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ワタシはカラダをテツガクする

病気が集まってくるカラダを自慢している。 生きてる以上テツガクするしかないね。めんどくさいけどね。

Vol.425 死の淵シリーズ1年 → あとがきのあとがき



改めて書きます


気付けば8月じゃないっすか・・・

一年前の7月末に心臓で倒れた一件を、死の淵シリーズと題して書きました。

改めて1年経ったこのタイミングで見返して、当時を懐かしんだり、センチに浸ったりしています。


当然に当時のワタシは死にかけており、記憶が曖昧です。

書いた当時、覚えていたことは全て書いたつもりでありますが、この1年で家族や病院の人と話をする中で、新たに知った当時の状況や、ワタシの記憶が違っていたことがいくつか出てきていますので、少しではありますが、一昨日8月1日付けでそれらを追記しました。

あれほどの出来事でしたが、当然、時間が経つにつれて記憶も薄れていくものですから、残しておくものは早めに残さないとですね。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


当時、シメとして、「真相は闇の中」と題してあとがきを書きました。

→Vol.194 死の淵シリーズ (あとがき) 「真相は闇の中」

1年たった今、ワタシのこの心臓の情報について、今までに医者に聞いたことや、ネット上で見た情報を再度まとめておこうと思います。

※専門的なので、大枠間違ってはいないとは思いますが、医学的素人の雑多なメモ書きなので、それはそういうことです・・・ご理解を。


そもそも多くの病気と同じく、当時ワタシが診断された「心筋炎」にしても決定的な原因は解明されておらず、「真相は闇の中」、というか、「真相など無い」と言った所でしょう。

いやいや、真相は有るけど、ただ我々が知らない、というだけでしょう。


心筋炎には、症状の態様、っていうんですかね?、進行の具合として、「慢性」と「劇症」とあるそうですが、ワタシは急激に悪くなったので「劇症型」とされました。

そしてさらに、心筋炎の組織的な分類では、リンパ球性、好酸球性、巨細胞性、などあるようです。


当時も少しだけ書いていたのですが、胸腺腫と重症筋無力症、そして多発筋炎に合併する心筋炎としては、巨細胞性心筋炎の症例が多いらしく、(・・・と言っても絶対数はすごく少ないのだろうが。)ワタシもそれを見込まれていたそうです。

しかし、心臓のカテーテルで心筋の細胞を採っても巨細胞は見つからなかった、ということを聞きました。

ただ、このカテーテルで採取できるのは、心筋のほんの一部分だけですから、そこに巨細胞が見つからなかった、からと言って、巨細胞性では無い、ということのようです・・・

ワタシの既往症含めて色々な状況を勘案して、巨細胞性だろう、とうことだと思います。


巨細胞性の心筋炎は、劇症型の経過を辿ることが多いらしく、上に書いた胸腺腫の患者に巨細胞性心筋炎が見つかった、というのは、心筋炎で命を落とした後に解剖をした所、巨細胞が見つかった、という、言わば、あとづけ的な症例であることが多いようです。

つまり、解剖の例しかない、ということは、ほぼほぼ「死ぬ」症状ということで、その後何人かのお医者さんは口を揃えて、「これはダメだろうと思った」と言っていた中、ワタシは当日にステロイドパルスがあっさりと奏功したため、病院でも「奇跡の人」扱いされた訳です。


・・・いったいワタシに何が起こったのか?

心筋が炎症していたことは間違いは無さそうなのですが、心筋梗塞や、別な心筋症(たこつぼ心筋症など)っぽい所見も見受けられたりした・・・と言っていた循環器のお医者さんもいました。

がしかし、かなり回復した後に、心臓MRIや、24時間心電図などを重ねたのですが、サルコイドーシスなども含めて、心臓に疾患は見当たりませんでした。

先日、精巣腫瘍のオペの前の検査で心臓エコーをやった時は、むしろ、「普通の人より元気に動いているよ!」と言われるし・・・なんやねん・・・

なので、やはり当時の症状は「心筋炎」としか言いようが無い、ということだと思います。


それから、心筋炎の原因なんですが、これはもっと「闇の中」です。

一般的に言われている原因分類として、

・自己免疫や既往症の膠原病に起因

・アレルギー反応

・ウイルス、細菌などへの感染症

などがあるようです。


う~ん、確かにどれも、ワタシに当てはまりそうです。

MGや筋炎などの自己免疫疾患や膠原病も持っているし、倒れる直近で、沢山の薬剤(抗がん剤や、γグロブリン)を投与していたので、それへのアレルギー反応、ということも有り得ます。

