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ワタシはカラダをテツガクする

病気が集まってくるカラダを自慢している。 生きてる以上テツガクするしかないね。めんどくさいけどね。

Vol.22 過去の扉(11)2009年6月②「初脱毛・初ウイッグ」

げっ・・・ぬ、ぬ、ぬけ・・・ヌケタ・・・


さて、初めての抗がん剤点滴を大した副作用もなく、なんなく切り抜けたワタシは、次回の2コース目の外来点滴の予定までは普通に仕事に戻ります。

入院期間の1週間含めて、当初は2週間休みをもらってましたが、副作用が無かったので、予定より2~3日早く仕事に復帰したのを覚えています。

迷惑は最小にしたいですから。


この、アムルビシンの最大の副作用は骨髄抑制で白血球が激減することなんですね。

でも、それって実感で分かりませんから、生もの食べない、とか、うがい、手洗いを入念にする、くらいしかワタシも実行していませんでした。


それと後、気になるのは脱毛です。


抗がん剤の点滴を実施して1~2週間は毛が抜ける気配はありません。抜けないで済むかな~なんて思っていました。

そのため、ワタシは退院してから仕事に戻る前に、髪を切りに、パーマをかけに行ったのです。

もしかすると、毛が抜けるとしたら、今の時期しか髪の毛で遊ぶことは出来ないと思っていたのです。


この日の出来は良かったんですよ。それまでで一番思い通りに仕上がったのです。

写真を残してますwきもいですね。


その後1週間くらいですかね~、史上最高の出来に仕上がったワタシの髪の毛を存分に堪能していたある日、その日は突然やってきました。

丁度仕事に戻ったばかりの時でしたかね。


仕事から帰り、家でシャワーを、シャンプーをしていました。

シャンプ―をゆすぎ終って、目を開けた時です。


げっ!!!!!!


目の前の風呂場の壁に、ワタシの髪の毛が大量にくっついていたのです。

自分で抜いてみると、


げげげっ!!!!!!!!


ごそっと抜けます。しかもあまり痛く無くするっ、と抜けてしまいます。


こんな急に来るのか~~~


そう思いました。

あくる日、そのまま髪をセットしましたが、まだ「抜け切ってしまう」といった程ではなかったので、全然人からは分かりません。

もともとボリュームのある髪型してましたから、すいて薄くなった的な感じになっていったのです。

極力抜けないように慎重にセットをして会社に行きました。

でも、それも2日くらいしかもちませんでしたね。

やがて頭皮がピリピリ痛みだしたと思ったら、抜けるペースが一気に加速しました。

枕にもごっそり抜けて落ちています。


観念したワタシは、理容店に行き、バリカンで坊主にしてもらったのです。

理容店のオバチャンは、「いいの?」と言うのですが、「一思いに行って下さい!」と、一気にやってもらいました。

坊主にすれば抜けた髪で部屋や風呂場がちらかりません。


折角、史上最高の出来栄えの髪型も僅か1週間足らずしか味わえず、あえなく坊主になりました・・・残念。


さて、そこからですが、実はワタシはこうなることに備え、ウイッグを3つ程手配していました。

一応、ワタシも仕事の関係上、坊主 (しかも抗がん剤で抜けた坊主はまだらな坊主なので、綺麗な坊主にはなりません。) では会社に行けません。

会社を背負って取引先と会ったりしますから、汚らしい頭をさらす訳にはいきませんし、また、それを周りにいちいち「いや~~抗がん剤で~実は~~」と説明しなきゃいけないのは大変な労力です。

周りにも気を遣わせます。


ジョカノさんにも手伝って頂き、ウイッグを装着し、なじませる練習は結構しました。

かなり運よく、ワタシの頭と顔にフィットするウイッグも見つかり、また装着のシミュレーションの甲斐もあり、会社にいざ行きましたが同じ会社の同僚ですら、「え、それウイッグなの?」と言うくらい自然に仕上がっていました。

これはラッキーでした。

周りにバレなかった為、病気であることも必要最小限の人に話せばよかったからです。


ワタシのウイッグを見抜く人はほぼいませんでした。

何人か見抜いた人はいましたが、美容師さんとかでした。


6月から始まったウイッグ生活は、いきなり真夏の時期を過ごすことになったので、結構大変でした・・・汗と、あと風ですね。

風が吹いたらすぐさま頭を押さえないと気になります。


その後抗がん剤治療が終わって、再び髪が生え揃った翌年の春まで約1年、ワタシはウイッグにて会社に行ってました。都合同じデザインのウイッグは3つほど買い替えましたかね?・・・・頑張りました。


それと、緩やかに時間をかけてですが、頭以外の体毛もかなり抜けました。

すね毛も、わき毛も、ひげも、腕の毛も、チ○毛も抜けました。

ひげを剃らなくて良くなったのは楽でしたね。

眉毛と、まつ毛がある程度残ってくれたことは幸いでした。

これが抜けるとかなり人相が変わってしまうからです。


一応、ジョカノさんは、ワタシの眉毛が抜けた場合は、毎日書いてくれる想定をしてくれていたようですw ありがたや。

そうならなくてホントよかった


抗がん剤の効果を実感しましたね。

たった一日10分足らずの量の点滴を3日間入れたくらいで、一気にこの脱毛です。

恐ろしくなりましたね。

その分腫瘍も小さくなればいいんですが。



さて、2回目以降の抗がん剤は外来で実施することとなってまして、2コース目のタイミングがやってきました。1コース目開始日から丁度3週間後となります。

当日、抗がん剤を点滴する前は、採血をするのですが、その時点でなんと白血球が900しかなかったのです。

常時4000とか5000レベルであるものなので、今思うとかなり低く危ないです。

よくこれで普通に会社に行って普通に生活をしていましたね。

夏場だしマスクもしてませんでした。

すぐに感染症にかかっておかしくないレベルです。


これだと抗がん剤は無理なので、1週ずらして、ワタシは4週間ごとにやっていこう、という形になりました。


外来の点滴の際は4日間ほど連続で仕事を休ましてもらっていました。

その後、3コース目までこのアムルビシンを外来でやることになるのでした。


つづく

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Vol.21 ねんどまつ

早いですね~


ワタシは仕事を思い切って休んでもう半年になります。

休んだことが良かったと言えるように頑張っていこう!と半年前は決意をしました。


なかなかストイックな食事改善やジム通い、それまで培ってきた人格の改造(!?)によって、徹底的にガン体質からの脱却を図ってやろうと思っていたのですが、(ここら辺の状況もそのうち過去の扉シリーズで書きます)仕事休んですぐに重症筋無力症だと発覚したり、年末年始以降には筋炎になって入退院の繰り返しがあったりと、あっと言う間に過ぎてしまいました。

そんなこんなで予想外の出来ごとばかりで、半年前の休職する時に掲げた目標はほぼ未達であります。


一応、会社との話では休む期間は一年としてあります。

あと半年で復帰なのですが、治療との兼ね合いもあり、おそらく延期を申し入れることになりそうです。

でもいずれは復職するなり、退職するなり、決断しなければいけません。



昨日は年度末でしたね。(正確に言うと今日ですが)

株価のニュースなどを見て実感します。もう新年度かあ~~って。早いな~~~って。


新聞を読んでいる(というより最近はもっぱら眺めている)と、その世界がまるで遠くの、自分とは一切無関係の世界のような錯覚に陥る時が最近は多々あります。

半年前まではどっぷりその世界に浸っていたはずなのに・・・です。


すっかり引いてしまっている自分がいます。

自分の会社のニュースを見ても他人事のように思えます。

これはマズイかもです。


まあ、半年間もほぼ家か病室にしかおらず、出かけても地元の範囲です。

都心の人ごみには意識的に行かないようにしているので無理もないですかね。


世の中の最先端の空気感はすっかりわかりません。


こうなると、果たして社会復帰出来るのか、かなり不安になってきます。

いや、正確に言うと、不安、っていうよりは、復帰してまた会社で働いている自分がどうしてもイメージ出来ないのです。


でも、まあいいです。

あえて、そうなる為に休んだとも言えますから。

世の中の喧騒から離れたいから休職した、ということもあります。

今はのんびりです。


闘病生活を送っている方の中では、「仕事への復帰」を強いモチベーションにしている方が多くいらっしゃるようですね。

自分にはそのモチベーションは今のところはありません。

でも、一応、人生のうちでやりたいコトが多々残っているので、それがモチベーションになっているので大丈夫なんですが。


まあまあ、会社に戻るか否かはまだ悩む必要はないので、ワタシの目下の急務は目の前の抗がん剤治療と、その先の治療を決めることに集中することです。

頑張りますかー。


おわり

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Vol.20 過去の扉(10)2009年6月①「初抗がん剤⇒悲劇のヒーロー誕生」

ワタシが皆の代わりに神様に選ばれたのだ!


今日は病院から一時外泊にて家に戻っております。

外は少しずつ桜が咲き始めましたね。


ウチのマンションの敷地内にある桜も大分つぼみが膨らんできています。

来週、抗がん剤4コース目が終わり退院するころには咲いて居るでしょう。

楽しみです。


なんとかお花見にはいけそうかな。体調次第ですが。

熱燗をポットに入れて寿司を持っていきたいですね。



過去の扉シリーズの続きを書きます。



前回、胸腺腫ステージⅣの確定診断を受け、結局現実を受け止めきれないまま、抗がん剤治療をスタートすることになります。


時は2009年6月です。


抗がん剤のイメージというと、テレビなどでしか情報が当時は無かったですが、激しい吐き気で食事が取れなくなり、髪の毛が抜けてニット帽子を被らなければいけない、そんな程度でした。


とにかく辛い治療、というイメージはありました。


現実を受け止め切れていなかったであろうワタシは、「もうやるしかない」と、現実を受け止め、前向きに、計画的に治療に立ち向かう、というよりは、

目と耳を塞いで「うお~」っと、何も考えずに突進すると表現した方が近い感じでした。

ただただ主治医の言うとおりやれば良い、と思っていました。


6月の頭から入院です。


会社とは部署や人事にも調整をしてもらい、手厚いフォローをしてもらいました。

会社とのことは別途書くとして。


ワタシがまずやる抗がん剤は「塩酸アムルビシン」という薬を単剤でやる、というものでした。

4コース予定です。

塩酸って・・・・実験じゃね~んだから・・・みたいに思った記憶があります。


胸腺腫はレアな疾患ですし、これ専用の抗がん剤はもちろんありません。

(こまりました・・・今もこまってますが)


アムルビシンは肺がん治療の為に開発された薬です。

基本的に肺がんの抗がん剤を類推してやる、という説明をA病院Y医師から受けました。


このA病院では、過去に胸腺腫の患者に対してアムルビシンで実績がある、というようなことをY医師は言っていました。


実は後になってから分かったのですが、この1ライン目でアムルビシン単剤でいく、というのはかなり特殊な、A病院オリジナルのやり方らしいです。


結果、このアムルビシンは効かなかったのですが、このアムルビシンで行く、というのが一般的では無いということをこの時点で知っていれば、何故このアムルビシンで行くのか?、

もっとY医師に質問することができ、その結果、ワタシも自信をもってこの治療に臨めた可能性があったのでは?と反省しています。


でも、このアムルビシンが効か無かったことについて、A病院やY医師を恨むような気持ちは一切ありません。


彼等もワタシへの効果を期待し、またワタシの生活も考慮し、まずは副作用の強くないこの療法を選んだのだと思います。

別に今になっても何故この時アムルビシンを使ったのか?それを聞くつもりもありません。

無意味だからです。

ワタシが何か疑いを持っている、と思われるのも嫌ですし。


ただ、前回の過去の扉の記事でも書いた通り、ワタシがもっと早くに現実と向き合う努力をして、この治療に入る前の段階でいろいろな情報を集めていればまた違った決意を持ってワタシ自身がこの治療と向き合えたかもしれない、

