それまでのMGの症状とは異質に感じていましたから・・・

これらの病気は詳しくはググってもらった方が早いので書かないですが、両方ともに全身の筋肉が動かしずらくなる、国の特定疾患にも指定されている難病です。

ワタシの場合は両方ともに、おそらく胸腺腫が悪さをしている結果だろう、との予測です。

※この辺については、過去に、

この記事と、

この記事で、

多少書いていますので御参照下さい。


また、胸膜にある胸腺腫の腫瘍も12月のステロイドパルス後のそれよりも大きくなっていました。

やはり正月に出た熱は腫瘍熱だったようで、その時に腫瘍が膨らみ、胸腺腫が勢いを増し、筋炎をもたらした、と考えれば整合してしまいます。

年末にステロイドを減量しましたから、なんか関係あるのでしょうか? 10月の時と一緒です・・・

いかんせん呼吸が苦しい為、なんとかこの筋炎の悪化を食い止める必要がありました。

筋炎をより正確に診断する為には、実際に筋肉に針を刺して組織を病理診断するらしいのですが、悪化著しいワタシにそんなことする余裕は無く、直ちに治療を開始する必要がありました。


本来、筋炎にはステロイド・パルス療法が良く効くらしいのです。

しかし、MGをも抱えるワタシは、このステロイド・パルス療法をやると、一時的にせよ症状が悪化する為、筋炎かMGかが明らかに症状別に判別できない状態ではステロイド・パルスは危険、ということになりました。

確かに、この呼吸の苦しさが、筋炎のみならず、MGの影響も受けているとしたら、一時的に呼吸がさらに苦しくなるので、それはかなり危険です。

別の薬をすぐさまやることになりました。


γグロブリンという薬をやることになりました。

これは、健康な人の血液から作った、いわゆる血液製剤です。

これはラッキーなことに、MGにも筋炎にも、両方に効果がある治療だとのことです。

それなら安心でんなぁ。


ワタシのカラダには、胸腺腫が発していると想定され、MGや筋炎をもたらしていると思われる「悪い抗体」が蔓延しております。

要は、健康な人の抗体を大量にワタシに投与して、その悪い抗体を一時的に封じ込めよう、というモノです。
※いや、間違ってたら失敬です。ご興味あればググって下さい。

効果はまちまちですが、数ヶ月はこの点滴にて一時的に筋炎やMGの症状を抑えることが出来るようです。


緊急入院した翌日から早速その点滴を5日間連続で実施します。

その後は20ミリだったプレドニンを増量しながら筋炎を封じ込める、という作戦でした。

最終的にMGも筋炎もステロイドに頼るしかないんですね・・・



グロブリンの点滴をしている間も、ワタシの症状は徐々に悪化をしました。

グロブリンの副作用で熱も出ました。


結局、気管挿管までは免れましたが、呼吸をアシストする器械が無くては寝れない状況まで呼吸が悪化しました。

首の力を始め、上半身中心に劇的に力が無くなり、日中はほぼ呼吸器を付けて横になっていました。

トイレは自力に行けましたが、やっとこさです・・・

筋力が無い為、トイレに行くのも全力を出さねばならず、常に心臓バクバク、汗ダラダラです。

飲み込む力も弱まり、食事は満足に出来ません。

ヨーグルトとポカリとゼリー中心の食生活、補液点滴でしのぎます。



いや~、辛かったです・・・


ついに胸腺腫がMGや筋炎を連れてきて、その本性を現し始めました・・・


まったく・・・


それまで胸腺腫自体に痛みなどの不自由を感じていなかったワタシは大いに恐怖を感じたのでした。

当然のごとく1月末の予定だった手術は中止になりました・・・


つづく



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Vol.62 過去の扉(24)2011年12月「MGの治療と手術のリスケ」

リスクはあるけど大丈夫だろう・・・


さて、B病院にてMG(重症筋無力症)の検査です。

11月と12月の境目の時期にB病院の外来に2回ほど行き、筋電図といって、筋肉に電流を流す検査などします。

その結果、および血液検査などの所見も踏まえて、あっさりMGとの確定診断です。


胸腺腫の人のうち、3割が発症するとされているMGになっちゃいました・・・

過去の扉の初期にも書いた通り、胸腺腫が発覚した当時にはまさか自分がこれになるとは思っていなかったのですが、ついになっちゃいましたね・・・


引きが強いですね~・・・


ということで12月初旬から、これの治療の為にB病院へ入院です。


ワタシの治療プランは、

ステロイド・パルス療法というのを一度実施をして、それでMGをコントロールしながら、再度胸腺腫の手術に挑もう、というモノでした。


プレドニンをそれまでは経口で30ミリとかを服用していましたが、このステロイドパルスは、1000ミリを超えるステロイドを3日間連続で大量に点滴をする、というモノです。

ソル・メルコート?だったかな?そんな名前のステロイド剤を、プレドニン換算で1250ミリ、3日間連続投与です。
※正確には忘れましたので、間違ってるかもです。

ご興味あればググって下さい。ここでは割愛します。


特筆すべき副作用は無いのですが、これをやると一時的にMGの症状が悪化するそうなのです。


実際に点滴が始まりました。

抗がん剤のような吐き気などの副作用はありません。

ただ、二日目、三日目当たりに不眠と便秘になりました。

不眠はすぐ解消しましたが、便秘は5日程全く出なかったりしたので少し参りましたね。

下剤をどんどん増やし解消です。


そして、一時的なMGの症状悪化も想定通り見られました。


しかしそれも3、4日程で再び回復をし始め、ワタシは理想の計画通りのスケジュールでクリスマス前には退院が出来ました。

ステロイドパルスの点滴が終わった後は、再びプレドニン20ミリを毎日服用します。

その状態で手術に向かおう、との計画です。



しかし一つ問題がありました。

その後の胸腺腫の手術について、この入院中からB病院の呼吸器内科、および外科にも色々と検討をしてもらっていたのですが、結局B病院ではワタシの希望するような手術方法は採用していない、とのことだったのです。