※現状ワタシはこの説が有望だと思っている。ただ、倒れる直前に投与していた抗がん剤はどれも過去にやっていた薬であるし、グロブリンもこの時が初めてではなかったので、あの日のあのタイミングでのアレルギー反応、っていうのは少し違う気もする・・・

他になんらかのウイルスに感染した、ということもあるでしょうし、血液製剤であるグロブリンや、その他抗がん剤の中に未知なるウイルスが入っていた薬害の可能性もあるかもしれません。

※抗がん剤やγグロブリンを投与してしばらくして、風邪のような微熱が続いた、ということを考えると、この説も有望である。

まあまあ、

おそらく、色々な状況が重なってああいう事態になったんであろうと思います。

胸腺腫の心膜播種も一因になっている可能性も指摘されました。

※でも、もし心膜播種があったとして、それが原因であるなら、あの時1度だけああなったことは説明出来ないと思う。心膜播種があるなら、当然昔からあるのだろうし・・・


それと、胸腺腫が発覚した時期とも重なる、ここ5年ほどでワタシに起きている、PSVT(発作性上室性頻拍)との関係。

これの原因も詳しいことは分かっていないらしく、先天的なワタシの心臓の特性である可能性もありそうです。

これはおそらくワタシが抱える他の疾患とは関係無いのだろうとされてますが、ワタシが自覚した時期が、ちょうど胸腺腫が発覚する少し前の時期であることや、心筋炎で倒れる直前が、この発作のピークであったことなどを考えると、とても無関係には思えません。

おそらく何かしらワタシの心臓にも、その他の疾患と関連した何かが「ある」んですよ、何かがきっと。。。


・・・・

だだだーと、ごちゃごちゃ書き殴ってしまいましたが、ワタシが分かっていることはこのくらいです。

ただ、全てのことに理由は必ず「ある」んだと思います。


最近思うのですが、ワタシが抱える疾患全てに理由は「ある」はずで、突き詰めていくと、たった一つの「理由」に行きつく気がしているのです・・・

でも、それはワタシやお医者さんたちに見えていません。

でも理由はあるはずです。

人間が分からないから「ない」ということにはならないのです。


調べればもっと色々な情報が出てくるし、整理もされることは分かっているのですが、とてもアカデミックで最早ワタシの手におえる状況ではありません。。。

誰か一人でもお医者さんがワタシを研究してくれると良いのですけどね。笑。

残念ながらレア疾患を抱えるマイノリティの宿命であります・・・笑。


決定的な理由は分かっていない以上、心筋炎に関してはやりようがありません。

何かが「ある」とは思いますが、今までの検査などで何も見つけられなかったので、何も出来ません。


理由が分からない以上、また再びワタシは1年前のような状態になる可能性があります。

ただ、1度経験したので、早めにそれを察知することは可能だと思っています。


心筋炎は、幸いなことに、なんの前触れもなく元気な状態からいきなり倒れてしまう、ということにはならないっぽいです。

発熱したりと、風邪のような症状が予兆として出るそうなのです。

これはワタシにもありました。

倒れる前10日間ほどは下がらない微熱が続いていました。

ただ、ワタシもお医者さんも、過去の経験からそれをγグロブリンの副作用だと認識していたので、心筋炎に気づけなかった、ということです。

CKも5000とか、6000とか、かなり危険な数字ではありましたが、これもそれまでの経過からは手足、首、呼吸筋など骨格筋に特異的なものだと認識していました。


ワタシは今後、風邪のような症状が出た場合は心筋炎が怖いので、早目に病院に駆け込もうと思っております。

色々なことを予測して早めに行動しておけば、最悪、命を落とすような危険な状態にはならないと思っています。

そうならないことがまず願いではありますけど、なる時はなると思いますから、気を付けたいと思います



心臓に限らず、カラダの変化に対して油断さえしなければ直ちに命の危険が切迫するようなことにはならないだろうと思います。

理由が分からない以上、ワタシに出来ることはそれだけであります。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この死の淵を見た経験を通し、色々と思考を巡らす中で、何よりワタシの人生観がかなり変わった気がします。