というだけです。

そしたら結果も変わっていたかもしれません。


抗がん剤は「効いている」という気持ちを持つことが大事なのではないかと、今はワタシは思っています。


この当時は「嫌だけど、しょうがいない、やるしかない」というような、「我慢する」という感覚でしたから。

前向きな感じでは無かったのです。これがいけなかったと思っています。



入院初日は、諸々検査をし、Y医師から説明を受け、抗がん剤同意書にサインをします。

1~2%の確率で、間質性肺炎などを併発し死ぬ場合があります、的なこと言われましたが、今さらじゃあ辞めます、とは言えません。

数字上はこうなってるので、一応言わないといけないので言うけど多分大丈夫、みたいなフォローがY医師からあった記憶があります。


副作用の説明も受けます。

当時の説明の際に渡されたプリントが手元に残っていますが、副作用が列挙されています。

一般的な抗がん剤の副作用と呼ばれるものが、とりあえず可能性があるものを全部挙げておけ的にずら~と書かれています。

当時のワタシも相当怯えた記憶があります。


あと、もう一つ、このプリントには「治療の目的」として、2つ書かれています。


「症状の進行を抑える」と「症状を軽くする」と書かれています。緩和ケア、とも書いてあります。



「治す」とは書かれていません。



今思っても、これは当時のワタシには酷だったろうな、と思います・・・



さあ、2日目からいよいよ抗がん剤の点滴です。


このアムルビシンというのが、まるで毒を持つ花ほど色鮮やかなのと同じような感じで、オレンジのいかにも化学的な色を感じさせる薬で、毒のある花と同じようだ、とはいいつつも自然とは程遠い色です。


とても気持ち悪いです。


チェリオをもっと毒々しくした感じでしたので、ワタシとジョカノはこの薬をチェリオを呼びました。



点滴も人生初めてでしたから、一層気持ち悪かったのを記憶しています。

吐き気止めや、生理食塩水の点滴の後、アムルビシンの投与が始まり、点滴のラインがオレンジに染まって行きます。

とても嫌な感じはしましたが、別に痛みなどある訳でもなく、このアムルビシンは10分程度で点滴が終わってしまう量しか入れません。


前後の吐き気止めや、洗浄の水を合わせても30分足らずでこの療法は点滴が済んでしまいます。

これを3日間連続でやりますが、今まさにやっている抗がん剤のADOC療法などと比べると格段に負担は軽いです。


その後、吐き気などは、多少胃や胸の違和感や味覚の違和感などはあったと記憶していますが、ほぼ無いに等しかったと記憶しています。

あれだけ列挙された副作用が全部襲ってくるのでは?という錯覚さえ覚えていたので、かなり意外でした。

肩すかしをくらった感じではありましたが、それはそれでよかったのです。


「こんなもんなのか、でもこんなんで、腫瘍に効くのか?」と思った位、楽だったというのが、このアムルビシンの感想です。


副作用で何か辛い、ということもなく、いたって元気に予定通りの点滴を終え、予定通り1週間で退院をしました。


今回1コース目をやってみて、重篤な副作用の発現も特になく、大丈夫そうなので、2クール目からは外来の点滴でやろう、ということになりました。

次は3週間後の予定です。


以外に「楽だ」というイメージをもった抗がん剤でしたが、とりあえずは一度乗り切った、という安堵感を覚えたのを記憶しています。



この初めての抗がん剤を経験したタイミングの時に、ワタシの心に一つの感情があったのを思い出します。


それは「大切な人がなるより俺が病気でよかったよ」という感情です。

一見、かなりカッコ良い、素敵な感情っぽいですが・・・


どのようなロジックで当時そんな感情が産まれたのか、頑張って思い返してみると、当時必死に考え、悩んでいた「病気の理由」に対する、当時のワタシの答えの一つから導かれたのだと思います。

あまりはっきり覚えていないのですが・・・


その答え、というのは、

「誰かがならなければいけない病気に、ワタシが選ばれたんだ、みんなの代わりにワタシが病気になったのだ!病気は辛いから神様は強靭な精神力を持ったワタシなら耐えられると、このワタシを選んだのだ!」

などという、いわゆる悲劇のヒーロー理論だったと思います。



しかも、その悲劇は、

脚本・演出・主演すべてワタシ、ここまでは別に良いのですが、

タチの悪いことに観客もワタシしか居ない、完全に自演乙の物語です。


今となってはこの考えはダメだと、理解・反省しています。


そう考えていた当時のワタシの行動がどんなものだったか、恐ろしいです。


自分でも思い出せない、ということは、かなり自分勝手に思うままに我が儘言ってたかもしれません・・・



この考えを持っていると、どうしても他の人(当時のワタシに言わせるところのワタシが病気になったお陰で病気を免れた人々)に対する「悪い甘え」に結びつきやすくなっていくからです。

当時のワタシもおそらくそうだったんだと思います。


「俺は末期ガンなんだっ! 若くして苦労してんだ! おめ~らヘラヘラしてる若者とは違え~んだよ! あ~っ!こらっ!」みたいなw


最悪です。


ワタシは、抗がん剤、という、かなり特殊な経験を一度したということで、どこか人に対して特別なんだ、ワタシは皆と違うのだ、格別の苦労を経験させられているのだ、と何か勘違いをしていたのだと思います。

大切な人を守る為に、つまり、大切な人が病気にならないように、ワタシが病気になったのだ、と、かなりナルシストで、マスターベーション的で、都合の良い、かなり勢い任せの、冷静さを欠いた、盲目的で強引な、結論だったと今は思います。


まあ当時は病気を宣告されて間もなかったですから、仕方ないとは思います。

当時のワタシでは無理もありません。



今は、「病気になった理由」は考えないことにしています。

※無意識のうちにぼんやり考えてしまうことも時にあるのですが、すぐ意識して切り替えるようにしてます。これも最近になってようやく出来るようになりました。

理由を考えても分かりませんし、それはいたずらに過去を振り返ることになるからです。

もし、ワタシの過去の生活習慣や性格に理由があったとしても、それを後悔しても仕方ありません。


ガンになりやすい人として、一般的に考えすぎる人とか、小さなことも気にしてクヨクヨする人とか、神経質な人とか、なんかそういう気弱というか、繊細な人が思い出されると思います。

そんなような情報も溢れてます。


実はワタシ、もろこんな人です。

だからなんかこういうのを目にすると頭にきます。


自分でもそんな性格を治したいと思っていましたが、その性格のお陰でここまで来れた、という自負というか、自信も持っているのです。



人間、短所と長所はイコールなんです。



過去の自分を後悔するのは一切の無駄でして、要は、今ある病気と、今からどう付き合っていくか?

これに集中しなければなりません。


それと悲劇のヒーローにも二度とならないように、気を付けなければなりません。


そんなこんなで、最後に話それてしまいましたが、当時はまだ悲劇のヒーローだったワタシの、その後約半年続く抗がん剤生活が幕を開けたのでした。


つづく

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Vol.19 人生を、選ぶ、ということ

後悔しないように頑張ればいいだけでしょ??


今日は今後について、呼吸器の主治医と、神経内科の主治医と、ネッコリ話しました。

ワタシの今の病状含めて細かくは別途書くとして、いよいよ難しい選択をせねばいけないタイミングが一つ、やってきました。

まぁいずれこの時が来るのは分かっていたので、今は比較的心穏やかであります。


さぁ、どうしますか。


人生は分かれ道の連続ですね。


しかし、選ばなかった方の人生は知るよしも無いので、人生とは言えないかもです。


そうすると、分かれ道はそもそも分かれ道ではないかもです。


実際、自分が気付いていない分かれ道もあったはずですし。沢山。


う、

少し思考がとめど無く循環しそうなのでこれをテツガクすることは今はやめとくとして。



とりあえず、話変わるかもですが、

if もしも

が無いのは確かです。

このドラマが昔ありましたが、急にワタシ達の目の前にタモさんが出てきて選ばなかった方の人生を見せてくれて答え合わせをしてくれる訳ではないのです。

でも、やはり、選ばなかった方の人生に思いを馳せてしまうのが人間のこれまた想像力の豊かな処でして・・・

タモさんの登場を願ってしまうのが人間です。



後悔、

しますよね~? 多分、この先も。


だから、

「後悔しない選択」

をしたい所ですよね。


それは正解を選ぶ、ということではありません。

人生にはタモさんが現れない以上、正解は無いんです。


でも、例えば、仮に、仮に、ですけど、

2通りの人生があって、

人生には正解があって、

その正解とは、後悔しないこと、

と、3つのことを仮定したとします。


こんなことをクドクド書いてる自分が自分で笑えてきましたが、(笑)2通りとも正解にする方法があります。



それは、


後悔しなきゃいいんです。


そうするしかありません。



実はワタシはこの、冒頭の言葉、

ワタシの人生で大事にしているテツガクの一つなんですが、ワタシなんかと共に苦難の道を今、歩んでくれている、とても奇特なお方であるジョカノ(彼女)さんに教わりました。

なので、後悔しない選択、

ということに、選択の時点でこだわるのは無意味なんです。



できることは、

選択の時点で、どちらが自分の人生の目的を達するに相応しいのか?

という観点で、情報や事実を集め、出来る限り悩んで、考え抜いて、冷静に判断をすることです。

しかし、その時点で、後悔するかしないかを悩むのはあんま意味がなくて、要は選択をした後にどうするか?

選択をしたのなら、後は頑張り切るだけです。

突っ走るしかありません。



まぁ、そう簡単に言うけれども、

後悔する時はしちゃいますもんね~(笑)

仕方ないですけど・・・


ワタシも大いに後悔しちゃうんだろうな~この先。

でも、

例え後悔することはあっても、そこから先を頑張っていくことしか出来ないですからね。


後悔する感情が出てきたのなら、それもそれで「自然」です。

その時は、そんな自分を自覚しながらも結局はその後、また後悔する感情がなるべく出ないように、それから先を頑張るしかないですね。

まぁ今から後悔すること前提というのはかなり弱気かもですが・・・


ヲワリ

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Vol.18 入院初日

郷に入れば、なんちゃら


今日から抗がん剤の4クール目の為入院です。

今日と明日で必要な検査をして問題なければ明日一旦外泊です。


病院に着くといつものように看護師が諸々の説明をしてくれますが、この病院は入院のたびにフロアが変わります。


どうやら、このフロアはかなりの作業を患者にやらせるスタンスのフロアらしく、

クスリの管理、

バイタルチェック、

体重、

尿量、


などなど、フロアのそれぞれの測定場所に行って自分で記録せねばなりません。

他のフロアは看護師さんが回って来て測ってくれて、世間話の一つでも付き合ってくれるのですが・・・

忙しいフロアなんすかね。。。


めんどくせ~です・・・いちいち・・・


今日も、若く、小柄で、黒髪の、笑顔が無垢で可愛らしく、AKBかSKEだかに居そうな風の看護師ちゃんがワタシに微笑みかけます。


AKB 「ワタシさんは、お元気そうだし、血圧とか尿量とか、ご自分で測りに行けますよねぇ~??」


ワタシ 「は、はぁ~、はい~。」


お元気そうだし、は余計ですが、郷に入れば郷に従いましょう。



今日は採血とレントゲンと心電図、肺活量を測定しました。


レントゲンはまだ見ていません。

最近寝不足で少し疲れていたからか、腫瘍のある左胸中心に少し違和感もあるので、これは腫瘍大きくなっている可能性、存分にあります。

不安です。


今回の抗がん剤は、1コース目と、2コース目でかなり効いたのですが、3コース目ではおそらく効き目はあまり無かったっぽいです。


今のタイミングでは効き目が切れて、またふたたび腫瘍が育ち出した、としても不思議はありません。

ただ、これから4コース目をやることは決定してますから、そこでまた、少なくとも現状維持してくれるよう、頑張るしかないです。



それと、

採血は問題なし。


肺活量ですが、少し前回より下がっていましたが、まぁ誤差の範囲でしょう。

これ、肺活量検査、なかなかやり方難しく、コツがいります。

ワタシもこのB病院では何回もやって、やっと最近慣れてきて、安定して実力を出せるようになってきました。

前までは二回やって、700cc違ったりしましたから。

難しいんです。

だからやる度に多少の誤差は出るので、今日の結果は気になる範囲ではありません。


肺活量なんですが、これは大きくわけて、肺の容量、つまりいわゆる肺活量を測定するのと、あとは一秒量といって、一秒間でどれくらい吐けるか?というのを測ります。要は勢いよく、フッと、息を出せるか、ですね。