ワタシが希望する、片肺全摘ではなく腫瘍をカラダに残すことを前提で実施する縮小手術的な手術は実施をしない、というB病院の呼吸器外科の判断でした。


出来れば、MGのこともあるので、神経内科のフォローも可能なB病院で全て完結出来れば良かったのですが、これはこれで仕方ありません。

病院には病院ごとの考え方があるのは承知です。


ということで、再びワタシはA病院で手術を受けるコトになりましたが、これの調整はT医師およびA病院Y医師が尽力してくれました。

ワタシがB病院へ入院中にT医師はA病院のY医師と密に連携をしてくれて、Y医師もA病院外科医H医師と調整してくれて、再度1月の末に手術を行うことに決まりました。

ステロイドを常用している状態での手術は、傷の治りが遅くなったり、感染症の危険もある、とのことでしたが、20ミリならなんとかギリギリ許容範囲だとのこと。

リスクはあるけど大丈夫だろう、

とのH医師のメッセージを、T医師が教えてくれました。


当初は12月初旬の予定でしたから、2ヶ月遅れの手術です。

その間に腫瘍が膨らんでしまっている不安はありましたが、嬉しいニュースが一つあり、入院中に行ったステロイドパルス療法により、胸腺腫が少し小さくなっていたのです。

ステロイドの抗炎症作用で小さくなったようですね。


手術が2ヶ月遅れましたが、腫瘍が小さくなったことで、そのタイムロスを穴埋め出来た、と思えたので気分的にも安定しました。


こうして何とかまた再度手術の
目処が経ち、クリスマス前にとり急ぎのMGの治療もこなし、年末年始も自宅で過ごせることとなったのでした。


つづく



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Vol.61 過去の扉(23)2011年11月「MG登場」

あ、これは、もしや・・・


さあ、今日は指の調子も良いのでどんどん書きますよー。


一ヶ月後に手術を控えたワタシは、プレドニンを減量しつつ、それまでの玄米菜食節制生活は多少緩めながらも続けていました。

ジムにも通い続けていましたが、なんか気乗りしない時は行かない、といった感じで、その日の体調と気分に合わせて緩~くやっていました。


一ヶ月後の手術に向けて、心とカラダの調整ですね。

無理ない範囲で外出もして遊んだり、それなりに楽しく過ごしていましたね。



そんな11月の初旬のある朝、ワタシは自分の目がかすみ、二重に見えてるコトに気づきます。

疲れ目かな?、といっても朝一ですし、寝不足でもありません。


これは数日続きました。


一日中、視界が二重に見えてる日もありました。

この間、ジョカノと映画を見に行ったりしたのですが、ワタシはもう片目を閉じないと、視界が二重で映画が見れない状態だったりしました。



こりゃおかしい・・・・



・・・・・



・・・・・



あっ!!!


これは、もしや・・・



思い当たるフシがワタシにはありました。


そう、重症筋無力症(MG)です。


この厄介な病気は胸腺腫とセットで語られることも多いですから、これの知識をワタシは多少持っていました。

その症状の中に、複視もあったはずです。


改めてワタシはネットを紐解き、MGを調べましたが、ますますワタシはMGであることが濃厚と感じました。


というのも、実は9月頃から、

あれ?なんかカラダがおかしいな?

という自体にいくつか直面していたのです。


9月の休職直前、丁度引き継ぎに追われて居る頃、ワタシは首がやたら重くなっていることに気づきました。

引き継ぎに当たっては大量の資料を残業しながらPCでガシガシ作っていたので、いつも悩まされている肩こりの延長で首にも疲れが溜まったのだろう、と、ごく全うな自己診断をワタシは下していました。

これは休職に入ってしばらくすると収まったりしたので、あまり気にしていませんでした。

たんなる、疲れ、だということで。



また、この時期ジムにも行き出したのですが、実は筋トレをしてみると、明らかにおかしい自体に直面していたのです。

腕立て伏せや、腹筋が数回しか出来ないのです。

これは明らかにおかしかったです。

しかし、ワタシは筋トレも数年振りであること、また、この時、玄米菜食生活にて、10キロ程体重が落ちていたので、当然筋力も格段に落ちただろうと思ったのです。

明らかにおかしい、と思いながらも、このような理由から、

でもこんなもんか、これからまた鍛えれば良いか・・・

などと思い、筋トレを続けていました。


また、呼吸がなんだか少し苦しいかなぁ?と思うこともあったのですが、それもあったり無かったりしたので、たいして気にしませんでした。



今思うと、MGの症状が出ているのに筋トレや、水泳までをもやっていたのですから、とても恐ろしいです・・・

ワタシは水泳中に呼吸筋が麻痺して溺れ死んでいても不思議では無かったです・・・

あぶねぇ・・・

だって首が重い時なんかは、あえてプールで泳いで肩をほぐして、その後ジャグジーに浸かれば首もスッキリするだろう!

とか思ってガンガン泳いでましたから・・・

無知とは恐ろしいコトですな・・・



これら首の重さも、カラダの筋力低下も呼吸の苦しさも、よくよく振り返るとどれも異常でした。

しかし、休職間際の引き継ぎの激務の疲れや、体重が落ちていたことなどがブラインドとなり、MGの存在には気付けなかったのです。



ようやく視界が霞む複視の出現によりMGの疑いを持ったワタシは11月の中旬になる頃に、Y医師の元に駆け込み、実はMGっぽい、ということを相談しました。

このA病院には、重症筋無力症を診れる神経内科は無いのですが、運よく、週に一回、他のB病院から神経内科医師が派遣されて外来をやっている、とのことでした。


早速日を改めて、神経内科医師の外来にいきます。

登場するは、これまた今現在に至るまで大いに世話になっている神経内科T医師です。


簡単な筋力テストや、問診をした所、おそらくMGであろう、とのこと。



MGの治療にはプレドニンを使います。

ワタシは今回再発時の7月からプレドニンを飲んでおり、10月にかけて減量をしていました。

そのため、胸腺腫の治療の為に飲んでいたプレドニンが、それ自体MGの症状の緩和にもなっており、今回プレドニンを減らしていく過程にて、複視など、また新たなMGの症状が出てきてしまったのでは?