変わった、というか、よりハッキリした、というか・・・実際まだワタシもテツガクをし切れていないが・・・

本当は丁度1年のタイミングの先月中に、頭を整理しながらそういったことを書いていこうと思っていたのですが・・・

まさかの精巣腫瘍発覚・・・という珍プレーを巻き起こしたので、(笑)、遅れてしまっております。

それもあって、今はちょっとアタマに負荷をかけて、ストレスをかけてテツガクする気力が起きなくて・・・笑

また改めて書きます。


おわり

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Vol.392 死の淵シリーズの補足 (備忘録)



1年か


去年、心筋炎でぶっ倒れたのが7月ですから、気づけばまもなく1年・・・

その頃のこのブログの記事をパラパラ見ていたのですが、抜けていた期間、特にCCUを卒業してから、次のブログ更新の8月18日までのことはあまり詳しく書いていないことに気づきました。

といっても、もう結構記憶も曖昧になってきているが、早ければ早い方がいいので書けるだけ書いて備忘録にしたいと思います。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


7月21日、この時、神経科の一般病棟で心筋炎で倒れ、すぐにCCUに運ばれ、呼吸器の一般病棟に戻ったのが、確か8月6日でした。

一般病棟に戻る、とは言え、まだ切開した気管には人工呼吸器が繋がれていたし、オムツや尿の管、点滴(首と腕)、経鼻の栄養チューブなどはフルスペック付いていました。

手首の動脈点滴の管をCCUから出る時に取ることが出来たくらいですかね?


動脈の針を抜くと当然強めに、長めに止血しないといけませんが、10~15分くらい、CCUの看護師さんが手首をギューっと押して、握っていてくれました。

この間、当然呼吸器を付けてるワタシはしゃべれず、頷く程度でしたが、看護師さんはにこやかにワタシに世間話をしてくれていたのを思い出します。

看護師とはいえ、若くカワイイ女子に手首をぎゅっと掴まれ、笑顔で話かけられたら好きになっちゃいますよ、まったく。やめてほしい・・・笑。(かと言ってオバさんや、男でも気持ち悪いけどね。笑。)


患者としては「入院している、しかも体力精神が弱っている」という非日常の中で、優しく接してくれる看護師さんに恋愛感情まで抱いてしまう、という、あるあるネタは理解できます。

がしかし、看護師さんという行動のそれは職業上の話ですからね、彼女たちは普通に仕事を頑張っている女の子ですよ。

そこら辺を重んじないと、モンスターペイシェントというか、ただのストーカーっていうか、DQN患者というか・・・


いやいや、でも患者と結婚した、だの、付き合ってた、だのという話も聞きますからね、それが全てでは無いのでしょう。

男と女は不可解ですわね〜、わからんですけど。。。

・・・おっといけね、

あまり看護師ちゃん看護師ちゃん言って鼻の下をエロく伸ばして脱線しているとジョカノちゃんにブッ飛ばされるんでこれで辞めよう。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


呼吸器の一般病棟に戻った、と言っても、ナースステーションから一番近い個室に入りました。

請求が来てから気づきましたが、重症の患者さん用のこの個室は病院判断で治療に必要だ、という理屈なのか、なんとベッド代は無料とのこと。

人工呼吸器はデカいし、熱も相当発するし、相当やかましくシュパーシュパー言いますからね、大きさもかなりですから、他の患者と同部屋は無理ですよね。

っていうか、このご時世、もう少しコンパクトかつ低温低燃費・高性能な呼吸器は無いのかな・・・?