肺活量と一秒量、ともに出来るだけ多い方が良い、ということになるようです。



ワタシは左肺が半分ありません。過去の扉シリーズでそのうち書きますが、初回の手術で腫瘍とともにワタシの左肺上葉クンは刺し違えて犠牲になってくれたのです。

しかし、今、肺活量は今日の測定では4200ccありまして、これは健康な、ワタシと同じ体格の人の平均値と概ね同じレベルです。


もともと全盛期の学生の頃に測った記憶では5000ccはあった記憶があるので、30歳超えて、しかも左肺半分ない割には優秀です。

しかし、一秒量は、実はワタシは平均の7割位しかなく、これが左肺半分無い影響なのか、それとも筋肉の疾患のせいなのかは分かりませんが、少し弱いです。


実感としても、最後まで肺に吸い込んだ空気を吐き切るまで、なかなか秒数がかかるなぁ、と自分でもわかります。


実際、左肺半分を手術で失いましたが、今に至るまで意外に生活は困りません。


ただ、少し、例えば信号や駅で走ったりすると、やはり胸が締め付けられる感じはするので、これは手術以前とはさすがに違います。

小走りや、水泳は出来ます。


全力ダッシュは、手術以降はしてません。

というか、手術前だろうが、後だろうが、大人はあまり全力ダッシュする機会ありませんね(笑)


ワタシも手術前ですが、これは抗がん剤はやっていましたが、抗がん剤合間の体調良い時にジョカノ君と年甲斐もなく河川敷でフリスビーをやった時に一瞬全力ダッシュして一瞬にして太ももを痛めて以来、マトモに走った記憶などありません。



あと、今日はエンマ様のお裁きたる、今後についてのカンファレンスがありました。

ボリュームのある話になるのでこれについては別途書きます。



ということで、朝晩の二回、バイタルを自分で記録せねばいけないので今から測りに行きます・・・


ヲワリ

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Vol.17 過去の扉(9)2009年5月③ 「現実逃避してもよい」

・・・・え、延命ぇ・・・・



最近、この過去の扉シリーズの為、いろいろ思い出したり、病院からもらった医師との面談メモなどの資料をひっくり返して回想をしています。

当時の感情が呼び起こされ、センチメンタルになったり、「よく耐えて来たよな~」とか、

「もっとああした方がよかった~」とか、いろいろ反省をしたりしています。


過去より、今! 今なんだ今!!

と、肝に銘じて、いたずらに過去に浸らないことをモットーに過ごしていますが、結局人生というもの、瞬間瞬間の集合ではなく、「過去」と「今」と「未来」の切れ目無い繋がりですから、今における自分の何らかの価値判断の基準は、「過去」を参考にするしかありませんし、「未来」を組み立てる為には「過去」も大いに利用しなければなりません。

そういった意味では自分の財産となっているような経験(=過去)を棚卸して、あらためて自分を整理している今この時間は、「今」および「未来」の自分にとって、とても良い時間になっていると感じます。このブログを始めた理由の一つでもあります。

これはある程度時間が経っている為、冷静にこれだけ書ける、ということもありますね。

本当にこのブログを決意したのは良いタイミングだったと思います。もっと先になるとどんどん忘れていくでしょうから。

正直今も思い出せないこと結構ありますが、落着いて当時を振り返る気持ちの余裕も出来た今はタイミングとして絶妙でした。


前回までにワタシはとんとん拍子で「ガンであること」そして末期と言える「ステージ4であること」を言い渡され、初回の抗がん剤投与まで2週間、という時期を過ごしていましたが、まさに、実はこの時期どんな気持ちで過ごしていたか、何をしていたか、あまり覚えていないのです・・・・日記を書いておけばよかったです。


なんとなく、なのですが、大きくワタシの心を支配していた不安の中に、診断が確定し治療方法が決まったということから、僅かながらも「期待」という光を感じていた記憶がかすかにあります。

がしかし、この時期はワタシは「現実逃避」をしていました。フワフワしていたのでしょう。

だから、あまりこの時期のはっきりとした記憶が無いのかもしれません。


それについては理由が思いつきます。


Y医師から前回、抗がん剤治療を言い渡された時に、Y医師は、

「抗がん剤をやって少しでも延命を図っていく、というのが・・・一般的になりまして・・・」

はっきりとY医師の言葉は覚えていないのですが、「延命」という言葉を使っていたことは鮮明に覚えています。


「ああ、とりあえず、死ぬ、ということ前提なのね~」


と感じたものです。


これは流石に受け入れられません。。。まだ28歳なのに延命期間に突入です。。。



現実逃避したワタシはこの時期、自分で情報収集をほとんどしていなかったと思います。

良くない情報によってさらに心乱れるのを本能的に避けるためでしょう。


抗がん剤をやることが決まったのだから、とりあえずそれをやるんだ、何も考えずにやるんだ、助かるんだ、助かる、と盲目的に目の前の楽な道にすがった、という感じでしょうか。


今となっては反省していますが、もっとこの時点で情報集めるべきでした。

一時は背を向けて逃げ出し、現実逃避をしたとしても、また歯を食いしばって振り返り、もっと現実と向き合う努力をするべきでした。

いや、そうしていても結果は「大きくは」変わらなかったでしょうが、もっと普段の生活でも出来ることなどあったと思うのです。


また、情報を集めて、自分の気持ちなりを少しでも整理しておけば、それをベースにY医師からももっと情報を引き出せたかもしれませんし、もしかするともっと他の選択肢もあったかもしれないのです。


まあそれも「過去」の話ですから、「後悔」してもしょうがありません。

でも「反省」しています。


なので、以後は可能な限り早く現実と向き合う努力を心がけるようにします。


今日、これを書いていますが、明日は今現在やっている抗がん剤の最終4クール目の入院日です。


そして明日、その後の方針について病院側から提案があります。


その提案に対してはワタシはすぐさま冷静に検討を開始して、判断を下し、現実を受け入れて生きていかなければなりません。



話をこの2009年の5月に戻しますと、そんなこんなで、ワタシは診断が確定し、目指すべき方向性が確かになったことで、かすかな期待を抱きながらも、ステージ4の幻想や、「延命」というフレーズの恐怖に慄き、基本的には現実から目を背けたまま6月の抗がん剤治療に突入してしまうのでした。



現実逃避・・・・・・

心を守る為にも、時にはそれもやむを得ないと思います。

ワタシは今でも逃げたくなる時が多々あります。

「よし、とりあえず今日は飲んで寝よう!」と、酒に逃げて済ませることもします。


ただ、ず~っとそうしていても状況は変わりません。現実を受け止めねばなりません。


いかなる時でも現実をがっちり、全て受け止めてしまえる、風が吹いてもビクともしない樹齢数千年の大木のような「強さ」を身につけることは難しいと思います。

「現実」という風が吹いてきた時に、時にはその風をうまくいなしながら、また色々な方向に体を曲げたり、しなったり、時には作戦会議の為一旦後ろ向きに逃げたり・・・・・そうしてもいいと思っています。


やはり自分の「自然な」感情は大事にしたいと思っています。


ポキっと折れないことが「肝腎」だと思うのです。


ワタシはそういった「しなやかな木」みたいな人物を目指していきたいと思っています。


このことがこの時期から学んだ反省ですね。


つづく

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Vol.16 明日から入院

睡眠は命!!



ワタシ「今日、冷蔵庫に入ってたカブを一つ、味噌汁の具で使ったから。」


母「あ、そう、カブはすぐやらかくなっちゃうでしょ?」


ワタシ「そうだね。」


母「カブはおしんこにするのが一番美味しいわね。」


ワタシ「そうだね、千枚漬けだね。」



なんて言う、ごく普通の会話を母と交わしながら、明日の入院の準備もろもろをします。

といっても頻繁に入退院を繰り返しているので、必要なものは入院用スーツケースに入れっ放しにして、洗面道具や、下着・衣類関係などは普段の生活用のモノとは分けてあるので、あとは少しの荷物を明日の朝確認するだけです。

楽ちんです。


今回は、今やっている抗がん剤の予定されている最後の4クール目の点滴の為にB病院に入院します。


といっても点滴は来週月曜からで、明日と明後日で必要な検査をするために明日入院します。

採血やレントゲン、尿の検査、肺活量の検査などすると思われます。後々詳しく書きますが、重症筋無力症や、筋炎の状態を計るのに、ワタシの場合は肺活量がかなり目安になっています。

呼吸をする筋肉が弱っているからです。


採血の結果、問題なければ土曜と日曜はやることが無く、医者も休みなので、採血をして金曜に家に帰って来て、また日曜に病院に戻る、という予定です。

外泊は、家に帰れて嬉しいのですが、差額ベッド代はきちんと発生します。病人経済は楽じゃありません・・・


ただ、明日は例の、先日記事に書きました、「エンマ様のお裁き」たる、主治医とのカンファレンスがあるので、いささか緊張していますが、これはもう明日以降考えるしかないです。



まだ過去の扉シリーズでは登場していないB病院に今はメインにかかっているのですが、ここはA病院と比較するとよく検査をします。

というか、今思うにA病院があまりしない感じです。

最近になって諸々の話を総合するにA病院のスタンスがよく分かってきました。


検査が多いのも、ありがたいことやら、他になんか悪い所見つけられてしまうのが怖いやらで、なんとも言えません。このことについても一つテツガクをワタシは持っているのでまた改めて書きます。



実は最近寝不足で身体が慢性的にダルく、あまり体調が良いとは言えません。

ワタシは重症筋無力症と筋炎のコントロールのために、今、ステロイド(プレドニン)を20mg飲んでいます。ステロイド生活はかれこれ半年以上経過しましたが、幸いなことにワタシは重篤な副作用は出ていません。

