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ワタシはカラダをテツガクする

病気が集まってくるカラダを自慢している。 生きてる以上テツガクするしかないね。めんどくさいけどね。

Vol.251 川の流れのように


一粒の砂になるまで


表題の曲はワタシがチビッ子の頃から幾度となく耳にしてきた曲です。

よくコメントをくれるタナカさんが最近この曲を推してくれるので、笑、改めて聞いています、最近。


今までは、ただBGM的に耳に入ってきていた感じですが、ワタシも30歳を過ぎ、改めて今じっくり繰り返し聞いてみると、、、

いや~、染みますね。

すげ~いいです。笑。

ありがとう、タナカさん ^o^)/


「淡々と移りゆく「自然現象」や「時間」を川の流れに例え、自らもその川に身を任せ、一体と化して、穏やかに生きていこう。。。我々人間も自然や時間の一部に過ぎないのだから・・・」

そんな唄だとワタシは解釈しています。


ワタシもこれまでの30年ちょいの人生で、良い経験も辛い経験も沢山してきましたが、結局時間は淡々と過ぎていきました。

自分がどうしようが変わらないモノなんて沢山あって、自分一人が何かをして、何かが変わることなんかほぼ無いに等しい、ということにも、最近なんとなく気づいてきました。

自分のカラダの中で起きている病気、という変化ですら、自分でコントロール出来ないのもその一例です。


タナカさんがくれたコメント、

> しかしながら、たかだか九十年、百年、ひとりの人間が生きている間に得られる真実、真理などはどれだけの物でしょう?

そんな感じ、わかります、今。

だったら変にジタバタせず、穏やかに自然や時間に身を任せて生きていけばいい、って感じのテツガクをここ数年でようやく得られるようになってきました。


つまり、「川の流れのように」の世界観を理解出来るようになってきました。

いや、もしかしたら、本来であれば、「川の流れに逆らっても自分を貫くのだ!」という、血気盛んな年頃であるはずの20代の若さにしてこの詩を書き上げた、テツガクの大巨人・秋元康先輩には違った意図があるのかもしれません。

でも、ワタシがひばり先輩の声から感じたメッセージはそういったことでした。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「川の流れのように」の世界観が分かってきた、と今言ったばかりですが、ワタシが歌詞から理解した世界観と、今ワタシが思っている感覚は、実はちょっと違ってまして・・・

「川の流れに身を任せる」的な感覚はおそらく秋元先輩の思いと一緒(だと思う)ですが、秋元先輩が自然や時間を川の流れに例えたのに対して、ワタシはむしろ、自然や時間というものが、

「止まっている」

ように感じるんです、最近特に。


時間や自然が川なのではなく、それらはむしろ岸にただ止まっており、「川」が人間が生きる世俗の世界で、その中をただ流れる「石ころ」がワタシなのではないか?と、強引に例えるならばワタシは今そういった感覚の中にいます。


我々を支配する自然や時間を生み出す地球や太陽の寿命は数十億年とか数百億年とか言われております。

人間一人で約100年、人類全体ですら僅か数千~数万年の歴史しか持たない我々はまさに、自然や時間からしてみたら、せわしなく流れる川、およびその中の石ころ一つにも満たないのではないでしょうか?


逆に、ワタシからしてみたら、数十億、数百億の単位で活動している自然の働きは雄大すぎて、ただ止まって感じます。

止まっている、というか、「無」というか・・・そう、昨日木々に囲まれて感じたワタシのあの感覚です。

あまりに雄大すぎるのでワタシは認知することが出来ないので「無」なのでしょうか・・・?