絶対出来る気がするけどな・・・


CCUから一般病棟への移動にはCCUの循環器のお医者さん達や看護師さんと、呼吸器(移動中は酸素ボンベで凌ぐ)を見てくれる臨床工学技士さんなど、数人ついて来てくれます。

受け入れる呼吸器の病棟は、つい7月の頭まで、抗がん剤の為に入院していた病棟でしたから、顔見知りの看護師さん達が沢山いました。

全身管だらけ、髭面だったし、変わり果てたワタシの姿に皆びっくりしたでしょう。

ワタシはとても情けなく恥ずかしかったですが、また再び生きてここで彼女たちに会えたことの嬉しさが大きかったです。


CCUでは不眠や幻覚っぽいヤツに悩まされましたが、一般病棟に戻ると環境も落ち着き、少しづつ眠れるようになってきました。

眠れれば体力も少しづつ戻ったのか、同じくCCUではほぼ出ていなかったお通じが、逆に下痢と腹痛の苦しみに変わっていきました。

死の淵シリーズでも書きましたが、結局オムツの中で排泄するのは、物理的、精神的苦痛は大きかったです。

この排泄の悩みは大きく、この部屋に移ってから本格的に初めたリハビリのモチベーションになりました。

早く自分でトイレに行けるように、それが一番の願いでした。


リハビリは寝ている状態から、座る練習→立つ練習→歩く練習と進み、ようやく点滴の棒を杖替わりにしながら部屋の中は歩けるかな~、くらいになった所で、ワタシは呼吸器の先生に泣きつきました。

一刻も早くトイレを自力でしたかったのです。

「オシッコの管を早く抜いて欲しいし、喉も乾いたのでジュースが飲みたい」などという手紙を夜な夜なこっそり、なかなか動かない指で頑張って書いて先生に渡したのを覚えてます。

しゃべれませんから、思いのたけを先生にぶつけたのです。

さぞかし困惑したでしょうね、先生も。

これは申し訳なかった、と今でも思っていますが、その時のワタシも必死でしたもので。。。

(※ちなみに、この先生とは先日会って来ました。今ではワタシの回復を喜んでくれており、嬉しい限り。)


手紙は功を奏し、多少フライング気味ではあるものの、それでワタシの気分も晴れるなら、ということで、オシッコの管を抜いてくれました。

と、同時に、トイレに行くには、当然、呼吸器を離脱して酸素を流すやつ(詳しいメカ事情は忘れました。)にしないといけないので、それもチャレンジすることに。

呼吸はCCUに居る時から安定していて大丈夫だろうと思っていたし、この一般病棟に移ってからは、ウトウト寝ていると、呼吸器が勝手に喉から外れていて、ケタタマシイ警告音でビビッて飛び起きる、みたいなこともあった位、つまり外れていてもワタシは大丈夫であったので、問題無いだろうと。

先生は結構ナーバスになってたみたいですけど、血中のガスも問題無かったので大丈夫でした。


この部屋で始めて自力で歩いてトイレに行った時は覚えています。

看護師さんに一人ついて来てもらって、結局オムツもおろしてもらって、全部世話してもらう形ではありました。

ワタシは歩くのと座るの、排泄をして、立ち上がるのみで必死で汗だくです。

心拍もあがって、かなりキツかったです。

看護師さん達はかなり肝を冷やしたはずですが、排泄に大分ストレスを抱えていたワタシを理解し、見守ることとしてくれたのでしょう。

感謝です。


その他、ここの時点では、その後激痛に悩まされることになる足の鼠蹊部の傷もまだ手術前で、ワタシは痛みも全く感じておらず、心臓外科の先生がたまにオムツを明けて傷を消毒しに来る程度でした。


また人工呼吸器を付けている時は、30分~1時間間隔で痰を吸引してもらわないといけません。

これは段々とその頻度は減っていきましたが、その後、8月末にスピーチカニューレに変わるまで吸引との御付き合いは続きました。

スピーチのものにすると、喉から呼吸が漏れなくなり、口まで息が出せるので、頑張って咳をして、痰を口まであげることが出来るようになるのです。(といっても言葉で説明はしずらいですね・・・経験しないと分からないので、ご興味あればググってもらった方が早いです・・・すいません。)