とのことでした。

9月頃から感じていた首やカラダの筋力や呼吸の違和感は、プレドニンを
服用していた為、本来よりは軽いモノで済んでいた可能性があるとのことでした。



またこの頃のレントゲンでは、腫瘍はさらに大きくなってしまっていました。

これも思い当たるフシが・・・

10月の下旬、丁度外科医H医師の外来にて手術を決めた直後、数日間熱が出てしまったのです。

プレドニンの減量を開始したタイミングなので、それと因果関係があるのかもしれません。


この時、以前経験した尿管結石と同じような痛みが腰、というか腎臓にあり、地元の泌尿器科を受診しましたが結石は見当たらず、また、熱の原因も分からず、その熱は数日で引きました。


これはおそらく腫瘍熱で、この時に腫瘍が増悪したのでしょう。

この腫瘍の増悪と、プレドニン減量に併せて、MGの症状が強く出てきた、というとかなり整合が取れると思います。


実際に神経内科T医師の外来を受診する頃には、プレドニンの服用も終わっており、カラダの筋力もより弱くなり始めていました。


T医師はB病院の医師です。

T医師からの提案は、一度神経内科の機能が整っているB病院にて検査をして、確定診断を付けた後、B病院に入院してMGを治療しよう、というモノでした。

つまり、12月に予定した手術は一旦白紙です。


重症筋無力症はワタシは初見ですし、このまま全身麻酔の手術に踏み切るのは危険、との判断になりました。

重症筋無力症は悪化すれば当然動けなくなりますし、呼吸筋がやられてしまうと最悪の場合は気管挿管して人工呼吸器です。

手術に踏み切っても、MGが悪化してそうなってしまってはQOLも何もありません。

とにかく慎重にやろう、とのことです。


これについて、このT医師の外来の後、再度Y医師の外来に行ったのですが同じ意見でした。

Y医師が言うには、A病院には神経内科の機能が無い為、胸腺腫まで含めて総合的にフォロー出来るB病院に一度行った方がいいよ、とのことでした。

B病院にはもちろん呼吸器内科もありますし。



手術が伸びてしまうことは実に残念ですし、不安でなりません。

しかし、MGも怖い病気ですから、致し方ありません。


T医師の提案に従い、ワタシは今現在入院していて、ここでようやく登場するB病院へと入院することになるのでした・・・


つづく



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Vol.60 過去の扉(22)2011年10月「カラダの本音は?」

頑張ってみますか・・・


さぁ、ペースUPしてどんどん書いて現在に追いつきたいです。

早くこのブログのゴッドファーザーPart2状態を解消したいと思います。


アルパチーノに当たる現在のワタシは今入院中で、カラダも元気になりつつあるので暇です。

元気になればなるほど入院は暇ですね・・・


過去の方の主人公、ロバートデニーロに当たるワタシは仕事を休職し、早一ヶ月を過ごしていました。

2011年7月再発時から始めた玄米菜食節制生活にもかなり馴染み、10月になる頃には体重が10キロ以上落ちていました。

もともと好きな時に好きなモノを食べる不摂生をしてましたから、10キロ落ちても適性体重をやや下回る位で丁度良いのでした。

ちなみに今現在のワタシはさらにそこから8キロ落ちて、すっかりヒョロ男となっています。


体調も良く、仕事のストレスからも解放され、まさに心身ともに充実していました。

そんな中、この10月、7月から始めたホルモン療法の定期点検の為にY医師の外来に行った際に、思いがけない事実を突き付けられます。


腫瘍が大きくなっている、とのことです。


ホルモン療法は効いていない、との判断になってしまいました。

この日より、プレドニンを中止すべく、減量開始です。


これはショックでした。


体調も良く、精神的にも充実していたワタシは、きっと治療も上手くいくだろう、と自信を持っていました。

腫瘍がどんどん小さくなる、と過度に期待はしていませんでしたが、まさか悪くなっているとは夢にも思っていなかったのです。


ワタシは、

何故だろう?と考えました。


それまで、規則正しい玄米菜食節制生活を徹底し、ジムにも通い、充実していましたが、それに「こだわり」過ぎたかもしれません。

「これをしなければ、後が無いんだ」

と、ある意味強迫観念に駆られていました。


実際のところ、充実していた、というのは錯覚で、カラダはそれを求めていなかったかもしれません。



再発をきっかけに、

「変わらければいけない」と、

強く意識した結果のこの数ヶ月でしたが、その意識がブラインドとなり、カラダの本音を聞くことが出来ていなかった、ということだと思いました。


これを機に、強い意識でカラダを拘束するのをやめようと考えました。



節制は緩めました。

食べたくなったモノは食べましたし、お酒も解禁しました。


もちろん、玄米菜食節制生活はまだ数ヶ月ですから、これだけで成果が出るモノでは無いかもしれません。

しかし、この腫瘍が大きくなった、という事実にショックを受けたワタシは、あっさり方針転換をしました。

カラダの本音を聞く努力を心がけよう、そうやって方針転換です。




さて、

その後の治療をどうするか?

ですが、

再度手術をしよう、とのY医師の提案でした。


詳しく話を聞くため、再び一回目の手術を執刀してくれたH医師の外来を訪ねます。

H医師によると、胸膜の腫瘍は癒着の心配はもちろんあり、開けてみないと分からないものの、再び前回と同じく左肺を今のまま残して腫瘍だけを剥がせる「だろう」とのことでした。


H医師から、

もう一回手術を頑張ってみますか?

とのお言葉。


断る理由の無いワタシでしたから、そのままお願いをします。

手術は約一ヶ月後の12月初旬の予定となりました。

この時10月の末、冬の足音をそこまで感じながら、

あぁ、またあのオシッコの管やるのかぁ~、と思いながらA病院から家路についたのを記憶しています・・・


つづく

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Vol.59 過去の扉(21)2011年8月~9月「闘病の始まり」