ただ、いささか不眠気味になるので困ります。


ここ1週間位、結構酷い不眠に悩まされており、1日4~5時間くらいしか寝れていません。良くて6時間です。


養生において最も睡眠を大事だと考えている8時間睡眠目標のワタシには、それだと日中頭もボーっとしてしまい、これは死活問題です・・・・


夜には部屋の照明を間接照明にして、ムーディーなジャズをかけ、寝酒として少しの日本酒を飲んだりしているのですがwwなかなか寝れんのです・・・

昼寝を試みるのですが、それでも1時間くらいで目が覚めてしまいます。


実は重症筋無力症は睡眠導入剤の類はNGと言われています・・・

効果があまり強くない漢方は処方してもらったことがあるのですが、あまり効きません。

強い薬はNGです。



まあ仕事もしておらず、家にず~と居れるので、熱なども出ずになんとかこらえていますがなかなか辛いですね。


身体の状態が悪いときに、なんとなくワタシは腫瘍がウズウズ、ポコポコ痛みだすので、(痛む、と言うほどでは無いのですが、違和感を感じる、みたいな・・・)これがなかなか心配です。

大きくなっている、と思ってしまいます。


なので体力が少し落ちているはずで、明日の採血の結果は少し不安でもあります。

まあでも今日また美味しいご飯を沢山食べて、早めに布団に入ってみるしかないです。

チョコラBBでも飲みましょうかね。


今日もがんばって!?沢山寝たいと思います。


外はなんだか風がものすごいです。嵐の予感です。何事もなければいいけど。


おわり

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Vol.15 ワタシは病気と闘っていません。

悪いヤツとは思えないんだよな・・・


過去の扉シリーズはまだ今の時点においついておらず・・・・

まだ大分時間がかかりそうなので・・・・早めに書いておきたい、ワタシの病気と身体についてのテツガクを一つ、ここで書いておこうと思います。


ワタシは、今、病気と「闘う」ことはしていないつもりです。

どっちかというと「共生」派です。


結構、病気を抱える他の方でもこういう価値観の方多いですよね?こういうスタンスをススメる本もあります。

ワタシは明らかに「共生」の心構えの方が自分に合っていますので、そのスタンスでいることが結果長生き出来ると踏んでいます。



一般的に、人間は病気になると、「その病気と<闘って>治す」というような表現を普通は使います。

ワタシももちろんこれまでその表現を使ってきました。

これからも多分使います。


しかし、ワタシの本心としてはその表現はあくまで今のワタシの状態を分かり易く示す「記号」のような意味しか無いです。

ワタシのような状態は「闘っている」という表現がどうやら言語として一般的なようなので、他の方に伝わり易い為、という理由です。

これからも使うと思います。


会社の人なんかに、「頑張って、闘ってこいよ!」なんて言われると、普通に「はい!頑張って闘ってきます!」って言います。

そこで、ワタシが「いや~、いいんですよ、癌と一緒に生きられればいいんですよ・・・」なんて人生観振りかざしても仕方ないですからね。



ワタシが何故そうなのか、というのには大きな理由がありまして、ワタシは「今のところ」胸腺腫によって、これが痛んだり、日常生活へ支障を来たしたことがあまりないからです。ちょっと前の記事でも触れた「痛みなき病」だからです。

いや、たまに腫瘍がある辺りが、ウズウズ、ズキズキしたりすることはあることはあるのですが、(気のせいの場合もあるでしょうが)それによってどうにかなったことはありません。

いわゆる腫瘍熱!?が出て何日か寝込んだこともありますが、それも発覚後数回、数日くらいの話ですし、実際のところただの風邪だったかもしれませんです、はい・・・

もちろん、この先、ワタシの腫瘍がスクスク育って、骨などに行ってしまい、猛烈な痛みを発し、苦しさを覚え、今の暮らしが大きく制限されたら、その時ワタシは「何としても闘って治してやる!」と思うかもしれません。

でも、今は、例えば酸素ボンベを引かないといけなくなり、QOLが大きく下がったとしても、ワタシの中に病気への闘争本能が芽生える、とも思えないんです。



病気になり、それまで何となく過ぎていってしまっていたワタシの人生のモノトーンの時間が、急にカラフルに色付き始めたのです。

絶望のグレーや黒にもなりましたし、幸せの黄色やオレンジにもなりましたし、さわやかな緑や青にもなりました。

一切なにも考えられない「無」の感情の透明や白にもなりました。

これも前の記事で書いたのですが、初めて「ガン宣告」を受けた日、史上最悪の不気味なグレーを見ると同時に、史上最高のピンクとブルーも見たのです。

良くも悪くもワタシの人生は鮮やかになりました。

感情の振れ幅が大きくなり、心乱れて困ることもありますが、それは「豊かに」なったとも言えます。


失ったモノ、コト・・・・沢山あります。


得たモノ、気づけたコト・・・・これも沢山あります。


だから病気が今のところ悪いヤツ<=敵>とは思えないのです。



人は必ず死にます。

おそらくワタシは今侵されている病気によって死に至るでしょう。


でもそれがいつかはわかりません。

もしかすると病気によって、その時期が本来あった寿命より早まるのかもしれません。

いや、多分そうでしょう。


しかし、その分、病気によって、病気にならなかった場合の何倍ものドラマがあるとしたら、幸せがあって、ワタシの夢が達成できるのなら・・・

病気はありがたいもの、むしろ「味方」になってしまいます。

なんとなくそうなるような気がしているのです。


いや、そうするように頑張るしかない、というのが適切な表現かもしれません。


まぁ、「味方」と言ってしまうと、後あと裏切られた時に痛手が大きいですから、「少なくとも敵ではない」ということにしておきます、今のところは。

うまく距離をとって様子伺う、感じですかね。


限りなく白に近い所のグレーゾーンに居る感じですかね?(また出ました三ツ矢雄二)


はっきりと「敵」とは思えない相手とは闘えません。

「末永く=(長生き)」お付き合い(共生)をしたいです。



ワタシは性格上、これは小さいころから、「相手のある勝負事・競争」などが苦手です。

負けるのが怖いのか?多分そうです。

でも不思議と「勝ちたい」という感情も湧いてきません。


「病気に勝つ」ことは、人生の「手段」だとしても「目的」ではありません。

ワタシは「病気と共生」して人生の「目的」を達せられれば良いと思います。



今はその「病気と共生する」という感覚を大事にしたいのです。


闘いたくなる感情がもし湧いてきたら、その時はその感情を大事にしたいのです。



「病気に対して強い気持ちを持って、闘って、治した!」という体験談が巷に沢山あります。

病気に対する一般的な、常識的な感覚はこっちの「闘う派」かもしれませんね。

だからと言って無理やりワタシも「闘わなければいけない」と無理やりなモチベーションを自分の中に生み出し、「闘って、絶対、治す!」という目標に半ば強制的に執着させられるようなことはしたくないのです。

それは自分の自然な感情を抑えつけることです。

必ず破裂します。

破裂した時の心の乱れようはおそらく大きいものになるでしょう。

それは避けなければなりません。


自分の心から湧き上がったものでは無いモチベーションは絶対に長続きしません。

人からやされているコトがあったとしても、それが心底自分の心から湧き上がっているモチベーションじゃなければ良い結果が出ないのは当たり前です。

仕事なんかも特にそうです。


ワタシは今の自然な感情を大事にし、病気と「末永く共生」していく道を進んでいきたいと思っています。

おわり

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Vol.14 頑張れ 猫ひろし

これ、どうなんでしょ~ね~


将来含めてこのブログを見て頂く方に、少しでもワタシのナリを想像してもらいやすいよう、たまにごく日常のたわいもないことも書いていきます。


ワタシ自身が将来見返した時に、その当時何があって、ワタシが何を考えていたか、振り返ることも出来ますしね。


ワタシは毎朝新聞を読みます。一般紙と特定の業界紙といくつか取っています。

仕事していた時は毎朝、必要に駆られて読んでいましたが、(と言ってもナナメ読みどころか、ナナメ眺め、みたいな感じでしたが) 仕事を休んでからは自分の興味の赴くまま、よりじっくり読める時間が増えてきました。

今は仕事をしていないとはいえ、世の中で何が起きているかは把握をしておかないといけません。



ところがここ最近、どの新聞も5分くらいで読み終えてしまうようになったのです。


つまり、見ていないのです。



ワタシが興味のあるニュースが無いのでしょうか?


ワタシの興味や好奇心が無くなっているのでしょうか?



でもまあいいです。



今はなるべく、(なるべく、ですが) 自分の自然な感情に素直に行動することを大事にしています。

素直な感情により、例えば右に90度傾いたとしても、必ずいつか左にまた90度傾く感情が湧いてくるものです。

人間そうやって修正される感情が出てくることで、長い目で見て進む方向が真っすぐになるよう、バランスが取れるようになっているのだ、というのがワタシの人生テツガクです。



カラダなんかはもっと単純だと思います。


味濃くしょっぱい、熱い、脂っこいラーメンを沢山食べると、

冷たくて甘いデザートが食べたくなりませんか?

カラダはすげ~素直です。「自然」です。



だから新聞を大して見なくていいのです、今は。

大きいニュースや、話題のニュースは、ワタシが取りにいかなくても、勝手に目に、耳に入ってくるものです。



そんななか、表題の猫ひろしの話題が飛び込んで来ました。重大ニュースではないですけど。笑。


ワタシは仕事の関係で猫さんと会ったことがあります。
(もちろん仕事上のタテマエでの挨拶程度です。猫さんはワタシのことなど覚えていません。)


他にも仕事の関係で、「芸能人」と呼ばれる人達にも何人か会ったことがありますが、ワタシがお会いしたことのある芸能人の中では、圧倒的に猫さんは「良い人」です。

いや、「めちゃくちゃ良い人」です。もちろん挨拶したことあるだけですからホントの所は分かりませんよ?

でも挨拶って大事ですよね?その挨拶だけの一瞬でワタシがそう感じたのですから、多分猫さんは相当な「人格者」です。

今回の記者会見でも人格者ぶりは伝わってきました。


だから猫さんのことが大好きです。


だから頑張ってほしいです。



がしかし、猫さんがカンボジアの代表になる、ということは、

どうなんでしょうね~w

まあ制度として認めれらているのだし、他にも沢山例があるのですから、猫さんのことだけ取り上げて賛否を真剣に叫ぶつもりはないんですが。

カンボジアの国がそれで良しとしているんだし、猫さんもカンボジアへの感謝とカンボジアへの貢献をしっかりと意識しているようですから、まあいいんじゃないですかね?

皆さんはどうですか?


なんか大相撲の外国人力士の帰化云々の話に絡めて一方の主張を批判する人もいますが議論をいたずらに飛躍させすぎですね。

ワタシは何がいいのか、よくわかりませんし、どうでもいいです、この問題は。


ただ猫さんのことは応援します。猫さんのことは。


がんばって!


いや、でも34歳で、最近マラソン初めてあれですからね、若い時から本格的に陸上を志していたら世界のスーパースターになってたんですかね?