小さい頃、道を走っても走っても位置がまったく変わらない月を見て、なんだか気味が悪かったものです。

ワタシがジタバタ走っても、月は何も変わらず、「止まって」いました。

月は常にワタシを監視しているかのようでしたが、それは幼いワタシの錯覚で、実際はなんの言葉も発せず、それに、監視しているどころか、月は何かを見ようとする目すら持たない「無」だったんです。

ワタシに対して関心も無関心も無い「無」だったからこそ、恐怖にも似た気味の悪さを味わったんだと、今はそう思います。


ワタシは、「止」であり「無」である「自然と時間(=大地)」の中を「せわしなく流れる川の中の石ころ」です。


五木寛之先輩の「大河の一滴」じゃないですが、ワタシがどんだけ汗を流しても、涙を流しても、川の水の量すら増えないし、ましてや大地に一滴の飛沫を上げて何かしらの影響を与えることなど不可能です。

だったら淡々と、穏やかに、川に身を任せるしかない。


ワタシはエネルギーに満ち溢れ、その角張った形で自己を存分に主張する「ごつごつした石」として生まれ、川を流れていくにつれて、いろいろな障害物にぶつかり、角が取れて丸くなり、丸くなるとスムーズに川の流れと一体となりますから、生きていく気持ちよさを理解する。

そして川をさらに流れていくうちに、ワタシは小さい砂の一粒となり、やがて消えてなくなる。

そんな感覚が目指すべき所かなと思っています。



しかし、

このテツガクを推し進めると、どうしても悲観的・無気力な方向に行ってしまう自分に気づきます。


実際に、ワタシもどこか遠くに、自然に囲まれて温泉もあるような場所で、一人で自給自足をしながら、誰もワタシを知らない所で、残り少ないであろう余生を穏やかに過ごして、静かに死にたいと、本気でそう思う瞬間が昔も今もあったりします。

闘病に、この世俗の世界に、もう疲れたからです。


達磨先輩や荘子先輩の生きた数千年前なら、村を離れ、自分で畑を耕し、それが実際に出来たかもしれませんが、現代に生きてしまっているワタシにそれは不可能なのです。
(※いや、マジになれば出来るかもしれませんが、土地も買わなければならないし、勝手に農業や狩猟は出来ないし・・・)

結局この相対的な世俗の世界から逃れることは出来ないのです。


川の中を強制的に流されている石ころに過ぎないワタシは、自力でジャンプして、そこから脱して、岸に着地することなど不可能なんです。


タナカさんがくれたコメント、

>つまり、大抵の人が平和を望んでいるのに戦争が無くならない事。
>科学が発達しても、病気の種類が減らない事。
>食糧はたくさん生産されているのに、餓えに苦しんでいる人が減らない事。など。
>それらは人間の限界を超えた問題、ジレンマなのでは?

本当にそうです。

人間が何かをしても、結局何も真実や本質は変わらないじゃないか・・・


川の水の量を変えたり、川の流れを止めて絶対的な「無」と一体化したりは、人の力では出来ないのです。


しかしそれが極端な思想になると、

「自分が何をしても、川から逃れることが出来ない、川も変わらないなら、何もしない方がいいや!」

という悲観的な無気力、最悪の場合は自堕落になってしまいそうですが、それはまた別の話です。


世俗の川から逃れられない以上、この世界で自分のやりたいようにやるしかありません。

やりたいことをしようが、しまいが、川から逃れることは出来ないのだから、だったらせめて、自分の意識があるうちは、好きなことをすればいいと思うのです。

川の中の小さい石ころではありますが、ワタシの世界はそこにしか無いのですから、その中で精一杯生きるしか無いのです。


自分の好きなこと=欲望です。


仏教なんかは特に、この欲望にまみれた世俗的世界を「苦」と捉え、欲望の制圧を人間の最大のテーマとしますが、ワタシにそれは不可能です。

この世俗的世界から逃れられないワタシにとって、「川の流れのように」の唄の世界観は、思想的な拠り所にはなるけど、それはそのまま、いわゆる処世術にはならないのではないか?、というのが今の所のワタシの思いであります。


だったらこれはもう、その欲望に身を任せた方がよい・・・
(もちろん身を滅ぼさない、人に影響を与えない、程度、ということになるが)