休職させて下さい・・・


2011年7月に再発を告げられ、ワタシはホルモン療法をすることとなりました。

抗がん剤に凝りていたワタシですから、Y医師もこれを提案してくれました。


プレドニン30ミリを毎日内服するというものでした。

これにより胸腺腫が縮小する例があるようです。

様々な副作用は心配ではありましたが仕方ありません。


仕事はそのまま続けました。


この再発をキッカケに考え方が変わったワタシは仕事をとりあえずは従前通り続けながらも、

「カラダを健康にする為に何かしなければ・・・」

と、真剣に考え始めました。


ここからがワタシにとっては本当の意味での闘病の開始でした。


これまで現実から目を背けるようにしていたワタシは、当然ガンに関する書籍や情報に必要最低限以上は触れていませんでした。

なのでこのタイミングで様々な書籍を読み漁り、闘病の心構えや実践すべきことを自分なりに考え始めました。



ワタシはまず、それまで乱れきっていた食生活をまず改めたい、と思いました。

世間的にもベタにはなっていますが、玄米菜食を実践してみました。


仕事をしながらですから、完全には出来ませんでしたが、出来得る限りのことをしました。

野菜中心に採り、主食は玄米です。

会社に玄米おにぎりを持っていったりしていました。

肉は避け、酒も止めます。

もともと野菜好きなワタシでしたので、これは苦なく出来てしまいました。

酒も肉も好きですが、もともと多くのこだわりを持たないワタシは、別にそれらが無くても大丈夫でした。



もう一つ、仕事をどうするか、考えました。

再発してしまったからには、その再発をもたらしたと思われるそれまでの生活を変えなきゃならない、

という考えがありました。

よって、人生のポートフォリオの多くを占める仕事との関わり合いも考え直さねばなりません。


今の仕事のストレスは大きく、この仕事をこなしながら、カラダをケアすることはワタシには出来そうにもありませんでした。

仕事のストレスもある程度は必要だとは思っていますし、仕事をしながらガンが治れば、なお良しです。

しかし、このままカラダをケアしつつ、今の仕事をある程度セーブして続けたとしても、ワタシの気持ち的にも両方が中途半端になることは明らかでした。


ワタシは悩みました。


ワタシが今、一番優先すべきは仕事ではなくカラダです。


それにもう後がありません。


仕事とカラダの両立にもう一度チャレンジしても、失敗は許されません。



ワタシは、

カラダのケアに全精力を傾ける

そう結論を出しました。



思いきってカラダの為に仕事を休むことにしました。

家族も賛成してくれました。


丁度、秋の人事異動のタイミングが迫っていましたから、それに併せてワタシは会社に一年間の休職を願い出て認めてもらいました。

一年で病気が治る保障は無いですし、一年という期間に具体的根拠はありません。

切り良く一年、というだけです。


試しに一年、とにかくカラダのケアに全力を尽くし、ワタシは何かしらの成果を得よう、と考えたのです。

一年後のことは、その時考えることにしました。

ワタシにとって大事だったのは、「今」カラダの為に何をするか、でした。



9月に休職の予定となり、それまでは引き継ぎに追われました。

これは大変で、かなり残業もして無理をしましたが、中途半端にして会社に迷惑をかけることは出来ませんし、これを乗り切れば休職に入れる、ということもあり、ワタシはラストスパートの意味で頑張りました。



9月に入り、休職に突入すると、玄米菜食を徹底し、運動して体力もつけるべく、ジム通いを開始しました。

ほぼ毎日、近所のジムに通い、
泳いだり、筋トレしたりして、サウナやジャグジーに浸かり、帰って来ては好きな本を読み・・・

まるでセレブ奥様のような生活となりました。


とにかく、やりたいコトをやって、精神的にも充実させることを心がけました。

カラダの免疫は心の問題が大きいはずだと考えました。


こうしてワタシの休職生活はストレスからも解放され、実に充実したスタートとなっていました。

この調子で腫瘍の拡大を防ぎ、今のQOLを永く維持出来ていければ良いなぁ~、と夢を膨らませるのでした・・・


つづく

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Vol.57 過去の扉(20)2011年7月「再発により目覚めたワタシ」

このままじゃ、いけないんだな・・・



過去の扉シリーズもようやくここから後半戦です。

え、やっと後半!?・・・長いですね・・・

読むの疲れましたよね?

そこを何とか・・・m(_ _)m

ここからも面白いハズなんで・・・



後半開始は一年半程の未来の話となります。

というのも2010年1月に手術をしてから、この2011年7月までは経過観察の無治療で済んでいたんです。


手術後は数回ほど執刀医H医師の外来に行き、その後は再び内科医Y医師の外来に2ヶ月に一回通って経過観察でした。

レントゲンを2ヶ月毎に撮り、CTは半年ごとに撮ります。


2011年1月、オペ一年後のCTにて、胸膜部分に怪しい腫れが出来ていました。

しかし、オペの反動で腫れが現れる場合もあるらしく、まだ小さい腫れですから引き続きこの時点では経過観察、となっていました。


その半年後、2011年7月のCTでは、残念ながらその腫れは成長してしまっており、これは治療を開始しよう、となりました。


そう、あっけなく再発です。


実際の所ワタシはオペの時点で播種の腫瘍を体内に残しております。

今回はそれが大きくなったと思われる為、正確には再発とは言わないのかもしれませんが便宜上再発ってことで・・・



さあ困りました。



いや、播種の腫瘍は体内にあったのですから、いつかこうなるだろうと・・・

それは、分かっていた「はず」です。



しかし、この再発は意外にワタシにショックを与え、これまでには無かったテツガクをワタシに与えることになります。

ワタシのテツガク的にもここは後半戦開始に相応しい分岐点でした。



手術後のこの一年半を振り返ります。



ワタシは2010年1月に手術を受け2月に復帰した後の春、2010年4月に職場が異動していました。

これはワタシが願い出て会社が調整してくれたのです。


抗がん剤や、手術をした直後、ということもありましたから、ある程度の期間、数年くらいはカラダを優先し、ケアをしながら仕事が出来ればと思っていました。

会社も気を使ってくれて、ワタシを実家から通える勤務地へと異動させてくれたのです。


とはいうものの、その新たな職場は実家から通える、というだけで激務は激務で変わりはありませんでした。

新しく覚えなきゃならないことや、勉強しなきゃいけないことは増え続けました・・・


とてもカラダをいたわりながら片手間で済ませられる仕事などはありません。

それにワタシが病気だから、といって部署全体の仕事が減る訳でもありません。


新しく得られるコトに対してのやり甲斐はありました。

しかし、ストレスもかなり溜まっていきました。


ワタシはカラダそのもの自体は元気になっており、抗がん剤もやってはおりません。

なので、そのストレスを解消する為に暴飲暴食もしたりしました。

それが災いして、ゼイタク病の代名詞たる尿道結石になったりもしましたから・・・w

あれは痛かった・・・

かなりカラダには無茶をかけていましたね・・・



ワタシは腫瘍がカラダに残っていることなどはすっかり忘れ、というより、わざと見ないフリをしていたかもしれません。


日々の仕事の忙しさや、ストレス、はたまた、それを発散する為の目先のやりたいコトなどにかまけて、すっかりカラダのことは怠っていましたね。


現実から目を背け、昔と同じ、元通りの暮らしをしていました。


このままじゃ、いけないんだろうな、

とはアタマのどこかで分かっていたはずなのですが、一年半もの間、経過観察で済んでいたので、その結果に慢心もし、これでいいのだ、と誤解し、ズルズルと一年半来てしまった感がありました。