おわり

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Vol.13 過去の扉(8)2009年5月② 「4の幻想と母のつぶやき」

神様にご褒美もらえるような人生でもなかったよ


5月もGWが過ぎ、すっかり初夏の気配を感じる頃となっていました。

いよいよ確定診断を受ける日になりました。


父母と3人でA病院で待ち合わせ、Y医師の外来を訪ねます。


ここで一つ事件が起きました。なんとY医師の診察室に入るいと開口一番、

Y医師「すいません・・・・実は・・・・」

ワタシは身構えました。

まさかこの前知らされたいくつかの病気ではないことが判明し、これは世紀の誤診によって腫瘍は良性だった、とか、もしかすると相当やっかいな腫瘍だ、とか何か突飛なことを言われるのでは、と一瞬思いました。

Y医師「先日入院で実施してもらった生検にて採取した腫瘍の細胞の検査結果がまだ出て無くて・・・」

とのこと。

困りました。

一応、ワタシも仕事を、父も仕事を、母もパートを調整してこうして来ているのです。


父が大きく息を吐き、あきれ顔で顔色を変え、今にもY医師に喰ってかかりそうな空気を出したので、その険悪な空気を察しワタシがすぐに、

「あ、そうですか」と軽く言いました。

ワタシの心境としては、なんだか死刑宣告が先延ばしになったような気もしたので、少し気が楽になってしまったのです。


でもこのA病院の対応はいけませんね。

患者も忙しいのです。

外来にいざ来てしまう前に、前の日でも直前でも、ワタシにそういうことなので外来を伸ばして、という調整は出来たはずです。

医師も多忙を極めているということは理解していますが。

とまあここでY医師とケンカは出来ません。この後命を預けるわけですから。


Y医師は折角なのでなんか話しておきたいこと、聞いておきたいことがあれば何でも、とのことでした。

しかし、確定診断もまだの段階で、ワタシとしても可能性の話でいろいろ聞いてしまって、それが悪い方向で気持ちに作用することが嫌だったので、大したことは聞きませんでした。

おそらく、ネットに出ている一般的な情報をいくつかおさらいするように聞いたと思いますが、この日何を話したかもあんま覚えていません。

記憶にあまり無い、ということはそういうことなのでしょう。


とりあえず、ワタシはこの日の緊張感から解放された安堵のもとにホッと帰宅するのでした。

無論父は終始プリプリしてた記憶がありますが・・・



さあ、仕切り直して翌週、ワタシは母親とともに再びA病院Y医師の外来を訪ねます。
(確か結局父は仕事を休めなかったと記憶してます。無理も無いです。その前の週にも一日休んでいるのですから。)


Y医師の診察室に入り、Y医師はメモを書きながら淡々と説明を始めます。



Y医師「病理診断の結果ですが・・・やはり胸腺腫でした・・・」



想定内です。




Y医師「それで・・・・正岡の病期4のAになります・・・・」



想定内!?、いや、ちょっとまってよ・・・・・









ワタシ「|||||||||||||||||||凹[◎凸◎;]凹|||||||||||||||||||」








ワタシ「ス、ス、ス・・・・・ス、ステージ・・・・4・・・・・ですか・・・・・・2・・・・位じゃないのですか?」


Y医師「はい・・・・胸の膜、これは正確に言うと肺の中ではなく、周りなのですが、ここに播種してまして・・・・・」


ワタシ「はあ・・・・・・この前自分でネットで見たんですけど、5年生存率3割とか・・・・・・・・・・・・・・・」


Y医師「そうですね・・・数字のことは何とも言えません。ただ、肺がんのステージ4と比べると桁違いの数字ですから、これで直ちに身辺整理をして、とかそういうレベルでは無いことをご理解してください・・・・」


ワタシ「はあ・・・・・・・・・・」


Y医師「会社にもただ、胸腺腫という病気になった、少し休む、くらいに、あまり重く言わない方がいいと思います・・・」


ワタシ「5年生存率3割・・・・・それはどうなんすかね~?・・・・・・・・・・・ワタシはどうなんでしょうかね~?」


ワタシ「ワタシはこの先50歳とか60歳とか、それを迎えられるのでしょうか・・・・・・」


ココの所ずっと不安に思っていた核心の質問をぶつけてみます。


Y医師「先ほども言いました通り、悪性度は一般的なガンのイメージよりは幾分軽いですし、すぐにどうにかなっちゃう、というレベルではありませんから。もちろん50歳とか60歳とかになってどうなのか、はなんとも言えないですね・・・」


想像通りの回答です。

しょうがないです。

Y医師に20年後のワタシの命の保証は出来ません。


Y医師はこういった告知はお手の物です。

こちらの反応を見ながら、気を遣いながら、しかし必要なことを淡々と説明します。


Y医師「・・・・・・抗がん剤治療をしたいと思うのですが・・・・・」


ワタシ「・・・・・・・・・・・・・・・お願いします・・・・・・・・・・・」



ステージ2と踏んでいたワタシはまさかの飛び級によってこの時点で「末期がん」であることとなりました。

胸腺腫は病理診断上は、「胸腺がん」と区別され、病名に「がん」とはつきません。

ただし、ワタシのようなステージ4の浸潤性のものは、一般的なガンのステージ4と同じようにすでに他の部分に転移(播種)していますし「腫瘍=がん」、みたいなことですし、抗「がん」剤治療をするのですから、ワタシの心はこの時点で「末期ガンだ・・・」ということになりました・・・

一般的にもそう解釈されて問題無いと思います。


今となってはこのステージの診断というのは、すでにある事実に対しての後付けの話ですから、あまりこれに心奪われる必要性は無いと思ってはいるのですが、この時点でのワタシの気持ちの上でのステージ2と4の違いというのは当然天と地の差があります。

「ステージ4=末期=近いうちに死ぬ」というこのステージ4の「4」という数字の、あまりに強烈な幻想がこの先ワタシを支配します。


ここで治療方法をいったん保留して悩んでも仕方が無いですし、この時ほぼ思考フリーズしていました。


ガンの世界ではセカンドオピニオンという概念がありますが、A病院は国内では有名な権威ある病院とされています。

ワタシはとりあえずはY医師の言うコトだけを聞いて、あまり何も考えずに治療を始めてしまおう、と思ったのです。


早く次のステップに行きたい、という強い気持ちもありましたし、もう不安に苛まれるのも嫌でした。

ワタシはおそらく自分の心を守る防御本能により、恐怖心を避け、淡々と前に進もうとしました。



この日は5月も半ばにさしかかっていました。

ワタシの仕事の調整と、病院のベッドの空き具合との兼ね合いのバランスを取って、切り良く6月の頭から一旦入院して初回の抗がん剤をしましょう、となりました。

入院の予約をして帰ります。



参りました・・・28歳末期がん男子です・・・・


これからどうなるでしょうか・・・


この日のワタシの心ですが、不思議とあのY病院でのガン宣告の時よりは大分落ち着いていました。


想定より厳しいステージ4ということでしたが、状況がはっきり判明した、ということで不安や恐怖の正体が見えたからだと思います。

まったく不安と恐怖の中身がわからなく動転したあの日とは違いました。


「ガンになった」という事実よりも、「ステージ2が4だった」という事実の方が、ワタシには幾分マシであった、ということです。



と言っても「末期がん」という現実は厳しいものです。




肩を落とし、母と2人バスに乗ります。


「・・・神様からバチの当たるようなコトでもしたかね~・・・」


どのタイミングだったか忘れましたが、ふと、母がワタシに向かって言うでもなく、ぼんやりつぶやいたのを鮮明にワタシは記憶しています。

これまでの闘病生活の中で最も印象的だった言葉と言っても過言ではないかもです。




ワタシが思うに、母は必死で自分を責めています。


ワタシが病気になってから、今に至るまで、母は必死に支えてくれています。

病院にワタシが入院している時はほぼ毎日自分のパートが終わってから来てくれます。

いつも洗濯物を抱えて病院に来てくれます。

たまに休んで欲しいと言っても来るので、ワタシは「一人になりたいから来ないで」とまで言わないと必ず来ます。


生意気にグルメなワタシが病院の食事を好まない為、いつもデパ地下で美味しいオカズを買ってきてくれたり、自分で作って来てくれたりします。


家にいればワタシに食事を用意してくれています。

一時はかなり厳しい食事療法を徹底した為、ワタシのウルサイ注文に文句ひとつ言わず付き合ってくれました。


ワタシが野菜ジュースを飲む毎朝、大量の野菜を冷たい水で洗って切ってくれます。


時にケンカをしたことはもちろんありますが、それでもメゲずにワタシに付き合ってくれます。


母は自分を責めています。ワタシは母のお腹から出てきました。

「私が息子を丈夫に産めなかったから息子が苦しんでいる」と思っているに違いありません。

ワタシは親になった経験はありませんが、きっとそれが母親というものと思うのです。

病気の子供を抱える世のお母様方どうでしょうか??


世の中の31歳と言えば、独立して結婚して子供が居る人もいます。

ワタシの同級生でももちろんそんな「一般的な当たり前の暮らし」をしている人間は数多くいます。


ワタシは実家で親に甘えています。

だらしないと人は言うでしょう。

今、この瞬間、ワタシは仕事もせずにブログを書いています。

母は今ワタシの晩御飯を作ってくれています。


でも母親にとって息子たるワタシの存在は全てなんです。

ワタシはそんな母を生涯大切にします。

マザコンだと人に笑われようがBe Quiet!!です。


ワタシはもちろん、もういい年の親に体力的にも負担をかけたくないし、気も使わせたくありません。

父親と母親にはのんびり老後を過ごしてもらいたいと思っています。


家を出て、自分一人の責任でもって一人暮らしをすることは今の病状なら可能です。

お金もありますから今からでも可能です。

実際この後書きますが抗がん剤治療から手術まではワタシは一人で暮らし、仕事も続けていました。


でもワタシが実家を出れば親は心配でしょう。

実際一人で暮らして闘病してた時はかなり心配していたようです。家族は側に居た方がいいのです。


親は甘えて欲しいと思っているはずです。ワタシが甘えてくれることが、母の生き甲斐のはずなのです。

だからワタシは親と一緒に居ることを選択しました。

ワタシの人生は両親の人生でもあるのです。

ワタシのカラダは、両親のモノでもあるのです。

だからこそワタシは、親を大事にしながら「ワタシの人生」を「しっかり生きる」しかありません。ワタシに出来る孝行はそれです。

親と一緒に居る、という選択をした「ワタシの人生」を後悔無きよう「しっかり生きる」のです。

これが「両親の為に生きる」ということです。

親より長生きして、親を看取るという目的は果たさないとなりません。




この日、すっかり肩を落とした母とワタシは、病院からの帰りはホントぼんやりしていたのを記憶しています。


ワタシもぼんやりしながら母のつぶやきに回答するように心の中でつぶやいたのを記憶しています。



「・・・バチの当たる人生では無かったけど、かと言ってご褒美もらえるような人生でもなかったよ・・・」


つづく

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Vol.12 過去の扉(7)2009年5月①「現実を過小評価する」

まぁ、最悪ステージ2だろっ


Y病院でのガン告知とA病院での初診から、針生検の入院を経て、次回GW明けのY医師の外来までは幾分か時間がありました。

例の人生最大の衝撃の2日間を過ごしましたが、数日も経てば少しづつ落ち着きを取り戻します。


人生最大の不安に陥ったとしても時間が経つにつれて徐々に落ち着いてくるものです。

本当に時間というのは凄まじい威力をもっています。

また、人間の脳みそは、その先も健康的に生きるために、不安や恐怖を感じたとしても、時間をかけてそれを自動的に消し去って行く「ワタシの頭の中のケシゴム機能」が備わっています。


とは言っても完全に不安が消える訳はありません。

事態は何も変わってはいません。

憂鬱です。怖いです。

この現実がワタシに対してこれからどんな攻撃や、武器や、魔法を使ってくるか分かりません。


28歳の若さで「がん」と言われ、納得のいかない無念さもあります。

私は酒こそ好んで飲みますし、食生活は当時は褒められたものでは無かったですが、学生のうちにタバコは辞めたし、体重も太り過ぎないようには気を付けていました。

野菜や魚や果物もたまには食べていました。(今はすっかり草食男子)

ジムに行くのも好きでした。


何かの間違いであってくれ、という目をそむけたい気持ちも当然あります。


がしかし、これが夢である確率はおそらく6億円当たる確率より低そうなので、ワタシは置かれた現実を受け入れるよう、頑張らなければなりませんでした。

そう、あの心臓の横に写る例の腫瘍の塊と同じ色をしてワタシの心を支配している、このドロドロとしたグレーの不安の中身を少しでも解析して、もっと気持ちを落ち着かせたい所です。

今の段階で出来る限り現実の攻撃に耐えうる防御力をワタシは養うなり、武器を探しておきたいところです。



心に問い掛け、ワタシが対処すべき不安を細かく分けてみると、当然それは、


①治るのか?治らないのか?・死ぬのか?・死なないのか?