欲望に身を任せる、というと、快楽主義・拝金主義みたいな悪いイメージになるけど、違います。

自分の中に沸き上がってくる感情に素直になろう、って感じです。

(いや、自分の中の素直な感情として快楽・拝金主義が出てくれば、それはそれで良いのです。)


多少強引になっちゃうけど、自分の欲望ですら、川の流れに置き換えて、それに身を任せて生きる・・・

「川の流れのように」の世界観を強引に処世術に置き換えようと、今ワタシはもがいております。


川の流れに身を任せるけれども、ただ目を閉じてその心地よさに身を委ねるのではなく、しっかりと前を、自分が流れていく方向くらいは目を逸らさずに見つめていよう、

そんな感覚です。


何かをしても、石ころに過ぎないワタシは結局、いきつく場所は川の流れ次第なんです。

しかし、そんな石ころでも、流れ着きたい方向を目指して、必死に汗を流し、涙を流し、身をよじれば、川の水の量や流れを変えることは絶対に不可能だけど、自分の行きたい方向へはほんの少しでも近づけるのではないか・・・?

そう思うのです。

実際にこれまでの人生で、「努力」をして、「思い通りになった」という経験もあったりするのです。


あくまで石ころである、と身の程を自覚し、でも、何も変えられないのだから、と悲観して諦めず、自分の欲望を欲望として捉え、素直になり、

「望む人生(=欲望)を送る為にやるべきことを淡々とやる」

しかありませんね、結局。

そう思います。


う~ん、またしても意味不明な記事になったな・・・

今のワタシのアタマの体力と、手持ちの言語ではこれが限界です。

人生のマニュアルの言語化への道のりは厳しいです。笑。


おわり
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コメント

胸キュンしちゃいました!

こんばんは、ワタシさん!
ほんの軽い気持ちの思い付きで「川の流れの・・・」を持ち出してみましたが、ワタシさんが真摯に考察してくださり、とても光栄です!
おかげで 私が思っていた以上に「川の・・・」の歌詞を再認識できました。
ワタシさんの相変わらずの、頭脳明晰さに胸キュンしちゃいました!!
申し訳ない事に、秋元氏の作詞とは知りませんでした^^;
そして、なかなかに若い時の作品とも。
誰でもなく、ひばりさんが歌っておられた事で、歌詞に重みと深みが出ていたと思います!
ワタシさんの言葉も、とっても重みがありますものね!!
今さらですが、音楽としては、何を隠そう私はスピッ○のFANです(笑)ここ5年くらいですが。
歌詞の掴み所の無さが、とってもファンタジックでいいです!
もし良かったら、ワタシさんも聞いてみて下さいね。
お勧めは、一番最近のアルバムの「とげまる」かな?
もちろん、「ロビンソン」や「チェリー」「スターゲイザー」など、ステキな曲はたくさんありますが・・・
そんな事はさて置き、今日もワタシさんのブログに会えて嬉しかったです。
いつかもワタシさんの話にあったように、自分の存在が周囲の誰かの幸せになるように・・・と。
ワタシさんは、本当に考え深い方なので、きっとあなたの周囲の人達はワタシさんから、「幸せ」をもらっておられると思います。
私も本当に微力ながら、家族の為になれるよう明日も努力します!
ワタシさんの上にもたくさんの導きと、祝福がありますように。  ついつい長文ごめんなさい。m(_ _)m

Re: 胸キュンしちゃいました!

タナカさん

胸キュンありがとうございます。笑。

確かに、美空ひばりだからこそなんでしょうね。しかしその表現力には圧倒されます。

「あ~~あ~~♪」とサビが始まると、ワタシの目の前には川が流れ、ひばりさんが「空」というとそこに空が広がり・・・

日本一の伝説のエンターテイナーの歌声、恐るべしです。

スピッツはロビンソンは大好きで、iPodに入れてます!たまに聞きます。


ワタシもこれからも、他の誰かの幸せに少しでも役立てるように・・・

一生懸命頑張りたいと思います。


いつもありがとうございます。

またコメントしてくださいね!!

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