でも、この「病気になる前に戻る」


ことは、手術の直後は希望していたことでもあったのです。


元の暮らしに戻り、「病気を忘れて過ごす」ことを望んでいたのです。

このままでいいのかな?、と思いつつも、元の暮らしをエンジョイすれば再発もない!・・・とでも思っていたフシのが強かった、ということでしょうか。。。


この間の、いわば「元通りの暮らし」は充実している、といえば充実していましたね。

左肺を半分失い、体力こそ昔とは違いますが、特に出来ないこともありません。

抗がん剤からも解放です。

仕事のストレスは大きかったですが、まぁそんなものは病気と関係なくどこにでもあるコトです。


実際カラダのことは多少心配してはいたでしょうが、特に何かを実践することはなく、構わず日々仕事をしていた感じでした。




元通りの暮らしを取り戻す・・・

はて・・・???


ワタシはどうしたかってんでしょうか?



ワタシは思うに、

過去に戻って、人生をやり直すことで、それ以降起きたことを忘れようとしていたのかもしれません。

若くして癌になる、という、この忌まわしい現実を無きモノにしてやろう、と思ったのでしょう。



抗がん剤からも解放されましたし、あの忌まわしいCTの写真に写るグレーの影も無く、カラダはすこぷる元気なのです。

なのでワタシがそんなあり得ない幻想に囚われてしまうのも無理なかったかもしれません。



しかし、これは明らかに間違いでした。




そんな都合よく人生はやり直せません。

「現実」という、とてつもなく強大なパワーは「再発」という形で、この一年半、ある意味過去に浸って生きていたワタシを現実へと再び引き戻します。

決して過去には戻れない、というごく当たり前のそれを、ようやくワタシに気づかせてくれたのです。



いい加減、現実を直視する必要がある・・・

このままじゃ、いけないんだ・・・


ワタシは真剣にそう考え始めました。


手術の後、

「元に戻れるんだ!」

という発想をしたことがそもそも間違いでした。

大いに後悔です・・・



過去に戻れる!!

ではなく、

今の自分の現実をしっかりと捉え、今からを生きる!



そういう意識が必要だったんです。



気づくのが一年半遅れました・・・

いや、病気が発覚した時、限り無く早くワタシがこれに気づき、実践できていたら・・・

そう考えると2年遅れましたかね。

ようやく目が覚めました。


こうして再発をきっかけに、病気発覚からこれまで何となく惰性できてしまっていたワタシも考え方が変化し、この後、一つ大きな決断をするのでした。


つづく

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Vol.56 過去の扉(19)2010年1月~2月「あっという間の退院、そして復帰」

抜いてください!!!


一般病棟に移ってからも、ワタシはほぼ動かず過ごしていました。

傷の痛みとオシッコ管による苦痛は続きます。


しかし、看護師や先生や家族と話す時間が増える分、気も紛れます。


看護師と病棟を歩く練習をします。


オペ2日後の水曜日でしたか、朝、夕と、歩く練習をしますが、段々とカラダも動くようになります。


目下の急務はオシッコの管をどうするか、です。

この病棟には男性の看護師が一人居たんです。


これは助かりました~


チ○コの不快感は男性にしかわかりません。


オシッコの管いつ抜けるの?


ワタシは男性看護師に聞きます。


自力でトイレまで歩けます~?


看護師が聞き返します。



歩きます!さっきも病棟内一周したし、っていうか歩くとも!この管を抜く為なら!

抜いて下さい!頼むから!!


じゃあ抜きましょうか?先生に聞いてきますよ!!



やった・・・男性看護師ナイスな動き!!



地獄の2日間が終わる・・・



程無くして男性看護師が抜きに来てくれます。

これも男性看護師にやってもらってワタシはよかった・・・

経験の浅い小娘看護師にワタシの大事なムスコは任せられまへん。

せめて同じ痛みを理解してくれそうな男性でよかったw


じゃあ抜きますね~


は、はい・・・


緊張します。



ブチッ!



オゥッ・・・(;゜0゜)



ワタシのムスコの先っちょに一瞬激痛が!



抜けました・・・



ふぅ~



この後しばらくは抜けた衝撃の痛みがありましたが、程無くして収まりました。


っていうか、オシッコ管ネタで引っ張り過ぎだろ、って思うでしょうが、それだけワタシには大きなコトだったのです・・・

この管が抜けてようやくワタシの手術が終わった、と言っても過言じゃありません。

ワタシにとって、

手術=オシッコの管

なんです!!



この後、傷口から出ているドレーンや、背中に刺さってる麻酔も抜けます。


食欲も一気に出て、点滴も取れました。


いや~、このカラダの管や線が全部取れてからのワタシの回復っぷりは凄まじかったです。


それだけ苦痛だったんですね・・・


その後はすぐにシャワーも浴びれましたし・・・



そして月曜日オペをして、その週の金曜には外泊をしました。

一度家に帰り、週明け月曜日にまた来てレントゲンやら検査をしましたが、問題無く退院しました。

傷の痛みと、それに伴う微熱は続いてましたが、退院で良し、とのことです。

あっという間ですね。

脇腹を真っ二つに切られる手術を月曜日にして、金曜日には帰れちゃうんですから・・・

技術はすごい・・・



実際にキツかったのはオペの後からオシッコ管が抜ける2日間くらいです。

もちろん、傷の痛みとはその後闘うことになりますが、それも日を追うごとに回復を実感出来ます。


ワタシ的には抗がん剤治療より遥かに楽でした。


家に帰ってから、翌月2月の末に仕事に復帰するまでは自宅静養です。

当時は一人暮らしでしたが、実家の世話になります。



傷は痛みました。

横になりカラダが圧迫されると、やはり痛いです。

夜間、寝ても痛くて2、3時間ごとに目が覚める生活が一週間は続きましたかね??・・・

ロキソニン的な痛み止めはあまり効きませんでしたが、なんとかこの時期は凌ぎました。

家に居ましたから大分違います。


痛みと、それに伴う微熱が落ちついた頃からは、日中リハビリを兼ねて母親と近所のショッピングモールに片道20分程歩いて行ってご飯を食べたりして過ごしました。


この時期に、新しく猫を買ったりしました。

過去の扉の初めの方で書きましたが、あのスピリチュアルな激痛をもたらしてくれた可能性のある先代猫が2008年末に死にまして、そんでこのタイミングで2代目猫購入です。