②死ぬとしたら、いつなのか?


③死ぬとしたら、死ぬまでの生活はどうなるか?仕事とか?ワタシの夢は?
 (今でいうところのQOLですかね、当時はもちろんそんな言葉は知りません)


と、いったようなものになりました。ひたすら、「死」をイメージせざるを得ませんでした。


「ガン=死」というのがおおかた一般人のイメージであります。

昔は末期になって初めてガンと分かるケースがほとんどとのことでしたから、その時代のイメージが現代にまで受け継がれているのは、いた仕方ないですね。

今の医療に当てはめれば、それは早合点にすぎない、ということになるのでしょうが、ワタシは「がん=死」と捉えるのは決して悪いことではない、と考えています。

このテーマについてもワタシ自身思うテツガクがありますので、これもまた別枠でネッコリ後日書きます。



さあ、A病院のY医師によると、

第一回・・・選択希望選手・・・読売・・・「胸腺腫」・・・とのことなので、家のPCでググり、ウィキり、検索パーティーです。


パーティーですからビールなど飲みながらした記憶があります。

酒の勢いを借りなければ調べられなったのでしょう。

怖かったんでしょう。

ワタシもカワイイものです。


見慣れない言葉に戸惑いながらもお勉強です。

胸腺腫がなんたるか、ご興味のある方はググッたりウィキったりして頂ければ良いのですが、とりあえずわかったことは、

◆レアな腫瘍である。したがって情報少ない
 (これはかなり困りものです。今でも悩みですね。もっと胸腺腫の人とネットワークが広がればいいですが。)

◆肺がんや他のがんに比べると悪性度は低いが、「胸腺がん」と区別される悪性度の強いものもある。

◆進行はゆるやかなタイプなので、肺がんなどに比べると5年生存率は良好、一番よろしくない不良の4期でも3~4割、2期までならかなり予後良好

◆ただし、再発しやすい、サイトによっては必ず再発する、などと書いてある。(必ず、なんてこの世にあるか?)

◆原因は不明
 (まあ病気なんて大概原因不明だろう、とこの当時のワタシも理解していました。)

◆「重症筋無力症」という自己免疫疾患を併発している人が3割いるらしく、これが胸腺腫を調べ上げると、どこのサイトでもフューチャーされており、切っても切れない関係にある病気のようだ。(まさかこれになるとは・・・)

◆30代超えた女性に多い疾患 (もともと女々しいワタシでしたが・・・)

◆治療方法は、手術、放射線、抗がん剤、とこれは当時無知なワタシでもこの癌の標準治療の3パターンくらいは知っていました。

◆もっとリアルな、ブログなどを書いているような人は居ることは居るが、あまり参考になるようなものは無く、この時はまだ時間をかけてそれを探すこともしませんでした。
 (まさかワタシがブログなんて書くようになるとは・・・)

◆結局よ~わからん。

というようなことでした。


さあ、ここまで得た情報を使って、上記で挙げたワタシの不安に対処してみます。


①治るのか?治らないのか?・死ぬのか?・死なないのか?

これについては、この時のワタシは5年生存率で判断するしかありませんでした。

ステージが若ければ生存率はかなり高い腫瘍です。


ワタシは体も丈夫だと思ってましたし、体力にも自信がある時期でしたから、5年生存率が8割もあれば、まずワタシは2割にはならないだろう、と判断しました。


根拠なき自信ですが、この判断は今考えても概ね正解でしょう。

この統計にはもちろん、すでに体力が無く、他の病気も経験している高齢の方なども交じっているでしょうから。

この時期からもう3年経っています。

あと2年ではまだワタシは死にそうにないです。

なので2割に入るでしょう。


Y医師は診察の時に、胸の絵を書いてくれて、腫瘍のある場所を簡単に説明するメモをワタシに渡しました。

心臓の横の大元の腫瘍と、その他、胸の膜に2か所、小さめの腫瘍がある、とメモをもとに説明されました。

胸腺腫は、胸の膜に「播種」していると、ステージ4Aとなり、予後不良ということになります。

それはこの時点でもワタシはネットで調べて認識することが出来ました。


実はY医師の初診の段階では、この胸の膜にある腫瘍について、「播種」との説明は受けてなく、メモにも、「胸の膜にも広がっている」くらいにしか書いていなかったので、ワタシもこれが「胸膜播種」である、とは思わなかったのです。

大元の腫瘍とともに、その胸の膜の腫瘍もちょいちょいっと取れるものだ、と思ったのです。


ということで、ワタシは具体的な根拠は分かりまんが、悪くてもステージ2とかだろう、とタカをくくったのです。

ステージ2であれば、上記のごとく、ワタシは「死なない」という判断になります。


当時のワタシは、ステージというものは、「あらかじめ統計された病状を、機械的に当てはめて客観的に判断する」のではなく、

「なんとなくそれを参考に医者が主観的に決めるものだ、そしてそれは客観的事実にまで昇華するのだ」という、かなり身勝手な勘違いをしていました。

がん入門者には仕方ないですよね・・・


治るか、治らないか、についてですが、おそらく手術して取るのかな?と思いましたので、治ると思いましたし、確かに再発しやすい、とは書いてありましたが、この時はまあ大丈夫だろう、と、再発した時はその時までだ、と、目先の安心をとにかく優先してその先の再発などは考えないようにしました。

といっても、ステージが、3とか4、て言われるのが不安と言えば不安です。


でも結局そうだったとしても、そうなるとワタシは「死ぬかも」と思わざるを得ないので、この時点では考えたくは無かったのです。

とりあえずは、治るだろう、と思い込みました。


万一、そうだったとしても、それはそう言われた時に嫌でも考えざるを得ないので、とりあえずはこの時は考えないこととしました。


次に、

②死ぬとしたら、いつなのか?


ですが、一応、この時点では死なない、としたのでこれは考えないことにしました。


次は

③死ぬとしたら、死ぬまでの生活はどうなるか?仕事とか?ワタシの夢は?

一応死なない、としましたし、生活も変わらずに出来るだろうと思いました。

後遺症とかは書いてありませんし、合併症の重症筋無力症などにはなる訳がないだろう、と思ってました。


これの確率は3割でしたから、5年生存率8割に入るのと同じような理由でワタシは当たり前のように7割に入れるだろう、と判断しました。


再発は気をつけなきゃいけないけど、原因不明なのだから、気をつけ方はわかりません。

とりあえず、また普通の1か月前のワタシの暮らしを取り戻せると当たり前のように思っていました。


仕事は当分抜けることになるでしょう。

それはそれで厄介な作業でした。

幸い、当時の職場はピリピリした殺伐とした空気では無かったので、話易い雰囲気ではありました。


とりあえず今の段階で想定されること(結構厄介な病気っぽくて、数か月とか休まなければいけないかも、等)は早めに会社に報告はしておきました。

考えられる病名はまだ言っていません。


会社は薄々「がん」であることは気付いていましたが、だからと言ってすぐにワタシを解雇するようなことはしません。

労働組合などもありますし。


その意味では、これは今に至るまでですが、会社にはとても感謝をしています。

病気と会社の関係についてはまた改めて書きます。


5月の確定診断、治療方針が出たらまた正式に会社と相談ですね。

生活が変わらない以上、ワタシの夢も実現に向けて変わらずに頑張らなければいけません。




ということで、目下気になるのはワタシはステージいくつなのか?ということでした。

「まあステージ2くらいで、概ね大丈夫だろう」というのがワタシが出した結論です。

今後の治療やスケジュールが流動的なこの時期の状態は何とも不安定で気持ち悪い状態でしたから、早く「ステージ2ですね」と医者に言ってもらって、目標を定めて、不安や恐怖から抜け出したい、という気持ちが強かったのですね。


ということで、この時点でワタシは、

「現実と闘う為の防御力を養う、武器を探す」

という作業にまではほど遠く、それよりもむしろ、

「現実の攻撃力を過小評価する」

という方向で、曖昧にタカをくくり、ワタシはとりあえずは自らの不安を少し減らし、ある程度の落ち着きを取り戻し5月GW明けの確定診断を待っていたのでした。


今になって思うのですが、結局この時点では、確定診断が出ておらず、基本的には何もしようがなかったですから、当時のワタシにしてはここまででも上出来だったと思っています。

何より当時は不安を少しでも減らし、通常の生活を維持することが何より大事でした。


それまでの2~3週間の間にX病院やY病院での検査やらが続いて職場に穴を開ける機会も増えていましたし、これからはもっとそうなるであろう為、仕事が出来るウチは出来るだけ片付けておかないといけない状況でした。


つづく

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Vol.11 過去の扉(6)2009年4月④「初入院・初気絶」

・・・おふっ Σ(T□T)


さて、過去の扉の向こうへの旅を再開して。


なかなか時が進みませんが、前回の記事で書いた通り、2009年4月の時期が最も気持ちが揺れ動いた時期でネタも一番豊富なのです。

これで2009年4月のネタは最後ですので、もうしばしお付き合いを。


Y病院でのあっさりガン告知と翌日のA病院での診察から数日経ち、動揺は続いていたものの、多少の落ち着きを取り戻したワタシは、4月末の針生検のための入院に備え、いつもの暮らしに戻っていました。

一つ、やっかいな作業をワタシはしなければなりませんでした。

会社への説明です。


もう単なる通院の繰り返しでは済まないだろう、ということになってはいましたから、ここは正直に、今の判明している事実と、今後の見通し、とりあえず月末に入院する旨、その結果で最終診断がGW明けには出るだろう、ということを隠さずに上司にまず報告します。

上司経由で人事部門にも共有を図ってもらいます。


会社に多くの配慮をしてもらうことになります。

職場の皆にも迷惑をかけることになります。

とりあえずは、ワタシは治療に専念せよ、と、仕事は可能な限り調整してもらうことになりました。


闘病の中で、仕事をいかにするか、というのは大問題です。

ワタシもご多分に漏れず、仕事との関わり合いは大いに悩んできました。

これについてはここでは割愛し、仕事と病気についてはまた別の機会にネッコリ書きたいと思います。


さて、4月も末になりGWに突入する週末に入院です。

一応、胸に針を刺すので、肺に穴が開いてしまう気胸などのトラブルが無いとは言えない為、大事を取って入院をする、とのことでした。


母親と一緒に午前中に受付をし、病室に入ります。

担当の看護師さんが諸々の説明をしてくれます。その看護師さんに、見習いとして看護学生が一人ついてきました。

どこの看護学生でどういった経緯でこの病院で研修しているのかよくわかりませんが、永作ヒロミに似ている、笑顔の可愛らしい女の子でした。

研修中の彼女が緊張した面持ちで少し頬を赤らめてワタシにオドオド近づいてきます。

「あら、かわいいわね~」なんてワタシが思ってると・・・


永作「研修してます永作です。今回のご入院なんですが・・・・」

と、さっき担当看護師から概ね言われたことをさらに詳しく説明する、みたいな感じでした。

最後に、

永作「なにかご不安なことはありますか・・・・」と、神妙な面持ちを一応作ってワタシに問いかけます。

不安と言えばすべてが不安ですが、この20歳そこそこの、ただの女子である、世間の世知辛さを何も知らないであろう、純粋な薄いピンクの塊のような永作がワタシのドロドロとしたグレーな不安を聞いて、何か出来る訳ではありません。