つまりは、自力で咳が出せるほどにワタシの呼吸は回復していた、ということなので、もう少し早く呼吸器からも脱却できたはずですが、足の鼠蹊部の手術なんかも控えてたりして、慎重にことを進めてもらいました。


ワタシ的にネックになっていた自力での排泄も目途が立ち、人工呼吸器からも離脱する目途もついた、ということで、重病用の個室から通常の個室(つまりはベッド代が普通にかかる個室)に移ることになります。

これで何とかノーマルスペック(といっても入院中でのノーマル)の環境まで戻ることになります。

この部屋移動が8月15日でした。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


8月6日から15日まで過ごした重病者用個室でも色々な思い出があり、ワタシは今でもここでの光景を思い出すことがあります。

CCUでは、肝腎な場面では、そのほとんどを鎮静剤をかけられた中で過ごしてましたから、あまり覚えていないことも多いのですが、この頃は痛み止めの量もかなり減り、意識もハッキリしていたので覚えていることも多いのだと思います。


今も外来でお世話になっている、呼吸器のメインの主治医先生が夜な夜なこの部屋に来てくれて、今後の話をジョカノと3人で聞いたことを良く思い出します。

両親はいませんでしたね、この時は。

夜遅かったもので。


この時、先生は放射線治療をしよう、ということを始めて言いました。

(※結局、1っか月後の9月初めから、放射線治療を開始することになる。)

ジョカノは、「抗がん剤をまたやる可能性は?」みたいなことを聞いていました。

母親が抗がん剤にかなり懐疑的になっていた(母親は常々、例の心筋炎の原因も抗がん剤だ!、と言っていた。ワタシもその可能性は0では無いと思っている。)ので、それを気に掛けてジョカノは聞いたのでしょう。


この時、ワタシは今後の話などしたくありませんでした。

倒れて2週間、死の淵から戻ったばかりでやっとこの頃になって生き延びたことを実感出来たタイミングです。

まだまだ不自由な身体です。

まずは普通の生活が出来るようになりたい一心で、その先の治療のことなどは考える余裕はありません。

ワタシの胸腺腫の治療が何も進んでいないことは、頭では理解していましたが、とてもとても意欲を出してその後の治療を検討するような体と心ではありませんでした。

先生が退室した後、声が出せないので、吐息と口パクでジョカノ君にその戸惑い・虚しさや、イライラをブツけてしまいました。

面会時間をとっくに過ぎて静まり返った夜の病室の中、2人で何というか、絶望感に苛まれてしまい、手を取り合い涙し、ジョカノはワタシの涙をティッシュで拭っていてくれていた場面は、ワタシの闘病生活の大事なハイライトです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


そんなこんなで、重病者用個室での約10日間は、自力でトイレに行くことと、人工呼吸器離脱をテーマにリハビリを頑張り、その他はもっぱらテレビでロンドンオリンピックを見て過ごしました。

この期間中に女子レスリングなどやっていて、ワタシも元気をもらったことを覚えていますね。


なんとか自力でトイレに行けることが出来るようになり、人工呼吸器からも離脱し、通常個室に移ってからは、呼吸器もそばにありませんから、より静かな環境になり、また好きなタイミングでトイレも行けるようになり、
(といっても、まだまだ全身全霊をかけて頑張らないとトイレに行けず、付き添いの看護師さんも呼んでのトイレだったが。)
ストレスは大きく軽減しました。

それに伴いワタシも日に日に回復を実感できるようになり、途中、足の鼠蹊部の手術を挟みましたが、痰の吸引からの解放、自力での食事の開始、とトントン拍子に進み、9月初からの放射線治療に望んだのでした。

15日に通常個室に戻った以後は、18日以後に書いたブログの通りです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


う~ん、大体覚えているのはこんな範囲ですかね。

この死の淵シリーズの経験、そしてそれをブログに書いた時から約1年経ち、ワタシも色々情報を集めるうちに今回の心筋炎について分かったことや、ワタシなりの考えもあるし、心理的な面での変化も当然あるように思います。

そこら辺はまた改めて整理して書いて行きたいと思います。


おわり

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