まぁ勢いですかね。



そんなこんなで、仕事に復帰する前には痛みもまぁ落ちついていましたから、ワタシは一人暮らしの住まいに戻り、復帰に備えます。


激しく動くとまだ痛みはあります。


左肺を半分取りましたから、肺活量が減ったのは実感させられました。

まぁでもスポーツ選手でもないワタシの日常にはほぼ影響は無いレベルです。


前年末までやってた抗がん剤の影響で、まだ髪の毛は生えていません。

またワタシは前と同じく、ヅラを被って会社に戻ります。



手術を乗り切りました・・・

仕事への復帰をもって終わりました・・・



ワタシを苦悩の中へと導いた、あのグレーの影もCTの画像から消えています。

日に日に傷の痛みが癒えるのと相まって健康になるのが実感出来ます。


これまで抗がん剤と手術と、決して能動的に立ち向かって治療する、という感じは無く、なんとなく医師の言うまま惰性でここまで来ましたが、ワタシの心は充実していました。


人生初の大きな手術を一つ乗り越えたことで、一段落、やり切った感はありましたかね・・・


また仕事に戻り、前と同じ日常です。

抗がん剤をやることは無く、病気発覚前の生活が取り戻せるはずです。


ワタシはワクワクしながら過去と同じだと期待する、戻れるはずの日常へ戻ったのでした。


つづく。

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Vol.55 過去の扉(18)2010年1月④「ICUで地獄のひと時」

大きくなるとしても、年単位の話でしょう。


オペが終わり、ICUでは面会が限られてしまうので、家族も夕方までには帰って行きました。

ワタシは身動き一つ取れませんし、頭もモヤモヤしてカラダを動かそう、という気力すらありません。

カラダに沢山の線や器具がついているのは分かるのですが、アタマを起こす気力も起きません。


ほどなくして、ワタシは圧倒的な不快感に気付きます。


原因はオシッコの管です。


これは苦痛でしたね~

残尿感、というより、今にもオシッコが出そう、という尿意が永久に続く感じです・・・

ワタシは特に体質的にこれが合わなかったのでしょうか??

すげ~苦痛でした。


看護師さんに言ってみても、

大丈夫ですよ、問題なくオシッコ出てきてるから、大丈夫、大丈夫。

としか言ってくれません。


カラダは動かないので、1時間ごとくらいでしたか、看護師さんが寝返りをさせてくれるんですけど、その度にオシッコの管に何やら圧がかかるのか、尿がチ○コに押し戻されてくる感覚がしてそれはまぁ苦痛でした。。。


仕方ないですね、我慢するしか。


オペの後、夕飯が普通に出てきました。

カラダ動かないし、頭もモヤモヤするし、ワタシは当然食べれません。

食欲は0どころか、マイナス50位です。

看護師さんに水くらい飲ませてもらいましたでしょうか・・・


ワタシは看護師さんに聞きました。


こんなオペ直後から飯を普通に食べれる人なんかいるの?? と。

どうやら、年配の人の中にはあまり痛みを感じないのか、普通に食べる人もいるようです。

結局ワタシはオペ後3日目くらいでようやく食欲が出てきて、食べ出した感じですから・・・



オペの日も夜になり、ICUも静かになってます。


ワタシの寝ている所の近くに時計がありましたから時間はわかります。


ワタシと同じタイミングでオペだった人が数人、部屋に居たのは気配で分かりますが、カラダを起こして辺りの様子を見回すことは出来ません。

ワタシは動けず、ただただ時間が過ぎるのを待っているだけです。

オシッコの管の苦痛に耐えるだけのこのICUはまさに地獄・・・

過ぎるのを待つだけの時間というのは長いし、苦痛なもんです・・・



そんな静かなICUの中、白衣の人が一人、ワタシに繋がっている計器やらをチラチラ見てるコトにふと気付きました。


執刀医のH医師でした。



あぁ、どうも、ワタシさん、気分はいかがです~?



あぁ、先生・・・・

どうもありがとうございました・・・



事前にご説明した予定の通りオペできました。

左肺も半分残し、取れる腫瘍は全部取りましたよ。



あぁ、そうですか・・・

ありがとうございました・・・



ただ、やはり2、3ミリのレベルの小さいモノは沢山あります。これは取り切れないので残したままです。

でもそれが今後大きくなるのか、どうか?それはわからないし、大きくなったとしてもそれは年単位の話になるでしょう。





寝ているワタシの顔を覗き込んだH医師とそのような会話を交わしました。

どうやら当初の想定通りのオペが出来たようです。


よかった、よかった。


小さい播種の腫瘍は取りきれないだろう、というのも想定内です。





さぁ、地獄の夜もなんとか明けて翌日、朝飯はワタシは牛乳だけ飲めたのを覚えています。

この日の夕方でしたか、もう一般病棟に移るとのこと。

それに向けて午前中から立ち上がる練習をさせられます。

以外に立てるモノだ、と思いましたが、かなりフラフラしました。



夕方、手術前に着ていた浴衣に着替えさせられて一般病棟に帰ります。

あれ、ということは今まで何着てたの?

いつ着替えさせられたの?