ワタシ「いや、大丈夫ですよ」とワタシは大人の笑顔で永作に返します。


永作「はい、また何かあったら言って下さいね。」と、ワタシがメンドクサイことを言い出さなくてよかった、という安堵の笑顔。


・・・患者も気を遣うのです・・・


この日に針生検をします。午後になると呼ばれて、現場のCT室に入りました。

CTの中にワタシが入って、同時に外科医が一人、CTに入っているワタシの胸に針を刺すのです。

CTを起動し、ワタシの画像を別室でモニターしている放射線技師と外科医が連携して、ワタシの胸にマジックで印をつけて、針を刺す位置を決めます。


いざ、胸に局所麻酔をして、針を刺します。


局所麻酔をしてますので、痛い、という感覚はないのですが、針(注射の針より大分太い)が胸にめり込んでくる感覚はあるのです。

これはたまりません。

ワタシは気分がどんどん悪くなり、体中から脂汗がしみてくるのがわかるほどの緊張に陥りました。

「早く終わってくれ~」と心の中で繰り返します。


外科医は中でモニタしている担当と連携しながら、「はい、採るよ~」と言ったかと思うと、針を何やらカチっとはじきました。


「・・・おふっ Σ(T□T) 」


これはおそらく腫瘍に針が到達したことをモニタでも確認したので、実際に組織を吸い取る音だったと思います。そのカチッと言う音と同時に、ワタシの胸に衝撃が走りました。

外科医 「はい、終わりました~」


このCT室の担当看護師はかなりのベテランさんで、もうおばあちゃんと言っていい位の人だったのを鮮明に覚えています。

その看護師さんは優しく、まるで孫をあやすかのように、ワタシに「はい、終わったからね~、ゆっくり立ち上がろうね~」といいます。


すると立ちあがろうとすると、


あれ、あれれ・・・ ∑(_□_;)ii


急に目の前が真っ暗になり、渦巻きのようになりました。


おばあちゃんの「大丈夫、どうしたの?大丈夫~」という声がどんどん遠くなります。


どうやらワタシは少しの間気絶したようです。

針が胸に刺さる感覚に耐えきれず、体がギブアップしたようです。


気がつくと、と言ってもすぐに正気になりましたが、CT室の前のソファーで、ホームレスのように寝かされていました。

横には例のおばあちゃんがいて、「もう大丈夫だよ~、と言ってくれています。」


このおばあちゃんによると、結構ワタシのように針が刺さると、反射で血圧下がってこうなる人が多いそうです。注射で気分が悪くなる人と同じですね。

実際ワタシも気を失った際に、このおばあちゃんが血圧を測ったらしく、上が60くらい(確か!?)だったそうです。

怖や。


CT室の前のソファーで寝てたワタシのもとに、病棟から担当看護師と永作がストレッチャーで迎えにきました。

気を失ったということで、心配して病室から母もきました。

母は「倒れちゃったの~」なんて言ってます。


まあそんな珍プレーも起こしながら、なんとか目的の針生検も終えて、夕方になると母親は帰って行きます。

この日の夕飯は確かフライだったか、トンカツだったか、忘れましたが、意外に病院もまともな食事が出るんだな~、などと思った記憶があります。

今となってはこのA病院の食事も、この先登場するB病院の食事も嫌で嫌で仕方ないのですが。


こうして初めての病院の夜は更けていきます。

ワタシの記憶が確かなら、おそらく病院という所に泊まるのは産まれた時以来28年振りです。

まるで部活の合宿のような気分でしたか。


明けてレントゲンを撮り、一通りの診察を病棟の医師にしてもらいます。

問題無いとのことで退院です。


GW明けに再びY医師の外来を訪ね、そこで確定診断を受けることになります。


つづく

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Vol.10 而立(じりつ)「これからの10年」

ワレ、40にして惑わず!


前回のブログの中で論語の言葉を引用しました。

そこで一つ思い出したので、過去の扉の向こうへの旅をここで少しお休みにして、もう一つ論語から引用して書こうと思います。


「三十而立」(三十にして立つ)


ちょうど今のワタシ、このくらいの年です・・・もうすぐ32歳ですがね。


論語の中のこの孔子のセリフが出てくる章は、孔子が晩年、自身の人生を振り返ったとても感慨深い、論語の中でももっとも有名な名文句の一つです。

確か金八先生もこの章を生徒に紹介していたような??


文学的なリズム感もあいまって、ワタシも大好きな文章です。


孔子サンは時の中国において、各行政の政策顧問のような、政治コンサルタントのような、そんなことをやってた人です。

今の世の中にもいますよね?行政の顧問みたいな肩書きを携えてアドバイスをする大学教授とか、そんなイメージでしょうか。

そんな孔子サンは小さいころから学問に励み、30歳に至るまでは祖国政府の役人になって、倉庫の守り役などの職を転々としながら、古典の学習を日々地道に進めたようです。

30歳になって一通りの学問を終えると、孔子サンが博学であることが世の中に徐々に知れ渡るようになり、いよいよ孔子サンも、政治に関わり、自分がこれまで培った学問を広く社会に広め、世の中を良くしよう、そう決意を固めたそうであります。

これを「立つ」と表現したんですね。

また、この時の時代背景として、30歳くらいで妻を迎えて家庭をもつことが一人前だ、という価値観もあったらしいので、これも踏まえて30歳を一つの区切りとして表現したということもあったようです。

丁度、現代に当てはめると、大学の博士課程を終えて、講師とか、助教、准教授になるのが30歳くらいだ、ということでしょうかね?学者さんの場合?


ワタシも30歳を超えちゃいました・・・残念ながら妻を迎えて家庭は持ってはいませんが・・・


このブログの一番最初の記事でも書いたのですが、20代までは経験や知識のインプットの連続です。

そろそろワタシも今まで培った様々な経験や知識を頭の中で整理して、「自分」というものや、「人生観」というものを、より強く確立しておく時期にきました。

人生計画などももう一度点検しなければいけない時期です。


孔子が自身が学んだ学問を広めることを自分の人生の道にしようとしたように、ワタシも自分の人生の道をしっかりとここら辺で見据えなければなりません。

どう生きていくか、「自分の人生」のイメージをしっかり固めて生きていこうと、この孔子の言葉を思い出す度に思います。

いたずらにインプットを重ねて勢い生きているだけではなく、常々「自分はどうあるべきか?」をテツガクしながら生きていこうと思います。



ちなみに、孔子サンは続けて、


「四十而不惑」(四十にして惑わず)


と言っています。


ちなみにこれですが、かくかくしかじか、孔子サンは諸国を遊説して回ってましたが、紆余曲折を経て、自分が貫いてきた学問の道を利用して、改めて荒れた祖国を救うため帰郷する決意を固めたことを表現しているらしいです。

「自分が行ってきたことは間違っていなかった」とあらたに決意したことを「不惑」と表現しているようです。


う~ん、さすが、カッコいいですね。


ワタシもこらからの10年、40歳になるまでに、「自分が行ってきたことは正しかった」と胸を張って言える「不惑の自分」になれるよう、頑張らなければなりません。

もちろん、生きていなければなりませんね。

40歳、自分がどうなってるか、楽しみです。


「不惑の40歳」かっこいいですね。

とりあえず体型の維持と、髪の毛のケアはしとかないといけないですね。

40代は男としてもモテ期だ、と聞いたこともあるので。



ちなみに孔子サンは続けて、


「五十而知天命」(五十にして天命を知る)


とこれまた難しいことを言っておられます。


まあこれはまだワタシには早いので、とりあえず40歳になる10年後のブログに書くとしますか。


おわり

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Vol.9 過去の扉(5)2009年4月③「木漏れ日溢れるバスの中で」

父母唯其疾之憂


実家にてビールと涙にくれた夜が明けて、父と母とワタシで電車とバスに乗り継ぎ、これから今に至るまで、様々なドラマの舞台となることとなるA病院へ向かいます。


物々しい病院です。

どんよりしたイメージがありました。


もちろんそれはワタシの気分がそうさせていたのでありますが、X病院、Y病院よりもはるかに大きいA病院は、まるでその後のワタシの運命をあざ笑うかのように不気味な佇まいをしておりました。

ワタシが描いていた未来へのキラキラした期待や夢といったものを、まるでその病院が吸いこんでしまいそうな雰囲気です。

恐ろしいです。


今でもこの病院に行くことがありますが、相変わらずこの病院の前に立つと、この日のこの感情が蘇ってきます。


受付にて紹介状や、Y病院にて撮影したレントゲンやCTの各フィルムを渡します。

これが結構なボリュームでした。

今はCDロムに焼いてしまうのが普通ですが、この時は何故かフィルムを大量にワタシは持参しました。

Y病院がアナログだったのでしょうか?


必要な手続きを済ませ、呼吸器科の外来待合室で親子3人並んで座って待ちます。


患者の多さもX病院、Y病院とは比べ物になりません。

しかし患者のみなさんの顔色はX病院、Y病院と何ら変わりありません。

こんな患者をたくさん抱えて果たして一人一人をしっかり診れるのか?とこれほど大きい病院に初めて来たワタシは一抹の不安を抱きましたが、それを今気にしても仕方ありません。


次々と患者がフルネームで診察室へ導かれて行きます。

各医師が待ち受ける診察室の多さもX病院、Y病院とはけた違いです。


ほどなくして男性の声がスピーカーから聞こえます。

「●●さん(ワタシの苗字)、●●●●さん(ワタシのフルネーム)、●番へどうぞ~」

この病院は、患者に分かり易く苗字を呼んで、続けてフルネームを呼ぶ、というパターンの病院です。



さあ、死刑台にのぼる恐怖です。


親子3人、意を決して診察室に入ると、待ち受けていたのは、今現在もお世話になっているA病院の呼吸器内科Y医師です。

「あ、私はYと申します。」と名札を見せて挨拶をしてくれているその医師は想像より若く、30代後半くらいの男性医師でした。

正直ワタシが対面する医者はこの件で言うとこれで3人目ですが、X病院M医師、Y病院S医師よりも一見頼りない感じではありました。

しかし、話は丁寧で、さすが数多くのガン患者を対応して、訓練もされているのだな、と言った感じです。

こちらの不安も察したように分かり易く説明をします。


Y医師はこれまでの経緯をワタシとおさらいしながら、手際よく紙にメモを書いて説明をしてくれます。


心臓の隣にある例の不気味な塊がある場所は、肺でも心臓でもなく、「縦隔(ジュウカク)」と呼ばれる部位とのことで、ここに腫瘍が出来ている、とのことでした。それが、種をとばして、肺の外側の膜(胸膜)というところに播種している、とのことです。

結局、先だっての健康診断では、この播種をした胸の膜の部分の腫瘍がレントゲンに写り、異常と判断されたのだろう、とのことです。


そんでもって、真犯人の心臓の横の塊が何故こんなにも大きくなるまでわからなかったか、というと、これは心臓と重なった位置にあるため、正面からのレントゲンでは丁度心臓と重なって写ってしまうため、わからないことが多い、とのことでした。