そんな疑問も湧きつつ・・・


看護師さんが数人、ワタシを裸にし、管が刺さった恥ずかしい部分も含めて濡れたタオルでゴシゴシ汗を拭いてくれます。


あらいやだわ・・・♡♡♡


などという羞恥心や、

多数の女性に局部をぞんざいに拭かれる、というドM的な興奮、


・・・なんかは当然感じる余裕は無く、ワタシのオシッコの管による不快感と傷の痛みによる地獄は続いています。



なんとか車椅子に乗りのみ、手術前に居た病棟に帰ります。

家族とも再会です。

なんとか地獄のICUを脱出して、再び家族に会えたのはホッとしましたね、そんな記憶があります。


一般病棟といっても、この時はまだ一番ナースステーションに近い、観察室的なベッドです。


ワタシはまだICUも丸一日で済みましたが、人によっては数日とか一週間居るようですね・・・

多分ワタシは気が狂ってしまうと思います・・・(~_~;)

そう考えると、まだまだマシなワタシなのでした。


つづく。

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Vol.53 過去の扉(17)2010年1月③「手術はタイムスリップ」

ここに・・・いれば・・・いいよ


オペの朝になりました。

家族も朝早く集結してくれています。


ワタシはなんとも恥ずかしい、フンドシみたいなモノの上に、病院指定の、ビジネスホテルに備え付けのダサい浴衣のようなモノを着ます。

自分でそれに着替えるシチュエーションがまた虚しい・・・


一つ、やらなきゃいけない事がありました。


ウ○コを必ずして、それを看護師に確認してもらう、ということです。

オペ後しばらく動けないので、出来る限りカラダを空っぽにしなければ、ということでしょうかね。


でも・・・

排泄物を見てもらうなんて・・・

ねぇ・・・

どんなプレイだよ、と思いつつ。


所がワタシ、前の晩に下剤は飲んでたはずですが、当日なかなか出ませんでした。

緊張してたのでしょうか?


そうなると、さらに強力な下剤を飲まなきゃいけないらしいのですが、この日担当についた若い看護師が病棟でも一番忙しい月曜日の朝、ということもあり、ワタシに下剤を与えるタイミングが遅くなったみたいなんです。


すると、遠くの方で、その看護師がなんとオバハン副師長さんに何やら怒られてるじゃありませんか。



え、ワタシさんの下剤、これからなの?


はい・・・


遅いでしょー!!あなた!!オペ9時なんでしょ~!!



・・・・・

あの~、それ俺に聞こえてんだけど・・・


結局下剤を飲んで、なんかワタシも気を使って、早くウ○コしないと、と頑張ってしたのを覚えてます・・・


やれやれ・・・



そんなこんなでストレッチャーに乗せられオペに向かいます。

実はオペ室に行くまでの間、すでにこの状態で予備麻酔的なモノを注射されるんですね。

そんでもってこれ以降の記憶があまり無いです。


家族がどんな様子だったか、

どんな会話を交わしたか、


覚えてません。


意識朦朧とした中で、オペ室に入る前に、ワタシと同じようにストレッチャーに寝させられている人が結構沢山並んでいたのを覚えてます。

同時にオペする人が沢山いたみたいです。

後で家族に聞きました。


家族はワタシのオペ中は、これまた院内PHSを持たされて、オペが終わってICUで面会が可能になったら連絡が来る、という仕組みだったようです。



さて、ワタシはオペ室に入ります。


手術の器具を準備する、

カチャカチャ、キンキン、と、

冷たく乾いた金属音が響いています。

緊張を煽る嫌な音です。



見知らぬスタッフが沢山います。

ワタシは照明で照らされ眩しいです。



H医師はまだ姿がありません。

H医師の元についている助手のM医師が居たので少し安心したのを覚えてます。


あぁ、始まる・・・

と感じたのは覚えてます。



ほどなく麻酔担当のおじさんが近づいて来て、ワタシの口にマスクを装着し、


はい、ワタシさん、じゃあ深呼吸をしましょうねぇ~、


吸って~・・・・



ここで完全に記憶が切れました。



・・・・・・・



・・・・・・・



・・・・・・・




ワタシさん、

ワタシさん、

女性の、おそらく看護師さんの声です。


ワタシ、

ワタシ?

それに交じって家族の声もします。



あぁ、終わったんだ・・・


午後1時位に終わったそうです。都合3、4時間ですね。


麻酔医の、吸って~、

から、ここまでは、ワタシにとっては一瞬の出来事でタイムスリップ感覚でした。

しかし、家族に至ってはとんでもなく緊張の、長い時間だったようです。

ジョカノに後で聞いた所、母親はイライラし、父もタバコばっかり吸いに行き、、、

そんなかなり気まずい空気の数時間だったようです。

そりゃそうですよね。





手術直後、やたら眩しく、目があきません。

手術中は、目をテープで留められているようで、そのテープの粘着剤が目に染みているような感じもして、本当に目があきません。


眩しい・・・

目があかねぇ・・・


ワタシはそればっか言っていたそうです。


ワタシは目を閉じたまま、手を延ばします。


ジョカノ・・・


ジョカノが手を取ってくれます。


ここはICUなので、少しの時間しか面会出来ず、早々に家族は引き揚げねばならなかったそうですが、ワタシは嫌でした。


ジョカノに対して、


ジョカノはここに、いれば、いいの

と言いました。


看護師さんも、ジョカノにある程度長居を許してくれたようです。


依然と眩しさで目を閉じたままでしたが、それに紛れ、それを理由に誤魔化してワタシは泣いていました。

家族の前でオイオイ泣けはしませんから、眩しい、と喚きながら泣いたのです。


一つ、大きなポイントを乗り越えた安堵感があったのです。

家族皆で乗り越えた感がありました。

嬉しかった。

何故かわからないけど安心したんですね。


これで胸腺腫とオサラバでは無いのは分かっていましたが、安心したのです。

無事にまた家族のもとに帰れてよかった。

家族を安心させれてよかった・・・



誰に対して、

何に対してでもなく、


ありがとう


と思いながらワタシは泣いていました。


つづく

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Vol.51 過去の扉(16)2010年1月②「術式の選択」

理論的には腫瘍は全部取れます。


手術の為いよいよA病院に入院します。

抗がん剤をやっていた時と同じ病棟でしたので、慣れっこです。

看護師さんらとは、

あら今度はオペなのね~、

なんて話してた記憶がありますね。


初日に早速主治医と打ち合わせをしましたかね。


ここで登場するは、今現在も世話になっているA病院の外科医H医師です。


あれ?・・・

例の名医N医師が切ってくれるんじゃないの??・・・

とワタシ一家は思いましたが、まぁこういうものなのかな?

確かに年明け外来の時に、

先生に執刀して頂けるのか?

は確認してなかったし・・・


はたまた、N医師は著名なので、実弾を渡さないと切ってもらえないのかな?

などと考えましたが、ワタシはあまり気にしませんでした。


H医師は比較的若い先生でしたが、しっかりとしている感じでしたので、不安はありませんでした。


H医師からオペの段取りの説明です。


胸腺腫のオペは、胸の肋骨を一度切ってしまい、正面からアタックする方法と、

脇腹を割いて、胸腔鏡、いわゆる内視鏡を突っ込んでやる方法とあるようです。

これはそれぞれメリット、デメリットがあり、どちらを採用するかは、患者の状態云々もあるのでしょうが、病院の考え方に拠る部分が大きいみたいですね。


前者の方法は腫瘍の取りこぼしを限りなく防ぎ再発防止を重視し、

後者の方法は手術の負担を限り無く少なくすることを重視、

ということでしょうかね。


ワタシは後者、脇腹から胸腔鏡でやるとのことでした。


この当時は特にどちらの方法が良いか、ワタシは予備知識があまりありませんでしたし、別に今となっても良く分かりません。

A病院のやり方に従ったまでです。



それとは別に一つ、今度はH医師から選択を迫られました。


それは片方の肺を全部取ってしまうか、どうするか?です。


ワタシの場合、左肺に播種してはいるが、CTによると、今の所左肺にしか腫瘍は見られないため、左肺ごと全部取ってしまえば理論的には腫瘍は全部取れる、ということでした。


もう一方の方法はCTで見える、大きく見えている腫瘍だけを取る、というものでした。

左肺を出来る限り残す方法です。

一つの播種層が大きい為、左肺は半分はいずれにせよ取らなきゃならないだろうけど、半分は残せるのでは?

とのことでした。


これは難しい選択だと思います。


しかしワタシはさほど迷わず後者の左肺を極力残すよう、H医師にお願いしました。


これはそれ以前の段階で内科医Y医師とイロイロ話をしていたからすんなり決められましたね。


片肺を失うと、QOLは著しく低下します。


理論的には全部キレいに腫瘍が取れたとしても、他の場所にまたガンが出来たり、他の病気になった時には片肺のそれはかなりのリスクになるでしょう。

単純に考えてエンジンが片方になるのはリスキーです。

この当時のワタシの感情も今と同じく、完治を目指す、というより上手くコントロールして永い付き合いが出来れば良い、というモノでした。

まぁ病気発覚当時、すでに末期でしたから、こういう考え方になるのは必然でしょうかね。


Y医師ともイロイロ話す中でワタシはこう考えるに至りました。

Y医師は当然、どっちにすべき、とは立場上言えませんが、口振りや雰囲気ではワタシの考えに賛成してくれているようでした。



こうしてワタシは腫瘍をある程度カラダに残すことを覚悟して手術に望みます。

この胸腔鏡手術は負担も軽く、術後一週間程度で退院出来るだろう、とのことでした。

左肺全摘の方法の場合は、負担も大きく2週間以上はかかるだろう、とのことでした。



脇腹からカラダを切って、肋骨の合間を通してよくも心臓近くの腫瘍が取れるモノですね。

不思議に思いました。

録画して、後で見てみたい気もしました。



オペ当日までの間は検査をしたり、麻酔やら何やら、諸々の段取りを聞きます。

輸血や麻酔の同意書やら、やたらサインを迫られた記憶が・・・


浴衣など、必要なモノを揃えたりして手術に備えます。

前日の夜からでしたかね?絶食をして下剤を飲んで寝ます。


ここの数日は何を思ってましたかね?・・・

あまり覚えていません。

ってことはたいして何も無く、落ち着けていたのでしょう。

眠れなかった、という記憶もありません。


という訳でオペ当日の朝になります。

ワタシのオペは朝9時からです。

月曜日でした。

一月末は一年で最も寒い時期です。


つづく

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Vol.49 過去の扉(15)2010年1月①「手術をお願いします。」

若いんだねぇ~


激動の2009年が終わり新年の幕開けです。

1月末の予定の手術を受けるに当たって、年明け早々に外科医の外来を受診しました。


登場したのはA病院の呼吸器外科部長N医師です。


ワタシを見るなり、カルテと見比べ、

あれ、若いんだねぇ~

なんて言います。


え、今始めてカルテ見てんのか・・・?大丈夫か・・・?

と一抹の不安・・・


かなり年配で、教師のような語り口です。

百戦錬磨なのでしょう、かなりオーラはあり、とっつきにくそうな感じでしたが、話は分かりやすく、的確だったのを記憶しています。


話のポイントとしては、

・原発の胸腺腫も大きく、心臓に近く、播種層含めて癒着も心配だが、なんとか腫瘍のみ剥がせると踏んでいる。だから手術をしよう、となった。

・手術が上手くいき、10年でも15年でも生きられれば、例え再発してもその間に薬が開発されてるかもしれない。

・若いし大丈夫だよ


そんな感じでしたかね?


結構あっけらかんと大丈夫だよ、みたいに言われたので、意外に拍子抜けしましたが、安心もした記憶があります。


後になって知ったのですが、このN医師は呼吸器界隈では著名な外科医のようで、雑誌のそれっぽい特集では度々名医として挙げられている先生のようでした。


どうりで大御所感丸出しだった訳です。

事前にこのことを知っていればもっとイロイロ話聞いて見ても良かったと思いますね。

名医だそうですから。


そして手術を受けることを正式に決めました。


というか、抗がん剤が効かない以上、手術をしない、という選択は無かったんですけど。

この日に入院の予約をして帰りました。


手術は一月末で、その数日前に入院です。

ワタシは入院する1日前から休暇を取りました。


それまでは引き継ぎに追われました・・・


それに抗がん剤から開放された、ということと、オペ後はしばらくは不自由になるだろう、ということからか、仕事をしながらも、結構酒を飲んだり、遊んだりしていた記憶があります。


とても手術に向けて大人しく体調整える、という感じでは無かったですね・・・


こうしてバタバタと仕事も休暇に入り、入院初日を迎えるのでした。


ツズク

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