Y医師によると、これほど大きいのだから、おそらく数年前からスクスク育っていた可能性は十分にあるだろう、とのことです。


会社の健康診断では毎年胸のレントゲンを撮ってはいましたが、普通の内科のレベルではこれを心臓ではなく、腫瘍と見抜くのは 「まず無理」 とのことでした。

仕方ないですね。


数年前に人間ドッグにでも言ってCTを撮っていたらまた違う人生だったでしょうが、それはタラ・レバでしかありません。

20代半ばで人間ドッグにいくのは健康オタクです。


そして今のところ考えられる病気として、Y医師は以下をピックアップしました。

○胸腺腫(すでにこの時点でY医師はおそらくこれだろう、とは言ってました。)

○胚細胞腫瘍 

○精巣腫瘍

○リンパ腫

○肺がん   

見慣れない漢字ばかりでどれもよくわかりません・・・


そして、ワタシはどうしても気になる、こんな大きい腫瘍があるのに、何故ワタシは元気で痛みも無いのか?という疑問をY医師にぶつけました。

こういった腫瘍はほんとうに個性がバラバラで、人によってまったく違う、大分進んで大きくならないと痛みが出無いものもあるし、小さい段階でも痛んで骨に転移しちゃったりすることもあるので、という、当時のワタシにとってはまったく理解に苦しむ説明でした・・・


今に至るまでワタシはこの腫瘍が原因で痛かったり、何か生活の不自由を受けたことが無く、「この痛みなき病」はワタシを大いに惑わせることになります。

かなりこれもテツガク的話になるので、また別な機会にこの「痛みなき病」については書きます。


結局、実際に腫瘍組織を採取して病理にかけて、最終的に確定診断になるとのことです。


実際に胸の腫瘍に、外から針を刺して採取するとのことです。

少し恐ろしくなりました。

針生検と呼ばれるヤツですね。


その針生検は一泊二日で入院してやる、とのことで、人生初の入院が4月の末に決まりました。

4月の頭くらいから本格的に重病疑惑がもちあがり、動揺しはじめ、ここまでトントン拍子に話が進んでいます。


ワタシも心の準備が追いつかない感じでしたが、父と母にとっては昨日の今日の話です。

さぞ不安と動揺が大きかったでしょう。

入院の予約をしてこの日は帰ります。


あまりの展開の速さに、ワタシはもちろん、父と母も動揺していました。

不安で仕方ありません。


現実を受け入れる、という心境にはほど遠いものだったと思います。

嘘であってくれ、という感情がワタシにも、両親にもあったと思います。

ワタシの心は、本当に両親に申し訳ない、情けない、という感情ばかりが支配していました。


「父母唯其疾之憂」(父母にはただ、その病をこれ憂へよ)


これは「論語」に出てくる孔子サンのありがたいお言葉です。

とある貴族が、孔子に、「孝行の心がけとは何ですかね?~」と質問した時の孔子の言葉です。


古典の解釈には正解が無いので、孔子の真意などは分かる訳はないのですが、おおかた、学者さんの世界では二通りに解釈が分かれるようです。

一つは、

○子供はみだらに病気になって親に心配かけないよう、気をつけなければいけない。

もう一つは、

○子供は、親の病気をまず心配せねばならない。


要は子供の病気か、親の病気か、どっちを指しているのか?という違いですが、別にどっちでもいいです。


どっちにしろ「家族というものは、元気で生きてくれている、という「存在」そのものが全てなんだ」ということに尽きる、とワタシは勝手に解釈します。


古典はこうやって自分勝手に物語を解釈できるし、書いた本人が居ない分、それを誰にも批判されない、ということもいいものです。


そうなると、病気になったワタシは孝行しないことになります。


論語は紀元前の大昔の物語です。

そんなはるか昔から「家族の為に病気には気をつけなければいかんし、家族が病気になったら、真っ先にそれを心配しろ」という価値観があったということで、これはおそらく人間の基本なんですね。

これはワタシ自身が何よりそう思っています。

「家族が健康で生きていてくれること」これは人生で最も大事なことの一つです。

ワタシはその基本すら守れそうにありません。


本当に両親より先に死んだらどうしよう?

この日と前の日はそんなことばかり考え、親不孝な自分に泣けました。


今になって考えても、ワタシのこれまでの闘病生活の中で、この2日間の心の動揺が一番大きかったのは間違いありません。

不安や恐怖の相手の姿がはっきりと認識できないからです。

得体の知れない恐怖は本当におそろしいものです。

確定診断後の方がむしろ心は落ち着きました。

何故不安なのかが分からない不安は本当に恐ろしいものです。



3人帰りのバスに乗ります。診察がお昼前だったので、おそらく時間は昼下がりくらいだったと思います。


バスは空いています。


ワタシは後方の窓側の席に座り、ワタシの前に父が、その横に母が並んで座ります。



母はハンカチを手に目のあたりを何回か抑えます。

涙が止まらなかったのでしょう。


無理もありません。

母にとっては昨日から今日の展開が急すぎて、あまりに残酷です。


そんな母を心配そうに父が無言でチラチラ気にします。

心の中で「おい、泣くな」と言っているようです。


二人ともワタシの前では泣いてはいけない、と頑張っていたのでしょう。



ワタシの前に並んで座る、還暦を控えたそんな両親の背中は、今まで見てきた両親の背中の中で最も小さく、そして切なく見えました。


その原因はワタシです。

人生最大の不安を今まさに、ワタシは両親に与えているのですから・・・

ワタシもこらえきれず、両親にはバレないようこっそり涙をぬぐいました。


両親を悲しませる自分が情けない、悔しい・・・・本当にごめん。



駅に向かうバスは途中、閑静な住宅街の並木通りの信号で停車します。


この日も前の日に引き続き良い天気でした。


暖かかったのを覚えています。


春の昼下がり、窓際に座り、必死に涙をこらえるワタシたち3人に暖かな木漏れ日がバスの窓越しに降り注ぎます。


その陽射しは、すっかり小さくなったワタシの両親の背中を守ってくれるかのように、どこか優しく照らしてくれていました。



つづく

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Vol.8 過去の扉(4)2009年4月②「酒の肴は悔し涙と嬉し涙」

父さん、母さん、ごめんね


さて、Y病院にてあっさりガン告知をされてしまったワタシはその日の夜に実家に帰りました。
(当時ワタシは職場に近い所で一人暮らしをしていました。)

すっかりグレーゾーン(三ツ矢雄二ではなく)に陥ったワタシは親を頼ったのです。

翌日は父も母もA病院についてきてくれることになりましたので、翌日一緒に行こうということもあっての合流です。


ワタシが実家に着くころには夕飯の鍋が用意されていました。

夕飯はビールとつまみがあれば良い、という我が家はかなりの頻度で鍋です。冬は8割方鍋です。

母に言わせると「楽だから」とのこと。


食卓について食事が始まる前、いつもの実家のダイニングのそれぞれの席に座ります。

それまでの人生で何千回か体験しているごくごくいつもの光景がそこにはあります。

ワタシがこの世でもっとも落ち着く場所、原点の光景です。


父が目の前にいつものようにいます。

母はワタシの横にいます。



ワタシは泣いていました。



すっかり気分はガン確定ですが、その日の段階ではとりあえず何もまだわかっていませんので、話すことはそんなにありません。



ほぼ沈黙の食卓は、ワタシのすすり泣きと鼻をティッシュでかむ音がコダマします。



そんなワタシを見て哀しくなった母も泣き出しました・・・・・


「頑張ろう、頑張ろう」とワタシの膝をさすります。


すると父も泣き出しました・・・・・



そして父は感慨深い一言を言いました。


「お母さんはお前を産むとき自分の命も危うかったんだ・・・」


「そんな中産まれたお前の強さはすごいんだから絶対大丈夫だ・・・」


父はワタシを励ましてくれていましたが、おそらく父は父自身の不安を払しょくするために言ったのだろうと思います。

ワタシに向けた言葉は自身に言い聞かせているようで、それがまたワタシの涙を誘います。


父も母もワタシと同じグレーゾーン(だから三ツ矢雄二ではなく)にこの時入っていたはずです。




いつまでも泣いてばかりはいられないので、母がタイミングを見て、「さあ食べよう」とビールを抜きます。


グレーな心にいつもの母の温かい料理が染みわたりますが、あまり喉を通りません。


ビールはしこたま煽りました。


食事を終え、ワタシは実家の自分の部屋に入るとさらにビールを煽ります。


酔ってきたワタシはある女性にメールをします。

今のジョカノ(彼女)です。


実はこのジョカノとはこの時期に知り合ったんですね。

丁度X病院やY病院で検査を進めている3月です。

不思議なものです。

こんな時期に知り合って今に至るまで一緒にいるのですから。


その日の時点では、まだ知り合ったばかりの2人でしたが、当人たちが意識しないところでお互いの存在はすでに気になる存在を超えて、欠くことのできない間柄になっていたのだと思います。


知り合ったばかり、ということもあり、ワタシはジョカノに、

「俺がんらしい。俺と一緒にいてもいいこと無いだろうし、ジョカノを巻き込みたくないからもうお互い忘れよう」

みたいなメールをしました。


すると、その夜の遅くに電話がかかってきました。

何を話したかはくわしく覚えていませんが、ジョカノは、

「ふざけるな、もう一緒に居る。離れることは出来ない」みたいに怒ってくれたことを覚えています。

ワタシは嬉しくて泣いたのを覚えています。


その嬉しさと同時に、こんな素晴らしいこと言ってくれるジョカノに対して、ガンに陥ってしまう自分の情けなさにも泣けました。

いろいろな感情が渦巻き、悔しいんだか、嬉しいんだか、もうどっちかわかりません。


この時、仕事の関係で別な遠いところに居たジョカノはワタシのメールをみて、ワタシと同じようにさんざん酒を煽ったそうです。

電話の際はお互いがかなり酔っぱらっていたものですから、詳しく覚えていないのですが、ワタシとジョカノの物語はこの日に始まった、と今になっては言えます。


このジョカノですが、出会いも不思議なものでしたし、ワタシの今に至るまで、そしてこれからのワタシの人生においても欠くことの出来ない存在ですから、また別な機会にいろいろと書ければと思います。



さて、自室でしこたまビールを泣きながら煽ったワタシは布団に入ります。



部屋のドア越しに母が声をかけてきます。

ドア越しに言葉を交わします。


母 「今日はとりあえず何も考えずに寝なさい」


ワタシ「うん、ありがとう」


目を閉じます。

口とお腹の中はビールの味に涙の塩気が混じって少し吐き気がします。


そのまま寝てしまいます。



・・・・・悔しかったです。



何が悔しいって、両親を泣かせてしまった自分が情けないのです。


学生のころまでちゃらんぽらん、ダラダラやってきました。


人並みに、いや、平均以上に親には苦労をかけてきたかもしれません。


そんな中、真面目に就職をして、やっとこれから真面目に親孝行もできるかな~、なんて生意気になんとなく考えていた28歳フツウの男の子です。


若くしてガンになってしまうなんて、ワタシは自分が可哀そう、とか不安とか恐怖だとか、そういった悲劇のヒーロー気取りの感情もこの日はもちろんありましたが、一番この日の感情で大きいものは、何よりも「そんな息子をもってしまった両親が可哀そう」という気持ちでした。



なんて親不孝なワタシなのだろう・・・どうかしている・・・


自分を責めます。


さんざん迷惑と心配をかけてきた挙句の果て、この年でガンになってしまうだなんて・・・



ワタシは史上最低の子供だ・・・・悔しい・・・



うとうとしながらあたまの中でつぶやきます。



父さん、母さん、ごめんね・・・・



つづく

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